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精霊の姫君と五人の守護者  作者: 山本みこと
精霊の姫君と五人の守護者 本編 2
28/47

十二、離宮出立の後先 1

「アイラ、ちゃんと食べてるかなあ」

「食事に行ったんだから食べてるだろうさ」

「だといいけど」


 メルは切り分けた鶏肉を口に入れ、ソランも蒸し海老にフォークを突きたてた。

 ここはソランの部屋で、給仕はいない。二人の前には料理の乗った皿がいくつも並んでいて、彼らは自由に好きなものを取っては口に運んでいる。

 晩餐室では、王子王女方がもっと格式ばった食事をしているはずだ。王女の無事を祝して乾杯でもしているかもしれない。

 メルはさっぱりした味付けの鶏肉を慎重に飲みこんでから言った。


「昔から食に対する欲求が薄いんだよねえ。今はもっとそうなっちゃってるだろうしさ」

「特に食欲が減退する時期なんてあるのか?」

「うん。ちょっとね。他から供給できちゃうっていうか……」

「はあ? 食う以外にどうやって?」

「アイラといれば、そのうちわかるかもね」


 メルもアイラも謎が多い。しかし、こうして話していると、時々、己の知識不足が原因のような気がしてくる。話してもいいけど説明が面倒くさいという空気がありありと伝わってくると、特にそう思う。

 ソランはふんと鼻を鳴らした。


「世話焼きが二人もついてんだから大丈夫だろ。お嬢ちゃんの方こそ、食べ方がぎこちねえな」

「咀嚼して呑みこむことに慣れてないんだから、大目に見てよ」

「そういやそうか。体がなけりゃ食えねえよな。そりゃあつまんねえこった」


 メルはきのこのパイにナイフを入れた。パイ生地の割れ目からほわんと湯気が立ち昇り、チーズの香りが鼻をくすぐる。


「そうでもないよ? 美味しさだけ抜き出して味わうことはたまにするし」


 ソランは顔をしかめて葡萄酒を飲み下した。


「つまり精霊が味わった後の食いもんは……」

「まったくおいしくないだろうね」

「うわ。迷惑な話だな」


 メルはかりかりのパイ生地と濃厚なクリームの食感に舌つづみ打ちながら、確かにそうかも、という意味を込めて頷いた。

 大半の精霊たちは気にも留めていないだろうが、作った方も食べた方もそれはがっかりするだろう。

 二人は楽しげに会話をしながら食事を続け、出された料理がきれいになくなったころ、ソランはチーズをつまみながらしみじみと言った。


「精霊と差し向かいで物を食う日が来るとはなぁ」

「図太いねえ」


 メルは、自分の前で酒杯を片手にすっかり寛いでいるように見える男の顔をまじまじと見つめた。


「どうしてあのとき残ったのさ?」

「ん?」

「せっかくアイラとクドゥル王子が立ち去る機会をくれたのに」


 アイラは言った。あなたの意思を尊重しますと。

 クドゥルも言った。これ以上深入りしたくないなら、全部忘れて自分の部屋に戻れ、と。

 厄介ごとに進んで首を突っ込む必要はなかったはずだ。


「お嬢ちゃんにもあの姫さんにも借りができちまったからなあ」

「貸した覚えはないけど」

「あんたは姫さんを助けただけだろうが、助かったのは俺も一緒だってことさ」

「別に恩に着なくてもいいのに。だったらさ、また同じような目に遭うとは思わなかったの? 今度は助けてあげられないかもしれないよ?」


 それはもちろん考えた。考えたが。

 ソランは渋い顔で言った。


「あの姫さんはなんか放っておけねえんだよ」


 メルはくすくすと忍び笑った。


「クドゥル王子がね、君が関わることを許したのもちょっと意外だった」

「そうか? 俺をこき使うことにかけちゃあ、殿下の右に出る者はいねえよ」


 メルはちょっと考えてから尋ねた。


「でも、君はクドゥル王子に伺候してるわけでもないし、王宮に出仕してもいないんだよね」

「ああ。そういう括りには入らねえな」

「だったら、さ。明日、クドゥル王子やリエラ王女が発つ前に、アイラを連れてこっそり出発しちゃおうと思ってるんだけど、一緒に来ない?」


 とんでもない計画へ至って気軽な口調で勧誘されて、ソランは目を丸くした。それから、肩を揺らして笑った。


「行き先は?」

「とりあえずは北の国境」

「だったら手形がいるだろう」

「たぶん、引き返すことになるから大丈夫だよ。もし必要になったらそのとき考えよう」

「どっちにしろはっきりしねえな。そもそも何しに行くんだ?」

「この子に身体を返さないとね。そのための用事をすませたいんだ。詳しいことは道々話すよ。どうする?」


 答えは最初から決まっていた。


「いいぜ。乗った」


 その後、ソランといくつか細かい打ち合わせをして、メルは席を立った。

 ソランは最後にふと思いついて訊いた。


「どうして俺を誘った?」


 メルの答えは単純だった。


「大人が一人いた方が何かと都合がいいだろうからさ」


 ソランは大いに納得した。

 ではまた後程よろしくね、と部屋を出たメルは白百合の間に向かった。

 メルはアイラと同じ部屋に泊ることになっている。通常、謎の客人が王女さまと同じ寝台を使うことはないだろうが、普通ではないので許してもらえた。クドゥル王子がいると、こういうとき話が早くて助かる。

