競争試験のその01
目を開けると、そこには数百人、または数千人にも及ぶ受験生が集まっていた。
そんな大人数が入り切ってなお余裕があるこのホールは、そんな受験生の声で充満していた。
壁に背を預けて目を閉じようと、流れ込んでくる喧騒はどうしようもない。
人に酔いそうになる俺は、スマートフォンを取り出して時間を確認した。
……とっくに開始時間を過ぎている。
ここの責任者はやる気があるのか? それとも、やっぱりかなり大規模の悪戯だったのか? などと舌打ちをしていると、急に場の騒音が鳴りを潜める。
前方を眺めると、ここからかなり距離のある所為で微かに映る程度だが、責任者らしき人物の人影が見えた。
『えーっと、皆さん、大変長らくお待たせしました。いやー、流石にここまで集まってくださるとは思いもしなかったわけで……。いや、本当に申し訳ないです』
その人物の声に、俺は驚くしかなかった。
魔法だ。本物の、魔法だった。
軽く数百メートルは離れている責任者の声が、まるで隣で囁くかのように俺の耳に直接響いている。
ここの受験場に魔法で空間移動――転送をされたときにも思ったのだが、なんだか夢でも見ているような気分になる。
『ようこそ、フリージア魔法学園へ。えっと、ではこれより受験に関する簡略なオリエンテーションを行いと思います』
とても軽い感じの試験官の人は、この魔法学園の受験に関する説明を始めた。
内容は大体、事前に配られたパンフレットにも書いてあったのと同じものだった。
なので、俺は今更に耳を傾けることもなかった。
今俺たちが住んでいるこの世界には、合わせ鏡のようにしてパラレルワールドが存在しているらしい。
それで、そのパラレルワールドが悪魔に文明を滅ぼされたとか、科学を失った代わりに魔法という奇跡を手に入れたとか。
死に損なった悪魔が力を蓄えるために今度はこっちの世界を狙っているとか、そういう話を何度も読んで聞いたところで、今一実感が湧かない。
そもそも、ここの受験場に空間転移されるまでは、いや……こうしている今も、実はどこかの番組の大規模なドッキリなのではと考えてしまっている。
『――して、それを防ぐためにも、悪魔に魂を汚されていない平行世界の成人してない人類……ここに集まってくださった皆さんの力を借りようということになったのです』
……しかし、耳元で語られる試験官の説明は、種も仕掛けもない本物の魔法なわけで。
俺を含めた多くの受験生は、多少強張った様子で試験官に注目していた。
『てなわけで、ここにいる皆さんにはこれより、厳格な試験に臨んでもらいます。大丈夫、ややハードな内容になりますが、途中で棄権すれば命を失うこともないですからね。まあ全員諦めちゃ、世界がやばいことになりますが。こっちもあっちもという意味で。あはは!』
本当に軽いノリな試験官の馬鹿みたいな冗談を聞いてると、ここがまるでちょっとやばい宗教団体の溜まり場のように思えてくる。
周りを見回すと、近くにいる他の受験生たちが興奮または懸念によってざわついている。
ある人は冗談気に怖いと笑いながらはしゃいでいるし、ある人は周囲の者と合格率がどうのこうのと真剣に語り合っている。
二つの世界を救うための大変な受験のはずなんだが、しかしどうしたものか、受験生からは緊張感の欠片も感じ取れない。
仕方のないことだろう。魔法だの悪魔だの……まるで漫画みたいな話なのだ。俺自身ですら、真剣になろうとしても実感できない。
『試験の内容は簡単! 皆さんにはまず二人で一つのチームを組んでもらいます。それから試験場となる無人島に移動してもらうことになります』
「えっ」
二人で……組めだと?
「おい待て……聞いてねえぞ」
俺は内心焦りながら呟いた。
二人でチームを作る、というのはつまり、いくら俺が頑張ろうと一緒に組んだ奴に足を引っ張られたら失格にもなり得るということだ。
しかもそんな大事なパートナを、この中から選べだと? 見ず知らずのこの大人数の中から?
