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6.消灯後

夜十時。

病室の照明が落ちる。

四人部屋のカーテンの向こうでは、誰かの咳払いと、点滴台の車輪の音が時々聞こえていた。

来実は薄い病院の布団を胸元まで引き上げ、目を閉じる。

眠くはなかった。

昼間ずっと寝ていたせいもある。

でもそれ以上に、静かすぎた。

スマホがない。

タイムラインも見れない。

通知も来ない。

誰かの気配がない。

それだけで、胸の奥がざわついた。

来実は深呼吸をしようとする。

吸う。うまく入らない。

もう一度。浅い。苦しい。

雨の音が聞こえた気がした。

違う。

今は降っていない。

分かっているのに、耳の奥ではあの日の雨音が鳴り続けていた。

『なんであんたは普通にできないの』

喉が詰まる。

身体が強張る。

息が吸えない。

来実は慌てて起き上がった。

視界が揺れる。

心臓が速い。

呼吸が浅い。

吸っているのに酸素が足りない。

苦しい。怖い。

でも何が怖いのか分からない。

カーテンが開いた。

「来実さん?」

夜勤の看護師だった。

昼間に話した人とは別の、少し年配の女性。

「呼吸、速いね」

来実は、喋ろうとして、うまく声が出なかった。

「だ、大丈夫……です」

「大丈夫じゃないから来たの」

看護師は静かな声で言う。

そのままベッドの横にしゃがみ込んだ。

「ゆっくり吐こうか」

来実は震える手で布団を握る。

「すみませ……っ、ごめんなさい……」

「謝らなくていいよ」

「起こし、ましたよね……」

「仕事だから大丈夫」

看護師は落ち着いた声で続ける。

「吸うより、吐くの意識して」

来実は言われた通りにしようとする。

うまくできない。

涙は出ない。

でも身体だけが壊れそうだった。

「怖い夢見た?」

その言葉に、来実は少し黙った。

夢じゃない。

記憶だ。

でも説明する気力はなかった。

「……昔のこと、思い出して」

「そっか」

看護師はそれ以上聞かなかった。

ただ横にいて、呼吸を合わせるみたいにゆっくり話してくれる。

「ここ病院だからね、安全だよ」

その言葉だけが、不思議と耳に残った。


翌朝。

来実が起きた頃には、病室は明るくなっていた。

点滴はまだ繋がっている。

身体は重い。

でも昨夜より頭ははっきりしていた。

午前九時頃、看護師が病室へ来る。

「お父さんと連絡ついたよ」

「あー……はい」

「今日、仕事で抜けられないみたい」

来実は小さく頷く。

予想通りだった。

「“明日の夕方なら行けます。それまで預かってもらえませんか”って」

その言い方が少しだけ事務的で、来実は逆に安心した。

もし本気で心配されたら、どう反応すればいいのか分からない。

「あと、精神科の先生が後で来るからね」

「はーい」


昼前。

精神科医はノックをして病室へ入ってきた。

四十代くらいの女性医師だった。

柔らかい声だったが、視線はかなり鋭い。

「初めまして。少しお話いいですか?」

「大丈夫です」

来実はベッドの上で姿勢を整える。

条件反射みたいに笑顔も作った。

「今回、かなり多く薬を飲まれています」

「すみません」

「死にたい気持ちはありましたか」

来実は少し考える。

「……消えたかった、はあるかもです」

「今も?」

「まあ、いつもあるんで」

雑談みたいな声で言う。

「解離症状は前から?」

「時々です。ぼーっとしたり、記憶飛んだり」

「自傷は」

「昔から」

「OD頻度は?」

「んー……まあまあ」

精神科医はメモを取る。

来実はその様子をぼんやり見ていた。

「今後についてですが、入院治療も含めて考えています」

その瞬間だけ、来実の表情が少し固まった。

でもすぐ笑う。

「えー、無理です」

「なぜ?」

「新学期始まるので」

「身体はかなり不安定ですよ」

「でも行けますよ」

来実は即答した。

「皆勤なんです、私」

精神科医が黙る。

「休む方が無理っていうか」

来実は笑ったまま続ける。

「家にずっといる方が危ないんで」

言ったあと、自分で少し驚いた。

そんなこと、初めて口にした気がした。

精神科医は静かに来実を見る。

「学校は、“安全な場所”なんですね」

「……安全っていうか」

来実は視線を逸らす。

「普通でいられるので」

病室に短い沈黙が落ちた。

モニター音だけが、一定のリズムで鳴っていた。

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