群雄割拠
南西の比較的栄える海沿いの街の中心部には、まるで型抜きでくり抜かれたかのように精巧な星型の敷地がある。
その地上の星を縁取って街と分断する外堀の水は濁ってはいるものの、れっきとした水路を引いて汲み上げた海水であり、下を見下ろせば稀に放し飼いにされた鮫の魚影や、水面を滑る背びれを見ることができるが、危ないため外堀は3メートルの鉄格子で取り囲まれて、更にはあちこちで銃剣を付けた小銃を持った兵士が哨戒に就いている。
そして、何より重要な反対側の敷地内は、まず石垣の上に大量の土嚢が積まれ、その奥は樹木が深く生い茂っている。残念だが同じの目線の高さでそれ以上の物を見ることは出来ない。もっとも、その先には銃座付きの監視塔が備わる高く分厚い塀があるのだが。
何があろうと曲者を寄せ付けぬ強固な警備体制が敷かれたこの区域の中央には、側面に押し出された白い柱が並ぶ、コロニアル建築様式の華美極まる巨大な豪邸が建てられている。しかし、荘厳な景観の中で、屋上に配備された効力射は蛇足でならない。
その屋敷の一室で、書机に座ってクロワッサンをミネストローネに浸して口に押し込み、忙しそうに咀嚼する男がいる。歳は四十路辺り。ほとんど赤に近い茶髪を丁寧に刈り、綺麗に小麦色に日焼けしている。
食事をしながら書面に目を通し、小さい文字が読み辛くて棚から老眼鏡を出す。彼は鷲鼻が印象に残るハンサムな顔立ちだったが、それでいて思索的な知識人に見られる賢しげな様子が、影のように彼について回っていた。
ネロ・フランチェスコ。47歳。
大陸有数の大貴族ネロ家2代目当主にして、南西コダテロハ国家主席。
彼がクロワッサンを食べ終わり、残ったスープの実を食べていると、朱色のブレザーを羽織った気丈そうな女性兵がドアを叩いて入ってきた。
「失礼致します。ただ今外務部からの連絡で、東方においてヴォロシャ団結軍の幹部アンドレイが、資産家宅に対し強盗事件を起こしたそうです」
「そうか」
ネロは淡白にそう答えた。
「いかがされますか? 今の勢いを持ってすれば、あのような野伏など物の数ではありませんが」
「放っておけ、カスに時間を割いてる暇は無いわ。分かったな?」
彼は机の隅に置いた高価なチョコレートの箱に無造作に手を突っ込み、チョコレートを口に押し込むと、目の前に立つ若き兵士の藍色の瞳と見開いた己の物を重ねた。
「私何て言った? 奴らは捨て置け」
「了解致しました」
ネロは兵士に対して脳髄に擦り込ませるようにこう言うと、何故か彼女は大して放置すべき理由を説かれていないのにも関わらず、あっさりと了承した。
「ならいい。それとカサイは大丈夫なのか? 件の連中に生きたまま焼かれたと聞いたが」
「はい、隊長は不死身ですので」
「ああ、それはお前よりよく知っている。森で初めて運用試験をやらせたが、アレはまだ不完全だ。今カサイに先立たれたら他国に隙を見せることになる」
兵士が退室した後、ネロはランプの横の写真立てをじっと見つめながらチョコレートを噛み砕いた。写真には3人の若い男が肩を組んで並んでいる。若い頃の自分だった。
この男は数ヶ月前、突如としてヴォロシャ南帝国の首都を奇襲、その後残る勢力も制圧あるいは調略し、事実上領土の全域を占領した。
写真に写る男の一人は今よりも温和そうな顔をしていたが、屈強さは変わらない若き日のクランストロだった。ネロは、ふと視線を写真から正面に動かした。
「熱いな〜全然冷めないじゃないか」
来客用の革張りの長椅子に、女性兵がノックして入室する遥か前からいながら、2人の会話に全く口を挟まず、ただ紅茶に息を吹きかけながら耳を傾けるのみの男がいた。漆黒のフロックコートを着込んだ気品に満ちたその姿は、陸軍に属する軍人には見えないが、腰には7インチを超える巨大なリボルバーを収めた革のホルスターを下げている。
「サルディニア……相変わらずしぶとい男だ。しかし、お前の息子はただの腐り切った獣だな……」
「ああ、立派にやってますか?何、手柄のためなら手段を選ばないのは貴方も同じでしょう」
「何をしに来た?閑職に回したとはいえ、主任ならそう暇じゃないだろう」
男は立ち上がって鞄を手に取り、ネロの前に書類を何枚か渡した。
「はい。部下の外交法曹達への1か月周期の思想調査を廃止して頂きたいのです。彼らは我が国のためによくやっている。それなのに他国と内通していると根拠も無く疑ってかかるのは無礼の極みかと。この稟議書を渡したら、今日はすぐ消えるつもりでしたが、せっかく茶を出してくれたのに残したら召使に悪いでしょう。されど、私は猫舌でしてね」
「読むから帰れ。お前のせいで何人のメイドに暇を出したと思っている」
ネロはそう言うと、写真を倒した。
***
「何か爆発で家族みんな死んで天涯孤独の身になったお父さんが、犯人を今すぐ殺してやりたいって新聞で言ってるよ。コメントをどうぞ首謀者」
「出来もしないことを言うな。言ったことに責任持て。辛いのはお前だけじゃない。以上。つーか何でテメーだけ営倉に入れられてねぇんだよ」
「何かレーゼが失踪しちゃってさ、リウの面倒見れるの僕しかいないし」
「……」
彼らは千差万別の思想と憧憬に捕らわれながらも、今この瞬間を愚直に生きている。彼らを見ていると、誰かの正義とは、違う誰かの悪夢というのを思い知らされる。
それが烈花の如く実を結ばぬ、誰からも理解を得られぬ事柄であれ、彼らは理想の成就の為なら例え殺されても進撃していくだろう。
アンドレイ・アリーフはまだ若く、彼には様々な選択肢が無限に広がっている。その過程で彼が何に触発され、最後に何者となるのかは聡明な兄も剛腕の将軍も分からない。ただ一つ言えるのは、彼も元は優しい子だったのだ。彼は呑舟の魚になろうともがくだけのただの一匹の小魚に過ぎない。
少なくとも今現在は。




