第六話 老人の皮をかぶった猛者
第六話 老人の皮を被った猛者
ルスティカ村から少し離れた森の中で、1人の中年男性がため息をついた。
「全く。じーさま方の気まぐれにも困ったもんだ。さっさと領主の館に乗り込んでいれば、もうちっとばかり早く片がついたのに」
ぼやきながらも男性は淀みなく魔術陣を紡ぎ続ける。
「ロリス様! 魔物の数が想定よりも多いです! このままでは取りこぼした魔物が村へと向かってしまいます!」
「……他所で繁殖したのがこっちに移ってきた可能性もあるなあ。第2部隊を村へ向かわせろ。村人には決して家を出るなと伝えるんだ」
「はっ!」
ロリスたちが魔物の侵攻食い止めようと奮闘していた頃、ルスティカ村でも騒ぎが起こっていた。
昼間から土竜を含む危険な魔物たちが村へと降りてきたのだ。
数は少ないが、数日前にダンが噛まれたことで土竜の恐ろしさを知っていた村人たちは、半狂乱になって逃げ惑う。
「女子供を早く家の中へ! 家の耐久度に不安があるものは儂の家へ向かえ!」
ダンは村の中心で、村人達へ指示を出していた。
「ダンおじいちゃん!」
村人達に囲まれたダンへ、孫のジョンが駆け寄る。
「ジョン!? どうして出てきたんだ! お前は家の中でじっとしていなさい!」
「ぼくだって、おじいちゃんの助けになりたいんだ!」
「おいおい。喧嘩している場合じゃねぇぞ。2人とも家に戻ってなァッ!」
呆れたように言いながらマルコは、2人へ襲い来る土竜を拳の一撃で地に沈めた。
「どんどん来やがる! ジジイはいねぇから、オマエらが噛まれたら面倒だろうがッ!」
速くて重い拳が振るわれるたび、子馬ほどの大きさの大蜥蜴──土竜の頭部が地面に埋まり、沈黙する。
「先輩……! ありがとうございます! しかし、儂はこの村の村長です。村を守る義務があります」
「ぼくだって! この村の次期村長なんだから、村を守るぎむがあるもん!」
『義務』という言葉の意味は、まだジョンには分からない。
それでも祖父とマルコの役に立ちたい、とジョンはマルコに訴えた。
「はっ、どっちも頑固な似た者同士か。無茶には変わりないがよォ、その心意気は悪くねェ!」
マルコは二人を守る様に立ち位置を移動しながら、休まず拳を振るい続ける。
「うっし! っと、そんじゃあ、死なない程度に頑張るんだな! 決して俺のそばを離れんじゃねぇぞ!」
自身の体を囮にして、鳥型の魔物を間合いに誘い込み、殴りつけて撃ち落とす。
硬く鋭い爪で皮膚を抉られても、ビクともしないマルコの横へ、コラードが並ぶ。
「マルコ。あなたは妙なところで甘いんですから、困ったものですね」
「あんだよ、コラード。文句あるなら、手前ェも手伝えや」
「はいはい。死にたがりのダンはさておき、小さな子供が犠牲になるというのは、見過ごせませんからね」
コラードが前へ出た。彼は身の丈ほどの大きさのある槍のような武器を構えている。
武器の先端は刃ではなく、鉄塊になっていた。その形状から敵を切るためではなく叩き潰すための武器であることがわかる。
「ほら、こっちですよっと」
複数の魔物の気を引きつつ、足や頭蓋を潰し、襲い来る牙を危なげなく受ける。
「相変わらず堅実な戦い方だぜ」
マルコはジョンやダンを守るように、二人に背を向け、襲いくる魔物を力任せに殴り飛ばす。
「お2人とも相変わらずですなあ」
ダンは背負っていた弓を手に取り、コラードやマルコの手が届かない位置にいる魔物を狙った。
「ぼくだって!」
ジョンも祖父を真似るように弓を引く。
ダンほど正確ではないものの、魔物の気を引くのには役立っているようである。
三人が村の入り口付近で戦っていると、目の前の草原に黒い煙が立ち上った。
一瞬の後、ホフレと立派な鎧をまとった兵士たち、そして辺境にしては上等な衣服をまとった、やや太めな老人が現れた。
