『勇者論』その一 〜勇者とは何だったのか〜
アルカナムの大講堂は、重厚な石造りの天井が高い空間を覆い、無数のろうそくが柔らかな光を放っていた。
階段状に設えられた席はほぼ満席で、学徒や研究者たちの熱気と緊張感が渾然となった独特の空気が漂っている。
エリスはミリアに導かれるようにして最上段の隅の席に着いた。
魔王は堂内には連れ込めず、外で待機している。
「こんなに人が集まるものなんですね……」
「そりゃそうだよ! 勇者様の名声は、多分この世界で誰よりも語り継がれているし、それに対する論戦なんて、誰だってやってみたい、観てみたいに決まってる!」
鼻息荒く説明をするミリアを嗜めながら、史学の教授と思しき一人の初老の男性が構内に入ってきた。
その者が、昨日司書の女性が言っていた『オルディス教授』であることは間違いなかった。
「本日は、『勇者』について共に考究する機会を賜り、感謝いたします」
教授は厳しい目つきで聴衆を見渡すと、深々と一礼した。
「その偉大なる存在に対する敬意を払うために、まずは皆様、黙祷をお願いします」
教授の合図とともに、満堂の学徒たちが一斉に起立し、いつの間にか演台の上に掲げられた、『勇者』の肖像画を眺めた。
――それはエリスが銀髪金眼であった頃と同じように見えるが、少々大袈裟なくらい大人びており、どこか神々しい雰囲気を帯びた空想画となっている。
そして、肖像画に向かって、全員頭を垂れた。
戸惑うエリスをよそに、ミリアも同様に頭を垂れている。
(じ、自分自身に……祈りを捧げるだなんて……)
いまいち腑に落ちないまま、エリスは渋々と周囲と同様、頭を垂れるのであった。
しかし、その胸中には、言葉に尽くせない複雑な思いが去来した。
眼前で厳かな表情を浮かべるミリアの横顔を見ると、その真剣さに胸が締め付けられる。
「――皆様、ありがとうございました」
教授の声は落ち着いており、講堂全体に良く通る。
講堂に座る人間全てを眺めるように、右から左へとゆっくり視線を動かし、そして微笑んだ。
「それでは、始めましょう」
一同が着席し、教授の声が響き渡った。
「我々は今日、五つの議題について考究し、意見を交わし合おう。もちろん前提として、この討論に正解はない」
どの人間にも、それぞれの『勇者像』を持っている。
それは、ミリアも、ましてやエリスも同様である。
だからこそ、教授は言った。
「皆のもの、思うがままに意見を出してほしい」
全ての意見を尊重する。
されど、自分の持つ意見こそ正しいものだと信じて疑うな、と。
その場にいる者は皆、理解したかのように頷いた。
「では、第一の議題――『勇者とは何だったのか』」
ついに、『勇者論』の火蓋が落とされた。
その問いかけに、講堂内が静まり返る。
すると、すぐに最前列の青年学徒が手を上げた。
「勇者は、この国に希望をもたらした象徴だと思います。魔王という絶対の恐怖が去り、人々は初めて安心して眠れるようになった。その全ては勇者の功績です」
隣の少女が手を上げて続ける。
「象徴であると同時に、圧倒的な力を示した存在でもあります。魔王軍の精鋭たちを次々と打ち破り、魔王本人とも互角以上に渡り合った。記録を読む限り、彼女は常人の域を遥かに超えた戦闘能力を持っていました」
中段の席からは異なる視点が提示される。
「しかし、その力ゆえに彼女は孤独だったのではないか。勇者には誰一人として同行者がいなかった。共に戦う仲間もなく、常に一人で最前線に立たされていた」
(……魔王討伐の目的が、皆さんと違ったからというのもありましたけどね)
エリスにとっては、魔王討伐すら人助けの一環だった。
だがそれでも、魔王と一対一で、正々堂々と戦いたかったのは嘘ではない。
次々と意見が提示されていき、エリスは独自の感想を心の中でつぶやいていく。
「民衆からは英雄として崇められながらも、本当の意味で彼女を理解する者は誰もいなかった。そう考えると、勇者はある種の悲劇の英雄だったとも言えます」
(……悲劇だなんて、そんなこと思ったこともなかったですね)
《お前の感性が麻痺しているだけだ》
突如心の中に響いた魔王の声に、キョロキョロと周りを見渡してしまう。
姿が見えないけれど、心の声は聞こえる。近くにいるのだろうか?
