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茶々視点外伝 茶々視点・①⓪①話・雄琴温泉⑥

夜明け前の白さが、障子の紙を内側からほんのり押し上げていた。


外ではかすかな水音――宿の竈で湯が立ちのぼる音と、薪を割る乾いた響き。


夜通し張った糸が、ふっと緩む。


襖がスッと開き、桜子・梅子・桃子の三姉妹がそろって深々と頭を下げた。湯気の匂いと、晒し布の清い香りが流れ込む。


「御方様、おはようございます。私たちは台所へ参りますが、よろしゅうございますか?」


「ええ、真琴様はまだお休みです。着替えはそこの隅に置いておいて。朝餉は任せます」


「はい。こちらが御主人様のお着替えにございます」


黒塗りの衣桁の脇へ、静かな手つきで畳んだ羽織と袴が置かれた。


三人は足音も軽く台所へと去り、部屋は再び、炭火の小さなうなりだけになる。


その着替えのすぐそばで、お初が正座のまま、こっくり、こっくり。


片手は刀の鞘に、もう片方は膝。


「お初、もう朝よ。真琴様が目覚める前に顔を洗ってらっしゃい」


「えっ! わ、私、いつから寝てました?!」


「大丈夫。静かな夜だったわ。桜子たちが台所へ入ったから、まもなく運ばれてくるはず。……真琴様も、そろそろ」


「まったく、こっちの気も知らないで、すやすやと……」


ぶつぶつ言いながら、お初は立ち上がって襖へ。


入れ替わるように、今度はお江が鼻歌まじりで顔を出した。


「マコ~おっはよ~……って、あ、姉上様!」


「お江、朝くらい静かに」


「だってさ、マコの寝起き、久々に見られるかな~って」


「あなたは……はぁ……」


ちょうどそのとき、布団の中で真琴様が、猫のように背伸びをひとつ。


「ん? あっ、おはよ~……ふぁ~……なんか久しぶりに、ぐーっと深く眠れた気がするよ」


昨夜の湯の香が、まだ髪にほのかに残っている。


私はいつも通りの声音で、深夜の警戒などなかったかのように微笑んだ。


「それはようございました。お湯がよほど合ったのでしょう」


真琴様は私をまじまじ見て、眉をひそめる。


「……茶々、もしかして寝てない?」


「そんなことはございません。ご心配なく。それより、桜子たちが朝餉の支度に入っています。すぐに運ばせますから、お着替えとお顔を。――誰か、常陸様に洗面の湯を」


廊下で見張っていた森力丸が、気配だけで返事をし、宿の者へ低く指示を飛ばす。


廊下の軋み、手桶の触れ合う澄んだ音。

外は東の空が桃色にほどけ始め、庭の竹に薄霜がきらめいていた。


「せっかくだし、朝風呂もらおうかな。温泉だし」


「――力丸! 湯の支度、ただちに確認を!」


私の声に、宿中が一瞬で慌ただしくなる。


「え? 俺、なんか不味いこと言った?」


と真琴様。


いいえ、不味いのは“あなたが西近江を預かる顔”だという自覚の薄さです――と喉まで出かかった言葉を、私はため息でのみ込んだ。


「お殿様のお湯、すぐに」


廊下の向こうから宿の若い衆。


私は頷き、そっと寝具を整える。


真琴様が起き上がるたび、掛け布団から湯の香がふんわり立つ。


昨夜の張りつめた空気は、どこにもない。


あるのは、朝の音――米を研ぐ水の転がる音、味噌を溶く木匙のやわらかな当たり。鍋の蓋がコトコトと笑い、早起きの鳥が庭の梅で二声、三声。


「姉上様~、マコと朝風呂一緒して良い?」


とお江。


「……あなたは顔を洗って、髪を梳いてらっしゃい。あと、廊下で跳ねない」


「は~い」


真琴様は帯を手に取り、片端をくいっと引きながら、屈託なく笑った。


「いやぁ、温泉っていいね。朝から背中が喜んでる感じ」


「背中だけでなく、立場も温めてくださいませ。ここは雄琴、比叡の裾。目は多いのですから」


「了解。じゃ、格好つけてくる」


「“格好”ではなく“威厳”です」


私がたしなめると、森力丸が「湯、整いました」と膝をついた。


「では、行ってまいります」


真琴様は私とお江に片手を上げ、飄々とした足取りで廊下へ。


足袋が畳を踏むたび、夜の心配がひと足ぶん、遠のいていく。


戸口に残った湯気を胸いっぱい吸い込み、私は小さく肩の力を抜いた。


――よし。あとは、いつもの朝を“きちんと”始めるだけ。


「梅子、桃子」


私は襖越しに声をかける。


「御膳は、まずは粥から。昨夜の船酔い明けよ。次に焼き鮭を少々、葱の味噌を薄く。煎茶は少し濃いめに」


「はい、御方様」


「桜子、香の物は浅めで。……それから」


私は扇を畳み、微笑んだ。


「真様様が湯から上がられる前に、庭の霜を払っておいて。足跡を消しておいて」


夜は守り切った。


朝は整える。黒坂の“かかさま”の仕事は、だいたい、そういう順序で出来ている。

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― 新着の感想 ―
もう101話かぁ 早いものですね。 しかし夜中の騒ぎの跡を隠蔽する時間が確保できたと捉えると、真琴くんの突発的な朝風呂も良かったのか? しかし真琴くんは自分の社会的地位の高さと、周囲から狙われている立…
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