茶々視点外伝『安土屋敷での“御方様仕事”』編・①⑦⑨話・第七話 黒坂屋敷、春の茶会をひらく
噂というものは、声高に否定したところで消えるものではない。
むしろ、否定の声に尾ひれがつき、「何かあるから慌てて火消しをしているのだ」と、余計に面白がられることさえある。
ならばどうするか。
私は、噂とは別の“見える形”を置くのがよいと考えた。
黒坂家は女が多い。
常陸様は女たちに甘い。
侍女たちは主の身の回りに近すぎる。
そう語られているなら、その上から、もっと強く、もっと分かりやすい印象を重ねればよいのだ。
賑やかだが、下品ではない。
女が多くても、乱れてはおらぬ。
黒坂家の奥は、きちんと整った一つの座である。
そう見せるための場として、私は女だけの小さな茶会をひらくことにした。
安土の黒坂屋敷で茶会を催すと決めると、やるべきことは山ほどあった。
まず、誰を招くかである。
あまり大きく広げれば、“評判を消したいがために慌てて人を集めた”ように見える。
かといって、あまりに閉じすぎれば、こちらの意図した印象が広がらぬ。
私は帳面を開き、松殿、ねね様、佐々家の奥方、それに花見の席で比較的穏やかな目を向けてきた二、三家を選んだ。
皆、奥向きの気配を読むことに長けた方々である。だからこそ、良くも悪くも見られる。
見られるから、ここで整った形を見せる価値がある。
次に、座敷のしつらえ。
私は花見前に大津で専好様より受けた教えを思い出しながら、表の間を一つひとつ見直した。
床の間に飾る花は、華美すぎず、しかし寂しすぎぬもの。
見せびらかすような豪奢は、かえって成り上がりめいて見える。だが控えすぎては“気後れ”と受け取られる。
私は考えた末、白い椿を一輪低く置き、その上へ細い梅の枝をすっと立て、脇へ野の小花を一つだけ遊ばせる形を選んだ。
きりりとした芯の中へ、春のやわらかさが一筋入る。
黒坂家の奥向きの気配を映すには、これがよいと思えた。
「御方様」
桜子が、少し離れたところから床の間を見て言った。
「良い花にございます」
「良い、だけでは足りません」
「はい」
「“どう良いか”が、座敷の格になります。静かで、だが弱くない。そのように見えねばなりません」
桜子は深く頷いた。
この娘は、花のしつらえも、茶の出し方も、今ではただ真似るのでなく意味ごと覚えようとする。そこが頼もしい。
梅子には茶と菓子の間合いを。
桃子には出入りの足音と視線の置きどころを。
桜子には、全体の流れと侍女たちの呼吸を合わせることを、それぞれ言い含めた。
「梅子」
「はい」
「茶は急がず、だが待たせすぎず。相手が話を切ったところへ静かに入れるのです」
「承りました」
「桃子」
「はいです」
「今日は“愛想よく”より“品よく”です。にこにこしすぎないこと」
「はう……少し難しいのです」
「難しいから、今のうちに覚えなさい」
桃子はしゅんとしたが、それでもやる気は十分らしく、何度も礼の角度を試していた。
茶会当日。
安土の空はよく晴れ、庭の砂利まで少し明るく見えた。
こういう日は、人の心も少し浮く。だからこそ、座敷の内は落ち着いていなければならぬ。
最初に訪れたのは前田松であった。
やはり、あの方はこういう場に来るのが早い。自分が見る側に回る時の機をよく知っておられる。
「茶々様。お招きありがとうございます」
「こちらこそ。お越しいただき光栄にございます」
松殿は座敷へ入るなり、まず床の間の花へ目をやり、それから侍女たちの動きへ視線を流した。
私はその一連の動きを見て、内心で“まずひとつ目は通った”と思った。
少ししてねね様も来られた。
「まあ、よう整ったお座敷」
その第一声に、私は微笑みながら頭を下げた。
「まだまだ手探りにございます」
「いえいえ。手探りでこれほどなら、十分すぎます」
ねね様はそう言いながらも、やはりよく見ておられる。
花の高さ。
火鉢の置きどころ。
茶を出す侍女の歩み。
どこにも無駄な張り詰め方がなく、かといって気が抜けてもいないことを、きっと感じておられたのだろう。
その後も、招いた奥方たちが順に座を埋めていった。
私は主座に立ちすぎぬよう、しかし曖昧にもならぬよう、座の中心を保った。
話題は花見の余韻から始まり、安土の春、大津の風、女たちの暮らし、湯殿のしつらえ、花のことへと移る。
誰かが話しすぎれば、誰かが引く。
笑うところでは笑い、深く入りすぎそうな話はやわらかく流す。
それらの間へ、桜子が茶を置き、梅子が菓子を運び、桃子が控えとして控える。