俺がこめかみに指を当てていると、関係者は説明を続ける。
『無人島には一島につき一匹の魔物と十チームが無作為に配置されます。そこで、試験のために捕獲してきた魔物を先に狩るチームだけが合格となります。つまり今皆さんが気にしている合格率は十パーセントということになりますね。あ、もちろん十チーム全員が途中棄権、またはなんらかのアクシデントによって合格者を決められない場合もありますでしょう。まあ大体十パーセントと思って頂ければと』
「アクシデントねえ……」
俺は説明を聞きながらなんとなく呟く。
『しかし魔物は魔物。試験用にと弱っている個体を捕獲しましたが、魔法を使えない生身の人間の皆さんではどうしようもないでしょうね。そこで! 皆さんにはこれを使ってもらいます』
試験官は懐から何かを取り出すと、次の瞬間その手から空中に向かって真っ赤に燃え盛る炎が放射された。
途端に会場は、その光景……本物の魔法を目撃した感嘆の声で満たされる。
『これは護符と言いまして、魔法を教わってない者でも破って念じれば一度だけ魔法を使える便利な代物です。一チームにつき五種類の護符が配られますので、パートナとよく相談して使いましょう。では、これよりパートナをそれぞれ決めてください。制限時間は三十分! はいスタート!』
「なっ⁈」
いきなり開始された試験に、俺を含めて周りの受験生が慌ててぞろぞろと動き出す。
たったの三十分。
その間に、俺の未来を任せられるパートナを探さなければならない。
しかし、一体どんな奴に決めればいいんだ……?
俺は一旦足を止めて周りを眺めた。あちこちでは既にチームを組んだ奴らが見える。
「早いな……」
おそらくは元より知人だったか、それとも開始を待つ間に仲良くなった奴らなのだろう。
俺は唸りながら再び動き出した。
試験の内容は魔物との戦闘だ。想像以上にハードかも知れない。
悪魔とやらと戦うための人材を選出する魔法学園の受験なだけあって、当然と言えば当然だが……。
「……女子は駄目だな」
すれ違った華奢な女子高生を横目にそう呟く。
別に男女差別主義とかそういう性格はしていないが、魔物との戦闘が試験内容であるだけ、できればパートナには体力のある男になって欲しい。
何せ、俺自身があまり体力が無いのだ。パートナは、俺の分まで頑張ってくれる体育系の奴が好ましい……。
「……あいつは」
ふと足を止めて視線を向ける。
そこには、髪を金髪に染めた一人のイケメンが立っていた。
パートナ選びで忙しい受験生たちの中で、一人だけ呆然と何かを待っているかのように突っ立っている。
身長はかなり高めで、服の上からも分かるほど体に筋肉が付いている。特に太ももの辺りが。
あのイラっとする爽やかな細マッチョっぷりは……いわゆる【憧れのサッカー部の先輩】か何かなのか?
「モテそうなイケメンは生理的に嫌なんだよなあ……」
しかしながら、パートナになってくれたら心強い。
しばらく奴を観察していた俺は、奴が誰かに声をかけることもなく、誰かにかけられることもないのを不思議に思いながら近づいた。
「あの、ちょっといいか」
「え? 俺?」
イケメンサッカー部先輩 (仮)ははっとして驚きながら俺を見つめる。
「さっきから見ていたんだけど、まだパートナ決めてないなら俺と組まないかってことで」
「あ、ああ……悪い。もう決めたんだ」
ごめんと頭を掻く彼に俺はため息をつきそうになる。
「そうだったのか。いや、ずっと一人で立っていたから決められずに悩んでるのかと思ってな」
「はは。誤解させて悪い」
イケメンサッカー部先輩(仮)は笑いながら俺に背中を見せるようにして一歩動いた。するとそこには、背丈の低い女の子が隠れている。
「この子、人混みが苦手でさ」
「あー、なるほど。そういうことか。……ええっと、妹さん?」
必要以上に凄くぺったりとくっついている二人を見ながら、俺は敢えてそう質問する。
「ううん、ショーちゃんは俺の彼女なんだ」
爽やかな笑みを返してくるイケメンサッカー部先輩(仮)に、心の中で爆発しろと呪ってやった。
再びパートナ探しの旅に出た俺は、中々気に入る相手を見つけ出せずに悶えていた。
こちらからパートナにしてもいいと思える人が見つかっても、既にチームを組んでいたり、日本人じゃなくて言葉が通じなかったりで、苦戦を続けている。
そろそろ妥協しないと、時間切れで失格になる、かも知れない。
……そう思うと、自然と足早になってしまう。
そこでふと、誰かが揉めている声が聞こえてきた。
顔を向けると、そこには化粧がけばけばしい如何にもチャラそうな女子と、筋肉質の厳つい男子が、身長の低い誰かを囲っていた。
