バッシングの動き 2
今回は「后宮バッシング」の2になります。
それは突然起こって突然終了しました。
本当にわけもわからず・・・というのが国民の印象でした。
皆さまはどう思われるでしょう。
「どうしてわかって下さらないの」
また今日も后宮の定番の言葉が出た。
原因は簡単。
クリーニングに出したスーツが1枚少なく戻って来たからだ。
それは自然乾燥が必要なもので、業者の方からも「ちょっと時間を頂きます」と言われ、后宮も了承した筈だった。
それなのに、実際に1枚少なく戻って来ると
「明日の公務をどうなさるつもり」と后宮は女官を叱りだしたのだ。
「それは・・・」
横から洋服担当の女官が「別な服をお選び致しますので」と申し上げたが后宮はきっと視線を鋭くして
「あなたが選んだ服を着ろというのね」とおっしゃる。
女官は慌てて「そういうつもりでは。ただクリーニングの方が1着は間に合わないと言われていたので」
「だったら枚数が揃った段階で私に渡すべきではないの?」
正直、女官は何を叱られているのかわからない。
業者の言葉は1週間前に伝えたし、その通り1枚少なく戻って来た。
少しでも早く出来上がったものをお渡ししようとしただけなのに。
「6枚出して5枚戻って来るのと、6枚全部戻って来るのとどちらがよろしいかしら」
「はい。それは・・・・」
「私はそういう事を言っているの。どうしてわかって下さらないの。もし万が一の事があったらどうするつもり」
万が一とは、残りの一枚を渡すのを業者が忘れた場合の事を言っているのだろうか。
そんな事、皇室御用達なんだからありえないというのに。
「あなた、責任とれるの?」
「申し訳ございません」
若い女官はとうとう泣き出してしまった。たまらず女官長が口を挟む。
「今回はご容赦下さいませ。私がきちんと教えますので」
后宮はやっと黙って、女官達に退くように手を振った。
そして独り言のように「それでは私がいじめているみたいじゃないの」とつぶやく。
「もう泣かないで」
しくしく泣いている若い女官を古株の女官が必死に慰めた。
「でも・・でも怖くて」
「そりゃあそうよ。女帝がああなったらもう誰も何も出来ないの。帝ですらね」
「それじゃいつもそういう事があるという事ですか」
「そうではないわよ。ただ今日は、そうね、ちょっとイライラしておられるの。ほら、週刊誌に色々書かれているじゃない?」
若い方は本屋や美容院で見た週刊誌の見出しを思い出した。
それは「菊のカーテンの裏側の真実」とか「皇室の真の帝は后宮だ」とか、そういう文字が躍っている。
「先帝の頃はよかったと誰もが思ってるわ。大宮様は煩くおっしゃらなかったし、帝は侍従のいう事をきっちり守っていたし。それに比べたらどう?代替わりした途端、大宮様を虐げて古い御所に押し込んで。
新しい御所を作り始めるし、ドレスやスーツだって箪笥が何十個も必要なほど作って。でも大宮様のように下賜されないのよ」
「下賜ってなんですか?」
「以前はね。大宮様が后宮様だった頃には、古い着物や洋服を女官に下げ渡して下さったの。例えば定年で辞める女官とか。旧宮家の方々にも常々気を配って帯とか帯どめとか・・でも今の后宮様はそういう事は一切なさらないわ。蓮宮様にすら差し上げる事無く、ご自分のドレスを作ったあまりでスーツを仕立てているかのようよ。蓮宮様はわかっておられるけど黙っているのよ」
「下賜されなくてもいいけど、なぜ叱られるのかわかりません」
「つまり雑誌にそういう事が書かれているからいら立っているの。昨日も侍従長や女官長が長々呼ばれて雑誌社に抗議しなさいと言われていたわ。でも全然おさまらないの」
「どうしてですか?」
「私に聞かれてもわからないわよ。でも后宮様は敵が多いのよ。きっと」
それは確かにその通りだった。
結婚して以来、東宮夫妻は旧宮家や旧華族らとの付き合いをきっぱりと断ち切って来た。それなのに東宮の結婚問題の時は旧宮家を頼るふりして、裏切った。
桃園家への仕打ちは恐らく帝や后宮が考えている以上に衝撃的で怒りを買っている。
職員の中には后宮の家より血筋や家柄がよい家系出身者も多く、心の底では「商家出身」と下に見ている。それがわかるからよけいに后宮はいら立つのだ。
「とにかく忘れて。泣く価値もないわ」
そういわれて若い女官はこっくんと頷いた。
宮内庁の内部では帝たちがベルジック国の葬儀に出席し、なおも大陸への旅行を縮小しなかった事に「前代未聞」と感じているものが多かった。
ただでさえ新御所建設には多大な経費がかかっている。大陸行きもベルジック国行きも全部税金だ。
即位の礼の時に大掛かりな「大嘗祭」用の建物を建てて批判された事もある。
