茶々視点外伝大津城暮らし編・①⑥⑤話・ハーレムルート解禁
黒坂家女人の掟を定めた翌日から、城内の空気は落ち着くどころか、なぜか妙な方向へ勢いを増した。
私は朝のうちからその兆しを感じていた。
政所へ向かう廊下で、足軽頭の若い家臣が二人、私を見るなり背筋を伸ばし、深々と頭を下げたのだが、そのあと小さく囁いた声が耳に入った。
――御方様、ついにお認めに。
――黒坂家は女人衆ごと家、ということだ。
私は足を止めなかった。止めなかったが、胸の内ではため息が大きく膨らんだ。
どうしてそうなるのだ。
私は、無秩序を秩序へ変えようとしただけであって、誰彼かまわず真琴様に寄って良いと許した覚えは毛ほどもない。
だが、下の者にとっては「御方様が女人衆をまとめ、追い払うどころか掟の下へ置いた」という事実だけが強く映るのだろう。
戦国の家中らしいといえば、らしい。
理の細やかなところより、目に見える構図で物事を理解する。
そしてその構図は、どうやら――
御方様公認。黒坂家、ハーレムルート解禁。
という実に軽薄な噂へ変換されていた。
私はその言葉を心の中で繰り返し、自分でも少し腹が立ち、少しだけ可笑しくもあった。
可笑しいが、放っておけばまた別の尾ひれが付く。
だからこそ、私はあえて過剰には否定しないことにした。
否定しすぎれば、かえって“触れてはならぬ色事”として膨らむ。
ならば、こちらの形で見せてしまえばよい。
黒坂家の女人衆とは何か。
それを、はっきりと。
その日の昼、真琴様はその噂をまともに食らっていた。
食事の間へ向かう途中、真田幸村と行き違った時のことだ。
「御大将」
「ん?」
「まことに……御方様は大局を見ておられますな」
幸村が、どこか感心したような、しかし微妙に含みのある顔で言う。
真琴様は一歩進んだまま止まり、振り返った。
「何の話?」
「女人衆の件にございます」
「女人衆?」
「はっ。御方様が見事に取りまとめられたと。さすがは黒坂家のかかさま。家中でも、“ああして御大将の周りを家としてまとめる”のが御方様のお考えかと」
そこで真琴様は、目に見えて嫌な予感に襲われた顔になった。
「幸村」
「は」
「それ、みんな何て言ってるの」
「……“解禁”と」
真琴様の動きが止まった。
「解禁って何が!?」
思わず声が大きくなる。
幸村は真顔である。悪気がないのがまた困る。
「御方様公認にて、黒坂家では女人衆ごと家――と」
「だから何が!」
私はそのやり取りを少し離れたところで聞きながら、とうとう肩を震わせた。
おかしい。
おかしいが、私が笑えば真琴様はたぶん本気で拗ねる。
真琴様は私の存在に気づくと、ほとんど助けを求める目を向けてきた。
「茶々、これ、どういうこと!?」
「どうもこうも、家中が勝手に分かりやすい名を付けただけです」
「分かりやすくしなくていいんだよ!」
「ですが、御主人様」
私は静かに言った。
「いちいち顔を真っ赤にして否定する方が、よほど面白がられますよ」
「うっ……」
そこへ柳生宗矩まで現れた。
「御大将」
「宗矩まで何」
「家中の認識が固まるのは悪しきことではございませぬ」
「どの認識!?」
「黒坂家において女人衆は、ただの色ではなく家の内の柱にございます、と」
それならまだ良い。
それならまだ、私の意図した方へ近い。
だが真琴様は頭を抱えた。
「なんでちょっといい感じに言い換えるの……」
私はそこで、ようやく口元を隠して笑った。
そう。
私が認めたのは、“誰でも真琴様を好きにしてよい”ことではない。
真琴様を中心に集まった女たちを、敵同士にせず、家族として管理する道である。
そこを家臣たちがすべて正確に理解しているとは思わぬ。だが、“黒坂家では女人衆も家の一部”という大きな認識だけでも定まるなら、それは悪くない。
悪くない――が、真琴様には少し気の毒かもしれぬ。
その日の夕刻、私はあえて普段通りに食事の間を整えさせた。
囲炉裏に火を入れ、桜子たちに膳を出させる。
ただし、今日は誰がどこに自然に座るかを、私は止めなかった。
最初に来たのは母上様である。
母上様は何も言わず私の少し下へ座し、その佇まいだけで場の格を整えられる。
次にお初。
今日は入ってくるなり、妙に警戒した顔で私を見た。
「何よ、姉上様。その顔」
「どの顔です」
「何か企んでる顔」
「気のせいです」
「絶対違う」
そう言いながらも、お初はいつもの場所へ座った。
お初自身はどれほど否定しても、もうこの食事の間の空気の一部になっている。
お江は元気よく飛び込んできた。
