第9話 丘の上で
翌日。丈二と安奈は約束の時間に求司のアパートの前までやってきた。
「おーい、キュージ。そしてマドリガル。来たぞ。」
丈二がドアをノックすると、向こうから『はーい。今行く。』という男性の声が聞こえてきて、ドアが開き、求司とマドリガルが姿を現した。
「おはよう、ジョー。そしてアン。」
「おう、おはよう。」
「おはようございます。あなたがマドリガルさんですね。」
安奈はマドリガルを初めて見たにもかかわらず、全然驚く様子も無く、笑顔で手を差し出した。
「あっ、はい…。マドリガルと申します…。」
彼女は握手というものを経験したことが無いのか、それとも単に安奈を警戒しているのか、戸惑うばかりだった。
しかし求司が笑顔で「大丈夫だよ。僕の知り合いだから。」と声をかけると、少しは安心したのか、最終的に握手をしてくれた。
「あの…、信じてもらえないかもしれませんが…、あたし…、その…。」
「大丈夫。お兄ちゃんから話は聞いているわ。だから心配しないで。その服、似合っているわよ。」
「そうですか。それなら良かったです。ありがとうございます。」
会話をしていくうちにマドリガルの表情は次第に明るくなっていった。
(この人、アリアさんにどこか似ているわね。茶色の髪で、さらに髪を後ろで縛っているところもそっくりだし…。)
彼女は口にこそ出さないものの、同じ女性として自分のことを優しく見守ってくれた人に安奈を重ねていた。
4人はアパートを後にすると、少し離れたところにある丘に向かって歩き出した。
「キュージ、どうだ?マドリガルはこの世界になじんできたか?」
「まあ、昨日と比べるとかなりね。最初は見るもの全てに警戒をしていたけれど、だいぶ慣れてきたみたい。」
「それは良かった。」
「でも、まだ分からないことだらけで…。本当に求司さんには迷惑をかけっぱなしで…。本当にごめんなさい。」
「謝ることなんてないよ。初めて経験する世界なんだから。それに、僕は君と一緒にいられてうれしいよ。」
「もし分からないことがあったら、私にも質問してね。私もマドリガルさんと友達になりたいから。」
「安奈さん、ありがとうございます。」
彼女達2人はまだ会って間もないにも関わらず、すでに親しい関係になりつつあった。
丘の上にたどり着くと、4人はそこで一休みすることにし、まわりの景色を見渡した。
「いやーー、いつ見てもこの景色は最高だな。」
「僕にとっても気分転換にちょうどいい場所だな。」
「私も。バンドクビで傷ついた心が癒されるわ。」
「ここ、本当にあたしが見たことも無いものがたくさんあるんですね。」
求司、丈二、安奈、マドリガルはみんなパノラマの風景を楽しんでいた。
すると、近くにペットの犬を連れた人が通りかかった。
その犬は自分達を見るなり吠え出したため、彼女は思わず身構えた。
「敵なの?」
「大丈夫。あの動物はただ単に見知らぬ人を見て吠えただけだよ。」
「それってあたしのこと?」
「いや。多分、僕達みんなだよ。だから、気にしなくていいよ。」
「そう…。それならいいけれど…。」
マドリガルは求司にアドバイスされても色んなものを敵と見なしてしまうクセが抜けなかった。
だが、彼をはじめ、丈二と安奈も彼女を責めるようなことはせず、むしろ求司はあこがれの少女と一緒にいられてドキドキしていた。
すっかり気分もリフレッシュした後、安奈は近くの大木の下に落ちていた木の枝を拾い上げた。
丈二「アン、何をするつもりなんだ?」
「これで魔女のマネをしてみたいの。お兄ちゃん、協力してくれる?」
「協力って、どうするんだ?」
「スマートフォンで撮影するの。」
安奈は詳細を説明すると、自分は両手で枝を持ちながらそれにまたがった。
「分かった。そのタイミングで撮影すればいいんだな。」
「うん、お願いね。」
「OK。」
丈二は指でサインを出すと、スマートフォンを構えた。
それを見た安奈はジャンプをし、丈二はそれを見計らってシャッターを切った。
「あの2人、一体何をしているの?」
「ああ、そういうわけか。分かった。」
マドリガルが首をかしげる一方、求司は彼らの思惑をすぐに見抜いた。
「これからアンがちょっだけ前進してジャンプして、ジョーが撮影。これを繰り返していくことになるよ。」
