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僕と風呂4


 そうやって男達で馬鹿な話をしていると翔子さんとまきるが来た。2人とも浴衣だ。濡れた髪と上気した肌が見慣れず、少しどぎまぎしてしまう。



「まきる、もう風呂から上がったのか?」



 むぅ、とまきるが不機嫌な様子になる。横で翔子さんが笑いをこらえている。なんだこれ?

 翔子さんに気付いたおじさんが声を掛けた。



「おお、翔子さん。その浴衣どうしたんだい?とても似合っているよ。惚れ直した。」


「けっ、うるせーやいっ。」



 ぷいっ、と横を向く翔子さん。頬が紅いのは風呂上がりだから、というだけではないだろう。その横でまきるはますます不機嫌になった。



「…………お母さん。やっぱりこの勝負不公平だよ。お父さんがお母さんを褒めない訳がないもん。」


「馬鹿やろう。勝負は勝負。男なら潔く現実受け入れろ。」



 あたし女だよ、と空気が抜けた風船の様に弱々しく言うまきる。事情が読めず、疑問符を込めた視線をまきるに向けていると、いつの間にか足下に来ていたニアが僕の膝に乗って来た。



「なに、何のことはない。風呂場ではどちらが女性的で年上らしいか、という勝負は決着が付かなくてな。結局、風呂上がりに浴衣を来てより褒められた方がより女性らしい、と内容が変わったんだ。結果は見ての通り、翔子の勝ち。」



 若干出来レースだったがな、とニアがまだ湿っている毛並みを繕いながら言った。そういう事か。翔子さんとおじさんは何か話している。翔子さんはそっぽを向いている。おじさんの事だから翔子さんを褒めちぎっているんだろう。


 まきるを見る。今まで見たことの無い浴衣姿。普段見えていた部分は長い裾に隠れている。そのせいか裾から足首の少し上が見えるだけで、変に意識してしまう。首に届くか届かないか位の黒髪は濡れて首筋に纏いつき、いつもの軽やかさの代わりにしとやかな女性らしさを演出している。


 未だ肩を落としているまきるに声を掛けた。



「まきる。……その…何だ。……似合ってるぞ。」



 僕の精一杯。おじさんのように美麗な文句は出ない。まきるはくるっ、と後ろを向いて言った。



「もう遅いよ。………ばかっ。」



 まきるはそのまま通路の向こうに消えていった。褒めなかったら不機嫌になり、褒めたら怒られた。一体僕はどうすればいいんだ、とため息をつくとニアが膝で丸まりながら言った。



「女心は複雑なんだよ。しかし道隆、さっきのはアレで正解だ。」



 ふふふっ青春だねぇ、とニアは笑った。猫のクセに生意気な、と思って見ていると、ニアが急に地面に降りて言った。



「ほら道隆。何か私に言うことは無いのか?」


「言うこと?」



 そう聞き返しニアを見る。良く見るとしっぽに小さな赤いリボンがついていた。まきるがつけたのだろうか。とにかくそれを褒めてみる。



「その赤いリボンか?ああ、似合ってるぞ。」


「女心が分かってないな。褒め方の二番煎じは良くない。」


「女心ってか猫心だろ?何言ってるんだ、まったく。」



 やれやれ、とニアは後ろを向いた。僕は言った。



「ん?どっか行くのか?」


「ああ、猫心は気まぐれなんだ。しかし、道隆に恋人が出来る日は遠そうだな。」



 桐原さんが一瞬浮かんだ。ふう、と頬杖を突いて返す。



「まあ、それには僕も同意だ。」



 そうして気紛れな猫は赤いリボンを揺らし、廊下の向こうに行ってしまった。





 部屋に戻り風呂に入る準備を済ませる。おじさんも遅れて部屋に戻り、自分の荷物を漁っている。

 おじさんが立ち上がり言った。



「待たせたね。さて、念願の露天風呂だ。」



 楽しみだなぁ、と肩を回すおじさん。やっと風呂に入れる。冷房で汗は引いているが、意識しだすとどうにも気持ち悪い。脱衣場で服を脱ぎタオルを腰に巻く。僕達はドアを抜け、露天風呂に続く通路を通った。



