茶々視点外伝『大津城に池坊専好来たる』編・①⑦①話・第四話 花見の前、春は整う
専好様のひと声で乱れた座が静まったあと、私たちはもう一度、それぞれの前へ花を置き直した。
先ほどまでの部屋には、ふざけた声と、怒鳴り声と、散った花弁の気配が残っていた。
けれど不思議なもので、一度きちんと乱れたあとは、かえって皆の手つきが落ち着く。何をどう置けばよいか、頭だけでなく心でも少し分かったのだろう。
専好様は、それ以上細かく指図はなさらなかった。
「先ほどより、少しだけ自分を信じてお置きなさいませ」
ただそう仰っただけである。
私はその言葉に背を押されるように、もう一度花材へ手を伸ばした。
今度は、最初のように“御方様らしく整えねば”とは思わなかった。
凛と立つことは大事だ。けれど、それだけでは人の息が入らぬ。
一本をすっと立て、その脇へ少し柔らかな椿を寄せ、低いところへ春を含んだ小花を遊ばせる。
きりりとしているが、どこか余白があって、見ている側が息をつける形。
置き終えてから見れば、それはたしかに私の花でありながら、先ほどより少しだけ肩の力が抜けた花になっていた。
お初も、今度は枝を切りすぎなかった。
といっても、最初の一刀を入れる時の顔つきだけはやはり真剣すぎて、私は内心で「また斬る気でしょう」と思わぬでもなかったのだが、専好様に「残す強さもございます」と言われて、ぎりぎりで踏みとどまったらしい。
出来上がった花は、力がある。
だが先ほどのように“戦のあと”ではない。
しっかりとした梅の枝が芯を持ち、その横に添えた椿がほどよく柔らかさを足していた。
強いが、息苦しくない。抜けがある。
お初自身も、出来上がったものを見て、少しだけ不思議そうな顔をしていた。
「……前より、ましね」
そう言った時の声音に、わずかな満足が混じっていたのを私は聞き逃さなかった。
お江は、最後までお江だった。
「今度は減らしたよ!」
胸を張って見せてきた花は、たしかに減ってはいた。
だが減っただけで、相変わらず賑やかだった。
紅、白、黄。細い花も丸い花もあり、全体としては少々落ち着きがない。けれど、今度は不思議と嫌な騒がしさではない。見ているうちに、なんだか笑いたくなるような、春の庭を駆け回る子どものような楽しさがある。
専好様も、その前で目を細められた。
「お江様は、ようやく“皆を並べる”ことを覚えられましたな」
「うん!」
「まだ少し元気が勝ちすぎますが、それもまたお江様の春にございましょう」
お江は“元気が勝ちすぎる”の意味を深く考えてはいない顔だったが、褒められたことだけは分かったらしく、ひどく得意げだった。
桜子の花は、今度は驚くほど品が出た。
最初の花は、控えめすぎて消え入りそうだった。
けれど今度は、低く置いた白い花の上に、すっと伸びる細枝が一本だけきれいに立っている。前へ出すぎず、しかし引っ込みすぎもしない。
まるで桜子そのもののように、静かなのに場の格を上げる花だった。
専好様は穏やかに頷かれた。
「桜子殿は、自らを消さずとも控えられる方にございますな」
桜子は頬をほんのり染めて頭を下げた。
それだけで、花と人とがぴたりと重なる気がした。
梅子の花は、端正で、そして静かだった。
先ほどの几帳面さは残っている。残っているが、今度はそこへほんの少しだけ“遊び”があった。
整っているのに、窮屈ではない。
几帳面な性分はそのままに、呼吸の通る場所がある。
「梅子殿は、よく学ばれますな」
専好様のその一言に、梅子は誰よりも嬉しそうな顔をした。
この子は本当に、教えを素直に吸う。
そして桃子である。
私は、桃子の花を見た瞬間、思わず目を瞬かせた。
たしかに可愛らしい。
だが、先ほどのような“あからさまに御主人様向け”の甘ったるさは薄れていた。
小ぶりの花が寄り添うように置かれ、その後ろに細い葉がすっと抜けている。愛嬌があるが、媚びてはいない。
人を笑ませる気配のある花だった。
専好様も、微かに笑まれた。
「桃子殿は、人を喜ばせたい心を隠せませぬな」
「は、はい……」
「それは悪しきことではございませぬ。されど、笑顔を乞うより、自然と笑みがこぼれる花の方が、長う心へ残ります」