「イジメ……か?」
なんで試験場に来てまで騒ぎを起こすのかと思いながら辺りを見るが、しかし誰もその行為を止めようとはしない。
俺は舌打ちを鳴らし、そいつらに声をかけようとして、しかしそのまま一歩を引いた。
……臭い。
下水のような……吐き気がする臭いが、漂ってくる。
「なるほどな……」
そこで俺は、ヤンキー組み――ええっと、アメリカ人を卑下する意味ではなく、日本の若い不良少年という意味で――がイジメている人物を見て、納得をした。
その人は、ホームレスだったのだ。
季節違いな汚れたコートやらマフラーなんかを着込んでいて、数年間散髪してないため、ぼろ雑巾のような長い前髪で顔を隠している。
臭いの原因はその人だったのだ。
そこで、早々にチームを組んで暇になったあのヤンキー組が、丁度時間潰しにとそのホームレスをイジメていたんだろう。
ヤンキー女の方からホームレスに場違いだの汚いだの散々言っているところを見ると、思春期のヤンキーにとっては、その汚れた姿がかなり目障りだったようだ。
俺はそんな奴らを睨みながら後ろから声をかける。
「ちょっといいか」
「あん? なんだてめえ」
筋肉質の男の方が振り返りざまに俺を威嚇してくる。怖い。
「……あそこでスーツ着てる人が、あんたらのこと見てなんかメモってたぞ。あれも試験官なんじゃないのか」
「げっ、マジかよ」
女の方が俺を見つめながら舌を打つ。嘘だがな。
「もぉ行こ? そろそろ終わるみたいだしさー」
女はサンキューと言いながら踵を返す。しかし男の方は俺をずっと睨みながら「てめえ、調子乗んなよ」と、今にも殴り掛かって来そうなわけで。
「いや、だから見られてるって」
俺の言葉に男の目付きは益々険悪になっていくが、しかし女に腕を引っ張られて場を離れていった。
怖い怖い……。
「あ、あの……助けてくれて、ありがとう……ございます……」
俺がほっとして胸を撫で下ろしていると、ホームレスの人が頭を下げてきた。
「ああ、いや、気にしなくていいよ。あいつらが気に入らなかっただけだから。じゃあ」
律儀に礼を言うホームレスにそう返しながら俺も場を離れようとする。
「あ、あの……! よかったら、その……ぼ、僕と、チームに……なって、もらえない、でしょうか……」
「えっ、俺? えっ……」
いかん。明らかに嫌そうな声を出してしまった。
「お、お願いです……。他の人は、僕が近づくだけで……悲鳴を上げたり、して……」
「あー、うん。そうか。それは大変だな」
ホームレスが口を開くたび、その中から何かが腐ったような臭いも一緒に漏れている。こりゃあ、悲鳴を上げたくもなるだろう。
「うーん、なんだその……悪いけど、チームを組むなら、もうちょと身長の高い人に頼みたいって思っててさ。例えばさっきの筋肉ゴリラみたいな?」
「お、お願いします……! このままじゃ、僕……時間切れで、失格になるから……」
「まあ、まだ時間あるから……。ゆっくり探してみたらどうだ?」
「で、でも……!」
その瞬間、またも魔法を使われた試験官の声が、耳元で響いた。
『皆さんー、残り時間は三分切ってますよ? 今の時点でまだパートナを決めてないのは七十人ちょいです。急いでくださいねー? せっかくここまで来たのに、試験を受ける前に失格じゃ勿体ないじゃないですかー』
「…………」
「……ほら」
錆び付いたロボットのように振り向くと、近くの人たちは皆それぞれチームを組み終わっていた。
「え、ちょ、マジ? 残り七十人ちょい? いやいや、冗談じゃないって……」
凄い冷や汗を流しながら必死に辺りを見回すが、しかし近くで未だチームを組んでいない受験生は見当たらなかった。
この、ホームレス以外には。
「…………あの、僕と……」
……やばいやばいやばい。軽く目眩がしてきたぞ。
「お、お願いです……! なんでもしますから……! い、言うことはちゃんと聞きます、僕、これでも喧嘩もできます!」
「い、いやあ……それが、な……?」
「場所取り合いで、大人のとも殺す気で戦ったことも多いです! 絶対足を引っ張らないから……」
「そ、そんなこと言われてもな……。えっと、なんだその……なあ⁈」
俺はホームレスを見る。
身長は、物凄く低かった。俺もそこまで高い方ではないのだが、こいつは俺より頭二つは小さい。その上、とても細い。食べ物に恵まれてない生活の影響だろう。ちらっと見える手首は骨ばっていて、握ったらそのまま折れそうなくらいだ。とても男の腕じゃない。
しかしながら……。
……もう、時間がない。
ある程度妥協はするつもりだったが、しかし本当に、こんな奴なんかと組まないといけないのか……?
