茶々視点外伝 茶々視点・⑨⓪話・二回目の大津城巡察③
今回は桜子たちも、台所や水場の見取り図を頭に入れるため同行している。
私が嫁いだことで「黒坂家お払い箱になるのでは」と胸の底に沈んでいた不安は、まだ澱のように残っているのだろう。
だからこそ私は、真琴様に「一度、大津城を自分の目で見せてあげて」と進言した。
働く場所の匂いを嗅げば、心も決まる。
「御主人様、お方様。私どもは台所と洗濯場、井戸筋を見たいので別に動いてよろしゅうございますか?」
「そうだよね。そっちが今日の“本丸”だし。かまわないよ。――氏郷、彼女たちは俺の側近中の側近。信用できる案内役を付けて」
「はっ」
「宗矩、護衛も数名。念のために」
「しかと」
桜子たちが裾を捌いて小走りに去る背を見送り、私は胸の内でそっと呟く。
(お払い箱だなんて、言わせない。ここでこそ、あなたたちの腕が生きるのだから)
私たちは別行動となり、真琴様は梁や桁、屋根の反りを一つずつ確かめて歩かれる。
節の出方、釘の痕、香る檜。横で氏郷殿が指し棒を掲げる。
「こちらが、殿が前回ご提案の『ぱねる工法』で建てた足軽長屋。有事には三之丸塀に早変わりいたします。壁の一部は火縄銃の尻で叩けば抜け、即席の狭間に」
「……日常でうっかり叩いても抜けたりしない?」
「さすがに“うっかり”には耐えまする」
思わず頬が緩む。非常の知恵は、日常のうっかりに勝つ設計――覚えておこう。
「ここにはどのくらい詰めるのです?」
「比叡山がいつ何時動くか分からぬため、常駐五百。総構えの町にも屋敷を配しており、召集すれば三千は即座に」
真琴様がちらりと私を見やる。“多いの?普通?”という目。私は首を横に振る。氏郷殿が力強く補う。
「一城の主たる者、数千を動かしてこそでございます」
「……まぁ、そうか。安土や長浜へ援けに走ることもあるわけだし」
「左様に」
三之丸と二之丸の間、水堀の幅を量るため小舟に移る。オールがきしむ音、冬の水は墨のように冷たい。
築堤の法面は思ったより緩く、万一の落馬にも致命を避けられそうだ。
「なかなか広く取れていますね。――これ、琵琶湖へそのまま抜けますね?」
「はい。いざとなれば船で退く道」
「じゃあ、安宅船を何艘か買って運用しよう。普段は北国の干し魚や昆布を積んで回せば無駄にならない」
「今井屋に大店を許してございます。海の幸の荷さばきは得手。話を通しましょう」
「……京の都の食い扶持が、少しでも温かくなればいい」
真琴様は、湖面の向こう――京の方角へ目を細められた。
冬陽が雲間から差す。私はその横顔を見上げ、心の中で柏手を打つ。(鍋の湯気が、都の路地へ一つでも多く届きますように)
岸へ戻ると、ちょうど桜子たちが井戸端から引き上げてくるところだった。裾はね上げ、手は冷えきって赤いが、頬は晴れやかだ。
「お方様。台所は竈の位置よろしゅう、風の抜けも申し分なし。
洗い場は排水を“飲み水の水筋”と分けるよう棟梁に申しつけました」
「うむ。――“飲む水”と“流す水”を交わらせぬこと、何よりの守りよ」
桜子が小さく頷き、袖の中で手を温める。私はそっと自分の手袋を押し込んだ。
「主婦の戦は指先から」ですもの、と軽口を添えて。
こうして一巡。城も町も、少しずつ“生き物の体”らしく血の巡りを帯びてきた。
兵を集める骨、運河という血脈、台所の火という心臓――そして、都へ伸びる琵琶の大動脈。
私は裾を整え、深く息を吸う。次に暖めるのは、きっとこの城全体の“胃袋”だ。
いいでしょう、黒坂家“鬼の料理頭”の正室として――存分に、炊いてさしあげます。




