八番 キャッチャー 部室⑨
「私は、この部屋を部室として借り上げるとき、香櫨園先生と多少無理をしたの。」
小さく息をついて西九条がそんな事を言う。それでなんとなく説明がつくことがあった。西九条の香櫨園に対する謎のリスペクトだ。
香櫨園克実。割と、義理人情に厚い人物なのかもしれない。
「本来なら、新設の仮部活に部室など与えられないわ。だけれど、創部と顧問就任を………香櫨園先生にお願いに行ったら、引き受ける以上はとかなり手を回してくださったの。
それで……どんな手を使ったかは知らないけれど、この部屋が手にはいった。」
「まー、あれや。ウチは正味どーでもよかったけど、魚崎ったらこれがめんどくさい奴でなー。おっとりしとるようで、かなり嫉妬深い。
西九条さんは、あいつの中では部室から自分等を追い出した奴、って認識やわな。それで……」
「間違いではないもの。嫌われること自体は仕方ないわ。」
やけにあっさりと西九条。だが話には続きがあった。
「けれど、だからといって嫌がらせをしようという思考回路は、ともすれば二年後社会人になっていてもおかしくない人間としては、幼稚に過ぎるわ。増して、あれで生徒会長だなんて………」
「全くよ。うん。あほくさ。」
激しく同意は春日野道。しかし、俺の中ではここでひとつ疑問が生まれる。
「ていうかそもそも………一年のアタマから生徒会長って、おかしくないか?そういえば、部室追い出されたって話も、それじゃまるでずっと使っていたかのような物言いに……」
「………何を言ってるの、あなたは。」
アタマ大丈夫?とでも言いたげに、眉を潜めて西九条。春日野道がへへ……と苦笑いに近い照れ笑い。
俺の中で、ひとつの予測がたつ。そして外れてくれることを切に願う。
だが、現実は現実の通りだった。
「ウチ、二年やで。」
「ええ……」
「出たわね。」
まるで出屋敷評論家のようにしたり顔でそう言う西九条。
しかし俺はそれを相手にしているどころの話ではなかった。あの状況下、非礼を働いていたのは確実に自分達も同じであったとようやく知ったのである。
まあ、程度はそれでもあっちの方がよっぽどひどいが。
「………春日野道さん」
「もうええよ、別に。何かむず痒いわ。」
ケタケタ、と快活に笑う春日野道。赤いお団子がゆらゆらと揺れる。
「……ていうか、西九条。お前は何で知っててタメ語なんだよ」
「程度の低い相手を前にして敬語なんて使えないわ。」
おそらく魚崎のような人間を指しての発言なのだろうが、これでは春日野道もまとめて評しているように聞こえる。
ヤバイ、と素直に思った俺は恐る恐る春日野道の様子を伺ったが、彼女は欠片も気にしていないようだった。
「そーそー。あの状態のウチらを年上やからて敬う必要なんかひとつもあらへんわ。
それに、あんたら、ウチの事全力で助けてくれたし、ウチは助けられたし。これからもタメ語でええよ。てかそうして。こん中やったら入部、一番さいごっちゅー事になるしな。」
「は、はぁ………」
いいのかなぁ……と思いつつ俺は頷く。そもそもタメ語の西九条は無言だった。
「ま、何せあれや。今日からよろしく頼むわな。いやなに、重音部と縁切れてせいせいしとるんや。その上、こんな自分にピッタリな部活見つけられて、ラッキークッキーもんじゃ焼きっちゅーところや。」
微妙なギャグをかましたところで、ぐっと伸びをして見せた春日野道。落ち着いてみれば彼女はかなり幼児体型で……胸は、ない。
「春日野道さん、ひとつ聞いていいかしら。」
西九条が尋ねる。一応さん付けなのね。一応。
「ん?なんや?」
「何故、スコアブックを見て……入部を決めたの?」
「ああ、それかい。」
にっ、と笑みを浮かべた春日野道。あくまで見た感じでしかないが、とても愉快そうだ。
「ウチも見に行っとったさかいな、その試合。
寸分違わぬスコアブック……まるでアタマんなかで試合のDVD再生してるみたいやった。こんなに詳細に記録できる奴ら、どう考えても野球オタクしかありえへん思ったんや。」
いや、まぁ、何だ。記録してるのはほぼ西九条なんですが………
「………。
それで、決めたってことは」
「うん、ウチも筋金入りの野球オタクや。」
「ええ………」
「出たわね。」
あっさり認めた春日野道、じゃあ何で重音部なんか入ったのの俺、したり顔の西九条。
春日野道は続けた。
「ここんとこ世知辛い世の中でな……おらんのや、一緒に野球見に行こう誘える連中……重音部なんざ論外やしな。
せやさかい、嬉しいわ。こんな部活見つけられて。ウチも機会があったら、陽が暮れるまで野球の話ぶっ通しで続けてみたい思うとったさかい。」
「なんでこんなのが音楽準備室で揃うんだ………」
世の中どうなってるんだと俺は思う。野球部で野球好き、音楽準備室で音楽好きが出会うなら話はわかるが、なんで野球好きが、しかも互いに筋金入りと豪語するオタクが、二人も、ここでそろうのか…………
「………っと待てよ。
さっきのスコアブックを見て……ウチも見てたと言うことは………もしかして春日野道さん……」
「あんな、えーとあんた………」
「出屋敷です。出屋敷進次郎。」
「おお!出屋敷てあの出屋敷か?」
「タイヨウのことを仰ってるなら、一緒です。」
「へーそうか。ええ名前やな。じゃあシンジローって呼ばせてもらうわ。よろしくな、シンジロー!」
「ど、どうも……」
「それでな、先輩相手でどうにも言葉が丁寧になってまうのは親の育て方がええ証拠で大いに結構なんやけど、
春日野道さん、じゃあんまりにも他人行儀や。寂しいわ、辛いわ、苦しいわ。」
寂しさの三段活用。なんだろう、三つ並べられるとさすがにグッとくる。
「せやさかいな、せめて忍さんって読んでや。
うち、春日野道 忍言うねん。よろしくな。
あ、西九条さんも忍とか忍さんとかでええで。」
「………いきなりそんなに馴れ馴れしく呼べないわ。」
見たことないくらい顔を赤くしている西九条。これはかなりレアだ。ガチャで言えば当選確率一パーセントの『照れ』だ。
「うーん残念。ほな、ま、慣れたらでええわ。待ってるでな。
それで?何やシンジロー。」
「え、ああ、いや。
あの試合見に行ってたってことは、もしかして忍さんも………」
「タメ語でええ言うてんのに」
「いきなり無理です」
「まあええわ、で?」
「忍さんも、阪神ファンですか?」
それを聞いたとたん、春日野道は一瞬キョトンとして、それからさっきと同じくらいの大きな声で高笑いを始めた。状況がつかめない俺は疑問符をアタマ一杯に浮かべて、西九条の方を見た。西九条は、何で今それを聞くかな……とでも言いたげに視線を反らし、ばつの悪そうに窓の外を見ていた。
春日野道は、ひーひーいいながら「あー、腹痛、おかし」と言ったあと、
やはりくっくと笑いながら、何故か襟筋を正した後で、
俺にとってはかなり衝撃的な宣言をした。
「あんな、ウチ、広島ファンやねん」