伝説の歌姫(2)
野上ナナミ。
その晩、ひかるはネットで伝説の歌姫の名前を検索してみた。
昭和55年、16歳の時に「イマジネーション」でアイドル歌手としてデビュー。
翌年、5枚目のシングル「真昼のハーフムーン」が大ヒットし、ブレーク。
以後、昭和63年まで原色歌謡曲図鑑で18曲連続第1位という前任未到の記録を樹立。
なるほど…。
たしかに伝説と謳われるだけあって、錚々たる芸歴の持ち主だ。
ひかるは、いつかネットの動画で見たナナミの昭和の歌番組での歌唱姿を思い出していた。
当時、多くの女性アイドル歌手は、白を基調としたフリルのついたお姫様風のステージ衣装で可愛らしいスクールソングを歌うことが多かった。
が、そんな中、黒い大人びたドレスをまといミディアムテンポの失恋ソングを歌うナナミは、デビュー当時からはっきりと別格の存在感を放っていた。
歌唱中にあまり笑顔を見せず、歌のヒロインに憑依したかのように、時に悲しげに、時に激しい表情でリスナーを歌の世界に導く…。
そんなステージ上でのナナミは、たしかに「伝説の歌姫」と呼ばれるだけの威風を持って聴く者を圧していた。
だが、そんな歌姫がなぜシンに会いたいと連絡をして来たのだろうか…。
ひかるは、昼間に受けたナオミのマネージャーからの電話を思い返していた。
「昨日の坂口シンさんの復帰会見を拝見して…うちの野上ナナミがシンさんに会いたいと申しております。大変不躾で失礼なお願いですが、近々、野上と一緒にそちらの事務所にうかがってもよろしいでしょうか…」
唐突なその電話は、ひかるを大いに戸惑わせた。
ナナミがなぜシンに会いたがっているのか…肝心なその理由を、マネージャーがきちんと説明してくれなかったからだ。
昨日の会見でのシンの発言に、ナナミを怒らせる内容があったとも思えない。
そして、電話でのマネージャーの声色は、怒っている…というよりは、恐縮して申し訳なさげなニュアンスが濃い印象だった。
おそらくマネージャー自身も、ナナミからのわがままに近い急な要望をうまく咀嚼できないままこちらに電話して来ているのではないだろうか…。
ひかるは、パソコンの画面に示されているナナミの平成以降の芸歴の毀誉褒貶ぶりを見ながら、そんな想像をしていた。
昭和期のアイドルシンガーとしての華々しく活躍した後、平成に入ってすぐ、ナナミは電撃的に結婚を発表した。
相手は、当時の売れっ子作曲家、大森タツヤだった。
大森は、ナナミのデビュー曲「イマジネーション」や初めてのヒット曲「真昼のハーフムーン」の他、原色歌謡曲図鑑にランクインした曲のほとんどの作曲を手がけていた。
昭和の当時、筒井太平が「希代の歌謡曲職人」と言われたのに対し、太平よりも十歳ほど若い大森は「シティポップの魔術師」と呼ばれており、ジャズやフュージョンを基調とする洋楽テイストが濃いポップスを多くの歌手に提供して、人気を博していた。
そんな大森と、彼から提供された楽曲によって歌手として一時代を築いたナナミの結婚は、当時の世の中で大いに祝福された。
普段の歌番組ではもっぱら黒を基調としたステージ衣装で失恋ソングを歌うことが多いナナミが、結婚式で見せた純白のウェディングドレス姿で見せたはにかむような幸せそうな笑顔は、そのギャップも相まって、人々に好感持って受け止められた。
結婚後、数ヶ月の休養を経て、ナナミは歌手活動を再開。
結婚後初めての新曲も大森が書き下ろし、原色歌謡曲図鑑の上位にランクイン。
大森という伴侶を得て、歌謡界におけるナナミの覇権はますます続いていくもの…と、誰もが信じて疑わなかった。
だが、ナナミと大森の作曲家と歌手としての蜜月はそこまでだった。
それから間もなく、大森が交通事故に遭い、命を落としたのだ。
歌手としての自分を育て上げてくれた恩師であり、これからは夫婦として共に歩もうとしていた大森を失ったナナミの嘆きようは計り知れなかった。
大森の葬儀でのナナミは、うつむく涙顔を見せるだけで、押しかけた芸能マスコミに対してコメントを出すことも叶わぬほど憔悴し切っていた。
そして…ここからナナミは長い休養期間に入ることになる。
新曲のリリースは途絶え、時折りテレビの懐かしの歌番組にゲスト出演して往年のヒット曲を歌う…。
平成以降のナナミは、はっきりとした引退宣言はしなかったものの、半引退にも等しい状態に陥り、人々からは懐メロ歌手として認識されるようになっていた。
「なかなか業の深い芸能人生だわ…」
デスクのパソコンから目を離したひかるは思わずつぶやいていた。
野上ナナミの歌手としての華々しい実績は、デビューからの数年間にほぼ集約されおり、その後は若き日の残光で「伝説の歌姫」の異名を保ち続けるだけの数十年間…。
ナナミが全盛期に放った輝きが強ければ強いほど、その後のバイオグラフィーの空虚さが際立つのは、いたし方ないことだった。
シンと自分は、そんなナナミとどんなふうに対峙すれば良いのだろう…。
ひかるは、伝説の歌姫との来たるべき逢瀬が、昭和から押し寄せる大波のように感じられてならなかった。