 圧巻。ガラス越しではない、生の空気がここにはある。滝もより近く、水が水を叩く音が耳を打つ。しかしうるさい、というほどではない。普通に喋れる音量だ。素肌を撫でる風が森の匂いを運び、自然の一部になる。そんな趣が感じられる。まあ、要するにとても感じの良い露天風呂だ。

 おじさんもそう感じたらしく感嘆の息を吐く。



「やっぱり生で見ると違うね。よくもまあ、こんな絶妙な場所に建てたものだよ。」


「本当にそう思いますよ。なんて言うか、マイナスイオンを感じます。」


「はははっ、そうだね。さあ、見てばかりじゃ詰まらない。風呂は入ってなんぼだよ。とりあえず体を洗おうか。」



 そう言って端にあるシャワーに向かうおじさん。体はここで洗うらしく、各種浴用品が用意されている。僕もおじさんに倣い、体を洗い始めた。



「ふう。……良い湯加減ですね。」


「ああ、まったくだよ。最近は肩が凝ってね。是非とも効能とやらで治して欲しい。」



 洗い終え風呂に浸かる。少し熱めの乳白色の湯は、常に滝から吹いてくる風と相俟って非常に心地いい。体の芯が和らぐ気がした。おじさんがため息と共に喋りだした。



「しかし、寄る年波には勝てないねぇ。昔は仕事が終わってもなんて事はなかったんだけど、今は一度休憩を挟まないと何も出来ないよ。」


「いやいや、おじさんも十分若いですよ。流石に翔子さん程じゃ無いですが。」


「ははっ、翔子さんは本当に歳をとらないからね。君が産まれる前から外見は変わって無いよ。外見はね。」



 ぱしゃ、とお湯を肩にかけておじさんは続けた。



「でも、やっぱり結婚して、まきるを産んで。翔子さんは変わったよ。勿論昔から良い子だけど、更に良い方にね。」


「そうなんですか?」



 そうなんだよ、とおじさんは続ける。



「翔子さんはとても強い人だけど、同時にとても弱い人なんだ。昔、色々有ってね。これでも苦労したんだよ。」



 懐かしそうにおじさんは笑った。



「その弱い部分を彼女は乗り越えた。妻になって、母になってまた強くなった。」



 まきるの母親じゃない翔子さん。うまく想像出来ない。でもね、とおじさんが言った。



「でも、乗り越えたから凄いんじゃない。乗り越えようとする彼女の意志こそ、一番尊いものだと思うんだ。人から見たら些細な違いだろうけどね。もしこれから翔子さんの外見が変わったって、その心が変わらなければ僕の気持ちは変わらない。そして多分、翔子さんは翔子さんでいてくれるよ。」


「……何だか変わるのか変わらないのか、どっちがどっちか分からなくなりました。」


「はははっ、要するに翔子さんラブ、ってことだよ。」



 かさり、と風で茂みが揺れる。

 臆面も無く言い切るおじさん。そんなおじさんをとても凄い人だ、と思った。僕もここまで人を愛する事が出来るのだろうか。好きだと思う人はいるが、一体それはおじさんの何分の1の分量なのか。湯気の中でぼんやり考えた。

