朝比奈真衣と大場政夫VS東洋王者・城ヶ崎志連「写真三枚」
翌朝になり帝拳ジムの前に、パトカーとマスコミの群れが押し寄せていた。世紀の「未解ケツ事件」である。
だが、現場検証に当たったベテラン刑事の山城は、割れた窓ガラスと壁にめり込んだ弾丸を見て、戦慄に震えていた。
「……信じられん。至近距離から5発、それもリボルバーだぞ」
弾痕の角度を割り出すと、驚愕の事実が浮かび上がる。本多会長のケツに当たった1発、そして机に当たった1発。それ以外の3発は、すべて「大場政夫がいたはずの空間」を正確に射抜いていた。
「山城さん、どうかしましたか?」
「ああ……いや。普通、銃口を向けられてこれほど冷静に回避できる人間はいねぇ。まるで、引き金を引く前から弾道が視えていたかのようだ……」
大場政夫は、警察の事情聴取を終えると、平然とサンドバッグを叩き始めた。 その拳の風圧が、ジムの空気を震わせる。大場には分かっていた。前世の交通事故で死の直前の「時間が止まる感覚」だ。あの極限状態を経験し、さらに全盛期の肉体を持って戻ってきた今の自分にとって、素人の指の動きなどスローモーションに等しい。
「……あんなモンじゃ、俺の命は獲れねえよ」
大場の独り言は、誰にも聞こえない。ただ、彼の瞳には「二度目の人生、誰にも邪魔はさせない」という漆黒の決意が宿っていた。一方その頃、都内某所の闇診療所。実行犯、三木穣はガタガタと震えながら、鏡の中の自分を見ていた。
「化け物だ……あいつは人間じゃねえ……」
狙ったはずの銃弾を、大場は紙一重でかわした。いや、かわしながら、あの大場という男は、確かに三木の目を「見て」いた。その目は、恐怖に震える獲物を見る目ではない。格下のスパーリング相手を憐れむような、王者の目だった。そこへ、東声会のお頭・鄭建永の声が響く。
「三木、しくじったようだな。おまけに相手のケツを撃って警察を本気にさせた……二度と俺の前に面を出すな。拳銃は返して貰う」
三木は絶望に顔を歪めた。復讐のためにすべてを捨てた結果がこれだ。彼が守りたかった廉東旭のPTSDは治るどころか、このニュースを聞いて「大場は死神だ」とさらに震え上がったという。大場政夫を怒らせた代償は、あまりに大きすぎた。一週間後に帝拳ジムには、車椅子に乗った本多会長の姿があった。ケツを包帯でぐるぐる巻きにした、なんとも締まらない姿だが、その眼光は鋭い。
「大場君、君の勇気ある行動でジムの看板は守られた。いや、それどころか『銃弾を避けたボクサー』として、今や全米のプロモーターからも問い合わせが来ているぞ!」
スポーツ新聞の一面には、デカデカと見出しが踊っていた。
【不屈の男・大場、凶弾を神回避! 伝説の再始動】
「会長、ケツの方は大丈夫なんですか?」
大場が苦笑いして尋ねると、本多は豪快に笑った。
「痛くはない! ただ、座るたびに『未解ケツ』な思いをするだけだ! それよりも大場君、次の試合が決まったぞ。相手は……東洋太平洋王者だ」
ジム内に緊張が走る。事件を経て、大場政夫の物語は「ただのボクサー」から「生きる伝説」へと変貌を遂げていた。
「東洋王者? 通過点ですね」
大場はバンテージを締め直す。拳の先に視据えるのは、もはやアジアではなく世界だ。それも、前世では成し遂げられなかった多階級制覇。
(三木さん、あんたには感謝してるぜ。おかげで、俺の覚悟が決まった)
シュッ、と放たれた大場の左ジャブが、音速を超えて空気を引き裂いた。その日の練習が終わる頃、大場の元に一人の美しい少女が訪ねてくる。彼女は大場を見て、顔を赤らめながら言った。
「あの……大場さん。私、あなたの試合を見て、ボクシングが好きになりました」
それは、歴史が、運命が、確実に「一回目」とは違う方向に動き出した瞬間だった。大場政夫の真の伝説は、この「未解ケツ事件」の夜から始まったのだ。
――未来の技術と、伝説の幕開け――
少女の名前は、朝比奈真衣といった。
後に大場政夫を支える聖女として歴史に名を刻む彼女だが、今はまだ、一人の熱烈なファンに過ぎない。
「……ボクシングが好きになった、か」
大場は、前世での自分の最期を思い出す。あの時は、ただ孤独に走り続け、頂点に立った瞬間にすべてが消えた。
だが、今は違う。銃弾さえも避ける「視力」と、この時代には存在しない「現代ボクシングの知識」がある。
「ありがとう、朝比奈さん。……でも、ボクシングはもっと残酷なものだ。それを見て、嫌いにならないでくれよ?」