俺は耳元で響く残り一分という試験官のカウントダウンを聞きながらため息をつく。
「……俺の言うことには、絶対に従うんだな?」
「……! はい! 絶対に! 魔物の囮にもなります!」
「俺の足を引っ張ったりしたら、そのなんだ。お前を見捨てるからな」
「はい! 絶対に!」
俺は嫌々手を差し出し、奴の手を握る。
とても小さく、樹皮のような荒れている手だった。あとなんだかベタベタする。
ふと目が合うと、奴の顔を隠す汚れの下には、まだ幼さが残っているのが見えた。
こいつ、大体俺と同年代に思えるのだが、今までどんな風に生きてきたんだろう。
乾いた奴の手を握っていると、なんとなくそんなことを思ってしまう。
「……おお、すげえ」
その時、二人の間に小さな光と共に一つの巾着が現れた。
俺たちだけじゃない。パートナを組み終わった全チームに、一つずつ、魔法で巾着を渡されたのだ。
流石は魔法と驚きつつ中を見ると、そこには先ほど説明された護符が五枚入っている。
『はい! 時間終了です! 残念ながら、まだチームを組んでない人が十四人いますね。とても残念です』
試験官の声に周りがざわつく。
つまり、試験が始まる前から十四人脱落ってわけか……。
俺は冷や汗を掻きながら今一度胸を撫でおろす。
こんな枯れ木みたいなパートナでも、選んでよかった。組まずに失格になるよりはマシだからな。
『えーっと、本来なら失格処分になりますが……。せっかく用意した島と魔獣が勿体ないので、この十四人にはこちらで無作為に配置してチームを編成させてもらいますね』
言葉と同時に、会場内のあちこちが発光する。
え、ちょ、おい、なんだそれは。
俺が否応なくホームレスとチームを組んだ意味が無くなるだろ。おい、ふざけるな。
「……えっと、その……ごめんなさい……」
「い、いや、べ……別に。こ、後悔してないから……」
俺は震える声で平静を装いパートナにそう呟いた。
『ではこれより本番開始です。順次に皆さんは準備された島に魔法で転送されます。試験は説明した通り、野生での生存競争になります。ライバルになる十チームのうち、最初に魔物を倒したチームのみが合格! それ以外のルールはありません。助言することもなにもありません。野生ですからね! では皆さん、ご武運を!』
言葉が終わり、会場の前方にいた受験生たちから次々と光に包まれ、姿が消える。すげぇ、テレポートのバーゲンセールだ。
「ふう……。まあなんだ。こうなった以上、絶対に合格しような。よろしく頼む。ええっと、俺は中田真一って言う。お前は?」
「え、あ、はい! えっと、な、ナユタです……よろしく、お願いします……!」
ナユタ……。
変な名前だなと思いながら、俺は彼に頷いて見せた。
そして、俺たちの体が薄く発光すると、次の瞬間視界がぼんやりと霞んで……。
俺は、目を閉じた。
気が付くと、そこは砂浜だった。
受験生はチームごとにランダムで無人島に飛ばされるとか言っていたが、実際経験するとまるで夢でも見ているように思えてくる。
「わ、わあ……本当に、魔法ですね……」
「そう……だな」
空間転移魔法は二度目の経験だが、それでも感嘆を漏らす俺たちは周りを見回す。
続いて手に持っている巾着を開けると、五枚の護符を取り出した。
「あれ? まだなんかあるぞ」
護符をナユタに渡してから巾着に手を突っ込みそれを掴む。
丁度手の平に収まるサイズのそれは、羅針盤だった。
しかし、俺の知っている羅針盤とはなんだか少し形が違う。
方位を知らせてくれる記号が何も書いてない。ただ、矢印の形をした磁石のみが、島の奥の方向を示していた。
「こいつで魔物の居場所が分かるってのか……? おい、ナユタ。そっちはどうだ?」
「え、えっと、はい……えっと……」
