僕と風呂3
「うわー、凄いねー!」
すごい綺麗っ、とまきるは部屋に入るなり荷物を放り出した。後から入った僕も、前面に見える光景に思わず感嘆する。
「見て見てっ、道隆君!滝があるよっ、滝が!」
「本当だ。……普通に泊まったらいくらするんだろう。」
「もうっ、そういう事を言わないっ!」
変なとこで現実的なんだから、とまきるが腰に手を当てて言った。
部屋の中で目を惹くのは一面を使ったガラス張りだ。その指紋一つない透明な膜を通して見えるのは滝。この旅館は渓谷の端に建っているらしく、滝から水を注がれている澄んだ川が眼下に見える。白く細やかな飛沫と豊かな木、見える鉛色の岩と蛇のように曲がり流れる川がどれも穏やかに、されどしっかりと互いに主張し協調している。正に日本の美ここに極まれり、と言える。
「これはなかなか良いところだね。ゆっくり出来そうだ。」
今度は普通に泊まりに来るかな、とおじさんも隣に来て腕を組んで言った。声色に若干嬉しさが滲んでいる。翔子さんが後ろから声をかけてきた。
「ほら、茶淹れたぞ。ニアは後で牛乳でも頼むから、それまでこれで我慢しろよ。」
部屋の中央にある上品な卓袱台に熱いお茶を淹れた翔子さんが、鞄からクッキーを取り出して言った。足下で風景を見ようと四苦八苦していたニアの耳がピクッ、と反応した。
「おお、それが食べたかったんだ。翔子の菓子は今まで食べたどの菓子より美味かったからな。」
「………んなことねぇよ。」
ほら、とニアにクッキーを食べさせる翔子さん。照れているのか少し頬が紅い。隣でおじさんがうんうん、と頷いた。
全員が卓袱台に座り一息つく。僕は周りを見渡して言った。
「そういえば、露天風呂ってどこにあるんですか?見当たらないんですが……。」
「ああ、それはね。そこのドアからちょっと外に出た所らしい。ほら、丁度そこのガラスから見えるよ。」
そう言っておじさんは指差す。さっきは分からなかったが、斜めから見ると確かに露天風呂があった。江島さんの言う覗き放題とはこのことらしい。まきるがそれを見て、紅くなった頬を掻きながら言った。
「あの……道隆君。出来れば何だけど、……あんまり覗かないでね?」
「覗かないから安心してくれ。僕は適当な所で暇つぶしでもしとくから。」
そう断言されると……むぅ、と唸るまきる。どうしろというんだ。翔子さんが肘を突いて、ニヤリと笑いながら言った。
「別に一緒でも良いだろうが。ちっちゃい時は何時も一緒だったのに、今更恥ずかしがるなよ。風呂も寝床も、果てはトイレまで一緒に行くー、つって駄々こねてた癖に。」
「っ!それは幼稚園の話でしょ!もう大人だから恥ずかしいの!」
「かかっ、何が大人だよ。そういうのはもうちょい育ってから言え。」
そう言って腕を組む翔子さん。その腕の上に乗るたわわな実。暑いと薄着の多い翔子さんは今日も薄着だ。はっきり言って目の毒だ。むむ…、と自分の胸を押さえてまきるが言った。
「……でもあたしの方が年上に見られるもん。」
「ああ?まきる、今なんつった?」
「……お母さんよりあたしの方が大人っぽいもんっ!」
ピシリ、と部屋が固まった。翔子さんがゆらり、とその豊かな金髪を揺らして立ち上がった。
「まきる、おまえは今、触れちゃならねぇ所に触れた。……やるか?」
まきるがガタン、と卓袱台を揺らし、立ち上がった。
「こうなったらとことんやるよっ!あたしはもう子供じゃないって証明するんだからっ!」
まきると翔子さんが僕とおじさんを見た。
「「男達は出ていけ!」」
五十歩百歩ということわざがあってな、と黒猫は言った。
まきると翔子さんは風呂で決着をつけるらしい。ニアは審査員だ。僕とおじさんは追い出された。
僕は今、マッサージチェアに腰を下ろしている。普段使う機会はなかったが、使うとなかなか気持ち良い。おじさんは江島さんの所に行った。久しぶりの1人での静かな時間。家にニアが来てからこういう時間は無かった。それが嫌な訳では無いが、こういう時間は好きだ。
そうしてゆっくりしていると江島さんとおじさんがやって来た。
「道隆君、僕のアドバイス通りにはしなかったらしいね。」
人懐っこい笑顔を浮かべながら江島さんが言った。
