ワン・トピック Ⅴ
「ん、なんかひとりごちてる新人君がいるよ」
ぼんやりと空を見上げていると、ふと声がかかってラルヴァスはハッとなった。
新人君と言われるということは、相手はきっと上級騎士かそれ以上の役職の人間だ。ベンチから飛び上がるように立ち上がると、そんなにかしこまらなくていいよと柔らかな返答があった。
「ネフタ騎士……に、オーヴァ、司令官! お疲れ様です!」
そんなことを言われても目に映ったのは、第三皇子の側近であるネフタ・ライラック騎士と、我らが上司の最上級の地位ともいえる最高軍事指揮司令官であるオーヴァ・セル司令官だ。自分よりも遥か上の地位にいる人間に対して畏まらないでいられるほど、ラルヴァスとて肝が据わってはいない。
少なくともこの人たちは、その地位にある実力があることがはっきりわかる。
「この時間に大丈夫? 見習い剣士の食堂開放時間ってもうそろそろ終わるんじゃあ……」
「っ! そうでした!」
あまりにもぼんやりしていた所為で、夕食をくいっぱぐれるところだった。今から滑り込めば間に合うだろうか、それに、
――セイラはもう部屋に戻っているだろうか。
『……っラルヴァスの、バカ!』
セイラの実力が確かなのは、ラルヴァスとて分かっている。そして彼女の視線の先に、いつもユージュという国があることも。そこに何か大事なものがあるのだろうことも。
それでも言わずにはいられなかった言葉に、セイラはひどく怒っていた。自分の力が信用ならないのかというような顔をして、悔し気に喉を詰まらせて。
――でも、そこまで踏み込ませないのがお互いの暗黙の了解じゃなかったのか、セイラ。
「……ラルヴァス・ハイド修剣士だよな」
「は、はい」
ふとオーヴァ司令官に声をかけられて、ラルヴァスは反射的に返した。
「明日は休息日か?」
「いえ、朝から就業の予定ですが……」
「じゃあ近いところにしよう。どうせなら一緒に飯食いに行こうぜ」
「はい。……はい?」
「あっ、ズルい。僕今からカイに呼ばれてるのに」
ネフタ騎士は行けない、そしてオーヴァ司令官はご飯を食べに行く。
……そして、ラルヴァスは。
「ご飯、ですか?」
目を見開いた。
「わ、うっま……」
「だろ? 贔屓にしてくれよな!」
カウンターから店主が気さくに声をかけてきて、これは贔屓もありうるとラルヴァスは頷いた。ありふれた大衆料理。しかし出されたカツレツは衣がさっくりとしており、そこにしっかり肉の感じがある。かかっているソースも絶品だ。
基本的に休息日以外は時間もなければお金も節約したいので外に出ないのだが、今日は別だ。なにせ隣ではオーヴァ司令官が同じものをがつがつと食べている。平民出身と聞いたときは驚いたものだが、そこには司令官として前に立たれるときよりもひときわ馴染み深い雰囲気がある。
ちらりと覗く横顔には、セイラの顔だちの面影が確かにあって、疑うわけではないが間違いなくセイラの父親なんだろうということがはっきりわかった。
「大将、腕前ちょっと上げたな?」
「最近忙しいっつってなかなかお前来てくれないからなー。客も増えたんだから腕も上がって当然だろ。昔は奥さんとも……っと、後輩君の前では野暮な話だったな」
「ん? まー別にいいけど。あいつ大将の料理好きだからな」
「もう一回食べてもらいたいもんだよ。あの頃はちっちゃいセイラちゃん連れてさぁ……っと、いらっしゃい!」
他の客から注文が入ったようで、店主はそちらへと意識を移した。
ラルヴァスも噂話には聞いたことのある話だ。セイラという娘が要るからには、当然オーヴァ司令官は既婚者で奥さんも要る。しかし随分前に亡くなられたと、セイラもそんなことを話していた。
というか、よくよく考えれば、これって結構いろんな意味で気まずいのでは? ラルヴァスは思い返してはっとなった。区切られているとはいえ、異性でありながら娘と同室で、喧嘩ばかりして教官騎士に怒られている男――もしかして娘にこれ以上近づくなとか、もっと優しくしろとか、そんな忠告をされるのでは!?
