異例の葬儀出席
覚えている方も少ないと思いますが、こんな事があったのです・・というお話です。
何やら今と似ているような?そう思いながら読んで頂けると幸いです。
その年は夏が来なかった。
7月が来ても梅雨明けせず寒い日が続く。
寒がりの人は長袖に手を通す程の冷夏だった。
これは必ず米作の危機がくるだろうと、誰もがそう思ったがだからと言って何が出来るわけでもない。
人々は暑い夏も嫌だが、寒い夏は何やら不吉な感じがすると震えた。
東宮が結婚した目出度い年だというのに、なぜこんな・・・
そして7月31日。ベルジック国の王が崩御したというニュースが世界を駆け巡った。
帝や后宮とは年齢も近いし、特に后宮は王妃とは親しくしていたので非常に驚かれた。
「まだお若いのに・・・」と悲しむ后宮は異例だったが、直接王妃に電話をかける事にした。
宮内庁を通しベルジック国と連絡を取り、お互いが電話に出るのは結構時間がかかったが、それでも后宮は王妃の声を聞くと、ほっとして
「この度は大変だったわね。あなた、大丈夫?」と尋ねた。
王妃は少し涙ぐんでいるようだったが、でも国王の死を冷静に受け止めている。
「覚悟はしていたもの。ただ、こんなに早いとはね」
「私に出来る事なら何でもおっしゃって」
かつて后宮は帝と一緒にベルジックを訪問した事があった。
その時も家族のように接してくれて、さらに蓮宮までプライベートで招いてくれ、戦前からひきずる両国の「戦争の傷」は癒えたように見えた。
「ありがとう。でも私は何もすることはないのよ。あとは弟夫婦が何とかするでしょうし」
ベルジック国王夫妻には子供がなかった。
それゆえに後継ぎは国王の弟と決まっていた。
「子供がいないのは寂しいわね。せめて娘でもいたらと思うの」
「ええ。本当にそうね」
「あなたは子供が3人もいて羨ましいわ」
「そんな事。もう一度いうわ。私達に出来る事があれば何でもおっしゃって」
王妃は何度も感謝の言葉を述べて、短い電話は切れた。
葬儀は8月7日に決まった。
后宮の心は決まっていた。
「御上。私、どうしても葬儀にまいりとうございます」
「なんだって?」
帝は聞き返した。
帝とてベルジック国王とは親しくしてはいた。
しかし、帝は葬儀に出席してはいけないという「慣例」があった。
帝が喪の為に出席するのは、先代の帝の斂葬の儀だけである。
これは「帝は尊い身分ゆえに穢れた場所へ出席してはならない」という神道の考え方がある。
ゆえに后宮の母が亡くなった時も葬儀には出席しなかった。
もっと言えば、帝は冠婚葬祭行事には出席してはいけないのだ。
例えば皇族達の中でも「こちらは出席したのにあちらは出席しなかった」ということになれば不公平が生じる。そこに政治が入り込むとさらに事は複雑になる。
だから、帝がたとえご自分のお子が結婚しても亡くなっても「式」には出席しない。
外国は猶更だ。
しかし、その慣例を破って「自分一人ででも」と后宮は言っているのだ。
「私も国王とは親しくさせて貰った。行くなら一緒に」と帝はおっしゃった。
この事は宮内庁の古株幹部達を大層怒らせ、大反対ののろしがあがった。
長官は震える唇で「なりません」と申し上げる。
「帝が外国の王の葬儀に出席などもっての外でございます。帝は尊い御身なれば穢れの場所への出入りは絶対にしてはいけません。これは慣例でございます。先帝も姫宮様逝去のおりには葬儀には出られませんでした」
「しかし、それは古い考えなのではないか。ベルジック国王には世話になっている。蓮宮にも優しくしていただいた。また后宮と王妃は親友である。今どき穢れがどうのというのは時代錯誤だ」
帝の言葉も鋭さを帯びる。
しかし長官も負けてはいられない。