「しませんよ。する勇気がありません。」
「はははっ、確かに。あの姉坂翔子さんにバレたら良くて半殺しだからね。僕も学生時代、何度命の危機を感じた事やら……。」
江島さんはその時の事を思い出したのか少し涙が出ている。事情を知っているらしいおじさんは江島さんの肩を叩いた。
「お前もよくあれだけの目に遭ってもめげないな。」
「だってあの体型であの顔であの乳は反則でしょう!?一度は拝みたいと思う、男として何か間違ってますか!?」
「間違っては無いが大人として間違っている、と返すよ。」
「へっ!何が大人としてですか。男は何時だって少年、そうボーイの心を忘れちゃダメなんです。これだから余裕のある勝ち組は……。」
大袈裟な身振り手振りを加え話す江島さん。少し太った体はどこかコミカルに見える。おじさんと江島さんの関係がちょっと分かった気がする。おじさんは腕を組んで言った。
「お前はまだ結婚しないのかい?これだけ良いところの社長だったら引く手数多だろう?別に顔だって悪いわけじゃないんだし。」
「一応、する気はまだありますよ。ただここが忙しくてなかなか出会いが無くて……。まあ結婚しなくてもそれなりに楽しいんで後悔は無いですが。」
江島さんは近くの柱を手で触りながら言った。
僕から見て、江島郁夫は不細工な訳ではない。おじさんのように格好いい、とは言えないかも知れないが、愛嬌のある表情とどこか安心感のある顔立ちは接しやすい人柄が滲み出ている。少し太った体型も親しみやすく、悪印象よりは好印象が先に出る。
おじさんが隣のマッサージチェアに座りながら言う。
「まあ、結婚は妥協してするものでも無いしね。その点、私は幸運だったかな。」
「そうですね。それに関しては僕も同意しますよ。あんな女性はなかなかいない。料理は美味い家事は完璧、おまけにあのルックスとスタイル。性格にちょっと難有りだけど……それも愛嬌じゃないですか。」
「……私が言うのも何だけど、郁夫。お前ロリコンだったのかい?そうなら今後一切の縁を切ろうと思うんだ。家族の為に。」
そうジト目でおじさんが江島さんを見る。江島さんは慌てて両手を振り否定した。
「いやいや、そんな訳じゃ無いですって!……何て言うか、変わらないじゃないですか。あの人。」
まあね、とおじさんが返す。
「それで、……自分も若いままでいるような錯覚と言うか、昔を思い出すと言うか。……とにかくそんな感じで、どこか夢を見ている気になるんです。」
江島さんは短い髪を掻いて恥ずかしそうに笑った。
「今だから言いますけど、あの人に高校時代に結構本気で憧れてたんですよ?」
「知ってたよ。でも私の方がもっと好きだったからね。こればっかりは譲れない。」
「分かってますよ。……ってか知ってたんですか!?まあ今更なんで良いですけどね……はぁ。」
本当に高校生の様な掛け合い。当たり前だけど、僕よりずっと年上の2人も僕と同じ高校生だった時があるんだな、と思った。
2人の会話を聞いていると、江島さんが話しかけてきた。
「で、やっぱり道隆君はあれかい?まきるちゃんと付き合ってるのかい?いやぁ、若いって良いねぇ。」
「まきるとはそんなんじゃ無いですよ。今後はどうか分かりませんけど、今は違います。」
がたり、と隣から聞こえた。
「道隆君、遂にまきるを貰う決心がついたのかい?あれだけ翔子さんと言い続けても首を横に降り続けた道隆君が曖昧な返事を返すなんて……。嬉しさと悲しさで義父さん微妙な気分だ。」
椅子からずり落ちたおじさんがそう言って立ち上がった。
「道隆君、結婚は卒業してから。子供は生活が安定してからだぞ。後一つ、頼みがある。」
おじさんは青白い掌をぐっ、と握った。
「結婚を申し込む時娘はやらん、って一発殴らせてくれないかい?ちょっと勢い余って全力入っちゃうかもだけど。そこは道隆君は大人だから、ね?」
「光太郎さん!その時は僕も一緒に殴らせて下さい!あんな可愛い子を嫁に……っ!ちくしょうっ、これが杉村家の血筋なのか…………っ!!」
「僕はあんた達が心配ですよっ!!」
実はこの人達って高校生から成長してないんじゃないか?、と僕は思った。