ラルヴァスが思考をよぎらせ箸が止まると、それに気づいたオーヴァがくす、と笑った。笑みもよくセイラに似ている。
「硬くなるなって。俺は別にその辺にいるちょっと剣持ったおっさんだよ」
「その辺にいる人は普通帯剣はしてないと思いますけど……」
「お、言うねぇ。まぁそうだな。ともかくなんか悩むときは飯を食う。腹が減ったら碌な事考えられなくなるからな。これは司令官としてのアドバイスだよ」
「は、はーい」
司令官としてのアドバイスがそれでいいのか。ラルヴァスは突っ込める立場になかった。
「べつにセイラのことについて突っ込んだり話したりはしねぇよ。娘だからって何だかんだ口挟むと嫌われるのは父親のほうだぞってカイが言ってたし。ラルヴァスも気まずいだろ」
「そ、っすねぇ……。正直なところ言うと、はい」
カイ殿下を呼び捨てにするところも凄いが、父親談義かなんかでも開いているのだろうか。どちらかと言えばカイ殿下がそういうことを言っていることにびっくりする。
現実味がないというのはこのことか。違う世界といった感じか。
「でもひとつ言っておこうかなと思ってることがあってさ」
「あ、はい」
「ありがとうな、セイラと仲良くしてくれて」
ラルヴァスは目を丸くした。
「あいつの娘だからか、俺の娘だからか知んないけど、やっぱり規格外なところはあるんだなぁと最近しみじみ思っててさ。けどちゃんと剣士やれてるみたいだし。ラルヴァスとも張り合って剣の腕が上達してるって聞いてる。だからありがとうな、それだけだ」
「……ありがとうございます?」
「べつに俺は礼はいらねぇなぁ」
オーヴァはからからと笑って、また一つカツレツを飲み込んだ。
驚いた。忠告どころかそんな言葉をオーヴァ司令官からかけられるとは思いもしない。ラルヴァスは言葉を反芻して――それでもその言葉の意味にふと突っかかりを感じてしまった。
彼が司令官だから、心の底どこか食えない人間だからと思っているからだろうか。
(これからも宜しくとかは、言わないんだな)
それではまるで、この先は違うんだろう? とでも問われたような気がして。
「――惚れたか? セイラに」
「えっ、いや、そんなことは……ないですね。ないです、よ?」
「ほんとか~? 親馬鹿もいいとこだけど、俺の娘は可愛いからな」
「まあそうとは思いますけど……」
容姿端麗とはこのことだろう、というような顔立ちに、くるくると変わる表情。剣を持つ彼女は凛々しく、それでいてはしゃぐ姿は可愛らしい。多分一般的にはそんな評価が彼女にはあると思う。
……し、可愛くないとか言えないよ親御さんの前で。えっでも可愛いって言っても間違いか? どうすればいいんだ? というかさっきの質問もああ答えてよかったのか……? とラルヴァスが混乱しているのを見て、オーヴァは堪えきれないといったように笑い出した。
「そんな気にすんなって。セイラは俺の奥さん似だしなぁ」
「……奥様、ですか」
「おうよ。男なら惚れない奴は居ないね、ってくらい可愛いし、美人」
「じゃあ俺も惚れますかね?」
「お、言ったな? 俺から奪おうなんて一千万年、いやこの世界が滅びても敵わないと思うけど」
「それはそうでしょうね……」
冗談で言ったとはいえ、亡くなった人の心を奪うのは無理がある。
「せっかくなら聞いてもいいですか? 奥様のお話」
「ん? いーけど」
「おっと兄ちゃん。こいつから惚気を聞くと日が暮れる――おっと日は暮れてるから、日が昇っちまうぞ?」
大将が横から茶々を入れてきて、オーヴァ司令官がはいはいと返した。
「連れて来てなんだけど、業務の調子はどうだとかいう話はそもそも秘密事項も多いから聞けねぇし、腕もだいたい分かってるから最近どうだなんて話も出来ないんだよ」
「お前指導する立場じゃないのかよ」