 メルの足取りは軽かった。問題はいろいろあるけれど、ここまではまずまず順調だ。突き当りを左に曲がって何歩か歩いたところで、メルはくるりと振り向いた。背中に強い視線を感じたのだ。

 少し離れた場所に背の高い女性が立っていた。細いと言うより痩せすぎだ。きれいに額を出して、黒い髪をきっちりとまとめている。頬骨が目立つ角張った輪郭に高い鼻と大きくて薄い唇。美人ではないが小さな丸い瞳が純朴な印象で、もう三十を超えていそうなのに、つい構いたくなるかわいらしさがあった。

 深緑の服に白い前掛けは小間使いさんだったかな。とメルは思った。

 女性はぎこちなく会釈してきたので、メルも微笑み返したが、しばらく待っても何の反応もない。ただ、熱心な目つきでこちらを見ている。不思議に思ったが、害はなさそうなのでそのまま行き過ぎようとした。


「あ、あのっ、お嬢さま!」


 もしかしなくても、今のは自分に対する呼びかけだ。

 お嬢さまらしく振舞ったほうがいいのかなあと思いつつ、もう一度振り返ると、女性は鬼気迫る顔つきでばさばさと裾を蹴り上げて走り寄ってきて、どんとメルの前に膝をつくと、ぐっと顔を近づけた。メルの、ドレスに。

 正確には、スカート部分の上部三分の一くらいを斜めに覆うレース布にだ。


「あのう……?」


 女性は慎重に下から両手を差し入れてレースだけ持ち上げると、じーっと視線を落としたまま、ひどく固い声で尋ねた。


「これは、どこで手に入れたものですか?」

「どこで……って、それがなにか?」


 女性はそっと手を抜くと、今度はその編目を確かめるように、とても丁寧な手つきで何度何度も文様をなぞった。

 短くない沈黙の後、女性ははっきりと言った。


「これは、わたしが編んだものです」

「えっ、あなたが?」

「はい。この模様……編み方……間違いありません。お嬢さまは……」


 女性はやっとレースから顔を上げて間近でメルを見上げ、言葉をとぎらせた。

 眉間に皺を寄せて、信じがたいものでも見るように瞳を揺らした。彼女はいきなりメルの肩を掴んだ。額、眉、目元、鼻筋、口元、頬の線。顔を形作る要素をひとつひとつ確認するように、真剣な眼差しが迫ってくる。


「顔、近いです……」


 女性ははっとして瞬きした。それから、息のかかりそうな至近距離であることに気づいて、わっと声を上げて飛び離れた。それから慌てた様子で何度も頭を下げた。ぶんぶんと音がしそうな勢いだ。

 なんだか少し変わった人だなあとメルは思った。


「ごめんなさいっ、申し訳ありませんっ、つい、夢中になって」

「いーえ。お気になさらず」


 メルはそそくさと立ち去ろうとしたが、さすがにそうはいかなかった。


「待ってください!」


 女性はメルの腕をがしりと掴むと、堰が切れたように喋り出した。


「お嬢さまのお母さまの名は、ナリサではありませんか? わたしはネイテです。アヤガイのネイテです。家が隣で、姉妹のように育ちました。トントの町で、十一になるまで一緒にいたんです。お母さまから聞いたことはありませんか? そのレース編みは、お別れのときにわたしが贈ったものです。二人で考えた図案を編みこんだんです。間違いありません。ナリサは元気ですか? 今はどこに?」

「ネ、ネイテさん、お、お、落ち着いて、くださ」


 興奮したネイテにがくがくと体を揺さぶられて舌を噛みそうだ。


「ナリサはご両親が亡くなって遠くに奉公に出ることになって、最初は便りもあったんですけど、一年もしたらそれもなくなって、わ、わたしはっ、探しに行くこともできなくて、でも、幸運にも王宮に勤めることになって、やっと、訪ねて行ったら、行方が分からなくなっていて、ずっとっわたしは……っ、げほっけほけほっ」


