茶々視点外伝『大津城に池坊専好来たる』編・①⑦⓪話・第三話 御方様の一輪――乱れる花、乱れぬ心
大津城の一室は、春の花と女たちの熱で、少しばかり息苦しいほどになっていた。
池坊専好様の前に並んだそれぞれの一作は、まこと見事に、それぞれの性分を映していた。
だからこそ、私は半ば感心し、半ば頭を抱えていたのである。
お初の花は、まだどこか戦の匂いを残している。
お江の花は、もう花というより春そのものを抱え込んだような騒がしさ。
桜子は控えめすぎ、梅子は整えすぎ、桃子は――考えるだけで少し頬が熱くなるので、今は深く考えぬことにした。
専好様は、私たちの花を一つひとつ見ては、その奥にある心を静かに言い当てていかれた。
それで終わればよかったのだ。
だが、終わるはずもない。
この顔ぶれで、そう穏やかに収まるはずがないのである。
「お初姉様、それだと寂しいよ。こっちの花、足したら?」
最初に余計なことをしたのは、やはりお江だった。
お初の前に立てられた短い梅枝の脇へ、お江が勝手に黄色の小花を差し込もうとした瞬間、私は「あっ」と声を漏らした。
止めるより早く、お初が立ち上がる。
「お江! 勝手に触るんじゃないわよ!」
「だって、なんか斬られた後みたいなんだもん」
「誰のせいよ!」
「最初からだよ?」
あまりにも正直である。
正直すぎて腹が立つ。
お初は頬を真っ赤にして、お江の手から花を奪い返した。
お江はお江で「いいじゃん、可愛い方が」と譲らない。
「強い花にしたかったの!」
「でも今のだと怖いだけだよ」
「うるさい!」
「うるさくない!」
まったく、この二人は花の前でも変わらぬ。
私は声を掛けようとしたが、その横で今度は別の騒ぎが起きた。
「御方様」
桃子である。
なぜ今この瞬間に、と思う間もなく、桃子は私の花を覗き込み、きらきらした目で言った。
「こちらへ、この薄紅の椿をもう一つ足した方が、御主人様受けするかと」
その言葉に、部屋の空気がまた変わった。
私はぴたりと動きを止めた。
お初とお江の言い争いまで、一瞬だけ沈黙する。
「……桃子」
「はい」
「今、何と申しました」
「ですから、御主人様受け――」
「言い直さなくて結構です!」
思わず声が強くなる。
頬が熱い。専好様の前で、何ということを口走るのだ、この娘は。
桃子はきょとんとしていたが、やがて自分の発言のまずさに気づいたらしく、「はう」と小さく肩をすくめた。
梅子が慌てて口を挟む。
「も、桃子は、その、御主人様がご覧になってお喜びになるような、と申したかっただけで」
「そうなのです!」
「同じことです!」
私はつい額へ手を当てた。
桜子はもう、申し訳なさそうに身を縮めている。
そしてその騒ぎの中で、お江が身を乗り出し、お初の花と私の花を見比べて、
「じゃあ姉上様の花は“マコ向き”で、お初姉様のは“戦向き”ってこと?」
などと申したから、とうとう場は完全にぐちゃぐちゃになった。
お初が「誰が戦向きよ!」と怒鳴り、桃子は「私は御主人様のために良かれと思って……」と半泣きになり、桜子と梅子は慌てて散りかけた花材を拾い集め始める。
そのはずみで、私の前の花器の脇に置いてあった細枝が落ち、梅の小枝が一本、ぽきりと折れた。
かすかな音だった。
けれど私は、その音をやけにはっきり聞いた気がした。
部屋の中には、散った花弁。
転がる小枝。
取り違えられた花材。
そして、皆のばらばらな声。
春の座どころか、まるで戦のあとである。
私は小さく息を吸った。
苛立ちが胸の内でふくらむ。
なぜ、こうも皆、好き勝手なのだ。なぜ、こうもまとまらぬのだ。
その時だった。
「茶々様」
専好様の声が、静かに、しかしはっきりと響いた。
不思議なもので、その一声だけで、部屋のざわめきが少し引いた。
私は顔を上げる。
専好様は、散らかった花材の中を見渡し、それから私を見て、穏やかに言われた。
「今の心のまま、一作生けてみよ」
その言葉に、私は一瞬答えを失った。
「……今の、心のまま」
「はい」
専好様は頷かれた。
