茶々視点外伝 茶々視点・①②⓪話・婚礼行列仕度2
前田松が森蘭丸に婚礼行列のことを知らせると、ほどなくして黒坂屋敷の門が忙しなくなった。
砂利を踏む足音が重なり、甲冑の小札がかすかに鳴る。門番の声が低く響き、次いで――あの、よく通る少年の声がした。
「御免下さいませ。森蘭丸、上様の御使いにて参上仕りました」
廊下を急がせるでもなく、しかし迷いもなく進む気配。障子の向こうで立ち止まった瞬間、こちらが呼ぶより先に畳に膝をつく音がした。礼の作法が、染みついている。
「お通しして」
侍女に命じると、襖が静かに開き、蘭丸が端正に頭を下げて入ってきた。まだ若いのに、身のこなしは武家の小姓のそれで、無駄な動きがない。
私は座を正し、視線だけで“形式は手短に”と伝える。今のこの屋敷は、静寂が濃い。余計な言葉は、余計な耳へ届く。
「御方様。お早うございます……いや、今は朝ではございませんな。失礼いたしました」
「構いません。蘭丸、わざわざご苦労」
「はっ。上様にお伺いしたところ――“茶々の好きなようにさせよ”と仰せにて、次の大安に決まりましてございます」
その言葉を口にする蘭丸の声音は、どこか誇らしげでもあった。信長公が私にそう言った、その事実自体が、織田家中に対する意思表示なのだと彼は理解している。
「先に様々な品を運び入れましたが、上様が黒坂家をどれほど特別視しているか、織田家家中に見せるため――大行列にて輿入れしていただきます」
「予てより、そのことは聞き及んでいます」
私は淡々と答えた。
“見せるため”。その言葉の響きが、胸の奥を小さく刺す。婚礼の行列は祝言であると同時に、政の道具だ。私はそれを否定できない。否定しても、世は変わらぬ。ならば――揺らがぬ顔を作るしかない。
「常陸様の入城行列より多い、八千の兵を率いていただきます。輿も煌びやかな物を用意してございます。金具は南蛮渡りの細工、簾も新調――御方様のお姿を、誰もが見上げる形に」
「黒坂家の威厳を高めるための道具となる婚礼の行列……任せます」
言い切ると、蘭丸は一瞬だけ目を伏せた。私が“割り切っている”のを確認するように。だが次の瞬間には、いつもの小姓の顔に戻る。
「はっ。なお、婚礼の行列を仕切る者は、高山右近・山内一豊と申す者にございます」
「任せます」
「はっ。道中は、すでに常陸様が大量の火縄銃の行列で露払いしているため、襲う者はおらぬとは思われますが――どうか油断なされませぬよう」
“油断せよ”ではない。
蘭丸は自分の言葉を丁寧に選ぶ。命を預ける行列だ。言い間違い一つが、不吉と噂される世である。
「真琴様が柳生の手の者を警護に付けています。我が輿のそばに配置すれば良い。それ以外は任せます」
蘭丸は懐から巻物を取り出し、畳に傷をつけぬよう慎重に広げた。墨の濃淡で描かれた配置図。兵の列、槍持ちの間隔、旗指物の位置、合図役の順番――見れば、いかにも“見せる”ために整えられた美しさがある。
だが私は、輿の周りだけを視線で追った。
護衛の距離。退避の導線。左右の死角。そこだけが、私にとって現実だ。
「輿の回り……ここに柳生を。こちらは真田の忍びを混ぜれば良い。――それで足ります」
「はい。御方様のご意向、しかと」
蘭丸は図を畳みながら、少しだけ言い淀んだ。
「……街道に忍びを放ち、厳重な警護をしているのも、常陸様でございましょう。御方様の仰る通り、常陸様を信じてよろしいかと」
私は頷く。
真琴様は、人前に出るのを好まぬ。だが、守るべきもののためには、厳しくも冷静に布陣する。あの人の“用心”は、派手さではなく、静かな徹底だ。
「蘭丸。真琴様を信じているので良いのです」
その一言で、蘭丸の肩の緊張がふっと解けた。余計な説明を重ねる必要がないと悟ったのだろう。彼は深々と頭を下げ、必要なことだけを胸に納めて立ち上がった。