「それを繰り返したらどうなるの?」
「そのうち分かるよ。」
彼らが会話をしていると、安奈と丈二は求司が言ったとおりのことを続けた。
しばらくすると、丈二は撮影を取りやめ、スマートフォンの操作を始めた。
「お兄ちゃん、どう?ちゃんと撮れてる?」
「うーーん。これはちょっとミスったな。」
「これも私としては納得いかないのよね。」
「じゃあ、この部分は撮り直しになるな。」
2人は色々話し合いながら画像の編集をし、再度撮影を開始した。
「よし。とりあえずこんなところでいいかな。」
「まあ、今日は練習だから、良しとしましょう。」
丈二と安奈は満足げな表情を浮かべた。
「じゃあ、どんな感じになったのか、見せてくれる?」
「おお、いいぜ。2人とも。」
丈二は出来上がった作品を求司とマドリガルに見せてくれた。
するとそこには撮った写真が高速でコマ送りされていた。
「すごーい!空を飛んでいるじゃない!まるで魔法みたい!」
マドリガルは思わずビックリだった。
「そう言ってくれてうれしいわ。何しろ、これが私の小さい頃からの夢だったから。」
「夢って?」
「私ね、小学生の時、学芸会で魔女の役をやったの。そして魔女の帽子と服を身にまとい、ほうきにまたがってロープで吊り上げてもらいながら空を飛んだの。その時の感動が忘れられなくて、空を飛びたいってずっと思っていたのよ。」
「じゃあ、その夢を叶えるためにこういうことをしたってこと?」
「そうよ。そしていずれ魔女の姿でこれを撮影して、動画にしてネット上に発表したいと思っているの。」
「動画?ネット?」
マドリガルはこれらを全く知らないだけに、首をかしげてしまった。
「まあ、それを説明すると長くなるから、気にしなくていいよ。」
「でも…。」
彼女は自分だけ知らないままでいることが悔しかった。
それを見た求司は何とか励まそうとしたが言葉が浮かばず、代わりに自分の手を彼女の肩に置いた。
その後、4人は丘の上ですっかりリフレッシュしたこともあって、一旦家に帰ることにした。
「ジョー、ありがとう。おかげでつらいことも忘れられたよ。」
「なあに。キュージとマドリガルが元気になってくれて良かったよ。」
2人が会話をしていると、午後は野球道具を持って会おうという話になった。
「野球?何、それ。」
「お兄ちゃんと求司さんは昔、野球部に所属していたの。そしてお兄ちゃんは打撃投手とスコアラーをしていて、色々なデータを提供しながらみんなを支えていたのよ。」
「えっと…。」
安奈の言っていることはマドリガルには全然分からないことだったため、また首をかしげてしまった。
しかし、説明をしてもらったところで長くなる上に、所詮自分には分からないことだろうと思ったため、それ以上聞こうとはしなかった。
4人は昼ご飯を食べた後、再び集まった。
そして求司と丈二は準備運動をした後、お互い左手にグローブをはめた。
「よーし、いくぞ。」
「いいよ、ジョー。」
求司が合図をすると、丈二は振りかぶり、ボールを投げた。
スバーン!
求司は時速100キロに迫るボールをしっかりと受け止めた。
「何、これ?求司さんにケガさせるつもりなの?」
「そんなんじゃないわ。これが野球というスポーツの一部なのよ。」
「野球…。スポーツ…。」
マドリガルはそれらが何のことだかさっぱり分からずにいた。
しかし、そのダイナミックな光景に魅了されたのか、彼女は丈二と求司にじっと見とれていた。
彼らはキャッチボールを終えると、今度は丈二がピッチャー、求司が金属バットを持ってバッターになり、左打ちの構えをした。
(※参考までに:求司は右投げ左打ち、丈二は右投げ右打ちです。)
そして彼は山なりのボールをコツンと当てて、丈二がそれを受け取った。
(お兄ちゃんと求司さん。野球部にいた時、本当に輝いていたなあ…。結果的に甲子園には届かなかったけれど、こうしている時の表情がすごく楽しそうだから、やっぱり野球が好きなのね。)
安奈は昔の2人の姿を思い出しながら彼らを眺めていた。
(あたし、どうしたのかしら。求司さんのあの顔を見ていたら、何だか胸がドキドキしてきた気がする…。こんな気持ち、ルウさんにも感じたことも無かった…。)
マドリガルは両手を合わせながら、求司の表情に見とれていた。