11 温かい手
もう少しで着きますよ。そう私を気遣いながら、ニコニコ笑顔のレイ君に手を引かれて魔王城を歩く。
魔王様が開けたままだった大きな扉を潜ると、レイ君が繋いでない方の手をヒラリと揺らしたそれで、鈍い音を立てながら正面扉がゆっくり閉まる。
やっぱり生活の中で魔法が当たり前のように使われているんだなぁ、と状況やお城を観察しながら歩いているけれど、やはり人の気配がとても薄い。
そして正面扉が閉まると扉から射していた日の光がなくなり、天井や廊下にポツポツと暖色の明かりは灯っているけれど、ガラス面が曇っている為かそちらも暗く、奥に見える窓からの微かな光しか存在しない広いお城は、人の気配のなさも相まって見事に暗い。
そんな雰囲気のせいか、何だか別の暗さも感じてしまう。
重厚な建物の中は、常にこんな感じなんだろうかと考えながら、壁際にいくつかソファーの並ぶ落ち着いた様相のエントランスを抜け、エントランスの両サイドから続く廊下の奥、赤い絨毯の敷かれた大きな折り返し階段を3階まで上がる。
楽しそうに私を振り返るレイ君が、食べられない物はないか、疲れてはいないかと優しい質問をしてくれるそれに返事を返しながら、レイ君と同じ速度で、それも返答しながら、階段を登れる私。
凄い。
息切れしないなんて素晴らしい。
そう若さを堪能しながら長い階段を上りきったそこは、3階にある新たなエントランス。
広いエントランスは規則正しい柱が支え、外に面する壁には一面大きな窓が填まっている。その目下には先程レイ君が大きな声で魔王様を呼んでいた、吹き抜けの城内広場が見渡せるので、ここは正面入り口からグルッと上がって来た感じの場所になるんだろう。
そしてエントランスのメインを飾る大窓は、かなり曇ってはいるけれど微かに薄い七色が見え隠れしているので、きっと磨いたら綺麗だろうなぁなんて思いながら笑顔のレイ君に手を引かれ、更に大窓を横目にエントランスから続く廊下を歩く。
片側に城内広場が見える窓が並ぶ廊下を歩くと、そろそろ廊下の先が途切れそうだな、と言う所でレイ君は横にあったドアを開け、私にクルリと向き直った。
「お疲れ様でした!他の人に遭遇したくなかったので少し遠回りしちゃいましたが、ユリエ様にはこちらのお部屋を使って頂きたいです!」
そう開かれた扉の中へ手を引かれ、足を踏み入れた部屋は驚く程に広い。
軽く30畳以上はあるのではないだろうか。
そんな広い部屋は入って正面に窓がいくつか並び、窓の間には壁掛けのアンティークなランプが並んでいる。
右奥には更にドアがあり、どうやら間取り的にはリビング+寝室な感じ。床は廊下と同じような白い石で出来ており、その上にはアイアン調の金属で出来たカラの本棚やチェストが壁際に置かれている。
部屋の中央には3人掛けの大きなソファーの応接セットがあって、更に窓際に置かれた2人用のカフェテーブルは、座面がクッションになっているシンプルな椅子がとてもかわいい。
控えめに言っても、都心なら家賃は20万を越えるだろう。
「……あの、レイ君、何かすごく広いし、いい部屋過ぎない? お仕事させて貰いに来てるのに、私には勿体ないと言うか…いい部屋過ぎると言うか……」
「お気に召しませんでしたか?」
そうしょんぼり困った顔で私を見上げるレイ君。
違うの、困らせたい訳ではないの。
「いや、すごく素敵なお部屋なんだけど、こんないい部屋を使わせて貰っていいのかなって…」
「じゃあお気に召したのは召したんですね?」
「うん、まぁ、召してはいるんだけど」
「良かったぁ! 他の部屋は100年以上お掃除出来てなくて、この部屋だけが綺麗だったんです!それにここが特別いい部屋って訳ではないので、気兼ねなく使って頂けるとレイは嬉しいです!」
なるほど。100年掃除してない部屋はさすがに厳しい。
ここはお言葉に甘えさせて頂こう…。
そう頷いた私に、安心したような笑顔を浮かべるレイ君が、どうぞどうぞと言いながら私の手を引いて部屋の中へ足を進め、あれこれ不備がないかをチェックしながら私を振り返る。
「ユリエ様!いつもご飯は食堂で食べるんですが、食堂は騒がしいので落ち着くまでここで食べても良いですか?」
「いいの?」
「はい!ユリエ様がよければ!」
「なら、そうして貰えると有難いかな」
さすがに異世界の情報量に疲れているので、その申し出は有難い。一旦ちょっと休みたい。
ありがとう、と私がお礼を言うと、えへへ、と照れて可愛く笑うレイ君は、素晴らしく気遣いの出来るイケてるメンズ。
「じゃあすぐお食事持って来ますね!ユリエ様はお部屋でゆっくりしてて下さい!」
そう笑顔を残し、軽やかな足取りで走って行ったレイ君を見送って、リビング部分をもう一度見渡してから奥にあったドアの一つを開けると、どうやらそこは水回り。
脱衣所と隣接する洗面台、そしてトイレとお風呂だろうドアが分かれている。
驚いたのは、その水回りがとても見慣れた物なのだ。
洗面台には大きな鏡と青と赤の石が嵌った横に捻るタイプの一本の蛇口、お風呂は丸い浴槽の横に洗い場があり、何とシャワーまで付いている。