「ひぃっ……あ、あれは、土竜ではないか!」
地を這う黄土色の大蜥蜴を見て、小太りかつ禿頭の老人──ザインが叫ぶ。
「噛まれたら死ぬやもしれん! だから、館から出たくなかったというのに! ワシを館に返してくれーッ!!」
「落ち着け馬鹿者!」
騒ぐザインの頭にホフレの拳骨が落ちた。
「ぐぎぃっ!? き、貴重な頭髪が!? 毛根まで殺されてしまうー!」
「騒ぐな。毛など残っておらんじゃろうが。それに、おぬしの毛根は既に手遅れじゃ」
「酷い! この鬼ジジイ!!」
涙目になるザインをなんとか宥めようと、兵士のうちの一人がそっと寄り添う。
「ザインさま。どうかお気を確かに。……枯れ果てた大地も愛情を持って育めば、慈悲深い女神さまがきっと奇跡を起こして、」
「誰の毛根が枯れ果てているだとおッ!? 枯れ果ててなどおらん! ただちょっと、そう、元気がないだけだ!」
「ザインさま。決してそのようなつもりで言ったのではーー、」
「お前はクビだー! 館に戻り次第、クビにしてやるぞ!!」
口から唾を飛ばしながら喚き立てるザイン。
鼻息を荒くして手足をばたつかせる彼の元へ、空から鳥型の魔物が襲いかかる。
「うわッ!?」
とっさにしゃがみこむザインの上を一本の矢が過ぎる。
矢は正確に鳥の眼球を射抜き、地へと落とした。
「お、おまえは……!?」
ザインは矢を放った主を振り返った。
「久しぶりだな、ザイン」
ザインを救ったのはダンが放った矢であった。
「臆病者のダン!」
「ああ。その呼び名も懐かしいよ」
昔を懐かしむようにダンは、穏やかに笑った。
「なんだお前。ずい分と痩せたではないか。まるで老人のようだ」
ダンの笑顔が気に食わない、と言わんばかりに、ザインは鼻を鳴らした。
「お前こそ。すっかり太って頭まで寂しくなったなあ。……鍛錬嫌いは相変わらずの様だな、十は老けて見えるぞ」
「うるさい! くそっ、なんだ、全然変わってないではないか!」
「ははっ、ザインこそ、全く変わらないな! 怖がりで癇癪持ちなところも、懐かしく感じるから時の流れってのは不思議だなあ」
ぶすりとした表情のザインとは対照的に、ダンは朗らかな笑い声をあげる。
「おい。そこのお前、予備の剣を1つよこせ!」
ザインはギリギリと歯を食いしばり、兵士の一人へ向かって指を差した。
「は? はい。しかし、どうされるので?」
「使うに決まっているだろうが! この地の領主である、このザインが! 臆病者のダンに助けられて逃げるなど、あってはならん!」
地団駄を踏んでいきり立つザインを見て、兵士はオロオロとしながらも剣を差し出した。
「しかし、ザインさま。剣はしばらく握っていらっしゃらないのでは」
「黙れ! 確かに剣は得意ではないが、それを補うのがお前達の仕事だろう! 我々はジジイらが取りこぼした小物を狙う! 遅れずに続けッ!」
自らが臆病者と謗っていたダンに命を救われ、ザインの誇りは酷く傷ついていた。
これまで、ザインにとっては誇りよりも何よりも、自身の命こそが大事であった。しかし、こうして目の前で、自分より遥か下だと思っていたものに己以上の力を示されるのは気に食わない。
「ええい! くそっ、どうしてこのザインが! 戦地に立たねばならんのだ!」
ぶちぶちと文句を言いながらも、ザインは必死で剣を振るった。
「ふむ。ではわしらは支持に回るとするかの」
この戦いはザインやダン、この地の兵士たちが経験を積むための戦闘だった。
魔物が一気に押しかければ、兵達は混乱し、逃げ惑うかもしれないが、森にいるロリス達が取りこぼした魔物を叩くのであれば対処できるだろう。ホフレはそう考えたのだった。
「ぎゃああ!? う、腕がッ」
意気込んで剣を取ったは良いものの、体がついて行かなかったのだろう。