何故か慌てながら答えるナユタを見ると、護符の内、四枚を俺に見せてくれる。
「火、水、風、土……って、書いてあります」
妙に誇らしげに言うナユタ。そこには彼の言う通り、それぞれ火、水、風、土という漢字が書かれていた。
表記された文字によって、使える魔法がそれぞれ違うらしい。
「そっちは?」
「えっと、えっと……」
そして俺が残りの一枚について尋ねたところ、ナユタはなんだか怪しげにまごつきながら護符を渡してくる。
受け取って目を通すと、そこには〈報せの護符。途中で棄権する場合お使い下さい〉と書かれていた。
「なるほどな。てか使うわけねえだろ、せっかくの魔法学園受験ってのに。……ってどうしたんだ、お前。さっきからもじもじして」
キモいからやめてくれと言いながら疑心げに尋ねると、ナユタは俯きながら答える。
「あの、ぼ……僕、字が……読めなくて……」
「あ……。うん、そっか。まあ、そうか。うん」
俺はなんとなく頷きながら護符に書いてある内容を朗読してやった。
いや、まあ、学校通ってなかったんだな。うん、まあそうだな。仕方ないよな。
……とは思いつつ、俺はこの先のことが不安になって仕方がない。
「取りあえず、方針を決めたいんだが……。さっき話した通り、お前は俺の言うことを聞くってことで、いいよな?」
「は、はい。もちろんです」
幸い、彼は弁えているようだった。
彼も俺と同じく、より学識のある方がチームを主導するのが賢明だと思ったのだろう。
「じゃあ早速だが、護符は全部俺が預かる。これは魔物との闘いのために取っておかないといけないからな。あと、偶然他のチームに遭遇したら取りあえず警戒すること。ライバルだから。いいな?」
「は、はい」
「よし。……多分この羅針盤が示す方に魔物が居る。まずはそっちに向かおう。お前が先導してくれ」
「はい! えっと、先を歩くなら、羅針盤を……」
「いや、俺が後ろから方向を教えてやるから」
「はい……」
俺は、こいつを信用してない。するつもりもない。
俺の願いが掛かった大事な試験を、こいつの所為で無駄にするわけにはいかないのだ。
俺以外の誰であっても、字も読めないホームレスなんかに、自分の大事な試験を任せられるわけがない。
だから……、これは仕方のないことなのだ。
「えっと、じゃあ……こっちに、向かいますね」
「ああ……」
ナユタは大体俺の考えていることが分かっているようだった。
しかしそれでも嫌な顔一つ見せようとしない。
ホームレスである自分を、パートナにしてくれたことだけでも大きく感謝しているのだろうか。
どちらにせよ、俺はこの試験をこいつという錘を付けて乗り越えなければならない。
こいつが駄目な分を、俺が補わなければならないのだ。
「ふう……。直ぐに見つかるといいんだが」
魔物と受験生は島に無作為に配置されると言っていた。
今俺たちから魔物までの距離がどのくらいなのかは知らない。
運が良ければ近くに居るはずで、そうでなければかなり遠くに居るかも知れない。
他のチームに先を越されなければいいんだが……。
そう思いながら、俺とナユタは、島の森林が始まる茂みへと分け入った。
無人島での生存競争と聞いて、ある程度は覚悟をしたつもりだったが……。
俺は思わず「くそ」と雑言を吐き捨ててしまう。
自分の身長よりも遥かに高い樹々に囲まれた道を歩くこと数時間。
人の手の届いてない自然のままの道を歩きっぱなしで、呼吸は荒く脚は砕けそうに痛い。
どこに行っても俺の血を狙う蚊が半袖の衣服から露出した腕やら顔なんかに飛び掛かって来ていて、その上湿度と気温が日本よりずっと高いから、全身は汗まみれで喉も酷く乾いている。
何回目か知らない目眩を覚えながら前を見ると、疲れ切った俺とは違って、元気よくスタスタと進むナユタの背中が見える。
