僕と友人4
「えええぇぇぇ~~~~~~っ!?ふ、踏むって……ど、どうすればいいの、あたしっ!?」
あの周防君にそんな趣味があったなんて……、と驚愕と羞恥からわたわたするまきる。僕は晃の首根っこを掴み、小声で話しかけた。
「おい、晃。おまえ何を口走ってるんだ!?告白するんじゃなかったのかっ?」
「……俺にも分からん。ただ向島さんが目の前に来たと思ったら、付き合って3ヶ月後の場面までトリップしてな。気付いたら性癖を打ち明けていた。」
「おまえの性癖かよ!」
そう言って僕は少し晃と距離をとった。
「何故距離をとる?」
「胸に手を当てて自分で考えろ。」
ふむ、と胸に手を当てて考える晃。そんな事をしていると、落ち着いたらしいまきるが晃に向けて喋った。
「えっとね、周防君?さっきは……その、ちょっと驚いたけど、今日は勉強教えてくれたし……。だ、だから……周防君がそれで良いなら、踏むくらいならしても……良いよ?」
まきるの見慣れた大きな瞳は落ち着きが無く、顔は真っ赤っかだ。
晃は今日一番の笑顔を見せた後、サムズアップしたまま気絶していた。
ガチャ、と玄関のドアが開き翔子さんが、おまえらなにやってんだ?、と呑気な声で聞いてきた。
おめでとうと言うべきかなんというか、とニアが呟いた。
気絶した晃を布団に寝かせ、僕たちはちゃぶ台に集まった。翔子さんが晃を親指で指しながら言う。
「んで、なにがどうなってこうなったんだ?」
「えーとですねぇ……。」
どうしよう?一応まだ晃は告白した訳じゃない。ここで一から説明するのは野暮過ぎる。かといって素直に、性癖です、と言ってもドン引きだろうし、多分その後に翔子さんが晃を潰す。ただでさえ女性はそういう話が嫌いなのに、実の娘にそんな事を言われて良い顔をする母がいるわけない。
どうしようか、と迷っているとニアが変わりに答えた。
「いやな、ただ単にあの男は踏んでもらうのが趣味らしい。理由は知らんが。それでまきるに了承を貰って嬉しさで気絶したんだ。そういう日もあるだろう。」
ナイス言い訳だろう?、としたり顔のニア。最悪だ。ニアは知らないとはいえ、2番目にバラしちゃいかん所をバラしている。あいつ肩こりが~とか言って誤魔化す作戦は使えなくなった。僕が焦って言い訳を考えていると、翔子さんがキョトンとした顔で言った。
「なんだ、そんな事かよ。別に踏んでやれば良いじゃねぇか。」
「え?」
驚いた僕を気にせず翔子さんは続けた。
「あたしに突っかかって来る連中とかにもたまに居たぞ?倒れた、と思ったらいきなり『俺の負けだ。さあ、思いっ切り踏んでトドメを差してくれ!出来れば顔面で!』とか言い出すやつ。まあ、そいつらは踏んだ後に気絶したけどな。次に会ったときは大概改心してるから、悪い連中じゃ無かったし。」
あいつら今なにしてっかなぁ、と感慨に耽る翔子さん。ちょっと踏むのニュアンスが違う。純粋なのかそうじゃないのかよく分からない人だ。まきるが顔を紅くしたまま言った。
「そうだよね、色んな人がいるもんねっ。恥ずかしいけど……お礼だし、そのくらい我慢するよ!」
ぐっ、とこぶしに力を入れるまきる。こっちも趣味イコール性癖にはならないらしい。将来が心配な子である。
本人達が良いならこれでいいか、と半分投げやりに考えていると晃が目を覚ました。
「……はっ!?ここが俺の桃源郷!?」
ほらまきる、さっさとやってやれ、と翔子さんが言った。人を踏むという行為が恥ずかしいのか、やっぱり顔を紅くしているまきるが、うん、と小さく言って立ち上がった。
「えと、周防君。どうすれば良い?あたし、人を踏んづけた事が無いからやり方が分からないんだけど……。」
「踏んづける?……っ!!」
全てを思い出した表情で晃がこっちを見た。適当に頷いてやる。そうか……ここが桃源郷だったのか……、と晃の口元が動いた気がした。
「向島さん。俺はここに寝転んでいるから、まずは背中を踏んでくれないか?」
「えっと、こう?」
うつ伏せになった晃。淡い配色のワンピースの裾を押さえながら背中に足を乗せるまきる。脚を上げたせいで絶妙な曲線を描くふとももが見えている。
「もっと強くしてくれ無いか。……うおふっ!そ、そう、そんな感じだ……はぁはぁ。」
「だ、大丈夫?」
えいえい、とぐりぐりするまきる。良いところに入ったのか悶える晃。正直、僕の布団の上で何やってんだと思う。しかし、精一杯やっているせいかまきるの少し焼けた健康的な肌は赤みが差している。その触れたら手に吸い付くであろう肌の上を通る一筋の汗を見ると、なんだか僕も踏んでもらい……―はっ!!だ、ダメだ、僕はノーマルだ!