私はその一連の流れの中で、花見前に大津で学んだ生け花の時間を思い出していた。
皆ちがう花。
皆ちがう気配。
だが、違うからこそ、無理に同じにせず、一座へ収めねばならぬ。
奥方たちの会話も、それに似ていた。
前田松は、さりげなく他家の様子を拾う。
ねね様は、柔らかな笑みで核心へ触れそうになる。
佐々家の奥方は、実務の話になると途端に目が冴える。
それぞれ違う。違うが、私が中心で場の温度を整えていれば、不思議と流れは乱れない。
茶が二巡した頃、私はようやく感じた。
皆の目が、最初より少しやわらいでいる。
これは悪くない兆しだった。
「思うていたより、ずっと落ち着いたお屋敷にございますね」
ぽつりとそう言ったのは、細川家の縁につながる奥方だった。
“思うていたより”――そこへ、安土での噂の影がにじんでいる。
だが私は、それを咎める顔はせず、ただ穏やかに返した。
「賑やかな家ではございますが、賑やかさと乱れは別にございますゆえ」
すると、ねね様が口元を隠して笑われた。
「ほんに、よう締めておられる」
松殿も頷く。
「常陸様の家は、賑やかでも品がある」
その言葉は、思っていた以上にまっすぐ胸へ入った。
私は表には出さず、ただ一礼した。
「ありがたきお言葉」
だが内心では、確かに思っていた。
これだ。
これが、欲しかった印象なのだ。
女が多い。
賑やかだ。
それは否定できぬ。だがそこへ“品がある”が重なれば、噂の顔は変わる。
面白おかしい話で終わらず、“あの家はああいう形で整っているのだ”という評価へ移る。
噂は打ち消すのでなく、上書きする。
私はその手応えを、ようやくこの座敷で掴んだのだった。
茶会が終わり、最後の奥方を見送ったあと、私はしばらく一人で表の間に座っていた。
床の間の花は、まだ崩れていない。
火鉢の炭も、ほどよく赤い。
侍女たちの足音は奥へ引き、座敷には客が去ったあとの静かな余韻だけが残っている。
私はその余韻の中で、やっと肩の力を抜いた。
「御方様」
桜子がそっと入ってくる。
「皆様、お帰りにございます」
「ええ。ご苦労でした」
「いかがでございましたか」
私は少しだけ笑った。
「悪くありませんでした」
それだけで、桜子の顔がほころぶ。
梅子も桃子も、後ろでほっとしたように息をついていた。
この娘たちもまた、今日の座を一緒に戦っていたのだ。
槍も刀も抜かず、茶と花と所作だけで、黒坂家の評判を少し塗り替えるために。
その夜、真琴様はいつもよりは少し早く戻られた。
とはいえ、城での仕事が終わってからの帰宅であるから、外はすっかり暗い。
私は湯と夕餉の支度を整えたあと、食事の間でその帰りを待っていた。
「ただいま」
真琴様は入ってくるなり、少しだけ首を回して言われた。
「なんか今日、屋敷の空気がすごい落ち着いてる」
「茶会をひらきましたから」
「やっぱり。桜子から聞いた」
真琴様は火鉢の近くへ座り、湯気の立つ茶を受け取りながら笑われた。
「俺のいないところで戦してるね」
その言い方があまりにも真琴様らしくて、私は思わず口元を緩めた。
「戦、とまでは」
「いや、十分戦だよ。今日、安土城でも“黒坂屋敷の茶会、なかなかだったらしい”って聞いたし」
「もう城まで届いておりますか」
「うん。“賑やかな家かと思ったら、よく締まってる”って」
私は、その言葉に静かに茶碗を置いた。
城まで届く。
ならば、今日の座はたしかに意味を持ったのだ。
真琴様は私の顔を見て、少しだけやわらかな目をした。
「ありがとう」
「何のお礼です」
「俺のいないところで、黒坂家の顔を守ってくれてること」
私はすぐには返せなかった。
ただ、胸の内にじんわりと何かが広がるのを感じていた。
「御主人様が城で働いておられるのですから、私は屋敷で働くまでです」
「うん。分かってる。……でも、茶々がいて助かってる」
その言葉は、今日いちばん深く効いた。
私は小さく息をつき、少しだけ笑ってみせた。
「でしたら、次は負けませぬよう、もっと良い茶会をひらきましょうか」
「勝ち負けなの」
「安土では、たいていのことがそうなります」
真琴様は苦笑し、それから「たしかに」と頷かれた。
その夜、私はようやく思った。
噂への反撃とは、ただ言い返すことではない。
見せるべき形を整え、それを人の記憶へ置くことだ。
そしてその役目を、私は安土でちゃんと果たせるのだと。
黒坂屋敷、春の茶会は、そのことを私自身へも教えてくれたのである。