 ついに咳き込み始めたネイテを、メルはなるべく刺激しないように宥めた。


「大丈夫ですよ。ぼ……わたしは逃げませんから。慌てて喋らなくてもいいですよ。ね。ほら、深呼吸して」


 メルはネイテの骨っぽい腕をゆっくり撫でさすった。


「はい。吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー」


 ネイテは素直にメルの言葉に合わせて呼吸を繰り返した。


「落ち着きましたか? ほら、泣かないで」

「すみません……取り乱して……」


 ネイテは目に溜まった涙を前掛けの端で押さえた。


「いいえ。わたしも充分、混乱しています……」

「そうですよね。わたしったら自分ばかりまくし立てて」


 ネイテは顔を赤くして恥じ入った。

 憎めない人だなあというのがメルの感想だ。しかし、厄介な人に会ってしまったものである。

 この身体の持ち主であるミシアという娘について、メルの知っていることは多くない。そして、仮の宿となっている耳飾りの中で眠る彼女は、いまだ起きる気配がない。

 メルはミシアの母親の名前すら知らない。唯一、役に立ちそうな情報は、ネイテが問題にしているレースが母親の形見だということぐらいだ。人違いの可能性もあるのに、今それを暴露するのはかわいそうな気がした。が、匂わすくらいは許してもらおうとメルは気持ちを割り切った。


「ネイテさん。わたしに少し時間をくださいませんか?」


 ネイテは要領を得ない顔で首を傾げた。意味が解らないようだった。

 メルはとにかく悲しそうに、そして風にも耐えぬ風情を装って同情心を煽るべく切々と訴えた。


「なにから話したらよいのかわからないのです。ネイテさんが、心から案じてくださっていると……そのことは、よく……でも、わたし、なんてお伝えしたらよいのか……一刻も早く知りたいと思う気持ちもわかります。でも、せめて一晩。お願いします。どうか……」


 こういうとき、可憐な少女の姿は非常に効果的だ。

 ネイテはわかりやすく動揺した。思い出すだけでも辛いとのだと、悲しい話を予感させる作戦は成功したようだ。短い葛藤の後、ネイテはメルの期待通りの返事をくれた。


「わかりました」


 単純な人で助かった。


「ごめんなさい。ありがとう」


 そのまま顔を伏せて足早に立ち去るメルの背中に、ネイテは思わず声を投げた。


「お嬢さま! 明日は必ず、お話を……」


 メルは立ち止まり、横顔を見せた。


「ミシアです。ミシアと呼んでください」


 そして、問題のレースの端をちょっと持ち上げて走り去った。

 ネイテは眠れない夜を過ごすことになるかもしれない。けれど、メルには答えられないことなのだから仕方がない。明日の朝、約束した少女の姿がないことを知ったら、彼女は怒るよりも悲しむ気がする。

 取り繕うことを知らないように、拙いむき出しの感情を向けるネイテに、珍しく同情心が湧いてしまった。

 できることならミシアと話せる場を作ってあげたいけど、ごめんね。

 なんだかやるせない気持ちが消えてくれず、メルはそっと心の中で呟いた。


 メルが白百合の間に戻ったとき、まだアイラの姿はなかった。

 メルはネイテが自分が編んだものと主張したレースを見下ろした。

 これだけは持っていくとミシアが言ったから、メルはスカートの上にそれをかぶせて、端をウエストの後ろでリボンにしたのだ。それをほどいて広げると、大きな三角形の肩掛けになる。

 メルは編目に引っ掛けないよう丁寧にしわを伸ばしてから掲げてみた。糸がとび出しているところも、傷になっているようなところもないようだ。

 職務熱心な門番が、意識を失っても放してくれなかったために脱ぎ捨ててしまうまで、ちゃんと外套を着ていたこともあり、汚れてもいない。

 細くやわらかいリネンを使って編まれたレースは繊細で複雑だ。話によれば、十一歳のときの作品ということになるが、とてもそうは見えない。こんな特技があるとは実に意外だ。しかし、思い返せばレースに触れる指先は、それまでの粗忽な動きとは裏腹に丁重だった。

 本当にミシアの母親の幼馴染なのだろうか。

 メルは肩掛けを畳んで腕にかけると、居間から内廊下に出て別の扉を開けた。


「無駄に広いよね」


 呟いて、書き物机の椅子の背もたれに持っていた肩掛けをかけた。それから少し大きすぎる椅子を引いて浅く腰かける。寝室、居間のほかにまだこんな部屋がある。本棚は見当たらないが、書斎っぽい雰囲気の部屋だ。備え付けの紙も上等である。


「さて。アイラが戻ったら、リエラ王女とクドゥル王子宛てに置手紙を書いてもらわなくちゃね」


 メルは墨壺を開け、羽ペンを手にして、自身もネイテに宛てた手紙をしたため始めた。

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