比較的小さな魔物に剣を向けるも、返り討ちにあい、ザインが絶叫する。
「落ち着け、ザイン。皮一枚で繋がっているから、大丈夫じゃ。──ほれ、治ったからさっさと行ってこい」
「腕を失うところだったんだぞ!? 全然大丈夫じゃない! 鬼か! このクソジジイ!!」
ザインは涙目になって絶叫した。
「この地では珍しい魔物ではありますが、虎兎の牙は鋭利ですからね。見た目に騙されてはいけませんよ。大きく口を開けたら、盾を構えるか横に大きく飛んで避けなさい。でないと次は本当に腕を失うことになります」
コラードの助言にザインが震え上がる。
「ひいっ、こっちに来るなあ!!」
ザインの目の前にいる、大型犬ほどの大きさの虎兎には、二本の鋭い牙がある。
白くふんわりとした毛皮に、つぶらな赤い瞳で、全体的に丸みのある形状をしているが、脚力が強く、瞬時に距離を詰めて牙をむくのだ。
慣れない冒険者などは、足や腕を持って行かれることが多い。
人肉を好み、鋭敏な聴覚をいかして集団で狩りをすることもあるため、愛らしい見た目に油断していると、命まで持って行かれることも少なくない魔物である。
「虎兎が口を開けたら儂が矢を射る。安心して向かってくれ、ザイン」
「くそったれのダン! お前の助けはいらんと言っている!!」
なんのかんのと言い合いながらも、彼らの魔物退治の手際は徐々に洗練されていく。
日が沈む頃には魔物が村の方へと降りて来ることはなくなった。
それは、ダンやザインたちの頑張りというよりも、ロリス達が魔物を殲滅したからであった。
しかし、村で奮闘していた人々は、そんなことなど知らないし、今はやり遂げたという達成感に満たされていた。
「ふひい……なんかもう、一生分働いた気がするな。しばらく館に籠りたい……外には、出たくない」
ザインは大量の汗をかいたようで、その汗が乾いて服に白い塩の結晶が付いている。
村の井戸水で喉を潤しながら、彼は人目もはばからず、地面に転がった。
「しかし、ザインよ。おぬしの仕事はこれからじゃ。これからは定期的に兵を巡回させ、自身の領地を魔物から守らねばならん」
ホフレの言葉を聞いて、ザインが閉じていた瞳をゆっくりと開く。
「……は? ワシ、なにか、幻聴的なものが聞こえた気がする……」
「幻聴ではないぞ。まあ、あれじゃの。経験や腕に自信がないというのなら、仕方がない。しばらくわしらの旅に同行させてやるかの」
「嫌だ! 絶対に、嫌だ!! 断固拒否する!!」
顔を覆ったまま、地面をゴロゴロと転がるザインを見おろしながら、ホフレは朗らかに笑った。
「安心せい。王都から代わりの領主を呼んでやるから、後のことは心配せずとも良いぞ」
仕事をしないなら、性根から鍛え直す。
ホフレの容赦のない言葉を聞いて、ザインは弾かれた様に立ち上がった。
「このっ、鬼ジジイ! ワシから領主の椅子も奪う気か!」
「人聞きが悪いのう。長期的に見れば、悪い話じゃないはずなんじゃが」
「地獄の行軍に付き合うくらいなら、魔物の相手をした方がまだマシだ!」
「そうか。では頼んだぞ。たまに様子を見に来るからのう」
ホフレの脅しにザインは青い顔で頷いた。
「こうなったらお前もとことん利用してやるぞ」
自分だけが憂き目にあってたまるか、とザインはダンを睨みつけた。
「望むところだ」
ダンは額の汗をぬぐいながら、爽やかな笑みで返した。
「ご領主さまとダンおじいちゃんって、仲がよかったのね」
「喧嘩友達って、いうんだよね」
いつの間に外へ出てきたのか。
賑やかな老人達の横で、ジョンとエミリアが笑い合う。
「まあ、連絡用の簡易魔道具を渡しておくから、何かあればそれでわしらを呼ぶがよい。──さて、そろそろわしらは次の場所に向かうとするかの」
