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茶々視点外伝 茶々視点・⑨②話・二回目の大津城巡察⑤

 本丸の東西御殿の件にひとまず納得した真琴様は、台所や水場で桜子たちが大工方から丁寧に説明を受けているのを見て満足げに頷き、次の見回りへ足を向けた。


そこへお初が、案内役の者たちに向き直って腕を組む。


「あなたたち、その侍女三人は“ただの侍女”じゃないんだからね。浅井初お気に入りの三人よ。浅井の姫に接するつもりで対応しなさい」


「おいおい、念押ししなくても、ちゃんと丁重に対応してくれてるだろうに」


 真琴様が苦笑まじりになだめたけれど、言われた側は北風が刺すのに額に汗。


……気の毒になって、私は小さくため息を洩らす。お初、言い方が少し強いのよ。


 そのまま私たちは、義父・織田信長様の御宿所となるはずの奥の丸御殿へ。


広間の襖はもう狩野派の新しい絵がはめられており、上を見上げれば、欄間一面に龍と虎。


互いに相対して、牙と鬣が風を孕んだように彫り出されている。


――“威”の表現。私は頷く。ところが、隣の真琴様は小さく息を吐いた。


「なんか……パンチが効いてないんだよな。ありきたりっていうか……」


 その独り言、たぶん私にしか聞こえていない。

私は肘でそっと脇をつついて黙らせる。


 襖が開いて、上々段の間。そこで私たちは思わず足を止めた。

見たこともない、異国の気配を纏った椅子――いや、“座”。

背板から肘掛にかけて、今にも飛び立ちそうな鳳凰がうねり、座面には深い緋のベルベット。

濃い影を宿す艶に、思わず喉が鳴る。


「氏郷、これはずいぶん華やかですけれど、異国渡りの品で?」


 私が問うより早く、真琴様はぐるりと回り込み、目を細めて確かめた。


「……今にも飛び立ちそうな鳳凰の彫刻。お、これは今までと違う。ベルベットも質がいい。“第六天魔王”に相応しい座だ。角度で表情が変わるな……正面からは睨み、近づけば守る母の目、横からなら獲物を射る鷹の眼――」


「あっ、マコ、ほんとだ」


「お江、座ってはなりませんよ。その座は織田信長様の御座です」


「茶々姉様、さすがにそれくらいはわかってるってば。近くで見るだけ」


 お江は好奇心の塊。鼻先が触れそうなところまで覗き込み、頬を輝かせた。


対照的にお初は一歩、もう一歩と距離を取り、眉間に皺を寄せる。


「……なんだか、私は近づかない方がいいと、耳元で誰かが囁くのだけど」


 お初の横顔は妙に真剣だ。

私は小声で「塩を撒くのは後にしなさい」とたしなめる。


するとお初は袖の中の紙片――お守りらしきもの――にそっと触れて、むう、と唇を結んだ。

鬼避けは得意なお初である。


「この椅子の彫った者は?」


 真琴様が氏郷へ視線を移す。


「この城の作事を取り仕切る棟梁の知り合いにて、たまたま立ち寄った折に彫っていった代物にございます。私も見事と感じ、雇い入れをと思いましたが、諸国修行へ出たとかで行方知れず――声を掛けそびれました」


「そうか、残念。……この“手”、日光東照宮を思わせるんだけどな」


「真琴様」


 私はわざと語尾を強める。未来めいた名をうっかりこぼすのは禁物だ。


真琴様は「あ」と額をかき、気まずそうに小さく咳払いをした。


「――ええと、左利きの名工に“甚五郎”ってのがいるって聞いたことがあってさ。もしその彫り物師がまた現れたら、俺のところへ通すように手配しておいて」


「はっ、しかと申し付けます」


 氏郷が応じると、真琴様は鳳凰の肘掛をもう一度、掌で軽く叩く。


木が鳴り、澄んだ音が広間にひとつ跳ねた。


「うん、座る者を守り、かつ威を示す。義父上にはぴったりだ。……茶々、君はどう思う?」


「――良い座です。けれど、この座が示す“重さ”に家中が潰されぬよう、台所から支えねば。母上様の御殿も整いますし、女の務め、怠りません」


 言いながら、私はそっと呼吸を整える。鳳凰の眼が、ふとこちらを見た気がしたのだ。

近づけば抱きしめる母の目、離れれば覇気を放つ王の目。

――それはつまり、この城が、家であり、戦の器でもあるということ。


「マコ~、お江は“福呼び担当”で、このお椅子にも福をなでつけとくね!」


「やめなさい。手垢で“福”が曇ります」


 私が袖でお江の手をつまみあげると、背後で宗矩が肩を震わせ、氏郷は咳に紛れて笑いを飲み込んだ。


真琴様は困ったように、でも少し嬉しそうに笑っている。


 北風が襖の隙間を鳴らし、欄間の龍虎が、ひと呼吸だけ生き物のように見えた。

私はその場に軽く一礼して心の中で誓う。


 ――この鳳凰の下、黒坂の“家”を整えるのは、私。政も、台所も、女たちの道も、きちんと通してみせる。お初の鬼避けも、ほどほどに利用しながら。

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