半袖の自分でもこんなに苦しいのに、前を歩いているナユタの奴は、あんなに着込んでいても平気なのか、ぼろぼろの衣服を脱ごうともしなかった。
あんな細い身体のどこにそんな体力があるのか、ナユタは歩く速度を緩めることもなく、時には草や木の実などを採りに進路から外れたり小走りで戻ってきたりで忙しい。
最初は脇目を振るそんな奴の態度に若干の不満を感じたが、しかし目に入る食料は確保しておきたいという要望に俺は頷くしかなかった。
そもそも、今のままでも俺は精一杯だった。これ以上進行速度を上げるとしても、俺が付いて行ける自信がない。体力的に限界だ。
ナユタのことは、やりたいようにさせておこう。
「……しんど」
不意に空を見上げながら呟いた。
でも、空が見えない。
高い木々が紡ぎ出した影の帳によって、まるで夜のように辺りが暗いのだ。
これ、今日中に魔物を見つけるのは無理なんじゃないだろうか。
「あ、あの、よかったら、これ……」
視線を戻すと、足を止めたナユタが俺に木の実を差し出していた。
「食べたら、少しはよくなるかと……」
手渡されてその木の実を怪しげに眺める。
たこ焼きくらいのサイズで、全体的に黄色い。
見た目的には特に問題はなさそうで、普通の木の実に見えるのだが。
しかし、今まで一度も見たことのないその木の実に、俺は未知への不安を感じた。
「……食べて大丈夫なのか?」
「あ、はい。私の分も採ってきたので……」
「いやいや、そうじゃなくて……。毒とか大丈夫なのかって聞いてるんだ」
「あ……えっと、虫に食べられた跡があったから、大丈夫だと思います……」
言いながら懐から同じ木の実を取り出した。
見ると、そっちの木の実は確かに蝕んでいる。
虫が食べたから安全だということだろうか……。
ナユタの言っていることには納得したが、それでも相変わらず警戒していると、彼は自分の木の実を一口齧って見せる。
「あ、味も……匂いも、大丈夫です……」
何度も頷きながら木の実をシャキシャキと噛み締めるナユタ。
その音を聞いてしまっては、我慢なんてできそうにない。
本音を言うと、喉が枯れすぎていて泥水でも啜りたい気分だったのだ。
「……すっぱ!」
「え、え⁈ だ、大丈夫ですか?」
手に持っていた木の実を齧ると、物凄い酸味が舌全体に広がる。思わず吐き出しそうになるくらいだった。
こいつ、こんなものを平然と美味しそうにむしゃむしゃと食っていたのかよ……。
でも……。
こんなものでも無いよりはましだろうと思って、俺は一思いに残った木の実を口の中に放り込んだ。
「……行くぞ」
「は、はい……」
確かに喉の渇きは少しだけ癒されたような気がした。……いや、単に酸味で舌と喉が麻痺しているのかも知れない。
とにかく俺は、短い休憩を終わらせて、ナユタを催促しながら再び歩き出した。
やはり今日中に魔物を見つけ出すのは無理があったようだった。
午後を過ぎると瞬く間に辺りが暗くなって、先に進むのは危険だと判断したのだ。
更に、気付かないうちに足を軽く捻ったのか、もう立っていることすらままならない。
その上、そう遠くない場所から色んな動物の鳴き声まで聞こえてくる始末だ。
仕方なく、今日はここで野宿をして、日が昇り始めたらまた進もうとナユタと話し合う。
先ほどナユタから貰った木の実以外に何も口にしていない。その上に、荒れた道を歩き詰めで疲れ果てた俺は、近くの樹に背を預けて倒れるように座り込んだ。
「……ふう、今日はここで休むぞ……」
「えっと……ここで、ですか?」
俺のことを窺うようにして尋ねてくるナユタに、力の籠ってない声で適当に答える。
「ここ以外どこがあるんだよ……。ここ無人島だぞ」
「えっと、はい……」
