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茶々視点外伝 茶々視点・①①⓪話・前田家の野望

真琴様が朝餉を終えられると、私は桜子に目配せをして場を茶室へ移した。


畳の匂い、躙り口の低さ、炉の気配。外はまだ朝の冷えが残っているのに、茶室の中だけは不思議と静けさが温かい。


――けれど、その静けさも今日ばかりは、湯気の立つ茶碗ひとつで破れそうだった。


私は湯を差し、茶筅を振る。

細かな泡が面を覆い、青みがかった緑がやわらかく光る。呼吸を整え、二人の前へ差し出した。


「どうぞ、真琴様。松様も」


真琴様は茶碗を手にしながら、溜め息まじりに口を開く。


「松様。姑息こそくな手で幼女を送り込むの、やめて」


口調は呆れ、けれど目は笑っていない。


そして私は心の中で頷く――そりゃそうだ。朝起きたら膝の上に“姫”がいるなど、物語なら笑い話でも、現実なら寿命が縮む。


前田松様は、すっと背筋を伸ばし、涼しい顔で返された。


「では、正面から正式に申し込みます。千代を常陸様の側室にしていただけませんか?」


――茶室の空気が、ぴしりと凍った気がした。


炉の微かな音さえ、急に大きく聞こえる。私は思わず茶筅を置く手元に気を配った。音を立てれば、場の緊張が増す。


真琴様は茶碗を半ば持ち上げたまま固まり、私の方を見た。


「茶々~、どうしよう?」


その声が、情けないほど素直で。


私は胸の内で「ここで私に振るのですか」と半歩引きつつ、表情だけは崩さず答えた。


「真琴様が決めることです。……ですが、前田家が縁戚となれば心強うございます。真琴様は何かと妬まれておりますから」


言いながら、私自身も思う。

黒坂家は新参、しかも真琴様は義父・信長公の“軍師”として立ち、城まで任され、口も達者。――妬まれぬ方がおかしい。


真琴様は、茶碗を置き、頭を抱えるように額を指でこすった。


「やっぱり、どこの馬の骨とも知らない俺が大出世してるのは妬まれるか……。はぁ~。別に出世したいなんて思ってないのに」


「思っていなくとも、真琴様の実力では必然的に出世いたします」


私が淡々と言うと、真琴様は「うへぇ」とでも言いたげに、さらに大きな溜め息。


「はぁ~……」


その溜め息が、茶室の壁にぶつかって戻ってきたところで、松様が眉ひとつ動かさずに刺すように言った。


「千代は好みではないのですか?」


私は内心で「松様、それは直球すぎます」と目を閉じたくなった。

真琴様は苦い顔で首を振る。


「好みとか、そういうことじゃなくて……っとに、とにかく年端もいかない幼女を側室なんて話、俺は好みません」


言い切る声に、いつもの軽口が混じっていない。

松様が一瞬だけ目を細めたのを、私は見逃さなかった。試している――今も。


私は言葉を添える。


「松殿。真琴様は、人を物扱いすることを大層嫌います。また女子の年齢も気にいたします。体が成熟するまでは抱かぬと決めておられます」


松様はさらりと返した。


「私など十二で産んでおりますのに」


――茶室の温度が、また一段下がった。

真琴様は思わず口を滑らせる。


「前田利家ロリコン疑惑の話か……」


「常陸様、“ろりこん”とはなんでしょうか?」


松様が首を傾げた瞬間、私の背筋がぞくりとした。

未来の言葉――真琴様がぽろりと落とす“あの言葉”は、こういうときほど厄介だ。


私は咳払いをひとつ。短く、強く。

真琴様の視線が一瞬こちらに飛び、私は目だけで「止めなさい」と告げた。


「松殿、それ以上は控えなさいませ。真琴様が不愉快になるだけです」


私の声は静かでも、芯だけは硬くした。


松様はふっと笑い――いや、笑った“ように見えた”だけかもしれない――そして、諦めたように息を吐かれた。


「……はぁ、仕方ありません。ただ、私も利家様も黒坂家とは縁戚となりたいと考えております。そのことだけは、お忘れなきようお願い申し上げます」


深々と頭を下げる。

頭を下げる姿は美しい。けれど、言葉は鋼の楔のように残る。私は“前田”という家の強さを、改めて喉の奥で噛みしめた。


松様は姿勢を正し、ふいに話を切り替えられた。


「話は変わりますが、賤ヶ岳城視察をお願いできないでしょうか?」


真琴様が顔を上げる。


「あ~、あの計画の城も着手したのね」


琵琶湖六城計画――真琴様が義父・信長公へ提案した、あの大きな構え。

城を点ではなく線で結び、湖を押さえ、京を守る。話を聞いたとき、私は“この人は戦国の理を別の角度で見ている”と背筋が伸びたものだ。


松様が頷く。


「はい。今回、新しい技術を取り入れるよう上様からの命で、大津城の築城を真似ておりますが、混乱続きでして」


「ん~……それなら行くか。……避雷針、確かめたりしないとならないだろうし」


真琴様がぽつりと言う。

“避雷針”――私には完全には理解できぬが、雷を受け流す仕掛けのこと。大津城でも見た、あの銀の鎖と槍を思い出し、背中が少し寒くなる。


私は一歩、現実的な案を出す。


「柳生宗矩あたりに行かせてはいかがです? 真琴様はお役目も多く……」


だが真琴様は、首を横に振った。目が、あの“確かめる者”の目になっている。


「いや、自分の目で見ないと。間違ってたら、真似した城が全部ダメになる」


その言葉に、松様はわずかに口元を和らげた。

――“この男は逃げない”。それを確かめた顔に見えた。


こうして話はまとまり、真琴様は翌日、安宅船で賤ヶ岳へ向かわれることになった。

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