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corpseat

「こちら、報告書です」


 月明かりの差し込む夜、一室にセノカの声が灯った。

 フィロイド用の建物だった。光源は手元を照らす小型のランプのみだった。


 セノカは玖鷗華奈兎に姿を変えている。紅い瞳は暗闇の中でも何故かはっきりと見えていた。


 浮き上がるような瞳に恐怖を覚えつつも、管理職の男は手渡された書類に目を通した。

 一気に三人増えたフィロイド、その有能さを不安視していたが、報告書はまるで何度もその手の仕事をこなしてきたかのように正確で無駄が無く、欠けも無い。


「……どうも」


 相手は自分よりもずっと若い女性だというのに、悠久の時を生きた仙人を前にしているような気分になる。


 三人の中で、最も若いであろう青年はどこか不慣れな内容だった。

 実際テオのみこの手の業務に関わった経験が無い。フィロイドになるよりも前から指導はしているが、前世の時点で十年以上も続けている自分たちと比べれば質の粗さは仕方がない。


「では今日の業務はここまでということで」


「お疲れ様です」


 セノカは軽く頭を下げた。

 部屋を出ようと、踵を返す。

 しかしその直前、ドアの方へセノカは振り返るのを止めた。


「……カティさん、どうしました?」


 突然止まったセノカ___フィロイドとしてはカティと名乗っている___に肩を大きく震わせた男は恐る恐る尋ねる。


 セノカは部屋の一点を見詰めていた。

 男もつられてその方向に目を向けた。


 そこにあったのは。


「…………ひっ!」


昇天羽(フローター)の幼体ですね」


 蟲だった。


 まだ幼体であるため部位ごとの区切りが分かりづらく、壁を這い上がっている。

 耐性の無いものが見ればそれなりに嫌がりそうな見た目をしていた。


 セノカは軽く手を翳し、蟲を焼き払う。蟲のことは嫌いなだけであって苦手なわけではない。


 昇天羽は幼体が成体の十倍近くの大きさをもっている。貧乏な冒険家の非常食としては人気の蟲だが、見た目故に好んで食べる者は少ない。


 焼き払った蟲から無関心そうに目を逸らし、セノカは男にもう一度頭を下げた。


 男は息が上がっていて、顔が青白くなっている。


 明らかに普通ではないその様子にセノカは大して驚かず、これもまたどうでも良さそうに尋ねた。


「恐怖症ですか?」


「……ええ。どうにも蟲だけは克服できないのです」


「お気の毒に。……そうだ、それともう一つ、変に思われるかもしれませんが、質問を」


 セノカが瞳だけを男に向ける。

 男が身構えた。


 そんなわけが無いのに、まるでこちらの考えていることを見透かしてくるような視線。気味が悪い。


 友人に昼飯の話題を振るかのような軽く淡々とした声とは裏腹に、その質問は彼女が告げた通り今この瞬間に問うには不自然なものだった。


「人を殺したことは?」


 突然の問いに、男は眉を顰めるでも怒るでもなく、驚いて椅子を倒さんとする勢いで立ち上がった。

 蟲を見た時とは比べ物にならないほど息が上がり、肩が震えている。


 それでもセノカは壁の染みでも見るかのように男の様子を眺めた。


「な……何を、何を言っているのですか⁈ 私は人を殺っ……殺したことなんて……!」


「そうですか。すみません、もう夜も遅いので、私も頭がおかしくなっているのかもしれませんね」


 セノカは再び男に背を向け、殆ど音を立てずに扉に歩く。

 黒手袋をはめた手がドアノブを握って捻る。

 黒髪に黒い外套は、夜闇よりも暗く不気味な影がそこに浮かんでいるように映った。

 長身の女性の影が扉の向こうに消えた。

 最後に、暗闇から浮く紅い瞳がこちらを一瞥し、すぐに伏せられた。


 部屋に一人残された男は、しばらく立ち上がったまま固まっていた。


・・・


 廊下を歩きながら、セノカは玖鷗華奈兎の姿から元の少女へと戻った。


 月光のみが灯りとしてその場を照らす。


 誰も居ない廊下を進むセノカの脳内に、突然声が送り込まれた。


『セノカ様』


 レムノスだった。


『何だ』


『報告書、途中で手が止まってた。それで調べものを始めてたけど、何で?』


『今回の任務の件で死んだ貴族の事について、気になることがあった』


 廊下の出口である扉を開き、セノカは外に出る。


 この時間帯なので、酒屋くらいしか灯りの漏れる建物が無い。

 今頃オルバとノイヴァも近くの店で飲んでいることだろう。今回の任務は簡単に終えてしまったので二人の仕事は少なく、帰るのも早かった。

 セノカは二人が出て行った後すぐに報告書を完成させたが、それから二時間ほど戸籍や金の流通を調べていた。


『調べたところ、その貴族の収入に不自然な点があることに気づいた。大して実力も無かった中級貴族の筈がここ数年で大きく成長し、今や上級貴族に喰い込む勢いだったらしい。そこで最近起こった事件の詳細と戸籍を確認すると、その貴族が成長を始めた頃から平民の女性と子供の行方不明者が増加していることが分かったのだ』