深くため息をつく俺を見て、ナユタはなんだかそわそわした様子で頷いた。
「……どうかしたのか」
「そ、その……。や、屋根とかお布団とか……必要ですよね……?」
「は?」
一瞬、こいつが何を言っているのか分からなかった。
「……ここ無人島だぞ、何言ってんだお前」
「い、いえその……そうじゃなくて、その……このまま寝ると、虫に背中を刺されるから……。葉っぱとか、集めてそこで寝た方が……」
疲れの所為もあって苛立った俺の刺々しい言葉にナユタは少し怯えながらも答える。
「ああ……。そういうことか。勝手にしてくれ……。俺はもう一歩も動けん。……それに、暗くて何も見えないし」
「は、はい……。ぼ、僕……夜目が効きますから、その……中田さんの分も、集めて来ますね……」
するとナユタはそのままどこかに向かって姿を消した。
一人残された俺は、闇に紛れるそいつの姿を虚ろな目で追い、
……そして急に意識が切れた。
ハッとして身を起こす。
自分の肩を抱きながら酷く震え出した。
寒い、寒すぎる。
うっかり寝てしまったようだが、物凄い寒さに意識が強制的に叩き起こされたのだ。
「な、なんだよこれ……」
さっきまでは暑くて汗を掻いたというのに、今度は寒くて凍え死にそうだ。
途端に生命の危機を感じた俺は急いで近くの落ち葉などを集めてみるが、身を覆うにはその量が全然足りないし、せっかく集めたものもなんだか滑っていて逆に体温が下がるような気がする。
「くっそ……!」
震える顎に力を入れて歯を食い縛り、その場で腕立て伏せを始めた。
身体を動かすことで体温を上げるつもりだったが、しかし直ぐに動きが止まってしまう。
捻った足首に激痛を覚えて、悲鳴を上げそうになったのだ。
「……やばい」
呆然と呟く。
森の中は静かだった。
静寂に、包まれていた。
微かに聞こえてくるのは、切れ切れで吹いてくる風が木の枝を掠める音だけだった。
それ以外には、何も聞こえない。
そして何も見えない。
こんな暗闇の中で、ここには俺しか居ない。
俺だけが、大自然の中に居た。
「……やばい、やばいやばい……」
震える声で何度も呟いた。
思わず悲鳴を叫びそうになる。
闇を背負った恐怖が、俺の全身を襲ってくる。
「怖い……」
言ってはいけないことを口にしてしまう。
ぽつりと呟いたその言葉に、恐怖が始まった。
俺は、寒さとは別の意味で震え出す。
「……中田さん? 中田さん……あ、あの……どこですか……?」
「……!」
不意に人の声が聞こえてきた。
直ぐ近くのところで、俺を呼ぶナユタの声が小さく響いたのだ。
「こ、ここだぞ……!」
とっさにスマートフォンを取り出して光を照らす。
なんでもっと早くスマートフォンを使おうとしなかったのかと自分に問い詰める暇もなかった。
夢中になって、声のした方向に光を当てるだけだった。
光でこちらの位置を知らせると、ナユタは直ぐにバタバタと向かってくる。
「す、すみません……。夜になったら本当になにも見えなくて……って、ど、どうしたんですか? 顔が真っ青ですよ!」
互いの顔が認識できるところまで来たナユタは、俺の顔を見ると驚いた声を漏らした。
「へ、蛇にでも嚙まれたんですか」
「いや……。夜になったら、寒くて……」
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
ナユタは答えると両手一杯に抱えていた何かを地面に降ろして、いそいそと手を動かし始めた。
見ると、ナユタが持ってきたのは大きな葉っぱや、大小の木の枝と皮。そして比較的に乾いている落ち葉などだった。
ナユタは集めてきた大量の落ち葉と樹皮を一か所に集めると、俺の上体を起こしてその上に寝かせてくれた。そして息ができるように顔だけを残して、俺の身体の上に落ち葉を被せる。
