4.雨の音
雨の匂いがした。
窓を打つ水音が、やけに近かった。
来実はベッドの上で目を開けたまま、ぼんやり天井を見ていた。
午後四時。
部屋は薄暗い。
スマホには未読通知が並んでいた。
『課題終わった?』
『春休みあとちょっとじゃん』
『新クラスどうなるかな』
返信する気力が湧かない。
頭が重かった。
朝からずっと、身体の奥がざわざわしている。
理由は分かっていた。
雨だった。
昔から、雨の日は駄目だった。
母親の機嫌が悪くなる日が多かったから。
来実は布団を被ろうとして、途中で動きを止めた。
遠くで、何かが落ちる音がした気がした。
どこから?
分からない。
でも次の瞬間、耳の奥で甲高い声が響いた。
『あんたなんか産まなきゃよかった』
息が止まる。
視界がぶれる。
違う。
今じゃない。
分かっているのに、身体が理解しない。
『何回言わせるの!?』
雨音。足音。怒鳴り声。頬を打たれる音。
小学生の頃の狭いアパート。
濡れた洗濯物。
母親のヒステリックな声。
平手打ち。
一回。
二回。
三回。
何回だったか、もう覚えていない。
来実は急に呼吸ができなくなった。
苦しい。
喉が閉まる。
手が震える。
でもどこか現実感が薄い。
部屋の輪郭が曖昧になる。
自分が今いくつなのか、一瞬分からなくなった。
高校生?小学生?どっち?
スマホが鳴っていた。
誰かからの通知。
でも文字が読めない。
来実はふらつきながら机へ向かった。
引き出しを開ける。
薬。頓服。睡眠薬。数日前に処方されたばかりのシート。
飲めば静かになる。
そう思った。
シートを押す。水を飲む。また押す。飲む。
どれくらい飲んだのか分からなかった。
途中から、数えるのをやめた。
手が勝手に動いていた。
雨音がうるさい。
母親の声がする。
頬が熱い。息が苦しい。止めたい。全部。
来実は床に座り込んだ。
スマホがまた震える。
匿名SNSの通知。
『生きてる?』
ぼやけた視界で、それだけ見えた。
返そうとしたけれど、指がうまく動かない。
その後の記憶が曖昧だった。
気づいたときには、知らない声がしていた。
「来実さん? 聞こえますか?」
眩しい。白い。天井?違う。
救急車。酸素の匂い。
誰かが肩を叩いている。
「薬、どれくらい飲みました?」
来実はうまく喋れなかった。
舌が重い。
「お父さんに連絡は?」
「……しゅっちょう」
「電話は」
「でない……」
救急隊員同士が小さく会話している。
「未成年か……」
「保護者つかまらない?」
「精神科通院あり」
来実はぼんやり天井を見る。
雨音がまだ聞こえる気がした。
身体が異様に重い。
眠い。
でも、少しだけ安心していた。
誰かが見つけてしまった。
それだけで、少しだけ終わった気がした。




