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茶々視点外伝 茶々視点・⑨①話・二回目の大津城巡察④

 天守最上階に上がり、吹き抜ける北風の匂いとともに城下を一望したところで、真琴様が眉を寄せた。


「……あれ? 御殿が東西に二つあるよね? 奥の丸の御殿は信長様用にって指示したけど、もう一つ、天守に渡り廊下でつながる御殿まで――そんなに要る?」


 広げられた絵図面には、墨の新しい渡り廊下と棟木の記し。今まさに建築中、と余白に大工の手が書き加えている。


「おや? おかしいですな。上様より“お市様の御殿も加えよ”との仰せにて進めておりますが……」


と、蒲生氏郷。


「真琴様、母上様から聞いておられませんでしたか? “自分の口で伝える”と仰せでしたので、私は口出し致しませんでしたけれど」


「ん? どういうこと?」


 視線が私と氏郷の間を行き来する。私は膝を進め、静かに告げた。


「母とお初、お江は“黒坂家お預け”――義父・織田信長のご裁可です。いつまでも安土本丸暮らしというわけにも参りませんから、そのための住居を」


 氏郷殿も続ける。


「出戻られた一族を一門筋へお預け――ままある手立てにございます。お市様は“もうどこかへ嫁ぐのは嫌”と仄聞しておりますれば」


 氏郷は私の顔色をそっと窺う。

私は小さく頷いて、その通りだと示した。

……そこで、わざとらしく肩をすくめてみせる。


「迷惑でして? 嫁の母が、同じ城に住むなど」


「えっ? お市様でしょ? だったら、むしろ嬉しいよ」


 真琴様の口元が、にやり――いえ、明らかに鼻の下が伸びた。

私は反射でその耳をつまみ上げる。


「何を考えておいでです?」


「いったい何を勘違いしてるのさ、いたたた……!」


 耳を解いてから、真琴様は咳払いをひとつ。


「お市様なら、俺の“代理”を頼みやすいし、何より頼りになるでしょ。茶々は正妻だけど、まだ十……四? 十五? その年で大名衆の応対をすれば、侮ってくる者も出る。けど、お市様なら、その心配は無用でしょ?――それに、茶々の母上を俺が嫌がるわけないでしょ。おまけの二人は……まあ、気心知れた仲だし」


 “おまけ”。その一言に、書付を控える家臣たちが一斉に肩を震わせる。


笑いを噛み殺す音が、風に紛れてかすかに鳴った。

――それほど、お初とお江が黒坂家に溶け込んでいるということだ。


「聞こえたんですけど――うりゃぁ」


 ちょうど階の陰から、お初が顔を出した。氷のように澄んだ視線で睨み扇子を真琴様に投げつけた。


「ひえぇぇぇ……! びっくりした!」


「“おまけ”とは何です。こんなに美しい私が“一緒の城に住んでさしあげる”のですから、感謝なさい」


「……鬼よけには効きそう」


 真琴様の小声。

隣で筆を走らせていた柳生宗矩の手元が、ぶるぶるっと震えた。

墨の点が紙に跳ねる。宗矩、笑いを堪えるのも武芸のうち。


「マコ~、お江も一緒なんだよ。嬉しい? ねぇ、嬉しい?」


 次の瞬間、お江が跳ねる小鹿のように飛びかかって、真琴様の胴へ抱きついた。

冬の陽を背にした髪が、ふわりと弧を描く。真琴様は、肩をすくめて困り笑い。


「嬉しいけど、ここ天守の最上階だからね? 押すな押すな――落ちたら“めでたくない”から!」


「はーい」


 返事だけは元気で、手はしっかり巻き付いたまま。

私は喉の奥で笑いを飲み込みつつ、氏郷殿に向き直る。


「御殿の位置はこのままがよろしいかと。母上様の御殿は東、朝日が差す座敷を――あの方は新しい日を愛でるのが好き。私たちの居所は、表広間と渡りで行き来できれば務めに都合がよいでしょう」


「御意。渡り廊下は雪と風を避けるため、格子を密に、壁は漆喰で固めましょう」


 天守の縁から見下ろせば、足場の丸太が規則正しく並び、大工たちの掛け声が湖風に混じって届く。

木屑の香り、新しい城の匂い。私は胸の裾を正し、言葉を足した。


「女たちの出入りも増えます。台所から御殿まで、雨に濡れずに通える覆い廊下を。――それと、母上様の御殿には女中頭の詰所を広く。くノ一たちが動きやすいよう、見張り窓を小さく散らして」


「承ります」


 氏郷殿の返答を聞きながら、私はふと横目で真琴様の横顔を盗み見た。

先ほどの“にやけ”はどこへやら、今は真剣な色。琵琶の風が襟を鳴らし、遠くで鴎が鳴いた。


「……茶々」


「はい」


「お市様のこと、よろしく頼む。俺の“城”は、あなた方の“家”でもあるから」


 その一言に、私は背筋を伸ばした。


「畏まりました。――黒坂の“家”は、私が守ります」


 お初がふん、と鼻を鳴らす。


「なら私は“鬼よけ”担当ね」


「お江は~、“福呼び”担当!」


と、抱きついたまま胸を張る。


「では私は、“台所”担当ですわね。家の心臓は火の間にございますから」


 言い終えて、自分で可笑しくなる。


武家の城で“女三役”をこうもあっさり割り振ってしまう正室も、そうはいまい。


けれど――いい。ここは戦の城であると同時に、私たちの暮らす家なのだ。


 天守の高みにて、私たちは湖のきらめきを見下ろした。


渡り廊下の設計線は風にめくれて、白い紙がひとひら空を舞う。


氏郷が慌てて押さえ、宗矩が墨を足す。真琴様は笑い、私もつられて笑った。


 ――母上様、どうぞ心安らかに。ここに“あなたの間”が出来ます。


 そして黒坂の家は、今日から本当の意味で“家族の城”になる。

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