東宮時代と同じようにわざわざホテルを借り切って静養する。御用邸を使えばいいのに。
そのくせ秋月宮夫妻には築40年の平屋を与える。
さらに東宮御所の改築、后宮の着道楽にかかる費用が半端ではない。
先帝の頃に比べて今どきの人は皇室にあまり関心がない・・・というか意識していないので、自分達の税金がどれ程湯水のように使われているかわからないが実際はひどいものだ。
かつて后宮が東宮妃だった頃、「子供達が使うえんぴつは小さくなるまで使い、それを母宮に見せて新しいものを貰う」と報じられた。
全くのウソだったが、そうやってマスコミを手なずけて印象操作を行って来たのだ。
それなのに今はどうだろう。
マスコミが一斉にこちらに刃を向けてくる。
「帝より后宮が前に出ている」
「帝をないがしろにして后宮が好き勝手するので何もいえない」
「突然の海外行きも、新御所も全部后宮の贅沢が招いたもの」
「やはり民間出身の后宮はダメ」
「すぐにヒステリー発作を起こして帝を黙らせる后宮」
「侍従や女官に1時間も説教し、叱り続けるほど神経質な后宮」
そんな言葉が紙面を埋め尽くし、「真の皇室とはどうあるべきか」を問うのだ。
結婚当初のブームをまだ引きずっている国民も沢山いて、「后宮様は豪華で美しく慈愛に満ちている」と反論もしたが、でも何度も雑誌を見ると何となくそうなのかと思うのも国民である。
后宮は必死に雑誌社へ抗議をさせたが、それでも記事は出てくる。
実はそれは大和田哲也が仕掛けた事だったのだが。
それというのも、最初こそ「幸子様はお綺麗」と褒められていた東宮妃だったが、しょっぱなから公務中に居眠りをしたり、「風邪」と称して公務を休む事が多かったり、宮中祭祀に乗り気でなく、潔斎の為の水をお湯に替えて貰ってもその気にならず、前日から「病気」が始まったり。
僅か2か月程度なのに、東宮妃の評判は少しも上がらなかった。
「懐妊」だけが東宮妃の人気を盛り返す大きな手段だったが当の幸子は全くその気はなく、帝との夕食の席で「3年間は子供は作りません」と言ってしまった。
それを聞いた哲也はさすがに「馬鹿者」と娘を叱り飛ばした。
幸子が産んだ親王が次の次の帝になることが哲也の夢なのだ。
帝もすっかり気を悪くしたし、一緒にいた秋月宮夫妻も蓮宮も言葉が出ず、后宮だけが
「それもいいかもね」などとおっしゃったので、余計にこじれてしまった。
后宮としては出産を強要したとか、意地悪な姑とか言われたくなかっただけなのだ。
学者の娘の菜子であれば、こちらが何を言っても親に言いつける事もないが、幸子の場合はすぐに父親が出てくるので用心の為に何も言わないのだ。
そんなこんなでこのままではいずれ早晩東宮妃の悪い噂が立ってしまうと哲也は感じ、学会や外務省の子飼いを通じて週刊誌にネタを売り込んだのだった。
何度抗議してもおさまらない后宮バッシング。
毎日、新聞の広告欄を見ては胸を痛め、心がふさがる后宮。
一生懸命に帝が「気にすることはない」と慰めても「いいえ。真実は違うのに」とかえって怒りが増すようでどうにも手に余ってしまう。
蓮宮ができうる限り母宮の側にいて、甲斐甲斐しくお茶をいれたりケーキを焼いたりしたけれど、それも無駄なようでどんどん后宮の顔色は悪く、そしてふさぎ込んでしまった。
そして、とうとう・・・それは后宮59歳の誕生日。
宮殿で各国大使や宮内庁職員、皇族方、親族から祝賀を受けるためにローブモンタントに着替えて部屋を出ようとした后宮は突然意識を失って倒れた。
その日、后宮の誕生日文書が公表された。
「どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。しかし、事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます。批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません』
これ以上の文章はなかった。
この文章と后宮の気絶で、全ての批判が終わった。
この勝負は哲也の負けだった。
この物語はフィクションです。
とはいえ何を想像なさってもかまいません。
小説ってそういうものですから。
そうそう蓮宮はあまり出て来ませんが、結婚式では后宮の着物を着ました。
大学の卒業の時、回りはみんな袴だったのに、彼女だけピンクのスーツで。
それはそれは上質な生地を使っているのはわかったんですけど、同世代として「着物に袴」をやりたかったんじゃないかなと思いました。
成年式は喪中で大した儀式も許されず、内閣を招いての食事会が行われただけですから。
蓮宮は后宮の後ろでひっそりと咲くヒジジグサだったのかもしれません。




