僕と友人3
まきると翔子さんが家に来た。完全に予想外だ。
「どうしたんだ?おまえだけならわかるけど翔子さんまで連れて来て。」
「んーん、連れてきたんじゃないよ?お母さんが勝手について来たんだよっ。」
まきるが首を振る。翔子さんが言う。
「まあ、たまには良いだろ?あたしはこの家に来たことがなかったからな。一度くらいは道隆の生活してるとこを見とこう、と思ってついて来たんだよ。」
翔子さんがニヤリ、と桜色の唇を歪めた。
「それともまきると2人っきりが良かったか?ん?若ぇなあ。」
かかかっ、と快活に笑う翔子さん。まきるが、もうお母さんったら、とため息をつく。翔子さんは気にした様子も無く続けた。
「しかし、結構良いとこだな。外から見た事はあったが、中もそこそこ広いし。……あたしもたまに遊びにくるかな。鍵は光太郎が持ってるし。」
「別に良いですけど、連絡くらい下さいね。おじさんはいつもいきなりですから。結構怖いんですよ?帰ったとき鍵が勝手に開いてると。」
「わかったわかった。ほら、とりあえず座らせてくれ。」
暑くてきついんだよ、と翔子さんが言った。晃の事を言っておくか、と思い、僕は翔子さんに注意の意味も込めて言った。
「あ、それと今、僕の友達が来てますんで、あんまりいじめないで下さいね?」
「えっ?もしかして周防君?」
友達、という言葉にまきるが反応した。
「確か、周防君ってすごい頭良かったよねっ?頼んだら勉強教えてくれるかなっ?」
「ああ、懇切丁寧に教えてくれるんじゃないか?」
ラッキー、と喜ぶまきる。僕は2人を連れて居間に向かう。さて、周防晃は生きているだろうか?
ガチャリ、と居間と玄関を結ぶドアを開けた。
晃はパンをくわえてドアの前に立っていた。
ガチャリ、とそのままドアを閉めた。
「道隆君、どうしたの?」
まきるが聞いてきた。僕は努めて冷静に返す。
「悪い、ちょっと待っててくれないか?部屋が散らかってて。」
「えー、別に気にしな……はっ!?」
……ま、また?もう仕方ないなぁ、とまきるが顔を紅くする。またとかゆーな。
「おっ、あれか?思春期必須のアイテムってやつか?悪い事は言わないからお姉さんに見せてみろよ。」
ほれほれ、と僕を押しのけて中に入ろうとする翔子さんを抑える。お姉さんと言うより妹さんに見えますよ。
お願いですから、と2人をどうにか留めて、僕は居間に入った。
「晃、パニクっているのは解ったから、とりあえずパンは止めとけ。二分の一で物理的に二次元になるから。」
「ふごふご。」
僕の真剣な態度に気付いたのか、頷いてパンを急いで飲み込む晃。見るからに余裕が無い。しかし、僕は構わず続けた。
「分かってると思うが、まきるが来た。」
ごくり、とパンを飲み込んで晃が言う。
「ああ、分かってる。まかせろ、一生に一度の愛のパッションをぶつけてくる。」
やっぱり分かって無かった。まあ、待つんだ、と晃を制して僕は言う。
「まきるひとりならそれもいいが、今日はまきるのお母さんも来てる。お母さんと親睦を深めてからでも遅く無いだろ?将を射んと欲さば先ず馬を射よ、だ。」
無駄に勉強の成果が出ている。晃は少し考えて頷いた。
「そうだな、一理ある。結婚を前提に付き合うならば、親御さんの承諾は必須。ここは周りから埋めて行こう。」
「……まあ、それで良い。それに今日、まきるは勉強しに来たらしい。ここで一気にポイントゲットだ。」
ついでに僕にも教えてくれ、と言ったら、うむ、と返って来た。教えてもらうついでだ。応援くらいはしてやるか。
ガチャリ、とドアが開いた。
「遅いから勝手に入って来たよっ。涼しいーっ!エアコン無いとやっぱり暑いよー。」