「俺は別に立ちたくて上に立ってるわけじゃねーっての。それに教えるのには教える役目の奴が要るから口出したりはしない。俺は教えるのは上手くない、フィルよりもな」
大将に言い返す司令官の言葉に、ラルヴァスはそうなのか、と目を瞬かせた。
基本的に近寄りがたい雰囲気を見せるオーヴァ司令官の双子の妹――フィル司令官より、こうやってふらっと飯屋に後輩を連れて来てしまうようなオーヴァ司令官のほうが面倒見が良さそうだと思っていた。それは本人は逆だという。単に物事を教える場合は逆だということなのかもしれないけれど。
「それに仕事の話ばっかりするのは嫌だろ」
オーヴァ司令官がこちらを向くので、曖昧にうなずく。
「それも……そうですね」
「だからって上司の惚気話も聞いて楽しい話じゃないだろうよ。せっかく男同士なんだから女の話でもすればいいんじゃないか?」
「イエ結構です」
大将の問いは即、切った。
「兄ちゃんくらい若くて整ってりゃ女の子は選び放題だな? どら好みくらいあるだろ。もしかして既に良い人でもいんのか?」
大将あんたは仕事しなくていいのかというくらい、カウンターの自分たちの前で喋っている。客足も落ち着いてきたようで周りも話に花を咲かせているからそれでもいいらしい。
にやにやと聞かれてラルヴァスは詰まる。
「ちなみにオーヴァの好みはスレンダーな美女だったな。小さめの」
「そうだったら誰でもいいわけではないけどな」
「はいはい。んで? 後輩君は大きいのと小さいの、どっち?」
「えっ、えー……と。うーん……。あんまり関係ないんじゃないんですかねぇ」
「理想だよ理想! あるだろこういうのがいいとか。それともその年で枯れてんのか?」
「枯れてはないですよ。……そーですね」
何かしら言わないとこの大将は横やりを止めないだろう。適当なことを言って誤魔化そうかと、ラルヴァスは何かないかと探った。
「……べつに小っちゃくても、おっきくてもいーですけど。面食いっちゃ面食いなのでやっぱ可愛い子が好きですよ」
「へー。じゃあ髪の毛は? ショート? ロング?」
「……ちょっと長いくらいが可愛いかもですね、似合ってれば」
「可憐な子と溌溂な子なら?」
「……元気な方が良いかなーと思いますよ」
当たり障りのなく、一般的かなと思えるものを選ぶ。想像上に浮かび上がる、肩くらいまで伸びる髪にぱたぱたと駆ける後ろ姿。振り返ると、にっと口角を上げて笑う顔は。
(……あの子が生きてたら、もしかしたら、なんて)
ラルヴァスが振り払うように視線を上げると、大将は満足げな顔をしていた。
「オーヴァと全然違うな。お前はおとなしい子のが好きだもんな」
「べつに大人しくないぞあいつは。一緒に来たときはまあ……ほら、さ」
「へぇ……落ち着いた美人さんだなって思ってたけど。お前もよく落として連れて来れたなって思ったぞ」
「それに関しては本っ当に骨が折れた。鈍感すぎてどんなアプローチしても一切気づかないんだぞ……本当何度呆れ返ったことか。実は悪女で弄ばれてんのかとまで思った」
オーヴァ司令官は愚痴るような口調をするけれど、その顔は晴れやかで……ともすれば自慢げだ。先ほどの言動から察するに、奥方を溺愛しているーー"していた”ような言い方で。
「お前もこれくらいの頃は青春……するほど暇じゃなかったな、オーヴァは。だいたいどこで奥さんと出会ったんだよ、惚気は言う割に馴れ初めは口を割らねぇんだから」
「まあ、出会いっていうのは大事なもんだからさ。目を合わせてさ、『こいつとはどんな形であれ一生添い遂げるな』って、思った。それだけだよ」
――この人は悪い人、悪くない人、嘘をついてるついてない、喜んでいる、悲しんでいる……、目を見れば分かります。殿下には分かりませんか?
