茶々視点外伝『大津城に池坊専好来たる』編・①⑥⑨話・第二話 花は人なり――不器用な弟子たち
専好様の教えは、最初の一言からして容赦がなかった。
「花を多く入れるのでなく、何を活かし、何を捨てるかが肝要にございます」
静かで穏やかな声だった。
だが、その一言だけで、部屋の空気はぴんと張りつめた。
床の間にはまだ何もない。
私たちの前には、梅、椿、水仙、山吹の若枝、それに名も知らぬ野の草花がいくつか、籠へ分けて置かれている。春の気配を抱えた花材たちだ。見ているだけならどれも愛らしい。だが、それを自分の手で“座”へ立たせるとなると、たちまち難しく見えるから不思議だった。
専好様は続けられた。
「花は、ただ賑やかなら良いものではございませぬ。余るほど入れれば、どの花も死にます。逆に足りなすぎれば、心の乏しさが見える」
そこで、専好様は細い枝を一本取り上げた。
「人も同じにございます。前へ出る者、控える者、支える者。すべてを同じ強さで並べれば、座は騒がしゅうなる。されど、一つを殺して一つを立てても、どこかに恨みが残る」
その言葉を聞いた時、私は少しだけ胸の内が熱くなるのを感じた。
花の話のようでいて、どこか今の黒坂家のことまで見透かされているようだったからだ。
専好様は私へ視線を向け、軽く頷かれた。
「茶々様。今日は“上手く生ける”ことよりも、“己の手が何を選ぶか”を見るつもりでなさいませ」
「……はい」
私は素直に頭を下げた。
専好様は、まず花材を手に取り、長さ、向き、余白の取り方を見せて下さった。
枝一本にも表裏があり、花はただ美しく開いている方を正面にすればよいわけではない。どこへ目が流れるか、どこで息が抜けるか、それらすべてを計りながら置く。
私は過去に何度もその教えを受けている。だが、城のことや家のことに追われるうち、どこかで“形だけ整えればよい”と思う癖がついていたのかもしれぬ。専好様の手元を見るだけで、己の心の固さを指摘されたような気がした。
「では」
専好様は静かに言われた。
「それぞれ、一作生けてみなさい」
そこからが、まことに賑やかで、まことにひどい有様であった。
最初に手を伸ばしたのはお江だった。
「これ可愛い! これも好き!」
言うが早いか、色の濃い椿と、まだ若い梅の枝と、水仙を一度に抱え込む。
私は眉をひそめた。
「お江、まずは一つずつ見なさい」
「でも全部かわいいよ?」
「かわいいから全部入れるのではありません」
「えー」
不満そうにしながらも、お江は花器の前へ座る。
だがその手つきには一片のためらいもない。よく言えばのびのび、悪く言えば何も考えておらぬ。
お初はお初で、花鋏を持った瞬間に顔つきが変わった。
「こういう細かい作業って、結局思い切りが大事なのよね」
何がどう“結局”なのか分からぬが、そこで私は嫌な予感がした。
「お初、待ちなさい。まだ専好様のお話が――」
ぱちん。
良い音がした。
良い音ではあるが、聞きたくない種類の良い音だった。
私は振り向いた。
お初の手には、先ほどまで美しく伸びていた梅の枝が、妙に短くなって握られていた。
「……何をしたのです」
「長すぎたから切っただけよ」
「切りすぎです」
「えっ」
お初は自分の手の中の枝と、花器の中に残された短い幹を見比べて、ようやく「あ」と声を漏らした。
その横では、桜子が花材を前にして固まっていた。
彼女は真面目で控えめだ。慎み深いのは長所でもあるが、こういう時はそれが過ぎる。
「桜子」
「はい」
「触りなさい」
「は、はい……ですが、どれも美しゅうございますので、何を選べば」
「美しいものを全部残そうとすると、何も立ちませんよ」
「……はう」
桜子は本当に困りきった顔になった。
梅子は梅子で、すでに花材を几帳面に並べ、長さを測るように見比べている。
「梅子」
「はい」
「考えすぎです」
「ですが、均しが……」
「均しすぎると窮屈になります」
