15 心の距離
魔王様に? 何で?
唖然とレイ君を見詰め返すしか出来ない状況を断ち切ったのは、倒れる椅子の音だった。
「レイ!!やめよ!!!」
勢いよく立ち上がり、倒れた椅子の前に立っている魔王様の目は薄っすらと光って見える。
一気に張り詰めて圧迫される空気の中で、レイ君を見ている魔王様は怒りと哀しみを耐えるような悲しい顔になっている。
「でも!!」
「やめよと言っている!!」
「治るかも、しれないのに……」
魔王様に怒られてレイ君は惜しそうに私の手を放し、自分のズボンをギュッと握ったその手は魔王様の怒りを伴う視線に震えている。
それでも自分の意思を譲りたくないとばかりに魔王様から視線を外さないレイ君に、魔王様が苦々しく苦笑を浮かべた。
「レイ…私はよいのだ。それに、ユリエにそんな危険な事はさせられない。私がさせない」
「……っ」
悲しそうに笑った魔王様は、レイ君に優しく言い聞かせるように拒絶の言葉を返す。
そんな言葉でレイ君は固く口を結んで黙って俯いてしまったけれど、髪に隠れて見えないその顔はきっと何かに耐えているんだろう…。
私には、何の事だか分からない。
分からないけれど、きっと、とても大事で、とても繊細な事なのではないだろうか…。
レイ君は「治るかもしれない」と言った。なら、魔王様はもしかして病気…とかなんだろうか…。
それは…とても、とても嫌だ。
魔王様とは会って間もないし、こんな事を思うのは軽薄なのかも知れない。
けれど、私は魔王様に救われたのだ。あの森で、【死の泉】で、この世界に本当に1人だった私を助けてくれたのは魔王様なのだ。
そんな恩人が、私にこんな幸せな場所を与えてくれた恩人が、何かに苦しんでいると思うと居た堪れない気持ちになる……。
「あの…私に出来る事があるなら…」
「駄目だ」
「…でも」
「ユリエ、ありがとう」
何か出来る事はないのか、そう縋るように掛けた声に魔王様は笑ったけれど、私は憤りを隠せない顔をしているだろう。
だって、微笑まないで欲しい。
諦めにしか見えない。
でもそれ以上何も言えなくて、静かになった部屋にレイ君の声が小さく響いた。
「………せに」
そんなレイ君の声に視線を戻した魔王様に、勢いよく顔を上げたレイ君が大きく叫んだ。
「羨ましい癖に!!」
羨ま…しい?? 何???
困惑した顔になっているだろう私の前で、レイ君は悔しそうに歪めた赤い顔で魔王様に言葉を続ける。
「レイが!ユリエ様と!手を繋いでるの!羨ましい癖に!!」
「んなっ!!ななな何を…!」
レイ君の発言に、怪訝にレイ君を見ていた魔王様の顔が一瞬で赤くなり、怯んだように一歩後ろへ下がった魔王様の足が、倒れている椅子に当たって痛そうな音がした。
「やっとまともに出て来たと思ったら!これじゃスネイルがスラグラージになっただけじゃないですか!」
レイ君の言っているスネイルはきっと“カタツムリ”でスラグラージは“ナメクジ”だと思う。[語学]が無駄に仕事をしている。
結構な悪口に魔王様の顔が青くなって行くが、この小さな勇者は魔王を倒さんと猛攻を止めない。
「ユリエ様だって協力すると仰って下さったのに!何が「駄目だ」「ありがとう」ですか!浸るのも大概になさって下さいよ!そんなんだから治るものも治らないんですよ!」
「………」
「強い癖にこんな部屋に引き籠って本ばっかり読んでるから、そんな自虐スキルばっかり成長して自分から何にも出来ないし!面と向かって話すとすぐに照れるんですよ!魔王様のバカ!根暗!欝々引き籠り!!!」
そうひと際大きく叫びきったレイ君が魔王様の部屋を飛び出して走り去り、残された魔王様は顔を両手で覆って崩れ落ちている。
え。
えぇー………待って。この空気はなかなか厳しい。
レイ君が走り去った足音が遠ざかり、部屋の中には静寂と、どうしていいのか分からない私が残された。
「あ…あの…」
「……………すまない」
「えっと…レイ君も、きっと勢い余っただけで…本気じゃないと、思うので…」
「……私が…不甲斐ないばかりに…ユリエにまで、気を遣わせてしまって……申し訳ない…」
私は今、4メートルの距離で魔王様を慰めている。
近づくのは憚られるし、かと言ってここでレイ君を追って出て行くのは絶対駄目。