「あれ?何か想像と違うな……。」
翔子さんも勘違いに気付いたらしい。ちゃぶ台の上の教科書を見ているふりをしているが、少し頬を染めてちらちらとまきる達を盗み見ている。
さて、集中して勉強しよう、と悟りを開こうとしたとき、居間と玄関を繋ぐドアが開いた。
「道隆君、君が私の家に置いていった着替えを持って来たよ。翔子さん、水臭いじゃないか。道隆君の家に遊びに行くなら私も誘って…………。」
ぱたっ、と着替えの入ってるらしい紙袋が床に落ちた。
おじさんが来た。この変な状況のせいで玄関の開く音に気付かなかったらしい。おじさんは僕に言った。
「み、道隆君。これは一体……?」
「僕もわかりません。」
カリカリ、と問題を解きながら答える。おじさんは、そうか、と呟く。父親として、夫としておじさんは言った。
「翔子さん、私もあんな感じで踏んでくれないかい?」
「やだよっ!嫌な訳じゃないけど……ほら、なんかちょっと変っていうか……。」
「翔子さん」
真剣な目。四十年近く生きたその顔は、翔子さんと違いしっかり生きた年月が刻み込まれている。しかしその皺は美形というべきおじさんの顔立ちを、危うい大人の色気で仕上げている。小説家、という悩み多き職業に屈する事の無い、ただただ愛する者の為に生きる男の表情で、おじさんは言った。
「君の全てを知りたいんだ。だから、踏んでくれ。」
「…………わかったよ。……ったく。」
少女のような顔を熟れた林檎のように赤らめて翔子さんは言った。ごちそうさまです。
さあっ、と仰向けに寝転ぶおじさん。その胸に恐る恐る足を乗せる翔子さん。ハーフパンツから覗く素足。華奢な足だが不健康な細さではない。長年かけて職人が磨き上げたような白磁の肌は、動く事でどんな人形よりも艶やかになる。あの小さな体重を体で感じたら僕も誰もが望む理想の世界ガンダーラに…………―っは!!危ない、今の僕はブッダだ。ブッダになるんだ。心を無にしろ。
2人の男が寝転がり悶えている。それを踏む赤い顔の2人の少女。この部屋の意味不明さに僕は匙を投げ、勉強を続けた。するとニアが話しかけて来た。
「ふむ、世の中の男性は女性に踏まれるのが良いのか。ほらほら、道隆。このニアちゃんも踏んでやる。」
「ありがとう。おまえに癒されるとは思わなかったよ。」
うりうり、と僕の足を踏みつけるニア。踏みつけるというより、足にじゃれついているように見える。僕は今までで一番の愛情を込めてニアを撫でてやった。
結局、この状況は夕方まで続き、各自解散していった。翔子さんとまきるは、疲れたー、とこぼし、おじさんと晃は固い握手をしていた。最近おじさんの株がどんどん下がっている気がする。何はともあれ、やっと静かな部屋になった。
「明日からテストか。まあ勉強が出来ただけ良しとするか。」
「テスト、か。人間様は大変だな。」
「まあな、猫は気楽でいいな。明日から一週間、猫になりたい。」
「ははっ、止めておけ。猫には猫の気苦労があるんだ。」
なんだそれ、とニアに返して勉強を再開する。ニアがちゃぶ台に乗り、ノートの一部を指す。
「ここ、間違ってるぞ。なりけり、だ。」
「ん?おお、本当だ。おまえ勉強出来たのか?」
「私ほどの猫になると、高校生程度の勉強はたやすいよ。ほら、もっと崇め奉るんだ。」
「へぇ、それは良いことを聞いた。」
がしっ、とニアを掴み言う。
「結局、翔子さんに邪魔されたり自分で勉強したりであんまり進んで無いからな。今夜は寝かさないぞ?」
「あらやだ情熱的。…………本気で?」
その日その部屋からは、深夜まで独り言と猫の鳴き声が絶えなかったという。
僕と友人 了