「今日、マコの隣空いてる!?」
「空いていません」
私が先に言うと、お江は露骨に不満そうな顔をする。
「えー」
「お江」
母上様が静かに名を呼ばれると、お江はすぐに姿勢を正した。
「……はーい」
その素直さだけは良い。
桜子、梅子、桃子も、いつものように給仕に回る。
だが今日は、私があえて「あなたたちもあとで座りなさい」と先に命じておいた。
政道殿は少し離れた位置。宗矩と幸村はさらにその外。
男たちはきちんと一歩引く。
その引き方もまた、今日の“見せる形”の一部だった。
そして最後に、真琴様が入ってこられた。
入った瞬間、食事の間の並びを見て、足が止まる。
「……何これ」
私は答えた。
「食事の間ですが」
「そうじゃなくて、なんか今日、やたらと“まとまってる感”が強いんだけど」
たしかに、そう見えるであろう。
真琴様の周囲に、私、母上様、お初、お江。
そしてすぐ近くに桜子たちが給仕で動き、少し離れて政道殿や宗矩、幸村が控える。
外から見れば、完全に“黒坂家の女人衆勢力”である。
真琴様は座しながら、まだ納得していない顔で言った。
「茶々、これ、やっぱりあの“解禁”の続き?」
「違います」
「絶対ちょっとは入ってる」
「入っておりません」
「入ってるよね、宗矩」
「はい」
「なんで即答なの」
私はそこで、あえて笑みを消した。
「御主人様」
「はい」
「家中がどう解釈しようと、こちらが見せるべき形は一つです。黒坂家の女たちはばらばらではない。家の内の者として、一つにまとまっております。それを見せることが肝要なのです」
真琴様はしばらく黙っていたが、やがて小さく息をついた。
「……つまり、俺の周りにいる女の人たちを、仲悪く見せるより、家としてまとまってるって見せた方がいいってこと?」
「そういうことです」
「それ、最初からそう言ってくれたらいいのに」
「最初から申しております」
「“女人の掟”とか“体質”とか挟まるから分かりにくいんだよ」
私は少しだけ眉を上げた。
「では次からは、御主人様にも分かるよう平易な言葉で申し上げましょうか」
「それ、ちょっと馬鹿にしてるよね」
そのやり取りに、お初が思わず吹き出しそうになり、慌てて汁椀へ顔を寄せた。
お江などは最初から面白そうにしている。
「ねえねえ、じゃあ本当に解禁なんだよね?」
またそれである。
私は頭が痛くなりそうだったが、今日は怒鳴らなかった。
「お江」
「なに?」
「あなたの言う“解禁”が何を指しているかは知りません。ですが、皆が敵同士でなく、家族としてここにいることを私は認めています」
お江は一瞬きょとんとし、それからぱっと笑った。
「やったー!」
「どこをどう聞いてそうなったの」
真琴様が本気で困った声を出す。
母上様が袖で口元を隠しておられる。
お初は「だから言ったのに」とでも言いたげに肩をすくめた。
桜子たちは給仕の手を止めぬまま、でもどこか安心した顔をしていた。
私はその様子を見ながら、内心で静かに頷いた。
これでよいのだ。
私は“好きにしてよい”と許したのではない。
この家の中で、真琴様を中心に集まってしまう女たちの構図を、否定せず、争わせず、家族の形で管理する――その道を選んだのである。
やがて食事が進むと、いつもの空気が戻ってきた。
お江は相変わらず真琴様へ小皿を取れと頼み、お初はそれに文句を言い、桜子は真琴様の汁の塩加減を見て、梅子は湯殿の支度を気にし、桃子は明日の寝具干しの相談を持ち出しかけて私の視線で止まった。
政道殿はその光景を少し離れて見ながら、どこか感心したような顔をしていた。
宗矩などは最初から何も驚いていない。たぶん彼の中では、もう「黒坂家とはそういう家」と整理がついているのだろう。
幸村が、小さく、しかし確かに聞こえる声で呟いた。
「まことに……黒坂家は独特にございます」
私はそれを聞いて、少しだけ口元を緩めた。
ええ、独特でしょうとも。
だが、乱れてはいない。
そこが肝なのだ。
この夜を境に、家中の認識は一つ固まったのだと思う。
黒坂家の女人衆は、ばらばらに真琴様へ寄る女たちではない。
一つの家の内にあり、一つの空気でまとまり、一つの勢力として動く者たちなのだと。
それはたぶん、外から見れば“ハーレムルート解禁”などという軽い言葉になるのだろう。
だが茶々たる私にとっては違う。
これは、ハーレムの解禁ではない。
黒坂家の女たちを、家族として定着させることの解禁である。
その意味を、私は囲炉裏の火の向こうで、はっきりと掴んでいた。