 おじさんが首を振った。



「いかんいかん。歳をとると説教臭くなるのは本当だね。」


「いえ、ためになります。」


「ときに道隆君。」



 空気を変えるようにおどけておじさんは言った。



「今、好きな人がいるのかい?だれにも言わないから、おじさんに言ってみなさい。」


「……言いませんよ。」


「ほら、あれだよあれ。恋バナってやつかい?大丈夫、まきるじゃなくても怒らないから。男の子なんだから、恋の一つや二つ経験しないと駄目だぞ。」



 桐原さんの顔とまきるの顔が浮かんだ。だけどあんな話の後に言える訳が無い。僕はお茶を濁す事にした。



「………今は違いますけど、小さい時の初恋は翔子さんですよ。」


「へ?」


 かさり、とまた風で茂みが揺れた。

 おじさんが珍しく本当に予想外、と言う顔をした。



「へ、へへ、へへへへへへぇ~~っ!い、いや知ってたよ?まあでも一応参考というか後学の為というか、詳しい話を聞かせて貰えないかなぁ~っ?」


「昔の話ですよ?」



 男同士、これが裸の付き合いかな、と思いながら話す。



「さっきも話してましたけど、僕が子供の時から翔子さんって…………その、見た目は子供じゃないですか。それで小学校に入るくらいまで、良く面倒を見てくれる近所のお姉さん、みたいに思ってて。憧れみたいなものですけど。」


「ほ、ほほぉ~。」



 動揺しているのか腕を組んだり解いたりするおじさん。僕は体の前で手を振りながら言った。



「でも、この人はまきるのお母さんなんだな、って小学校に入って直ぐに理解できたんで、本当に淡い初恋でしたよ。ただそのせいで、お世話になってるのとは別に一生頭が上がる気がしませんけどね。」