「我が国の8月は敗の記念日がある大切な月でございます。8月6日と9日は原爆が投下された日でございます。もし葬儀に出られるとしたら8月6日に出発しなければなりません。それで国民が納得しましょうか」
それを言われると帝は一瞬ひるんだ。
しかし、横から后宮が
「私達は大切な日を忘れているのではない。記念日は来年も来るけれど国王の葬儀は最初で最後よ。皇室外交を優先してしかるべきではないの?」
「では申し上げますが、9月には西欧諸国への訪問が待っております。その時にベルジック国へも参ります。その時にお悔やみを申し上げればよろしいではありませんか」
「葬儀に出るのとお悔やみを言うのは同じではないわ」
后宮は叫んだ。
「どうして邪魔をするの?王妃に私がどれだけ大事な友情を感じているかご存じ?色々とお世話になったし、仲良くさせて頂いているわ。ここで行かなかったらどうなると思うの?」
「慣例を破り、記念日を無視する価値があると思われるのですか」
「そうです」
后宮はきっぱりと言った。帝も今回は后宮の味方だ。
ここまでくると宮内庁がどう出ようが、絶対に帝は意思を曲げないだろう。
引き下がるより仕方なかった。
こうして「帝と后宮の強いお気持ち」が勝り、お二人は8月6日にベルジックへ旅立った。
ベルジック国ではその事を大層喜び、即位したばかりの国王夫妻は謝意を述べ、また前王妃の意向で葬儀では棺の前、つまり先頭の真ん中を歩いた。
東洋の帝夫妻がこのような振る舞いをすること自体異例だった。
西欧では王室同士が親戚筋で繋がっているので、国境を越えて冠婚葬祭に出席するのは当たり前だったが、世界一古い皇室がこのような行動に出た事はこれからの王室や皇室外交にとって非常にベストな選択であると・・・報道された。
しかし、事はそれだけでは済まなかった。
ベルジックは西より東を重用したという事で、気を悪くした女王がいたのである。
まずい事に彼女はブリテン国の女王で、他の西欧王室とは数段格が上。葬儀では女王が真ん中を歩くのが通例だった。
それを帝夫妻が真ん中を歩くという事で、ベルジックとブリテンの間に亀裂が走ったのだ。
女王は葬列には参加せず、最初から教会で待ち受けていた。
西側諸国の王国の中でもトップと自負しているブリテン。それはベルジックだけではなく、周辺国は知っている事であり、ゆえに一歩も二歩後ろに下がって来たのである。
前王妃と后宮が友人同士だった事で、このような異例な事が起きてしまい、さらに「ないがしろにされた
」と思った女王はこののち、ベルジック国へ冷たい態度を取り続けた。
后宮はそんな事とはつゆ知らず、友情を守る事が出来た慶びで一杯だった。
そしてこの事は、国内でも批判が起きた。
先帝なら絶対にしなかっただろう自分勝手な行動を「強い意志」によって破り、国費を使って行ったのだから仕方なかった。
ほぼ1泊2日という強行軍ではあったけれど、新しい時代になって、何もかも先帝の時とは違う、全部自分達で決めてしまう帝のやり方に宮内庁からの激しい反発が出たのだ。
政府としては「皇室には触れないでおくのが得策」とばかり、好き勝手にさせてはいたが、今回は9月の海外訪問も控えていて「フルムーン旅行ではないか。贅沢すぎる」との批判が湧き上がって来た。
そしてその矛先は后宮へ向かう事になるのだった。
今回もお読み頂きありがとうございます。
帝が神道の長ですので、穢れに接してはいけない。
そういう慣例は平安時代から続く習わしです。
妃は出産を御所では行わないし、死ぬときも実家に戻ります。
「血」にまつわるものはダメゆえに、祭祀を行う巫女達も大変なんですよね。
友情がどうのとか、世話になったとか、そういう事は全然理由にならないのですが、この時からすでに掟破りは始まっていたし、それが結果的に今に繋がっているのだと思います。