魔王様はレイ君の言葉から全く復活出来ずにいる。身長も高くて、細身だけれどしっかりした体躯の魔王様が、それはそれは小さく見える。
子供の意見って、刺さるもんね…。
「その…魔王様は病気…ではないんですよね?」
崩れ落ちて、正座したように項垂れ、机に隠れてしまっている魔王様を少し覗き込むように恐る恐る尋ねると、魔王様は微かに手をずらしてこちらを見た。
あああ、泣きそうな顔だぁ…。
「ええっと、身体は、大丈夫なんです…よね?」
「身体は……」
体調の方を尋ねたのだけど、違う方を意識した魔王様の顔が更に泣きそうになる。
「あっ違います!心はダメとかそう言う意味ではなくて!体を蝕むような、命に関わるような病気じゃないかって事を聞きたくて!…その……す…すいません………」
墓穴を掘った気がする。思わず謝ってしまった。
そんな泣きそうな顔されたら、心の方が大丈夫じゃないのかなって思っちゃうじゃないですか。
「……いや、謝る事はない…私の心が脆弱なのは、本当の事だし……引き籠っているのも…確かだし…気は利かないし…ダメな魔王だし…」
どんどん小さくなって行った魔王様だが、けれど!と顔を上げてこちらを見る。顔色も悪いし泣きそうではあるけれど、その目には力があった。
「レイの事は…悪く思わないでやって欲しいのだ……。あ、あれは、こんな私を心配する一心であって、ユリエに害をなそうとした訳ではない…だから……」
ああ、ここでそこを守ろうとするなんて、そりゃあ部下に慕われる上司になるわ。
そんな魔王様に、思わず苦笑に似た笑みが漏れる。
「魔王様は素敵ですね」
「へ?」
床に手をついたまま、ポカンと口を薄く開けて唖然と私を見る魔王様に、少しだけ近寄って視線が合うようにしゃがむ。
「辛いのに、他の人の為に頑張っちゃう所とか、一生懸命になれるとことか。そう言うの、とても素敵だと思います」
そう言って私が笑うと、魔王様の綺麗な顔が一気に赤くなる。
「でも、そんな魔王様の力になれないのは、何だか嫌だなって。多分、レイ君もそうなんじゃないでしょうか」
「ユリエ…」
強張っていた魔王様の肩から少し力が抜けて、困った顔はまだ少し赤いけれど、何かを言おうとした魔王様は俯いたそのままに再び口を閉じる。
「……」
「でもいつか、魔王様の助けになれれば嬉しいです」
そんな様子に少し苦笑すると、魔王様はゆっくり顔を上げて、縋るように、苦しそうに私を見た。
「私は…っ…私は、そのように思って貰える程よいものではない………!ユリエを連れて来た事にも打算的な思いを抱いている!ユリエのユニークスキルに対して悪心を抱く者は私なのだ!私は、そんな浅ましい者なのだ……」
最後は力なく言葉を零した魔王様は、顔を伏せて項垂れている。
私としては、そんな事はないのにな。 そう思うけれど、魔王様の中ではそれが真実で、それが辛いのだから否定は出来ない。
そんな苦しそうな魔王様に、私は笑顔を返した。
「打算的でいいのでは?」
「…?………いい、とは?」
「私は、魔王様が損得勘定して、得があるって思って貰えたのは嬉しいです。私に価値があるのなら、むしろ安心しました」
にっこり笑った私に、顔を上げた魔王様は困惑した顔のままにポカンとしている。
「お仕事貰えるとは聞いて来ましたが、今の私は魔法もろくに使えないただのお荷物です。なので、価値があるなら、魔法に慣れるだけの猶予を頂けそうでホッとしております」
「……そんな事は…」
「いえ。やはりただのお荷物でいるのは心苦しい。でも、待って貰えるなら、時間を貰えるなら、誠心誠意頑張りますので、私が自分の魔法をもっとちゃんと使えるようになったらどんどん使って頂いて、魔王様に得が増えれば長く雇って貰えるかもって。私も打算的に考えてますけど…誰も損をしないのなら良いんじゃないかなって」
しばらく唖然とした後、「確かに…」と小さく呟いた魔王様が、ゆっくり、ゆっくりと笑顔になって、最後はまだ少し困ってはいるもののクスリと笑う。
「ならば、ユリエにも得を感じて貰えるよう、まずは仕事を決めねばならないな」
「はい、お願いします」
そう言って笑い合った私と魔王様の間には、今も3メートルの距離がある。
けれど、気持ちは少し近くなった気がした。




