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茶々視点外伝 茶々視点・⑨③話・二回目の大津城巡察⑥

 奥の丸御殿を出て、二ノ丸・三ノ丸の馬小屋と馬場、それから黒坂家の食卓を支える鶏・豚の飼育場まで一巡し、桶の水や飼葉桶、囲いの杭を指で叩いて確かめる。


鳴き声と藁の匂い。

手桶の水面に映る空は赤く、日は山の端へ半ば沈んでいた。


「これ以上の巡察は足元が危のうございます」


 氏郷が控えめに告げる。


「氏郷の言う通りだし、働いている者も俺たちが帰らないと仕事を終えられない。今日はここまでにしよう」


「殿、そのようなお気遣いは無用に――」


「いや。上に立つ者が働く者の健康を守るのは絶対だ。疲れ切った体で働かせるのは黒坂家では御法度。力丸や宗矩、幸村……慶次は好きにしてるけど、それでも休みは必ず設けている。氏郷も例外じゃない。城づくりで忙しくても休日は取ること」


「はぁ……」


 返事はどこか腑に落ちない色だったが、理屈は腹に落ちている顔でもある。


そこへ別行動だった桜子たちが風を連れて戻って来た。

頬は上気し、手には控えの帳面。


「お方様、台所は火回りも水回りも行き届いておりました。竈の並べも良く、動線が乱れません」


「それは何より」


「洗濯場は琵琶湖からの引き水が豊富で、御主人様の褌は何枚でもお洗いできます」


「おいおい、俺が一日に何枚も替えるみたいな言い方はやめてよ」


 真琴様が苦笑まじりに返すと、桜子ははっと肩をすくめ、真顔で頭を下げた。


「ふぁっ……そのように聞こえてしまいましたでしょうか。無礼を」


「真琴の軽口よ、気にしないの。――それより、本当にこれ以上いても暗くて見えやしないわ」


 お初が空を仰ぎ、私も同じく西の稜線を見る。

薄藍が滲み、風は北へと抜けていく。


「では、戻ろう。氏郷、城普請はたいへんよくできている。引き続き頼む」


「はっ。あと数週で、住まうに不便なき段にはなりましょう。……ところで、お引っ越しの時期はいつ頃と?」


 真琴様が視線だけで助けを求めてくる。私は一歩出て、穏やかに答えた。


「真琴様は義父・織田信長様の軍師としての御役目がございます。上様の御日程に合わせることになるでしょう」


「はっ、かしこまりました」


 氏郷の声が波のように低くひびき、場が解ける。


私たちは桟橋へ向かった。


湖面は風に刻まれ、桟の杭に小波がぱしゃりぱしゃりと寄せては返す。


安宅船の舷側はうっすら白霜をまとい、板の匂いが冷たく立つ。


 乗り込む直前、私は振り返って天守の影を見上げた。受雷神槍は暮れの空に細い線を引き、銀鎖は地へ真っ直ぐ落ちている。――守るべき“家”の形が、たしかにそこに息をしている。


「さ、帰ろう。今夜は温かい汁ものにしようか」


 真琴様が肩をすくめる。桜子が小さく笑って会釈した。


「けんちんに餅を少し。……あと、褌は“一日一枚”のご用意でよろしゅうございますね」


「だから、その話はもういいってば」


 甲板に笑いがほどける。帆が風をはらみ、船はゆっくりと大津を離れた。


湖の冷気が頬を刺す。私は外套の衿を立て、安土の方角へ、そっと一礼した。

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