何より嬉しいのはトイレが見慣れた洋式トイレだった事。ただ流すボタンを押すとトイレの中に模様が浮かんで清掃され、水が流れる仕様じゃない異世界バージョン。
トイレットペーパーは葉っぱの形をしたティッシュみたいな紙の束が壁に吊られていて、使用してみた所使い心地は大変宜しかった。
そんな水回りの使い勝手を確認し、部屋に戻ると丁度レイ君が戻って来た所だった。
「あ!そこご覧になりました?」
大きな袋を背負い、料理やピッチャーやらを乗せた重そうなトレーを両手に持ったレイ君は、小さなお尻で器用にドアを閉めると笑顔で窓際のカフェテーブルにトレーを置いて、背負っていた袋を大きなソファーに下ろしてからカフェテーブルの上に2人分の食事をセットして、こちらで食べましょう、と椅子まで引いてくれる。
レイ君。見事な紳士。
「水回りは勇者が伝えたんですよ!故郷では一般的な物だったそうで、ないと死ぬって言ってました!弱い勇者ではありましたが、水回りを伝えた事だけは褒めてもいいです!あれは良い物です!」
勇者先輩…マジありがとう。おかげで生きて行けます。
「確かに、とても良い物だね」
「けど、しゃんぽー、としんす?は作れなかったみたいなので、泡石を使って下さい!水に濡らすと泡が出ます!」
小さな手で、これくらいの石、と丸を作ったレイ君、子供の仕草はいちいち可愛い。
「わかった、ありがとう」
シャンプーとリンスはだめだった勇者先輩。
その類は趣味でよく作っていたので、材料があればいつか作ってみたい。そう考えながらレイ君が引いてくれた席に座ると、私の正面に座ったレイ君はスプーンを持って早速食べだしている。
「ユリエ様も食べて下さい!お口に合えばいいんですけど…」
レイ君は食べていた手を止めて、心配そうにこちらを見て来るけれど、料理からは美味しそうな匂いがしていて食欲をそそる。
テーブルに並んでいるのは、丸いパンと丸いお芋。のように見える物。そこに薄い緑の塩に見える結晶が掛かっていて、知ってる料理に例えるならシンプルな蒸かし芋。そしてお肉が沢山入った透明なスープに、リンゴに見える切り分けられた果物だ。
頂きます、と感謝して、スープを口に入れると想像通りの味がして心底安心する。
どうやら異世界でも味覚は同じらしく、そんな事にも温かい料理にも、心の底から安心してホッと息が漏れる。
そんな美味しいスープは野菜はとても少ないけれど、素材の味をしっかりと活かしたハーブと塩味の優しい味。スープの中に溶け込んだ素材の味も予想の出来る材料が窺えるし、お肉はスプーンで切れてしまう程柔らかく煮込まれた牛肉に思える。そして丁寧に作られた料理は、料理に対する誠実さが感じられてとても好き。
「すごく美味しい。丁寧に作ってあって、この味凄く好き」
そう笑顔で感想を言うと、良かった、と笑ったレイ君は止めていた手を再び動かす。
「料理長が喜びます!今度伝えてあげて下さい!無駄にデカくて圧迫感ありますけど、ご飯を作ってくれるいい人です!」
「うん」
紹介表現が安定のレイ君。
そんなレイ君と2人で美味しく料理を食べていると、先に食べ終わったレイ君は軽く足を揺らしながら、まだ食べている私に負担にならない程度でお話をしてくれる。
「レイはとても嬉しいです!これから毎日こんな日が続くと思うと、もう明日が待ち遠しいです!きっと明日も魔王様はユリエ様に会いたくて鬱陶しい感じになってるんだと思うと、レイはとても嬉しいです!」
ふふ、と可愛く笑っているレイ君ではあるけれど、言ってる事はそれでいいのか悩む内容。
いや、言い方か?
「ユリエ様、明日魔王様にお会いされる時、レイもご一緒していいですか?」
「ん? 私はいいけど」
「多分魔王様は、ユリエ様の能力についてお話されると思うのです。さっき魔王様が鑑定の魔道具を求めてましたので」
「それは…」
異世界人だって話すって事だよね?
レイ君はいい子だけれど、魔王様は余り言ってはいけないと言っていた。
なのに言ってしまっていいんだろうか…。そう少し悩んでいると、レイ君が穏やかな笑顔を私に向けて、テーブルの上で固まっていた私の手にそっと小さな手を添えた。
「ユリエ様、レイも、この城に居る者も、ユリエ様が異世界から来た事を魔王様より聞かされております」
「そう、なの?」
「けれど、皆癖はありますが、本当に信頼できる者しかここにはいません。レイが保証します」
「……」
「なので、ユリエ様は気を張らなくても大丈夫です。無理せず、ユリエ様らしく過ごして頂いて大丈夫です。少し大変かも知れませんが、大丈夫です」
ね?と言葉を押してちょっと困ったふうに首を傾げたレイ君に、温かい料理と優しい言葉。色々な不安が安心に覆われて、込み上げて来た涙を隠そうと目を覆った自分の片手でそれ以上レイ君は見られなかったけれど、「うん」と頷いた私に「魔王様に怒られそうです」とレイ君の微かに笑った声が聞こえ、添えられた小さな手はとても温かく、小さいのにとても頼もしかった。




