茶々視点外伝大津城暮らし編・①⑥④話・御方様、女人の掟を定める
母上様の御殿より戻った私は、その日のうちに女たちを再び集めた。
今度は、前回のような“探り”の座ではない。
あれは皆の胸の内を知るための場であった。
だが、今宵の座は違う。
決めるための座である。
私は場所を、本丸の一室ではなく、東西御殿と食事の間の間にある少し広めの座敷に定めた。
黒坂家の内にいる女たちが、誰か一人の私室へ呼ばれたという形ではなく、家の内々の評定として見える場所がよかった。
灯りは多すぎず、少なすぎず。
火鉢を中央寄りに置き、座は私が上。母上様をそのすぐ脇に。
お初、お江、桜子、梅子、桃子。
今日はきっちりと並べる。
私は母上様の隣へ座り、皆が集まるのを待った。
最初に来たのは桜子三姉妹だった。
前回の“本音の座”の続きを察しているらしく、三人ともやや緊張している。とくに桜子は、入室した瞬間から背筋が伸びきっており、何か書き留めるものまで懐に忍ばせているように見えた。
次にお初。
襖を開けるなり、いかにも嫌そうな顔をした。
「……またなの?」
「またです」
「ろくでもないわね」
「ええ。ろくでもないからこそ、片づけます」
私がそう返すと、お初は口を尖らせたが、それ以上は言わず座した。
前回と違い、今日は最初から機嫌が悪い。嫌な予感がしているのだろう。
最後にお江が、何も分かっていない顔で入ってくる。
「今日は何? また“好きかどうか”聞くの?」
「違います」
「じゃあつまんない」
「座りなさい」
「はーい」
まったく緊張感がない。
だが、こういう者が一人いるから、逆に皆が息をしやすいのかもしれぬ。……今は少し腹立たしいが。
全員が揃ったところで、私はひとつ息を整えた。
前回、皆の胸の内はおおよそ見えた。
誰も、私を押しのけて真琴様を奪おうとしているわけではない。
だが、だからこそ曖昧なままでは危うい。
忠義と敬愛。
家族としての情。
憧れと甘え。
それらは、美しくもあれば厄介でもある。
言葉にせず放っておけば、外から勝手な名をつけられ、内からもじわじわと乱れを生む。
ならば、もう決めるしかない。
「よく聞きなさい」
私がそう言うと、部屋の空気がぴたりと締まった。
「今宵は、黒坂家の女人の掟を定めます」
その一言で、お初が盛大に眉をひそめた。
「女人の……掟?」
「はい」
「ちょっと待って、なんでそんな大仰な話に――」
「大仰で結構」
ぴしゃりと言って、お初の言葉を断つ。
「近頃、城中では御世継ぎや側室のことが軽々しく囁かれ、御主人様の周りの女たちへ勝手な目が向けられ始めています。私は、それを放ってはおきません」
桜子たちが、揃って姿勢を正した。
お初はまだ不満顔である。
お江だけが、「へえ」と面白そうにしていた。
「まず第一」
私は一人ずつ顔を見た。
「正室たる私が、黒坂家家中の女の頂です。 これは揺るぎません」
声をきっぱりと置く。
前回までの私は、どこかで“感情を見せるのは負け”のように思っていた。だが今は違う。
家を治めるためには、最初に中心を明かさねばならぬ。
誰が上で、どこへ話を通し、誰が最後に決めるのか。そこが曖昧であれば、家は必ず乱れる。
母上様が、隣で静かに頷かれた。
その頷きに支えられるように、私は続ける。
「御主人様へ親愛を抱くこと、自体は咎めません」
そこで、お初がはっとしたように顔を上げた。
桜子たちも目を丸くする。
お江だけはなぜか嬉しそうだった。
「ですが」
私は声を強めた。
「勝手な誘惑、張り合い、抜け駆けは禁じます。」
お初がすぐに口を開いた。
「ちょっと待って。誰もそんなこと――」
「だからこそ、今ここで禁じるのです」
「でも私は対象外でしょ!?」
早かった。
私は思わず目を細めた。
「なぜそう思うのです」
「だって私は……!」
お初はそこまで言って詰まった。
耳が赤い。
この子は本当に、分かりやすすぎる。
「お初」
私は静かに名を呼ぶ。
「対象外かどうかを決めるのは、あなたではありません」
「……っ」
お初は唇を噛んだ。
反論したいのだろう。だが、言い返せば言い返すほど、自分で自分の立場を怪しくすることも分かっているらしい。
お江が、そこで手を挙げた。
「はい!」
「何です」
「抱きつくのは何回まで?」
場が一瞬で崩れた。
桜子が俯き、梅子が吹き出しそうになり、桃子は「はう」と小さく言った。
お初は両手で顔を覆った。
「お江!」
「だって掟なんでしょ? 回数決めた方が分かりやすいじゃん」
理屈だけは妙に通っているのが腹立たしい。
私はこめかみを押さえたくなるのを堪え、真顔で返した。
「不必要な抱きつきは控えなさい。」
「不必要って何?」
「今すぐ必要かどうか、自分で考えなさい」
「えー」
お江は不満そうだったが、どうやら“完全禁止”ではないと理解して少し安心したらしい。
