30 かき氷は好きか?【恋愛?】
夏とは、何か。
我々の住まうこの惑星は、恒星ーー動かぬ、しかし自転する星の周囲を回っているがーーその軌道に対して、自転の軸がわずか、傾いている。
すなわち、公転する半周の間は、太陽にわずか、近くなり、残る半年間は、わずか、太陽から遠ざかる。
これが季節である。
地球上の緯度、あるいは気候によってその感覚は、様々であるがーー、こと、温帯モンスーン気候においては。
「暑い。」
榎内胡実は、パンダの描かれた1枚500円のTシャツの胸元をつかみ、ばたばたと、肌とシャツの隙間に、新鮮な空気を送り込もうとする。
しかし外気は生ぬるく、街路は、温泉の湯にでもあたったかのような生ぬるさ。
路上で、目玉焼き実演販売をする商売人がどこかに現れるのではないかと毎年、胸を躍らせ、揺らぐ大気の中に目を凝らしたりもしてみるのだが、毎年、蜃気楼でさえも、そんな酔狂な人物は現れない。
「つまんな~い!」
ばたばた。汗はポタポタ。
化粧なんて生まれてこのかたしたことがないが、道行くOLさんたちは大変そうだ。
手袋で腕を覆い、日傘とサングラス、帽子、マスクの女性とすれ違う。彼女の足元では、ひらひらの衣装で着飾ったチワワ犬が、主人の歩幅に追い付こうと、短い体躯で、脚を必死で動かしている。
その必死さに、なぜか笑みが浮かぶ。
「榎内」
呼ばれて振り返れば、見慣れた姿。さっそく、ぶうたれる。
「おーそーいー! ボクがひからびて、おばあちゃんになっちゃったらどうするの!」
「どうもしない」
平静な返答に、取り敢えず脛を蹴飛ばしてやった。
「どうもしないって何!」
「言葉どおりだ。どうもしない」
「だからどういう意味!」
尋ねる胡実に、大学生ふうの人物は答えない。
足早に、歩き出す。
真夏だというのに、長袖のシャツ。暑そうな素振りすらない。
「胡実」
「はい?」
ふたり、並んで細い裏道を歩く。
隣の建物で陰になり、脇には、水路がさらさらと流れている。
なんでも、江戸時代以前からの用水路なのだと云う。
軒を連ねる家々は小ぶりで、玄関先には、山ほどの鉢植えが並べてある。
猛暑の昼時ゆえ、皆、くたりとしおれてはいるものの、家主がまめに面倒を見ているのだろう。どの葉も緑色だ。
ーーとりわけ目立つのは、朝顔、向日葵。
子供が、夏休みの観察日記でもつけるのだろう、ピンクとか、青のアサガオが、プラスチックの支えに絡まって、天に向かって伸びている。
「何?」
尋ねるも、隣から答えはない。
腕でも絡めてみたいものの、この暑さでは、さすがに諦める。
「…ちぇっ」
「かき氷は、好きか?」
「好きだよ?」
即答。そりゃそうだ。こんなうだる日に、氷が嫌いな人間なんて、そうはいない。
しかし、胡実の答えに対して、隣を歩くーー鳴海は首をひねり、考え込む。
そしてまた、数メートル。
「胡実」
「だから何だよっ!?」
「ペンギンは、好きか?」
「好きだよっ!!」
半ば自棄のように応じる。かき氷ときてーー、ペンギン? この話は、どこへ行くのだ。
「あんなカワイイ生き物は、そういないね。風呂場で飼いたいね。家に帰ったらペンギンいたらいいよね」
「…そうか。」
とはいえ、胡実は、実物のペンギンは、動物園などで遠目にしか見たことがない。知っているのはキャラクターやぬいぐるみーー可愛くデフォルメされたそれだ。
そしてまた歩く。
日陰が途切れ、日向に出た。
右には小さな橋が。曲がれば、先には神社。蝉がうるさいだろうが、鎮守の杜の静けさは、なかなかの味わいだ。
まっすぐ行けば、老舗の個人商店。一番安いかき氷くらい、置いてあるだろう。
左に曲がればショッピング・モール。
涼を求める夏休みの学生たちでいっぱいかもしれない。
胸がちくりと痛む。
胡実は、学校には行っていない。保健室登校なるものを試みたこともあったが、挫折した。
いわく「つまらな~い」のだそうだ。
さてさて。今日はどちらに向かうのか。
ボクは直進希望だね。これは譲らない。
と、さてジャンケンでもしようかと隣を見上げたところでーー。
気づいた。
「鳴海さん?」
「氷山は好きか?」
「北極かっ!? 次はノースポールなんだなっ!? もうどこにでも行けよっ!?」(正しくは、この場合、南極)
「…すまん。一緒に来るか?」
「……は?」
謝罪に続いて、何かとんでもない申し出をされたような気がする。
「でも学校が…」
「行ってないだろ」
「…その。愛する妻と三人の娘と愛犬と愛猫と愛イグアナと愛金魚と…」
「それ、お前の母の飼ってるやつだよな?」
「だって! ボクがいないとウーパールーパーが寂しがって哭くんだよ!」
はぁ、と鳴海は息をつく。
職業・風景カメラマン。辺鄙で絶景な場所にお出かけするのが仕事である。
「そうか」
すたすた。
向かうのは、ーーどっち?
心臓が跳ねる。ーーああ、引き留めなきゃ!
行ってしまう。
「かき氷はどれが好きだ?」
「…は?」
ショッピング・モールの手前の小さな緑地に、ワゴン車の屋台が一台停まっていた。
「かき氷、あります」の文字のあとには、イタリア語なのだろうか、聞き慣れないメニュー名が並んでいる。
黄色はたぶん、レモン。緑はメロン。青は…、ブルーハワイ? 白は、みぞれ。濃いピンクは、イチゴに違いない。ーーまさかの茶色!? コーラか!? お前、コーラだろ!?
凝視する胡実の顔が、あまりに鬼気迫っていたのだろう。鳴海は、ふきだす。
「…で。ペンギンはどれが好きだ?」
「アデリーペンギン 一択だね」
ある借りてきたアニメで主人公が飼っていて、どうしようもなく可愛かったのだ。
「そうか」
迷う。迷うーーけど、ああ。
きっとその日になったら。
前日に荷物を詰めて、早起きして、追いかけるんだろう。
なんか、そんな気がする。
それは呼吸をするとか、魚が水の中を泳ぐとか、きっと、そういうのと同じくらい自然なことな気がする。
夏のキーワードしりーず。「かき氷」「青空」
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