桃子は桃子で、花材を手に持ったまま私へ寄ってきた。
「御方様、御主人様のお部屋には、どのお花がよろしいでしょうか」
「桃子」
「はい」
「まず自分の一作を生けなさい」
「でも、御主人様は可愛らしいお花の方が――」
「可愛らしいの前に、座へ立つ花を覚えなさい」
桃子はしゅんとしたが、目だけはまだ“御主人様のお部屋”の方を向いていた。
この娘は、どこまで行っても真琴様へ発想が寄る。
そして私自身もまた、専好様の前へ花器を置いて枝を取った時、すぐに自分の癖へ気づかされた。
私はまず、一本目を丁寧に置く。
二本目を、それに釣り合うよう少し角度を見て置く。
三本目で余白を埋めすぎぬように気をつけ、全体の形が崩れぬように整えていく。
整っている。
整ってはいる。
だが――どこか、堅い。
自分で見てもそう思った。
良い意味での品はある。だが、息が入り込む余地が少ない。
“御方様として正しい形”を先に作ろうとしすぎて、花そのものの伸びたい気配を押さえつけている。
専好様がこちらを一目見て、小さく笑まれた。
「茶々様は、きれいに治めようとなさいますな」
「……悪いことでしょうか」
「いいえ。悪くはありませぬ。されど、整いすぎた座は、人を寄せるより先に緊張させます」
私はその一言に、思わず花から目を離した。
またしても、花の話のようでいて、別の何かを言われた気がしたからだ。
しばらくして、一応はそれぞれ一作目が出来た。
出来た――とは言っても、出来上がったものは、もはや人の心の鏡としか言いようがなかった。
まず私の花。
白い椿を低く置き、梅の枝をすっと高く立て、水仙をその流れへ添えた。
乱れはない。端正で、座敷にも合う。
だが、自分でも分かる。よそ行きの顔をしすぎている。隙がなく、少し近寄りがたい。
専好様はその前へ立ち、しばし見てから言われた。
「よく整っております」
「ありがとうございます」
「ですが、茶々様」
「はい」
「少しばかり、息を潜めすぎておりますな」
私は苦笑するしかなかった。
まさしく、その通りだからだ。
「御方様としての顔が先に立ちすぎると、花も畏まってしまうのでございましょう」
母上様が、少し離れたところで小さく笑われた。
私は何も言い返せず、花器へ視線を戻した。
次にお初の花。
これはひどかった。
花器の中心に、短くなりすぎた梅の枝がどんと刺さり、その周りに椿が二輪、ほとんど「残敵確認」のような勢いで配されている。
余白は広い。広いが、広すぎる。
なんというか――戦の後である。
私が黙っているうちに、お江が先に言った。
「なんか、斬られてる」
「お江」
お初が睨む。
「でもそう見えるもん!」
専好様はその花の前に立ち、少しだけ目を細めた。
「お初様は、迷うと切りたくなる性分にございますな」
お初の肩がぴくりと揺れた。
「な、何よその言い方」
「強さを立てたいのでしょう。されど、強さを立てるために他を削ぎすぎると、場が痩せます」
お初は口を尖らせたが、言い返せなかった。
自分でもやりすぎたと分かっているのだろう。
お江の花は、逆の意味で圧巻だった。
色とりどり。
椿も梅も水仙も、さらには野の小花まで、全部が山のように入っている。高い枝、低い花、丸い花、細い葉。賑やかというより、もはや祝祭である。
お江は胸を張った。
「可愛いでしょ!」
「ええ、可愛いには違いありません」
私はそう言ったが、可愛いの範囲を少し超えている。
専好様は、その花をしばらく見てから、ふっと笑われた。
「お江様は、“好き”を隠しませぬな」
「うん!」
「それは良きことにございます。されど、好きなものを全部抱えると、一つひとつの声が聞こえなくなります」
お江は首を傾げた。
「でも、みんな可愛いよ?」
「はい。ですが、可愛い子が多いほど、どの子を前へ出すかで座の楽しさが決まるのです」
お江は、少し考え込んだ。