その理解で良いのかは私にも分からぬが、今は先へ進むしかない。
「第二」
私は改めて声を整えた。
「湯殿、寝所、食事の間など、御主人様の私的な領域への出入りは筋を通すこと。」
この条は、絶対に要る。
「湯殿は湯殿係が、寝所の支度は寝具係が、食事の間は給仕役が、それぞれ役目として関わるのは良い。ですが、“ついで”や“なんとなく”で入り込むことは許しません」
そう言うと、桃子が少し肩をすくめた。
桜子は目を伏せる。
お初はなぜか咳払いした。
「必要な時は私か、しかるべき役目の者へ話を通すこと。勝手な差し入れ、勝手な居残り、勝手な待ち伏せは禁止」
言いながら、私は自分でも“待ち伏せ”という言葉に少し引っかかった。
主にお江のことである。
「じゃあ、食事の間で隣に座るのもだめ?」
またお江である。
「それは、席次によります」
「難しい!」
「難しくて結構です。家の中のことは、本来難しいものです」
母上様が、そこで少しだけ笑われた。
私は咳払いをひとつして、最後の条へ移る。
「そして何より」
ここが肝だ。
「家を乱さぬことを第一とします。」
全員が顔を上げた。
「御主人様を慕う気持ちがあろうと、敬う心があろうと、それ自体は咎めません。ですが、それを理由に家の内を乱すこと、誰かを傷つけること、張り合って秩序を崩すことは、私が許しません」
私は一人ずつ見た。
桜子、梅子、桃子。
お初。
お江。
そして隣の母上様。
「黒坂家において、女たちはただ黙って隅にいる存在ではありません。台所も湯殿も接客も、暮らしも、女が支えている。ならばなおさら、女たちの心が乱れれば家が乱れる。私はそれを防ぎます」
桜子が、そこで深く頭を下げた。
「御方様。承りました」
梅子と桃子も続く。
「私ども、家を乱す気はございません」
「御方様の仰る通りにいたしますです」
三人とも真剣だった。
最初に本気で掟として受け止めたのは、この三人かもしれぬ。家を回すことの重さを、日々の暮らしの中で知っているからだろう。
問題はお初だった。
お初はしばらく黙っていたが、やがて爆発した。
「なんで私まで、こんな“黒坂家女人の掟”とかいうものに入れられてるのよ!」
やはり来た。
「お初」
「私は別に、侍女でもないし、側室でもないし、そもそもそんな――」
「だからこそです」
私は言った。
「あなたはこの家の内にいて、御主人様へ距離が近い」
「それは姉の夫だからでしょ!」
「ええ。なら、その“姉の夫”へ対する振る舞いにも筋が要るということです」
お初はしばらく言葉を失った。
そして、ものすごく嫌そうな顔で言った。
「……屁理屈」
「家を治めるとは、半分は理屈です」
私がそう言うと、お初はとうとう天を仰いだ。
だが、それでよい。納得はしておらずとも、飲み込むべきことは分かったはずだ。
すると、今度は桜子がそっと懐から紙と筆を出した。
「御方様」
「何です」
「掟、書き留めてよろしいでしょうか」
お初が信じられぬという顔をした。
「ちょっと、桜子! 本当に書くの!?」
「家中の決め事にございますゆえ」
至極真面目である。
私は少しだけ口元を緩めた。
「書きなさい」
「はっ」
桜子が真剣な顔で書き始める。
梅子と桃子も、それを覗き込んでいる。
お江は「わあ、本当に掟になってる」と面白がっていた。
その光景を見ながら、私はようやく実感した。
これだ。
感情のまま“嫌だ”と叫ぶのではなく、形にする。掟にし、位置を定め、筋を通す。
そうして初めて、この曖昧な“ハーレム未満の状態”を、黒坂家の内へ収めることができるのだ。
母上様が、静かに口を開かれた。
「茶々」
「はい」
「よく定めました」
その一言が、胸に温かく落ちた。
私は自分の手を膝の上でそっと重ねた。
嫉妬は消えていない。腹立たしさも、恥ずかしさもある。
だが、それを押し殺しているのではない。形を変えているのだ。
恋心を、家の秩序へ。
不安を、掟へ。
女たちの距離を、黒坂家の様式へ。
私は、ここで初めて本当に主導権を握ったのだと思う。
「これより、黒坂家の女たちは、この掟の下で動きます」
私は最後にそう言った。
「家を守るために。御主人様を支えるために。そして、互いを乱さぬために」
お初はまだ不満げだったが、もはや席を立ちはしなかった。
お江は「じゃあ抱きつきは一日一回くらい?」とまだ聞きたそうだったが、母上様の視線で口を閉じた。
桜子たちは真面目に紙へ書き付け、梅子と桃子はその文言を覚えようとしている。
その光景は、奇妙で、可笑しくて、だが確かに黒坂家らしかった。
無秩序なままなら、ただの騒ぎで終わったであろう。
けれど、ここから先は違う。
この“妙なハーレム未満”は、もう黒坂家の外から勝手に名をつけられるだけのものではない。
私が定め、私が治める。
それが、黒坂家の女人衆の形になる。
私はそのことを、火鉢のぬくもりの中ではっきりと確信した。