「整えようと思わずともよい。きれいに見せようとも、師へ見せようとも、御方様らしくあろうともなさらず、今、そこにある乱れを見て、そのまま手を動かしてみなされ」
私は、足元に散った花弁を見た。
折れた梅の枝。
お江が足そうとしていた黄色い小花。
お初が切りすぎて短くなった枝。
そして、自分の花器にまだ残っている、白い椿一輪。
今の心のまま。
それは、おそらく私にとって一番難しいことだった。
私はいつも、整えようとする。
御方様として、正しく、美しく、乱れずに在ろうとする。
だが今、目の前にあるのは乱れた座だ。女たちの勝手な気持ち、ぶつかり合う声、余計な一言、折れた枝。
それらを“なかったこと”にしてはならぬのだろう。
私は、ゆっくりと座り直した。
まず、倒れた花器を正す。
それから、散った花材を一つずつ手元へ寄せる。
皆はいつの間にか静まっていた。お初も、お江も、桜子たちも、私の手元を見ている。
私はその視線を感じながら、何も言わずに枝を選んだ。
折れた梅の枝。
短いが、まだ捨てるほどではない。
私はそれを主枝にはせず、やや低く、しかし芯の通る位置へ置いた。
強さはあるが、それだけを前へ出せば座が硬くなる。ならば、全体を支える枝として使えばよい。
次に、白い椿の一輪。
これは私の手元に最初からあったものだ。整いすぎた私自身のようでもある。
だが、少しだけ位置をずらし、正面を外し、余白へ寄せる。
きっちりと前へ立てぬことで、かえって息が生まれる。
それから、お江が持ってきた黄色の小花を二輪だけ。
全部は要らぬ。
だが一つも要らぬと切り捨てれば、賑やかさは死ぬ。
だから二輪だけ、椿の近くへ、笑うように。
残った細枝を、桜子や梅子のように控えめに添える。
目立たずとも、なければ寂しい線。
最後に、ほんの少しだけ流れを崩し、きっちり収めすぎぬよう空きを残した。
置き終えてから、自分でもしばらく黙って見た。
整いきってはいない。
だが、乱れてもいない。
違うものが、違うまま、ひとつの座に収まっている。
無理に同じ形へ揃えず、それぞれの気配を残したまま。
それは、花でありながら、どこか黒坂家そのもののようにも見えた。
専好様が近づき、しばらく黙して見ておられた。
その沈黙が、かえって胸を打つ。
やがて、専好様は静かに言われた。
「御方様の花になられた」
私は、息を止めた。
「皆を同じにせず、されどばらけさせず。一つを立てるために他を殺さず、それぞれの心を置き場へ収められた」
専好様はそのまま、私の方を見て微笑まれた。
「これは、もはや弟子の花ではございませぬ。御方様の花にございます」
胸の奥が、じん、と熱くなった。
私は言葉を失い、ただ深く頭を下げた。
顔を上げると、お初たちは皆、さきほどまでの騒ぎが嘘のように静かになっていた。
お初は、私の花と自分の短い枝を見比べて、小さく呟く。
「……全部、同じ長さにしなくていいのね」
お江は、目を丸くしていた。
「賑やかだけど、うるさくない……」
桜子は、そっと手元の花を見直している。
梅子は、きっちりしすぎた線を少しだけずらしてみた。
桃子は、先ほどの“御主人様受け”発言を思い出したのか、まだ少し赤い顔で、けれど真剣に私の花を見ていた。
私はその視線を受け止めながら、ようやく理解した気がした。
まとめるとは、削ることではない。
違うものを無理に同じ形へ押し込めることでもない。
それぞれのまま、一座へ収めること。
花も、人も、おそらく同じだ。
専好様は、静かに席へ戻られた。
「もう一度、生けてみなされ」
その一言で、皆が動き出す。
さきほどまでの乱れは、もう空気を荒らすものではなく、学びの後の静かな熱へ変わっていた。
私は自分の前の一作を、もう一度だけ見た。
そこには、散った花も、折れた枝も、賑やかさも、慎みも、すべてがそれぞれの位置で息をしていた。
そして、私自身の心もまた、少しだけ整い始めているのを感じていた。
春の花を生けるはずの一日が、いつの間にか、私が“収める者”として立つ稽古にもなっていたのである。