おそらく半分も分かっていない。だが、何かは心に引っかかったらしい。
桜子の花は、その反対で、あまりにも控えめだった。
白い水仙が一輪、細い枝が一つ。余白はきれいだが、少し寂しすぎる。
私は見た瞬間に、桜子らしいと思った。
専好様も同じだったようで、穏やかに言われた。
「桜子殿は、自分を引けば場が整うと思うておられますな」
桜子ははっと顔を上げた。
「……そのように見えますか」
「よう見えます。ですが、引くことと、消えることは違います」
その言葉に、桜子の目が少しだけ揺れた。
私は胸の内で頷く。桜子は、いつも一歩引く。引くことで皆がやりやすくなるなら、それで良いと思っている。だが、それは時に、自分の花を殺すことでもある。
梅子の花は、端正すぎた。
枝の長さも間も、見事なまでに揃っている。
乱れはない。だが息苦しい。
あまりにも「正しく」置こうとした結果、花の呼吸まで閉じ込めている。
専好様は見てすぐに言われた。
「梅子殿は、きっちりと納めれば安心なさるのでしょう」
「……はい」
「されど、花は人の言いつけだけは聞きませぬ。少し遊ばせた方が、かえって収まることもあります」
梅子は真面目に頷いていた。
この子はこういう時、本当に学ぶ顔をする。たぶん今夜からでも自分の癖を直そうとするだろう。
そして桃子の花。
これがまた、見た瞬間に私は目を閉じたくなった。
小ぶりの椿を手前へ寄せ、水仙をやわらかく流し、色の取り合わせも妙に甘い。悪くはない。悪くはないのだが、どう見ても――
新婚の寝所向きである。
私は一言、言った。
「桃子」
「はい」
「何を考えて生けました」
「御主人様がご覧になったとき、ほっとする春を……」
やはりである。
お初が吹き出した。
お江は「ほんとだ、なんか可愛い」と無邪気に賛成している。
私は頭痛を覚えたが、専好様は少しも困った顔をなさらなかった。
「桃子殿は、人が喜ぶ顔を思い浮かべて花を置くのですな」
「はいっ」
「それは尊い心にございます。されど、“喜ばせたい”が先に立ちすぎると、花が媚びます」
桃子は「媚び……」と呟いて、少ししょんぼりした。
「花は、愛嬌があって良いのです。ですが、媚びるのではなく、自然に笑むように」
その言葉に、桃子は真剣な顔で何度も頷いていた。
私は一人ずつの花と、その言葉を聞きながら、胸の内で静かに驚いていた。
見事なまでに、皆ちがう。
お初の強さ。
お江の奔放さ。
桜子の慎み。
梅子の几帳面。
桃子の甘やかさ。
そして私自身の、整えたがりの堅さ。
花は、誤魔化せぬ。
剣や言葉なら、ある程度は繕える。だが、花を前にすると、その人の手が何を怖れ、何を欲し、どこへ寄ろうとするかが、面白いほど出てしまう。
専好様は、最後に私たち全員を見回して言われた。
「花は人なり、とはよう言うたものにございます」
私は思わず、その言葉を心の中で繰り返した。
花は人なり。
ならば、この座に並んだ花たちは、そのまま大津城の女たちの縮図でもあるのだろう。
ばらばらで、賑やかで、少し厄介で、だがそれぞれに捨てがたい。
私は不思議と、そのことを少し愛おしく感じていた。
――けれど、愛おしいだけで済むはずもない。
案の定、お江が次の瞬間、自分の花へさらに別の花を足そうとして、桜子の手を止めさせた。
「お江、それはもう入れすぎです!」
「えー、でもこっちの黄色も可愛い!」
「可愛いで全部入れないの!」
そこへお初が自分の花を見て、ぶつぶつと呟く。
「これじゃ弱いのよね……もう少しこう、ぴしっと……」
ぱちん、とまた嫌な音がした。
「お初!」
私は思わず声を上げた。
そして専好様が、静かに笑まれた。
どうやらこの稽古、まだまだ大人しくは終わらぬらしい。
私は小さく息をつきつつも、どこか楽しさを覚えていた。
皆の花の心を見た以上、次はこれをどう一つの座へ収めるか――それが問われるのだろうと、うすうす感じていたからである。