「……いくら道隆君でも翔子さんは私のだからね。」


「だからそんな気は無いですって。おじさん、目がマジですよ。」



 むう、と目頭を押さえるおじさん。僕は温泉を顔にかけた。

 少し経っておじさんが言った。



「……じゃあ、まきるの事はどう思ってるんだい?贔屓目を抜きにしても、器量よし気立てよしの良い娘だと思うんだけど。」



 また風でかさり、と茂みが揺れた。



「まきるは……何て言うか、互いに近すぎて見えなくなってる気がします。決して嫌いじゃ無いですけど。」


「ああね。……失敗したかな。真二達と同じ年に男女が産まれたから、くっつけようと何時も一緒に居させたのは。」



 傍に置いてあったタオルで顔を拭きながらおじさんは言った。熱めの湯が体の奥までふやかそうとしてくる。少し鈍った頭で思うままに言った。



「でも、まきると一緒に居るのは楽しいし、好きですよ。よく分からないですけど、結婚するならまきるみたいなのが良いかもしれませんね。」



 おじさんはきょとん、とした後に笑った。



「それと同じ様な台詞、真二も言ってたよ。血は争えないね。よし、じゃあ20歳になった時に2人に恋人が居なかったら結婚して貰おうかな。」


「そんな事を言うと、まきるに怒られますよ。」


「お、その言い回しは、道隆君の方は了解したと受け取って良いのかい?」


「さて、どうでしょうね?」



 2人で笑い合った。今日はここに来て良かったと思う。心から。


 かさかさ、とまた茂みが風で揺れた。ちょっとうるさいな、と思って何気なく茂みを眺めてみる。



 茂みの上にぴょん、と見覚えのある赤いリボンのついたしっぽが出ていた。



「………………………。」



 しっぽが慌てて隠れる。よく見たら横に見覚えのある金髪。下の隙間から見覚えのある足と何故か男の人らしき大きな足が見えていた。

 ふう、久々に僕の本気を出す時が来たようだ。



「おじさんおじさん。」


「ん、どうしたんだい?」



 くつろいでいたおじさんの近くに行き耳打ちをする。



「………へぇ、それはお仕置きが必要だね。」



 おじさんが妖しく口元を歪めた。








「ああ、結構長く浸かったね。」


「そうですね、そろそろ上がりますか?」


「…………道隆君、最後に大事な話があるんだ。」



 茂みの中の気配がこちらに集中しているのが解る。気を抜けば浮かびそうになる笑みを必死に抑え、真剣な表情を作った。



「どうしたんですか?改まって。」


「ずっと黙っていたんだけどね。もう言ってしまおうと思う。」



 おじさんの真剣な表情。いかん、我慢できないかも。

 おじさんは意識して大きな声で言った。



「実は道隆君の事が好きなんだ!妻と子がいたからずっと隠していたけど、もうこの気持ち抑えられないっ!」



 がさっ、と茂みが音を立てた。少し待つが出てこない。仕方ないのでもう一丁。僕は震えそうな肩を抑えて、大きな声で言った。



「おじさん…………実は僕も前からおじさんの事………!」



 がさがさっ、と茂みから大きな音がなる。面白いので続ける。



「道隆君……!」


「……おじさん!」


「待て待て待て待て待て待てまてぇぇぇぇいぃ!!」



 茂みから金色の髪をなびかせ、翔子さんが飛び出てきた。遅れてまきるとニア、何故か江島さんまで慌てて出て来る。翔子さんがおじさんに涙目で詰め寄って言った。



「光太郎っ!今の話は本当か!?」



 まきるとニアが僕に駆け寄った。



「み、道隆君!さっきの話は本当なのっ!?」


「道隆!考え直せ!」



 おじさんと目を合わせ頷く。僕はまきるの腕とニアの首を掴み言った。



「もちろん、嘘に決まってるだろ。なあ、ところで何でおまえ達はここに居るんだ?」


「え?……え~と、か、風を感じに?」



 まきるを温泉の中に引きずり込んだ。ぶくぶく、と空気が上がり、直ぐにまきるが顔を出す。



「ひ、酷いよっ。ただの好奇心だったのに…………あ、でもこれはこれで気持ち良いかもっ。」



 普通に浴衣のまま風呂に入りだしたまきるを無視し、次にニアを見る。目を逸らされたので無理矢理こっちを向かせた。



「む、無理矢理はダメだぞ。……優しくしてね?」


「ああ、精一杯可愛がってやる。」


「ちょっ、そこはダメだって……!やめっ、くふふっ……にゃはははははははははっ!!」



 悶えるニアを抑えて、全力でくすぐる。水に投げ込む訳にはいかないのでこれで勘弁してやる。おじさんを見ると、翔子さんを後ろから抱き抱えて、超絶笑顔で風呂に浸かっていた。翔子さんは茹で上がった顔を俯かせている。

 江島さんが茶目っ気たっぷりの笑顔で親指を立て言った。



「よい子のみんなっ!普通の温泉でこんな事をしちゃいけないぞ!!」


「郁夫、どうせお前がみんなをそそのかしたんだろう?」


「はい!すみませんっした!」



 そう言って江島さんも服を来たまま温泉に飛び込んだ。








 結局そのまま少しの間みんなで温泉に入った。ニアは桶に注いだ温泉だ。お湯が乳白色で良かった。あらぬものを見せたりはしていない筈だ。


 帰りの車の中、まきるがいつものひまわりのような笑顔で僕に言った。



「楽しかったね!最初からああやって入れば良かったよっ。」


「無茶言うな。大体、何で女が男を覗くんだよ。普通逆だろう?」


「江島さんに誘われたんだよっ。面白い話も聞けたし、結果オーライ!」



 面白い話。そう言えば茂みは大分前から動いていた気がする。風呂で話した内容を思い出して顔が熱くなった。まきるがニヤニヤしながら言った。



「お風呂に落ちた甲斐があったよっ。」


「……うっさい。」



 へへーっ、と笑うまきる。翔子さんにも聞かれた。死にたい。










 風景は徐々に街の気配を取り戻す。流れてくるカーステレオのBGM。



 おじさんと翔子さんは話をしている。





 まきるは疲れたのか僕の肩に寄りかかって眠っている。


 僕の膝の上ではニアが眠っている。





 もう乾いて、いつも通り滑らかな黒毛。





 僕はベッドじゃないぞ、としっぽのリボンを指で弾いた。








僕と風呂    了

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