《狼狽えるな、怪しまれるぞ》
ゴン、とエリスの足元で音がした。
どうやら床下に侵入していたらしい。
(……魔王も、『勇者論』に興味があったのですね)
《……ふん、余を打ち倒した唯一の存在がどう思われているか、気になったのでな》
エリスは魔王がそばにいてくれることに、なんだか安心し、ほっと息を吐いた。
それぞれの意見が提示される中、エリスは思う。
好き勝手言われているような討論ではあるけれど、それでも自分のことを考えてくれている皆の存在が、エリスは嬉しかった。
別の学徒が反論する。
「孤独だったからこそ、彼女は強く在れたのではないでしょうか。仲間がいて、守らなければならない者がいれば、それはそれで足枷になる。むしろ、自ら仲間を求めなかったと見るべきでしょう」
最上段の席からは、感情的な意見が飛び出した。
「孤独を美化するのはやめるべきだ。どれだけの重圧があったか、私たちに想像できるはずがない」
「しかし、それを想像し、考察するのが我々の務めではないか?」
議論が熱くなっていき、口を荒げる者も出てくる中、年長の研究者が口を開いた。
「確かに、我々は勇者の苦悩を軽んじてはいけない。彼女は多くの人を救った。その数だけ、彼女自身も傷ついていた。しかし、それでもなお彼女は最後まで戦い抜いた。それが勇者という存在の本質ではないだろうか」
(……なんだか、気恥ずかしいです)
辛いことも、悲しいことも沢山あったけれど。
それでも、勇者として在り続けて良かった。
それが、エリスの本質である。
見透かされたような気がしたことで、身体を縮こまらせてしまう。
意見は収束せず、議論は白熱していく。
そんな中、登壇しているオルディス教授が意見をまとめた。
「――ふむ、成る程。様々な良い意見をありがとう。勇者という存在の本質、改めて考える必要があるな」
そして議論は、次の議題へと移る。
「では、第二の議題――『魔王とは何だったのか』」
その言葉が響いた瞬間、講堂内に一瞬の騒めきが走った。
学徒たちは互いに顔を見合わせ、困惑の表情を浮かべる。
勇者に関する論であって、魔王に関するものではない。
そう思うのが当然だった。
しかし、オルディス教授は静かに口を開き、その困惑を鎮めるように語り始めた。
「魔王が生まれ出る前に、勇者という存在はこの世に無かった。そして、魔王がこの世から消えた時、同時に勇者もまた、この世から存在を消した」
勇者とは、魔王を討ち果たすために生まれ出た存在である。
オルディス教授が言いたいことは、魔王あっての勇者である、ということだ。
「――つまり、魔王に対して考察をすることが、勇者という存在について別の角度から考えることに繋がるかもしれない。正直言って、私にもそれが繋がるかはわからない。だが――」
教授は聴衆を見渡し、力強く言い放った。
「この場に集う知恵を結集し、魔王と勇者の関係性を、共に見出そうではないか」
場にいる者たちは顔を見合わせ、オルディス教授の言葉を深く考え始める。
中には目を輝かせる者もいた。
勇者という英雄を語る上で、その最大の敵対者を無視することはできない。
――その論理は、誰の胸にも自然と落ちていた。
一方、魔王は愚痴を吐くかのように呟いた。
《……くだらぬ。余は余であり、勇者は勇者だ。当時は一蓮托生の存在と思ったことなどない。お前もそうだっただろう?》
エリスに同意を求めるが、返事がない。
《……エリス?》
遠い目をしながら、ただ黙っているだけの少女に、魔王はつい呼びかけてしまう。
そして、その表情に、何かを察してしまった。
やがて講堂内のざわめきが静まり返り、深い集中が場を支配する。
オルディス教授が静かに頷き、次の言葉を発した。
「――それでは改めて、第二の議題について議論を始めましょう」
――新たな討論の火蓋が、今まさに切って落とされようとしていた。




