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茶々視点外伝 茶々視点・①①⑧話・猿飛佐助の早馬

夕餉を終え、寝間着に着替え、行灯の火も落として床に入ろうとしていた――まさにその時だった。


屋敷の外、砂利を踏む音が二度、三度。

次いで、息を切らした気配が廊下を駆け、控えめな声が襖越しに届く。


「――報告にございます」


この時刻に、しかも“それ”を名乗る声。

私は背筋を伸ばし、枕元に置いた短刀へ視線を滑らせた。

忍びの帰還は、いつだって良い報せとは限らない。


「……入りなさい」


襖が静かに開き、真田幸村、一の家臣――猿飛佐助が土埃を払う間もなく片膝をついた。顔色は疲労で青い。だが目は冴え、言葉は淀みがない。


「報告にございます」


「ほうれんそうですね? ご苦労。で、内容は?」


私がわざと軽口を挟むと、佐助の口元がほんの僅かに動いた。笑いかけて、すぐに戻す。場の空気を読める男だ。


「はっ。大殿様の大津城御入城、無事終わりましてございます。街道、それに大津城下には大殿様の顔を一目見ようとする者たちが集まりまして……そこに堂々たる振る舞いにて、大殿様御入城」


胸の奥がふっと緩む。

私は息を吐き、行灯の灯りを見つめた。真琴様の大津入城――あの行列が無事に終わった。それだけで、今宵の重みが半分ほど消えた気がした。


「無事済んでよかった。……あの火縄銃は、使えたのですか?」


私が問うと、佐助は少しだけ顔を上げた。

“効いた”と断言できる目だ。


「はっ。出来が良く、また流言が嘘を真実といたしました。黒坂家は三千丁の新式火縄銃を有していると話題となっております。……まだ尊朝に対立していた比叡山の僧兵ですら震え上がった始末にございます。加えて様子をうかがっていた高野山の僧も、慌てた様子で」


「……義父・織田信長は高野山も、と考えていましたからね」


口にした瞬間、胸の内側が冷える。

“抑止”が効いたのは良い。だが“目立った”ということでもある。戦国は、光る者に群がる。


佐助が低く続けた。


「反乱の目は、確実に摘まれたかと」


「……無駄な争いが起きない。良かった」


本音だった。

勝っても焼けるのは里で、泣くのは民で、後始末をするのは結局こちらなのだ。戦は、いくらでも起こせる。起こさないために知恵を使うほうが、よほど難しい。


「様子を見に来た公家も、白塗りの顔をさらに白くして都に戻っていきました」


「公家ですか……」


私は眉をわずかに寄せた。

公家の“白さ”は、恐れの色にも、企みの色にも見える。


「……良からぬ企みをいたさねば良いのですが」


「柳生様も、公家が謀反の誘いをしてくるだろうと心配しておられました」


「真琴様は、義父・織田信長に謀反など絶対にありませんよ」


言い切ると、佐助はうなずいた。


「大殿様の御性分は重々承知」


私はそこで、言葉を切り替える。

問題は真琴様の心ではない。問題は、周りの舌だ。


「しかし変な噂を流されると、真琴様に不満を持つ一門が五月蠅くなるでしょう。京の都には草を入れ、芽は刈り取りなさい」


佐助が一拍置いて答える。


「前田様がすでに親しき者を京に」


「……そういう所は流石なのですがね」


私は苦笑しそうになって、口を引き締めた。前田家は手が早い。だからこそ“利用される危うさ”もある。だが、今はその早さが頼もしい。


佐助は一礼して、次の段へ進んだ。


「で、御方様。御方様は、いつ出立をいたせばよろしいですか?」


「はっ……大津の準備は蒲生様が整えておりましたので、いつでも大丈夫でございます」


私は少し考えた。暦の良し悪しなど、真琴様は「気にする人に合わせる」と笑うだろう。だが、行列は“見せ物”でもある。ならば“縁起”もまた、武具のひとつ。


「では次の大安に入城すると、明日戻って伝えなさい。今宵はもう遅い。休んで良い」


即座に返ってきたのは、忍びらしい頑固さだった。


「いえ。大津に立ち戻りまして――」


私は声を少しだけ強めた。真琴様の声色を、ほんの少し借りる。


「急用ではありません。無理に働かせたとなると、そういうことに厳しい真琴様に私が叱られます。……せめて夜明けまで仮眠を取り、休みなさい」


佐助の肩が、わずかに落ちた。

主に叱られることより、主のために働いた結果、主を困らせることを嫌う――そういう男だ。


「はっ……確かに御方様だけでなく、我が主も叱られてしまいますか。……では、夜明けまでは」


そう言って佐助は静かに下がり、家臣詰めの間へ消えていった。廊下の気配が遠ざかると、屋敷の静寂がまた戻る。だが先ほどまでの“空っぽ”の静けさではない。守りが固まった静けさだ。


私は侍女を呼び、声を落として命じた。


「湯漬けを。……佐助に、温かいものを出してあげなさい」


「はい、御方様」


行灯の火が揺れ、湯の匂いが微かに漂ってくる。

私は床へ入り、薄い掛け布団を胸元まで引き上げた。


――真琴様は今、どんな顔で大津へ入っただろう。

あの寒がりが、甲冑の重みを嫌がりながら、それでも“堂々”を崩さぬよう胸を張って。

並ぶ兵の足音、布に包まれた火縄銃、爆竹の乾いた音。城下のどよめき。

そして、見上げる民の目の中に、恐れと期待が同時に揺れる。


その景色を思い浮かべると、不思議と私は安心していく。

眠りに落ちる直前、胸の奥で小さく祈った。


――どうか、余計な血が流れませんように。

――どうか、真琴様の“平和の形”が、皆に伝わりますように。


そうして私は、静かな屋敷の闇に身を沈め、夢へと落ちていった。

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― 新着の感想 ―
ハタと気が付けば、 本編からここに至るまで、 佐々成政の出番が無かった…名前はたまに出ては居たが。
2026/02/27 16:39 那珂湊金太郎
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