『それってつまり……』


『奴隷で稼いでいたのだろう。この国では禁じられているので、他国に売っていたと見て間違いない』


『でもそれがセノカ様にどう関係するの?』


 碌に感情を見せない彼女にも興味という概念はあるのだろうか。基本的に無駄なことをしないセノカがその行動を取ったことに、レムノスは違和感を抱いていた。


『任務で向かったあの荒野は元から獣の生息地として有名な場所だ。そんな場所に貴族が態々赴くことがあり得るのか?』


『確かに…………』


『何者かの手が加わっている、そう考えるのが自然だ』


『セノカ様でも真相が分からないってことは、そういうことだものね』


『ああ。この領域の住民の顔と名前は凡そ把握しているし、全員の思考パターンも読めている。獣と蟲の習性も全て覚えた。にもかかわらず今回の真相は全くと言って良いほど分かっていない。つまりは悪意を持った未知の人物……それも私やレイ以上の頭脳を有している者がこの国に居る、ということだ。そいつが敵だった場合、後々面倒なことになる』


『考えすぎなんじゃ……』


 元殺し屋としての警戒心故なのか、セノカもレイも徹底的に脅威を排除しようとする。

 レムノスは例えそんな人物が居たとしても大して重要だとは思えなかった。


『そうでもない』


 セノカは思考にしても冷たい声をレムノスに送った。

 既に学院内の、寮の近くまで来ている。


『レムノス、寄生型蟲に脳を弄られた理性の無い獣に襲われた貴族はどうしたと思う?』


『……痛がって苦しむ? 少なくとも凄く怖いと思う』


『…………だから面倒なのだ』


『え?』


『そのやり方に覚えがある。もし本当ならば都合は良いが、そうでなければ厄介、どちらにしろ無視はできない』


 レムノスはセノカが言っていることをうまく理解できなかった。


 しかしもう一つ、別の疑問点が残っている。


『……それじゃあ、さっき管理職の人に聞いたこと、あれはどうして?』


 突然、ほぼ初対面の相手に過去の殺人の有無を問うなど明らかに不自然だ。

 それにあの反応。十中八九、そうなのだろう。


 何故セノカにはそれが分かったのか。

 普段と同じ、動作を元にして思考力で読み取ったのか。


『……思考で読んだ。もし彼にこの後何かしら異変が起こった場合、私の考えが殆ど正しいこととなる。それが蟲関連の異変なら尚更だ』


『……』


 矢張り、理解は難しかった。


 以前からこのようなことはあったが、何故かセノカは頑なにそのことを話そうとはしない。

 理由を尋ねると、「貴重な神仙の従者を不注意で殺したくない」とのことだった。セノカ曰く、レムノスのような正義感のある者を関わらせたくはないらしい。


 どんなに危険でも、信頼してくれたらいいのに。


 レムノスはそれ以上セノカが話さないと察したのか、通信を切った。


 セノカは寮の自室ですやすやと熟睡しているシャノンを横目に風呂の準備を始める。

 フィロイドの仕事がある日は、早くても不都合なので大抵帰るのが遅い。忙しくなってきたためロザリエ達と会話する機会も大分減った。

 夜に音を立てないように寮内を移動するのには慣れた。元々気配を消して行動する習慣が付いている。銃弾が飛び交う中で敵の攻撃を避けるには必要不可欠の技術だ。

 セノカは寝巻とタオルを持ち、浴場に向かった。


・・・


「何なんだ……あの女…………」


 管理職の男は自宅の扉の前で呟いた。

 既に国民の大多数が寝付いた時間だった。


 扉を開くと広い家の中は暗く、誰の迎えも無いことにどこか空虚な気分を抱く。


 実家を離れてこの職に就いたが、無駄な苦労が増えて実家に送る手紙のネタが尽き始めていた。十九歳から今の仕事に就き、今年で三十四になるので手紙自体が少し面倒になってきた。

 この三か月、よく眠れていない。毎度悪夢に魘され、目の下の隈が濃くなっていく。


 最近新たに三人のフィロイドストーンが追加された。全員結構な変わり者に見える上に、どこの貴族出身なのか判明していない。

 立ち居振る舞いからして貴族の教育を受けていたことだけが分かる。


 しかし謎の多い三人だ。


 今日報告書を提出してきた女性は特に気味が悪い。見た目もそうだが、見透かされたくないことまで見透かしてくるようで気分が悪くなる。しかし報告書を見たところオルバとノイヴァに届く実力を持っているようなので口には出せない。