大場が不敵に笑うと、真衣は顔を真っ赤にして俯いた。その様子を見ていた本多会長が、包帯ぐるみのケツを震わせて茶化す。
「ひゅーひゅー! 大場君、隅に置けないねえ! だが、色恋沙汰より今は拳だ! 次の相手、東洋太平洋王者の『稲妻のジョー』こと、城ヶ崎から挑戦状が届いたぞ」
城ヶ崎はこの時代の日本では「無敵」と謳われた、天性のカウンターパンチャーだ。一回目の人生では、大場はこの男に判定まで持ち込まれ、辛勝していた。
だが、今の俺なら――。
「会長。今回の試合、特別なトレーニングを導入させてください」
大場が提案したのは、1970年代には存在しなかった『科学的インターバルトレーニング』と『プライオメトリクス(瞬発力強化)』、そして『徹底した栄養管理』だった。
「なんだい、その『ぷらよ……』っていうのは? 兎跳びならたっぷりやらせるぞ?」
「……兎跳びは膝を壊すだけです。俺を信じてください。三ヶ月後、俺の体は『化け物』に進化します」
三ヶ月後の後楽園ホールは、異様な熱気に包まれていた。
「銃弾を避けた男」を一目見ようと、マスコミやファンが殺到していたのだ。
控え室で、大場は鏡を見る。現代の知識で調整された筋肉は、無駄な脂肪を削ぎ落とし、鋼のような輝きを放っていた。そこへ、青ざめた男がフラリと現れる。破門され、逃亡生活を送る三木穣だった。
「……大場……あんた、本当に人間か?」
三木の手はまだ震えている。彼は、自分が撃った時の大場の「冷徹な眼」が忘れられず、その幻影から逃れるために、あえて会場まで足を運んだのだ。
「三木さん。あんたの放った弾丸、あれよりも遅いパンチは、もう俺には当たりませんよ」
大場は三木の横を通り過ぎ、リングへと向かう。三木はその圧倒的な威圧感に押され、その場に崩れ落ちた。
そして運命の日1977年5月17日火曜日に日本大学講堂(日大講堂)で試合が始まる。大場政夫の作戦はこうだ。
「今宵はお集まり頂きありがとうございます!これより大場政夫VS東洋王者・城ヶ崎志連の試合を始めます!」
リングアナウンサーが大声で言った。
「大場政夫選手はプロボクシング49戦44勝24KO3敗2分の戦績です。」
アナウンサーは隣同士で仲良く談笑する。
「そうですね!対する廉東旭ヨム・ドンウクはプロ戦績18戦15勝(7KO)3敗なのでどうなるか楽しみですね!」
遂に大場政夫とロイヤル小林の火蓋が切られる。
「赤コーナー元二階級統一王者大場政夫選手!対するは青コーナー 城ヶ崎志連選手!レディーーーーーーーーーーファイ!」
レフェリーの大声と共に試合の火蓋は切られた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー第1R開始ーーーーーーーーーーーーーーーー
第1R、試合開始のゴングが鳴った。東洋王者・城ヶ崎志連は、自信満々に「稲妻」と称される左を放つ。それを躱してサイドステップで移動し、大場は軽い右ストレートを放つ。
観客が瞬きをする間もなかった。そしてまた右ストレートを放った。
――ドォォォォン!
大場は一歩も引かず、最小限の動きでパンチをかわすと、そのままカウンターの右アッパーを突き上げた。城ヶ崎の体が宙を舞い、マットに叩きつけられる。
「……え?」
城ヶ崎は何が起きたのか理解できず、虚空を見つめたまま失神した。試合開始、わずか15秒である。
「1...2...3...4...5...6....7...8...9...10!」
――カンカンカーーーーン!
「試合終了です!」
レフェリーの大声と共に試合は終了した。
会場は静まり返り、一瞬の沈黙の後、爆発的な歓声が沸き起こった。
「な、なんだ今のスピードは!?」
「王者が……一撃!? 拳が銃弾よりも速いぞ!」
実況の声が絶叫に変わる中、大場は静かに自らの拳を見つめた。
(一回目の人生では苦戦した相手だ。……だが、今の俺には世界さえも狭すぎる)
リングサイドでは、真衣が目を輝かせて拍手を送り、本多会長は立ち上がろうとして「あ、ケツが……!」と悶絶している。
大場はマイクを手に取り、会場全体を見渡した。
「皆さん、お騒がせしました。……これはまだ、準備運動です。俺の目標はただ一つ。一回も負けずに、史上初の五階級制覇を成し遂げる。それだけです」
その瞬間、なろう小説の読者が最も好む「伝説の始まり」が、後楽園ホールに刻まれた。この試合の結果は、海を越え、アメリカのプロモーターの元へと届くことになる。
「日本に、弾丸よりも速い男がいる」と。