ホフレはエミリアに両手で抱えられるほどの大きさの、魔道具を渡した。
「おい。ジジイ、あと一晩くらい、いいじゃねぇか!」
「マルコ。気持ちはわかるが、だめじゃ。この地でわしらがするべきことは大体終わったからのう。ロリスは様子見でもうしばらく残るし、支援物資はファビオのやつが持って来ることになっておるから、わしらが留まる必要はない」
「ファビオお得意の長期保存がきくパンと、あとなんか色々を持って来るんでしたね。パン以外のものも、ちゃんともってきてくれたら良いのですが」
コラードは戦うパン屋──ファビオの顔を思い浮かべ、微妙な表情になった。
この地を去るという会話をしているホフレ達に、エミリアが歩み寄る。
「おじいさん達は、もう、行っちゃうんだね」
「あー。俺は残りてェんだけど、ジジイがうるさくてなあ」
「マルコおじいさん」
「あ? なんだよ、改まって」
「ごめんなさい」
エミリアはマルコと目を合わせて、真摯な気持ちで謝罪した。
「えーと、なんだ?……謝ることなんて、あったっけか」
エミリアの真面目な表情を見て、マルコは困った様な表情で首の裏を撫でた。
「誤解、していたから。ジョンから聞いたの。マルコおじいさんは村を守るために、わざわざ森へ行って魔物退治をしてくれてたって」
「あー。ああ、そのことか」
「血の匂いがしていたのは、血尿じゃなくて、魔物を倒してくれてたからだったのね」
エミリアの言葉を聞いて、マルコはギョッと目を見開いた。
「いや、えっ? 血尿だと思っていたのかよォ!?」
「だって、コラードさんが……」
「コラードッ、てめェッ!!」
マルコは思わず、コラードの姿を探した。しかしコラードは既に村の入り口を出て、草原の方へと向かっていた。
「あいつ……!」
コラードを追うべく、エミリアに背を向けるマルコ。
エミリアはその背を必死で呼び止める。
「待って! マルコおじいさん! あの、そのッ!」
呼び止められたマルコは、一応足を止めて、エミリアを振り返った。
「あ? まだ何かあるのかよ」
マルコの素っ気ない口調にもひるむことなく、エミリアは精一杯の笑顔で、感謝の気持ちを告げる。
「本当に、ありがとう!! また、この村に来てくれる?」
「おう! 俺たちは訳あって、しばらく死にそうにねぇからよ。ダンのやつが死ぬ前までには、また会いにくらァな!」
マルコは快活に笑ってそういうと、エミリアもつられて笑った。
「もう! お祖父ちゃんが死ぬ頃だなんて、縁起でもないことを言わないで!」
「はいはい。そいつァすまねぇな! それじゃあ、達者でな!」
ちっとも悪いと思っていなさそうな口調でそういうと、マルコはエミリアに背を向けた。
「マルコおじいさーん! またねー!」
ジョンの声に手を振って答えると、マルコはホフレとコラードの背をのんびりと追いかける。
月の女神の祝福により、見た目は老人のまま、全盛期の力を取り戻した猛者達。
かつての仲間が引き起こした災禍の被災者達の助けになるべく、彼らはレッチェアーノ王国中を旅して回った。
旅路の途中で今回のように、懐かしい顔に出会ったり、あるいはかつての友の訃報を聞き、亡き友が愛した者のために力を振るったりと様々な出来事があった。
多くの民の苦しみと、救いを願う声は、時に暴走し、救い手すら苛む。しかし、老人達は民の嘆きを受け止め、足を止めることなく、前へと進み続けた。
そして現在、レッチェアーノ王国の権威が失墜し、混迷極める国内において活躍し続ける老人達の話は、多くの民の心に希望の光を灯し始めている。
──全ての国民がかつてのような安らぎを取り戻すまで、彼らの旅はまだまだ続くのであった。
このお話は、これで完結です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。