 あの女性以外、二人の青年にも会った。

 茶髪の青年と、黒曜石のような綺麗な瞳をした青年。

 同時期に昇格したということは仲が良いのか、報告書を出した後に親し気に話していた。

 黒い瞳の青年は愛想が良く、顔色の優れないことを心配してくれた。一方で茶髪の青年は不愛想で、殆ど無言で報告書を提出して帰った。どこか軽蔑と嫌悪感を含んだ視線だったような気がする。


 二人は兎も角、あの女性とはもう二度と話したくない。

 _____都合の悪いこと、忘れようと努めていることをほじくり返されそうで恐ろしいから。


 男は軽い寒気を覚えた。


 外套と荷物を部屋の傍らに投げ捨て、男は酒でも飲もうと隅に置かれた籠に近づく。

 膝を曲げ、籠の中身の酒瓶に手を伸ばす。灯りを付けることすら面倒で、暗闇の中を月明かりを頼りに酒瓶を抱えて歩く。


 ここ最近の唯一の楽しみが酒だ。

 嫌な気分を忘れられる。考えを放棄できてしまえる。

 体に悪影響だとか、そんなことを気にする余裕も無いのだ。

 早く飲んでしまおうと、男は早足に机に向かった。



 その時、正面に奇妙なものが映った。



 男は凍り付いたように立ち止まった。


 月明かりに照らされる中、二つの人影がそこに浮かび上がっている。


 微かに腐ったもののような悪臭が漂い、男は口を固く閉じた。


 それとは逆に、目は破れそうなほどに見開かれていた。


 人影が顔を上げ、男を見た。


 男は言葉を失い、酒瓶のことなど忘れて腰を抜かした。


 人影は、女性と幼い少年だった。服には装飾こそあるがボロボロに欠けて汚れ、髪や肌ですらずっと土を被っていたかのように薄汚れている。少年は子供らしく、甘えるように女性のスカートを掴んでいた。

 月光の下で分かりづらいが、肌色に生気は無く、血が通っていないようだった。


 不意に少年が口を開く。酷く掠れ、抑揚のおかしい声だった。


「お父サん、僕タちのコト覚えテる?」


 一音話すごとに、カタ、と軽い音が少年の体から鳴った。


「サみしカッタのヨ、貴方ノカオを見れなクて」


 次に話したのは女性だった。


 男は震えたまま二人を見上げている。顔色がみるみる青く染まっている。奥歯が惨めたらしくぶつかり合う。

 喉から壊れた笛のような息の音が漏れ出した。


「疲レてタのよね。わたシが不倫してル妄ソうに取りツカレて、ツイないフで刺しテシマッたのネ」


「僕、オ父さンに、ジブンのコどモじゃなイって言わレて悲しかッタなア。お腹ガすゴク痛くテ、デも刺すノヲ止メてくれナくて」


 音による振動が重なり、少年と女性の首が傾いていく。


 少年も女性も笑っている。しかし平坦で、同じ音をただ繰り返しているだけの笑いだった。

 暗いせいで顔がよく見えない。きっと口は笑顔を浮かべているのだろう。


 男は腰を抜かしたまま後ずさった。


 そして何とか足を動かし、別室への扉に縋りつく。

 ドアノブを何度も回すも、鍵のかかっていない筈の扉は動かない。


 男を嘲笑うように、二人が足を擦って歩み寄って来た。


「土のなカはね、冷たクて、痛くテ、沢サンの蟲がネ、僕タチにハいッテ来て、肉をカじってネ、卵ヲ産んデね、にクを破っテネ、赤ちャンが生まレルの」


「あナタ、私たチね、寂しイノ。イッショに来テヨ」


 男の目の前まで二人は迫った。


 男は恐怖故なのか、振り返ってその顔を見てしまった。


 少年と女性の目は糸で縫われ、口は小さく開閉を繰り返している。首が不自然に曲がり、閉じられた瞼の向こうから男をじっと見つめている。腐ったような臭いが濃く流れたが、男は不快感を抱くこともできずに二人に怯えている。


