茶々視点外伝 茶々視点・①⓪③話・雄琴温泉⑧
ゆっくり骨を伸ばしていた真琴様を、戦国の風はやはり赦してはくれなかった。
廊下の向こうで草履がせわしなく鳴り、宿の庭を渡る北風が簾を鳴らす。
湯呑の湯気がゆらいだところへ、柳生宗矩が膝を進める。
「御大将、比叡山近くに忍ばせていた者より伝令。なにやら動きがあるとの由」
私は先に息をのみ、言葉を継いだ。
「……僧兵の動き、ですか?」
宗矩は小さく首を横に振る。
真琴様は、湯呑を置いて目の色をきりりと変えられた。
「さすがに僧兵を差し向けるほど愚かではないはずだよ。大義名分なしにここを襲えば、ただの山賊に成り下がる。もう京の都を守ってきた聖地の名を捨てることになるのと等しいはず」
「確かに理はございますが……相手は山の理で動くことも」
私が釘を刺すと、襖の陰にいた真田幸村が二の矢を放つ。
「第二の伝令。比叡山を束ねる僧が直々に下山。こちらへ向かっているとの報。護衛はわずか二十余、薙刀に錫杖――形式ばかり、と見受けたとのこと」
「顔合わせ、というわけか」
「されど油断は禁物にて」
幸村の返答に、私はうなずいて合図を送った。
「宗矩、幸村。忍びを屋根と塀沿いに。弓の弦は鳴らさぬよう温めるだけ。槍は見せず、しかし届く距離に」
「はっ」
二人は霧のように散っていく。
「茶々、出迎える支度を。ことば一つで火は広がる。――だからこそ、消す水も一緒に持っていこう」
「心得ました」
すると奥からすっと桜子が現れ、羽織袴を捧げ持つ。
「御主人様には濃紺、紋は小さく。御方様には白梅の小紋を。強すぎず、侮られず――でございます」
「手際が良いこと」
「急な来客は黒坂家の“日常”にございますゆえ」
桜子の微笑に、思わずこちらも口元がゆるむ。
私は帯を締め直しながら、内心の段取りを並べた。
――席は庭に面した広間。背を琵琶湖へ、客に山を見せる。
――茶は淡く、器は地味な瀬戸。曜変天目は論外。うっかり出せば、うっかり売られかねない(うちの殿に)。
――最初の一句は「ようこそ山風の寒中、お足労にて」。戦でも宗教でもなく、“季節”の話題で扉を開く。
「お江、騒がないこと。唱えごっこも禁止」
「え、もう“なむなむ~”の練習したのに」
「その口で“いただきます”と言ってなさい」
お江の頬を軽くつつけば、梅子と桃子がくすりと笑い、すぐに表情を引き締める。
宗矩が戻って一礼。
「屋根、塀、梁裏、すべて配置完了。台所は力丸が見張り、湯殿は封じました」
「よろしい。――では、迎えましょう」
宿の廊下を進む。畳がきしむたび、空気はぴんと張り詰め、障子の向こうの光が薄く揺れる。
庭口を開けば、冬の陽が白く石畳に落ち、松葉の上で細かな霜がきらりと弾けた。
遠く、錫杖の鈴がほそく鳴る。からん、からん――雪解け前の水音のように規則正しく。
やがて見えてくる一行は、土埃をまとった法衣に薄い旅笠、先頭の老僧がゆっくりと歩を運ぶ。
護衛の薙刀は肩で静かに光り、眼差しは荒れていない。……今のところは。
私は広間の敷居に膝をつき、声の高さを半刻ほど落とした。角を立てず、弱くも見せない場所。
「黒坂家・茶々にございます。寒中のご行、まずはお疲れを。湯気の落ちぬ茶を用意しておりまする。言葉は、そのあとで」
老僧の目が一度だけ細く笑む。
「――まずは、茶で。たしかに、山よりも厳しい“言葉の風”が世には吹きますゆえ」
背後で、真琴様が静かに一歩、前へ。羽織の紺が冬空を切り、私はその袖の陰に半歩寄り添う。
戦の火種は、たいてい“挨拶”の形をしている。
ならば、私の仕事はただひとつ――挨拶を、火消しに変えること。