「……セイラもなんか、似たようなこと言ってた気がします」
「ん? ……えっ、彼氏に?」
「や、違いますけど、いやいるかどうかも知りませんけど……。とある仕事のときに、とある方に、目を見ればわかる、って。嘘ついてるのとか、いろいろ……感情は、みたいなことを」
あのときセナ殿下は食えないと思った。セイラ――セリアにするりと近づいて、普通のご令嬢には絶対にしないような、つまりスパイであることを前提にした問いをかける殿下。けれども彼には自分たちの正体は明かしてなどいない。
当然セイラも警戒していたけれど、――ふとその言葉を放ったのだ。
それは父親譲りなのかもしれない。
「それは多分フィルと過ごしてきたからだろうなぁ。あいつはちゃんと見ないと無表情だからさ」
「観察するのに、って話なんでしょうかね」
「まあそれもあるし、うーん。べつに教えたわけじゃないんだけどな、血は争えないか。そうでなくともなんかないか? 人に出会って、あぁこの人は特別だって、――たとえそれが一目惚れとか色恋とかそんな感情ってわけでなくてもさ」
「あー、それは……なんとなく、はい」
ラルヴァスは水の入ったグラスを思わず握りしめた。
記憶の奥底に大事に仕舞ったひと。あの日、自分に向かって笑った女の子。
それが物珍しい出会いであったからだろうか、そのあとの凄惨さが焼き付いているからか解らないが……確かに特別だった。
あのひとは、自分にとって。
「……オーヴァ司令官」
「ん?」
「司令官は、強くなれば、自分の手で大事なものが守れるようになると思いますか?」
ふとそんな言葉が零れていた。
ラルヴァスはすべて告げた後我に返って、「あっ、えっと」と言い訳を考えて、
「それは、無理だと思うぞ」
オーヴァのその返答に目を見開いた。
「どれだけ剣が、あるいは心が強くなろうと、失うときは失う。でも、大事なものが傷つけられそうなときに背に庇うくらいなら剣で庇ってやりたいだろ。大事な人に泣かれると応えるぞ、かなりな」
「……俺は、守れなかったです。背ですら、盾にすらなれなかった」
ラルヴァスは自分が御し切れない感情が滲みそうなことを悟って、唇を噛んだ。
けれどもどうだろう、オーヴァ司令官という人は――いいや、オーヴァ・セルという人は、表層では飄々としていても奥底でとても誠実な人間だと肌で感じる。
ラルヴァスはオーヴァ司令官の目を見た。セイラの言うようなことは何もわからない、信用できるかどうかはよくわからない、けれども。
「俺と同じくらいの、女の子が、庇って。斬られるのを、見てるだけでした、何もできなかった」
「……なんか巻き込まれたのか。小さいころか?」
「……はい。もう何年と前の話です。それで俺は、強くなりたいと思って、……それで」
次の言葉が継げなくなったラルヴァスに、オーヴァ司令官が目を細める。
「でも、守れない気がするわけか」
「……はい」
「――まあ、『守る』っていうのはなにより最大限のエゴだからなあ」
「……、エゴ」
「命だか心だか知らないけど、守るってのは人のためじゃなくて自分が安心するためにすることだ。大事なものを失うのが怖いからそんな建前をつける」
男ってのは馬鹿だからなぁ、とオーヴァ司令官は薄ら笑いを浮かべた。
「大事な人に刃を向けることすら、その人を『守る』ことになることだってあるんだ」
「え……」
「極端な話だけどな。俺の唯一のお嬢様には、結局一度としてそんな機会はないままなわけだが、気持ちがどうあるかはその相手次第だし。しっかし、ラルヴァス修剣士はそう、そうだったわけか」
ふと、オーヴァ司令官の手がこちらへ伸びた。思わずびくりと跳ねる肩を誤魔化せただろうか、ラルヴァスは目を見張る。
その手が自分の頭に優しく乗せられて、がしがしと撫でられるまでは。
「わっ」
いつぞや自分の隣でセイラがされて、迷惑そうに、でもほんの少し嬉しそうに笑っていた。まるで子供を宥めるような手つきは、"司令官"ではしないことだろう。
そうしたら、これの意味は。
「――身を投じることは、理由が『会いたい』だったから許した。俺も頑なに隣を譲らなかったからには、ひとのことは言えない。それで傷つこうが、倒れようが、そういうものだ」
「……?」
「お前も、気をつけろよ。剣は諸刃だ、相手を傷つけるためにあり、それは自分を傷つける。それを覚悟できるなら、――よろしく頼むよ」
「……司令官、それは」
どういう、という問いは聞けなかった。
剣は諸刃だ、セイラは時折呟く。それは師匠というよりもこのオーヴァ司令官……あるいは自分の父親からの言葉だったのだろう。
それをかけられた意味は、きっと問うてはいけないのだろう。なんでなんでと訊いて答えが返ってくるのなら、ラルヴァスはここにはいない。
オーヴァ・セルという名のひと。
自分と剣の師を同じくしたかのようなひと。
そしてセイラ・セルの父親、異例の出世、今の地位。
その瞳の理由。
「……はい」
考えなかったわけではない。見習い剣士になった春から、ずっと調べ、考え続けてきた。そしてあまりにも陳腐だ、あまりにも自分の想像だとそう嗤って避けたもの。
「……捕まえないんですか、俺を」
「――未遂だからな。裏付けも取れないまま、咎めることはできない」
明らかにそれは答えである返事。
「だからよろしくと言ったんだよ。俺にはあの子の人生を左右する資格はないけど、あの子が選んだものに間違いがないことだけは知っているから」
オーヴァ司令官はそれだけを言うと立ち上がり、紙幣を一枚置いて踵を返した。
賑わう声の中、その背が消えていく。
雰囲気は違えどそれは、いつか建国祭の天幕の裏側で見たあのひとの背中によく似ていた。