 二人の中から、がさ、と何かが蠢く音がする。小さな、大量の何かが。


 男は恐怖で碌に動けない。


 その時、二人の瞼を縫い付けていた糸が解け、真っ黒な眼窩が覗いた。

 穴の奥から、それが顔を出した。



 体に反して長い脚を持つ羽虫だ。二対の亜麻色の羽は蝶のそれよようで、時々特に意味も無く動かされ、長い触角が揺れている。黒い目がじろりと男に向いた。





 二人の口と目から、それが大量に男に押し寄せた。





 男は絶叫する。恐怖の対象である蟲の嵐から逃げようと二人に背を向けるが、何も意味を成してはくれない。


 胴体が小指の第一関節ほどの大きさの蟲が集まり、男の全身を包む。


 鋭い牙が全身に立てられ、少しずつ肉が噛み千切られていく。


 細かい痛みが絶えず全身に走る。


 隙間なく蟲に覆われ、男は激しく叫び散らした。蟲は一匹残らず男に纏わりついていた。


 少年と女性の姿はもうその部屋には無い。蟲を纏ってのたうち回る男と、()()()()だけが残されていた。


「……」


 男を見下ろすもう一人が静かに微笑んだ。


 男の下に魔法陣が現れる。

 魔法陣から暗闇が水たまりのように円形に広がる。

 底なし沼のように男の体がゆっくりと沈む。絶叫が沼の中に溶けていく。


 男が完全に、闇の中に消えた。


 もう一人の姿も、既にその部屋には無かった。


・・・


 その人物___男の死体を眺めていた人物は、夜の街を巡っていた。


 屋根を足場に蝶のように飛びながら、とある童謡を鼻歌で歌う。


 外套が風に揺れ、月光に瞳が照らされる。


 優雅に飛ぶその人物に気づく者は誰一人として居ない。童謡は広がらず、音はすぐに消えていく。


 屋根を蹴るも足音は無く、魔力痕は残らない。



 夜を舞うその人物は、ある貴族の屋敷に向かっていた。


・・・


 屋敷の一室に、十代前半辺りの少女が、ベッドに腰かけている。


 白く薄い寝巻が青白く輝いている。


 突然、扉が音も無く開いた。現れたのはその人物だった。


 少女はそれに驚かず、その人物を待っている。人形のように。

 その人物は姿を変えた。白い寝巻に、色素の薄い美しい長髪。腰かける少女と全く同じ姿に。


 元々室内でベッドに腰かけていた少女は、いつの間にか消えていた。


 少女に成り代わった人物はバルコニーに出る。


 そこにはワイングラスを掲げた中年の男が立っている。その人物も寝巻だ。

 月を眺める男の隣に少女は寄り添った。


「……私は、君の言うとおりにしたよ」


 男は優しく言った。

 少女は微笑み、曇りの無い瞳で男を見上げる。


「言う通りって?」


「奴隷を……彼女たちを解放した。孤児院に預けたり、親の元に帰したりと、苦労したよ」


 少女は嬉しそうに笑った。

 慈悲深い笑みに、男は更に表情を綻ばせた。


 二人の背後のベッドのシーツは簡単に整えられているが、まだ皺が残っていた。


「ありがとう。貴方ならきっとそうしてくれると思っていたわ」


「君をがっかりさせたくないからね」


「あらまあ」


 少女がくすくすと笑う。

 男は再び月を見上げた。


「君のような女性と出会えるなんて思っても居なかった。今まで会った中で一番美しく優しい。あの月よりもずっと」


「嬉しいわ」


 少女も男と同じように月を見詰める。優しい光が白い肌に降る。


「今日の月はいつもよりずっと美しく見えるね」


「ええ。きっと、()()()()()()()()()()()()


 少女の青い瞳に白い月が映った。

 男は少女の肩に手を置き、愛情と、欲を孕んだ眼差しを向ける。


 少女は笑顔を崩さなかった。


「……ねえ」


 男が何かを言う前に、少女が口を開いた。


「何だい?」


「私ね、一つ言わなきゃいけないことがあるの」


 成長しきっていない無邪気な少女は、男の耳元に顔を寄せる。


 男の頬が紅潮した。甘い香りが風に乗った。


 月の下で、少女は小さく息を吸った。

 そして楽しそうに男に告げた。




「……____彼女たちのために、地獄を見てくださいね」




 少女は顔を離した。


 呆然としている男は意味を理解できていない。


 少女の姿が、元の人物のものに変わり、消える。





 男の目が融け始めるのは、一秒も経たない頃だった。


・・・


 翌日、オルバはフィロイド用の建物の一室に呼ばれていた。


 次の任務があるとのことで、その詳細を記した書類を貰いに来たのだ。


 扉を開き、やつれた管理職の男に頭を下げる。



 書類を受け取り、オルバは部屋を出ようとした。


 しかし、何か違和感を抱き、管理職の男の姿を見た。




 普段やつれていて顔色の悪かった男が、やけに健康そうに見えた。




「……あんた、何かいいことでもあった?」


 オルバは男に尋ねた。


 男は首を傾げた。


「いえ、別に。強いて言うなら……」


 男は滅多に見せない笑顔をオルバに向ける。

 オルバにはそれがどこか虚ろに映った。






「____昨日は久し振りに、よく眠れたので」


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