向島まきる。肩に届くか届かないかの黒髪。女性にしては少し短めだ。大きな瞳と少し低めの鼻。造形が良いので野暮ったさは無い。ただ実年齢より若干幼く見える。基本的に行儀が良く礼儀正しいが、たまにポカをやらかす時もある。だが、それすらも愛嬌として周りに受け入れられるタイプだ。胸は控えめだが中学からの陸上行儀で磨かれた体躯は、女性らしさとしなやかさが同居しており、周防晃曰わく『神の采配』らしい。ふとももとかが。今日は珍しく淡い配色のワンピースを来ているため、なんか眩しい。
「おっ、意外と綺麗にしてんだな。もうちょっと汚いもんかと思ってたのによ。」
向島翔子。まきるの母で人妻。外見年齢は下手したらまきるより下のくせに、胸はまきるなんて足下にも及ばないという、自然の摂理に喧嘩を売っている人である。腰まである金色の髪は地毛ではなく染めているが、彼女にかかれば本物よりも自然に見えてしまう。本人は嫌いらしいが、非常に整った幼い容姿と体に比べて長い手足のせいで、お人形さんという形容詞が浮かんでくる。口調や行動は乱暴だが、家事や気配りは出来る優しい女性である。こちらもハーフパンツにタンクトップという目に優しくない格好だ。主に胸とか。
そんな2人が居間に入って来た。
「狭いですけど、とりあえず適当なとこにどうぞ。あ、こいつは友人の周防晃です。」
僕はそう言って晃を指差す。翔子さんが重箱を置きながら話しかけた。
「おう、あたしはまきるの母親の向島翔子だ。名字が一緒だから翔子で良いぞ。」
「初めまして、俺は周防晃といいます。向島さんにはいつもお世話になっております。では、翔子さん、と呼ばせていただきますね。」
晃は丁寧に頭を下げて言った。んな畏まらなくて良いよ、と苦笑いしながら翔子さんは布団の上に座った。ニアが翔子さんの膝の上に乗る。まきるが鞄を降ろしながら言った。
「やっほーっ、周防君。ごめんね、いきなり来て。邪魔じゃ無かった?」
ちゃぶ台の上の勉強道具に気付いたらしい。晃が、いやいや、と返した。
「向島さんが邪魔な訳ない。俺が邪魔だ。むしろ俺は部屋の隅で丸まっておくから、ゴミクズ以下と思って気にしないでくれ。」
そう言って部屋の隅で丸まる晃。まきるが、あははっ、周防君はいっつも面白いねー、と笑った。
いつも晃はまきると話す時はこんな感じだ。多分覚えてないだろうが。
僕は助け舟を出す事にした。
「おい、まきる。晃に勉強を教えて貰わなくて良いのか?さっき僕も教えて貰ったけど、学年2位に教えて貰う機会なんて滅多にないぞ。」
「あ、そうだった。周防君、もし良かったらなんだけど、あたしにも勉強教えてくれないかなっ?あんまり頭が良くないから、足を引っ張っちゃうかもしれないけど……。」
隅で丸まっていた晃がそのまま前転しながら戻って来た。
「喜んで。この周防晃、全力であなたをサポートしよう。」
「良いのっ?ありがとー!」
晃の向かい側に正座し、身を乗り出して晃の手を掴みぶんぶん振るまきる。さっきから晃の目がまばたきをしてないが大丈夫か?翔子さんが思い出したように言った。
「おい、おまえら。もう昼だからとりあえずメシを食ってから勉強しな。多めに作ってきたから晃の分も大丈夫だろ。」
よいしょ、とニアを退かして重箱の包みを開ける翔子さん。僕たちは急いでちゃぶ台の上を片付けた。
ちゃぶ台の上が一瞬で和風料理で満たされた。
『いただきます』
唱和してそれぞれ箸をつける。僕も唐揚げに箸を伸ばした。相変わらず非常においしい。どういう理屈かは知らないが、冷えているのに味が全然損なわれていない。おいしいです、と翔子さんに言って次々食べ続ける。ニアが近くに来て話しかけてきた。
「道隆、私にも唐揚げをくれないか。見ているだけで涎が出てきた。」
ほれ、と小皿に移した唐揚げをニアの側に置く。ニアも気に入ったようだ。晃が翔子さんに話しかけた。
「すみません、先に居ただけなのに、こんな美味しい料理を頂いて。」
