五、トゥムファ 1
「リエラはザンカだと言ったでしょう……? それなのに、ミバにいるとはどういうことなの?」
自分を抱えて窓から飛び出したゼラに問い質すその顔には、怒りや不審よりも困惑の色が濃い。
「悪かったよ。お嬢ちゃんはミバだ」
ゼラは素直に嘘を認めた。
「どうしてそんな」
「俺たちがザンカに連れて行く。兄ちゃんには、ちゃんと廃城で妹を見つけてもらうさ」
アイラは厳しい表情でゼラを見つめた。
「リエラに何かあったの? だから急いでいたの?」
「そうじゃない」
「だったら」
「悪いアイラ。後でな。ギル頼む」
返事はなかったが、肌にひんやりとした空気が触れた。途端、風が止む。
ゼラは素早く視線を巡らすと、横抱きにしたアイラを宙空に降ろそうとした。反射的に首に回した腕に力を込めたアイラに、横から手が差し伸べられる。
「大丈夫だよ。ギルが落ちないようにしてくれたからね」
その言葉通り、メルに手を取られたアイラは足を着けて立つことができた。よく見れば薄い膜のようなものが周りを囲んでいる。
と、物凄い速さでアイラは移動し始めた。
時刻は夕刻。起床してからの時間を考えるといつもの習慣ではそろそろ軽くお昼寝を、というところだが、さすがに三日以上眠り続けた後だからか、睡魔はやってこない。
夕食の支度に、竈に火を入れる時間帯なのだろう。眼下の家々からは、煙が立ち昇っていた。それがどんどん過ぎ去っていく。
かなりの速度で移動しているに違いないのに、相変わらず空気の流れを全く感じない。
「アイラごめんね」
隣りでは白金髪の青年――メルが手を合わせていた。そして、いつの間にかゼラの姿が消えて気配が少し遠くに感じられた。
「ゼラは?」
「外から押してる。その方が速いから。同じ理由で他のみんなは呼ばないでやって」
「?」
「形を取った時一番軽いのは僕なんだよ」
にこっと笑うメルに、アイラは一番気になっていることを確認した。
「リエラはミバにいて、わたくしたちはミバに向かっているのよね」
「うん」
リエラのところに行くのは別にいい。クドゥルが手配するよりその方が早いのなら、アイラは迷わず行くと言う。それを予想して、クドゥルは釘を刺して行ったのだろうが。
問題は――。
「クドゥル様に嘘を教えてしまったわ」
アイラは力が抜けたように座り込んだ。メルもそれに合わせてしゃがみ込む。
「どうして本当のことを教えてくれなかったの?」
「ごめんね。リエラ王女もクドゥル王子も知らないならその方がいいと思って」
「どういうこと?」
「ええと、リエラ王女はまだ犯人の正体を知らないようだから、少し眠ってもらって、その間に僕たちがこっそりルト城に運んで置いてくれば、犯人が場所を移したのだと思うよね。打ち捨てられた廃城が犯罪に利用されるなんてのはありがちだし、そこに助け手が来れば救出成功。一件落着。リエラ王女が無事に戻れば、外聞を気にしてこれ以上騒ぎ立てないだろうし。そういうわけで、嘘の情報を、ね。クドゥル王子は有能だからねぇ。先に突き止められないとも限らないし。うまく騙されてくれるといいんだけど」
「説明になってないわ。わたくしはどうしてそうしたいのかを訊いているの」
メルは慌てない、慌てないとアイラの肩を叩いた。
「順番に話すから。ミバはね、避難民の居住区なんだよ。三年前にトゥムファ島が噴火して、島に住めなくなった島民が暮らしてる」
トゥムファ島はボーマルッカの西北の海上に浮かぶ島。隣国ベラルッカの領土だが、自治が認められていたはずだ。
そうした知識がぱっと浮かぶのは、彼らのおかげだった。一時期リエラと並んで勉強したこともあったが、王妃があまりよい顔をせずに中止になり、それとは別に父王がつけた教師も使用人と同じように長続きしなかった。
結局、文字の読み書きから始まって、一般教養も礼儀作法も全部彼らから教わった。彼らはアイラをただ甘やかしていたわけではないのだ。だが、その成果を披露する機会もないのでほとんど宝の持ち腐れだった。
「その話は聞いたこと、あったよね?」
「ええ」
トゥムファ島では十数年前から小さな地震が続いており、三年前の噴火でとうとう住民は島を出ることを余儀なくされた。その際ベラルッカから申し入れがあり、島民の半数を受け入れたと父王だったか兄だったかに聞いたことがある。受け入れ先がミバだとは知らなかったが。
「で、この事件の首謀者がそのトゥムファの祭司でねぇ」
「どうしてトゥムファの祭司が……? 待遇に不満があったとしても、そんなことをしたら余計に立場が悪くなると、小さな子供でもわかります。それになんの要求もないと――」
「それはね、本人が目的だったから」
「……王女が?」
「ううん。王女でもリエラでもなく、アイラだよ。彼らは間違ってリエラをさらった」
その点に関して、ファンナ王妃の言は当たっていたわけだ。
アイラは少し考えてから口を開いた。
「わたくしを連れて行くつもりだったのなら、リエラを連れ去った者たちは目的を達していないことになるわ。それなのに動きがないのはおかしいのではないかしら」