桃子はその言葉に、何度も何度も頷いていた。
こうして並べてみると、本当に皆ちがう。
凛とした花、力ある花、賑やかな花、品のある花、端正な花、愛嬌のある花。
同じ形にはならぬ。
けれど、一つずつ見れば、それぞれにちゃんと立っている。
専好様は、その並んだ花々を一巡してから、静かに総評された。
「この城の女たちは、同じ形にはならぬが、並べれば春の座になりますな」
その言葉は、あまりにもこの一日を言い当てていた。
私は思わず、深く頭を下げた。
お初も、お江も、桜子たちも、それぞれ自分の花を前にして、どこか照れくさそうで、誇らしそうで、不思議な顔をしていた。
稽古が終わると、私はその花を城の中へ飾らせた。
私の花は、真琴様の食事の間へ。
凛としていながら少しやわらかな気配が、あの場にはちょうどよいと思った。
桜子の花は、母上様の御殿へ。
あの静けさと品は、母上様のお部屋に最もよく合う。
梅子の花は、政所へ近い控えの間。
整った美しさは、帳面や書付の行き交う場所を少しだけ和らげるだろう。
お初の花は、湯殿へ向かう廊下の角へ。
力のある枝ぶりが、風の通る場所でよく映えた。
お江の花は、二ノ丸の広間脇。
人の目に触れやすく、見た者が思わず笑みをこぼすような場所が似つかわしかった。
そして桃子の花は――少し迷った末に、真琴様の部屋の外、文机の見える位置へ飾らせた。
すると案の定、真琴様はその花を見るなり立ち止まった。
「おお、城が急に雅になった」
そう言って一つひとつを眺めたあと、最後に桃子の花の前で首を傾げる。
「……これだけ、なんか可愛い圧が強いね」
私は思わず袖で口元を隠した。
桃子は後ろで「はう」と肩をすくめ、お江はすかさず言う。
「桃子ちゃんのだもん」
「やっぱりそうか」
真琴様は妙に納得していた。
桃子は恥ずかしそうにしていたが、少し嬉しそうでもあった。
お江は自分の花を抱えて、廊下をうろうろし始める。
「今度の花見でも私の花持っていきたい!」
「おやめなさい」
私が即座に止める。
「えー、だって可愛いよ?」
「可愛いですが、持ち歩くものではありません」
「じゃあ、安土に運ぶ?」
「なおさら駄目です」
専好様が小さく笑っておられる。
お初は腕を組んだまま、その騒ぎを見ていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……ちょっと面白かった」
私は聞き逃さなかった。
「お初」
「何よ」
「今、面白かったと」
「言ってない」
「言いました」
「……小さく、よ」
耳だけ赤くしてそっぽを向く。
まこと、この妹は最後まで素直ではない。
専好様が帰る前、私は城内を一巡りした。
食事の間の花。
母上様の御殿の花。
湯殿の入口の花。
広間の花。
文机の脇の花。
大津城の中に、春が点々と置かれている。
それはただ飾られた花ではなく、この城の女たちが、それぞれの性分のまま、少しだけ整えられて座に収まった証のようにも見えた。
安土での花見茶会へ向かう前に、私はようやく思った。
ああ、これでよいのだ、と。
花見は、ただ安土の桜を見に行くためだけのものではない。
その前に、大津城そのものへ春を生けておくこと。
暮らしの中へ、季節をしつらえること。
それが、黒坂家の春支度なのだ。
私は専好様へ深く礼を申し上げた。
「専好様。大津までお運び下さり、ありがとうございました」
専好様は、いつもの穏やかな笑みを浮かべられた。
「茶々様。花を覚えるは技にあらず。座を知り、人を知り、己を知ることにございます。今日は、その一端がよう見えました」
私はその言葉を胸に収め、もう一度城の中の花を見た。
春は、外から来るばかりではない。
人の手で迎え入れ、居場所を作ってやるものでもある。
そうして整えられた大津城の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、私は静かに満足していた。
次は安土の花見である。
だがその前に、私はこの城へ、たしかに春を生け終えたのだった。