「若いのに遠慮すんな。それにまきるに勉強を教えてくれるんだろ?あたしに似て馬鹿だから苦労すると思うけど、精々しっかりしごいてくれ。」
かかかっ、と笑う翔子さん。いえいえ、と返す晃。社交辞令に近いが、仲良くなっているようだ。まきるは少し膨らみながら出汁巻きを食べている。この調子なら大丈夫か、と僕もサラダ巻きを一口かじった。
「……そこは通分してから……そうそう、後はそのまま計算すれば良い。」
「ん~、……出来たっ。そういう事だったんだねっ!やっと分かったよ、周防君ありがとっ!」
晃は順調にまきるに勉強を教えている。晃がこう長い時間まきると話すのは初めてである。いつもは晃がとんちんかんな受け答えをしていたせいで、会話が続かないのだ。しかし、逆に強制的に長い時間話しをさせるとまともになるらしい。慣れ、というやつか。
「……そこは反応後なので水酸化ナトリウムですよ。」
「なんだよ、水酸化ナトリウムって。んなもん40年近く生活してきて一度も使った事ねえぞ。」
僕は何故か、暇だから、とこっちにきた翔子さんに勉強を教えている。ダメだこの人。ニアはお昼寝中だ。
「ったく、今ならもう少し勉強が解るかと思ったけど、やっぱ無理。あたしにゃ向いてねぇわ。」
シャーペンを投げ出してちゃぶ台に突っ伏す。タンクトップなので目のやり場に困る。翔子さんが顔を上げて言う。
「久しぶりに頭使ったら腹が減ってきた。ちょっとなんか買って来る。何か要るもんあるか?」
そう言って立ち上がる。まきるがはいはーい、と手を挙げた。
「あたしはアレが良いっ!えーと、最近出た……何だっけ?」
「面倒だからまきるも来い。」
呆れたように翔子さんが言った。そのまま僕と晃に向けて言う。
「っつうわけで休憩がてら、ちっと買い出しに行ってくる。おまえらは何が良い?」
「僕は大丈夫ですよ。」
「俺も大丈夫です。お構いなく。」
「遠慮すんなよ……つってもしょうがないか。何か適当に買って来る。」
いくぞまきる、と翔子さんは部屋を出て行った。まきるも、じゃあ行ってくるねっ、とついていく。手を振って送ると、晃が話しかけてきた。
「なあ、道隆。俺はさっきの時間、普通だったな?」
「ああ、会話出来るようになって良かったじゃないか。ついに克服出来たか?」
ぐっ、と拳を見ながら晃は言う。
「ああ。やはり今日は俺に追い風が吹いている。運命だったんだ。道隆、決めたぞ。親御さんが居ようと居まいと関係ない。俺は今日、向島さんに告白する。」
強い目。確かにまきるとまともに話せるようになったし、今の晃には勢いがある。こういうのは勢いが大事だ。まきるもこいつの事を悪いようには思ってないようだし、案外上手くいくかもしれない。
「そうか……まあ、勉強を教えて貰ったし、手伝える事があったら手伝うぞ。翔子さんを外に連れ出すか?」
「いや、大丈夫だ。俺の気持ちに恥じる所など無い。ただ見ていてくれればそれで良い。」
漢だ。漢がここに居る。僕は今までこいつの事を変態だと勘違いしていた。だが、こいつの目はもはや英雄と呼ぶべき光を持っている。
「分かった。……きっとまきる達は近くのコンビニに行っていると思う。すぐに戻って来るだろうから、頑張れよ。」
ぽん、と晃の肩を叩いて布団に座り込む。ニアが起きて話を聞いていたのか、ワクワクした表情で膝に乗ってきた。
「すごいな、彼は。道隆、告白は成功するかな?」
さあな、と目で返す。成功しても失敗しても、あの目の輝きはきっと無くならない。だって彼はもう……―
「暑いーっ!外はスゴいよっ。アイスが溶けないように走って帰って来たんだからっ!」
……―本当に大切なものを知っているから。
「む、向島さん、君の脚が好きだ!その脚で俺を思いっ切り踏んでくれないかっ!?」
ぺちゃっ、とアイスの袋が床に落ちた。