メルによれば、リエラは無事でいる。間違って拉致したリエラを解放するでもなく、かといって――考えるのも恐ろしいことだが――口を封じるでもなく、ただ閉じ込めている。もし、リエラを利用してアイラを捕らえようとしているのなら何らかの接触があるはずだが、それもない。彼らはリエラを連れ去ってぱったりと動きを止めた。まるで、もう目的を果たしたかのように。
「どうして、リエラは帰って来ないの?」
不安げに瞳を揺らすアイラに、メルは心配いらないと微笑みを浮かべる。
「間違いに気づいていないから」
「え?」
「リエラをアイラだと思っているんだよ」
「そんな……」
「ありえないことじゃないよ。事件のことは伏せられているから、リエラ王女失踪なんて発表はないし、アイラの外見はあまり知られていない。呼びかけを王女とか殿下とか肩書きで通されたらお互い間違いに気づかないよ。それにあの場はアイラの婿決めの席だよ。ボーマルッカ王家に多い金髪の、態度も物腰も王女にしか見えない同じ年頃の少女が花冠の乙女の衣装を着ていたら、いくら違うと言っても言い逃れにしか聞こえないかもしれない」
「もう三日も経つのよ。最初はそうでもおかしいと思うはずよ」
「たぶん、必要最低限の会話しかしてないんじゃないかな。というのもね、さっき情報を仕入れた時点ではまだ祭司が到着していなかった。彼はどうやら、ベラルッカにいたらしいね。これは想像だけど、この件に関して、祭司はできることなら最初から最後まで自分で片をつけたかったと思う。やむを得ず他人の手を借りても、極力アイラに接触しないよう指示を出してるはずだ」
想像だと前置きしているにもかかわらず、ほとんど確信している口調だった。
「無駄に自尊心が高いものだから、自分が特別だと思っているし、思われていたいんだ。なのにとっくに守護を失ったなんてこと、知られる危険を冒すわけがない」
メルは自信たっぷりに言い切った。
問題の祭司を知っているような口ぶりに、アイラは首を傾げた。
メルの話し運びはなかなか核心に近づかない。だが、アイラは辛抱強く問いかけた。
「メルは、トゥムファの祭司を知っているの?」
「トゥムファの祭司は、神殿で神に仕える人間とは少し違うんだ。祭司は島を守る者。島民はそう信じてる。だから、島内では島長よりも権力があってね。でも、実際に島を守っていたのは祭司じゃなくて、祭司を守護する精霊――僕たちだよ」
「――――――え?」
「僕たちは、ちょっと前まであの島で祭司を守って、ついでに島を守っていたんだよ」
「まあ」
ずっと一緒にいた精霊たちの意外な経歴に、アイラは素直に驚いた。
精霊に定められた生命の長さはない。羽虫よりもはかなく消えるものもあれば、想像もつかぬほどに永い時を存在し続けるものもあるという。
はっきりと確かめたことはないが、彼らのうちで一番幼く見えるカタムでさえ、アイラよりずっと長い時間を過ごしていることは感じていた。けれど、アイラと出会う前の出来事が話題に出たことは一度もなかった。彼らも話さなかったし、アイラも訊かなかった。
それなのに、わざわざ今、リエラをさらった犯人であるらしいトゥムファの祭司との関係を話すのには意味があるのだろう。だから、アイラは余計な口ははさまず、短く先を促した。
「それで?」
「祭司は精霊に戻って欲しがってる」
ようやくアイラは得心した。
「だから、わたくしなのね」
「そう。だから、アイラなんだ」
メルはぴっと指を一本立てた。
「最初にはっきり言っておくよ。僕たちが再び祭司を守護することはありえない」
メルにしては珍しく、強い言い方だったので、アイラは心配になって尋ねた。
「何か嫌なことでもあったの?」
「そういうことではないんだよ」
メルは愛しげにアイラの頬に触れた。
「島を出たのは、アイラが生まれたからだよ」
「わたくしが、生まれたから……?」
「だって、島にいたらアイラのそばにいられないからね」
それを聞いたとき、アイラの胸に今まで考えたこともない疑問が浮かんだ。
なぜ、彼らは自分のそばにいてくれるのだろう。
彼らは常にアイラと共にいた。彼らがいなくなることなど考えたことがない。一緒にいることが当然で、あまりにも普通のことで、その理由を不思議に思ったことなどなかった。
アイラにとって彼らは一番近しく、何よりも特別で大切な存在だ。それは間違いない。けれど、アイラは与えられるばかりで彼らに何も返せてはいない。それなのにどうしてこんなに優しくしてくれるのだろう。惜しみない愛情を注ぎ、大事に大事に守ってくれるのだろうか。
トゥムファの祭司も、そんなふうに守られていたのだろうか。そうなのだとしたら、どうして彼らは祭司の元を去ったのだろう。どうして今はアイラを守ってくれるのだろう。
いつか、祭司の元を去ったように、突然、いなくなってしまうのだろうか。
「どうしたの?」
「え?」
「泣きそうな顔してる」
「わたくしが?」
アイラの目を覗き込むようにして、メルはきっぱりと言った。
「アイラ。隠しごとはなしだよ」