一瞬で出来上がった簡易ベットの上で、思いの外ふかふかなその出来具合に驚いていると、ナユタは木の枝や落ち葉などを使って何かを組み立て始める。
そしてそれが、焚き火のための燃え種であることを理解したとき、ナユタは懐からライターを取り出した。
「……ホームレスすげぇ」
一瞬にして出来上がった焚き火はゆらゆらと燃えながら、ゆっくりと辺りを温めてくれる。
そしてそれをテキパキと仕上げて見せたナユタの動きを眺めながら、思わず呟いた。
「ライターなんて、持ってたのか」
「え? あ、はい……?」
自分と同年代の奴がライターなんて持ち歩いていると言われたら、非行少年がタバコを咥えているところを想像してしまうのは、平凡な高校生としては普通なのだろう。
でもこいつは非行少年なんかではなく、ホームレスなわけで。
「……なあ、なんでライターなんて持っているんだ」
「え? えっと、べ……便利ですから……」
うん、そうだよね。
俺は何となく頷きながら納得した。
「……ふう、暖かいな……。本当、死ぬかと思ったよ」
焚き火を間にして向こうに座るナユタを見つめながらそう言う。
「かなり、その……具合が、悪そうでしたけど……。そこまで酷かったら、その……火を熾せば、よかったんじゃないですか……?」
「ライターなんて、普通の高校生が持ってるわけねえだろ……」
「い、いえ……。あの、その……護符に……」
「あ」
言われてやっと気が付いた。
俺の懐に入っている魔法の巾着。
試験開始の時に渡された五枚の護符。
その中には、試験を放棄する場合に使う報せの護符が入っている。
今のように死の危険を感じた時には、あれを使ってリタイアすればよかったのだ。
むしろ今回は、病にかかったり大怪我をしたわけでもなく、単純に低体温症になってただけだから、火の護符を使って体を温めればいい。
ナユタの御もっともな発言に、俺は返す言葉もなく俯いた。
混乱した余りに、そこまで考えが及ばなかったのだ。
「……ま、魔物と戦うときのために、せ……節約したかった……から?」
「で、でも……その前に、倒れたら元も子もないんじゃ……」
「……うん、そうだよね」
穴があったら入りたい。
そんな気持ちになった俺はナユタから視線を逸らして焚き火を眺めた。
「あ、あの……。お腹……空いてませんか……?」
暫く沈黙が続いたところで、ナユタが腰を起こしながら俺に声をかけてくる。
「……ん、またさっきの木の実か?」
「は、はい……。それと、布団集めに行ったときにも少し……」
言いながらナユタは俺の近くまで来て腰を下ろす。
温まって大分よくなった体を起こすと、ナユタは何かを包んでいる葉っぱを地面に広げて見せた。
そこにはいくつかの小さな木の実と、雑草にしか見えない草。割と柔らかそうな木の根なんかが入っていて……。
そして、もじもじと動く虫が三匹。
「…………」
虫……?
「おおっとナユタよ。木の実に齧りついてた虫まで持ってきちゃったじゃないか。このうっかりさんめ」
「え? ち、違います。これも、その……ご飯……です」
「へえ……」
もう一度葉っぱの上を見る。
俺の中指ほどあるビックな幼虫が三匹。
くねくねと、もじもじと。
……動いている。
「いやいや、ちょっと……。草とか根っこまでなら分かるよ。うん、普通に野菜だよな、ゴボウとか美味しいし。でも待って、これって虫だよ? 昆虫だよ?」
「はい……。体に、いいですよ……?」
「いや、可笑しいだろ。虫だよ? 生きてるよこれ。可笑しいよね?」
「この中だと、一番栄養のある、ご飯ですけど……」
「……」
言葉を失う。
「中田さん、かなり疲れたみたいですし……。少しでも、食べないと……」
嫌味とか、悪い趣味とかではない、純粋な好意の籠ったナユタの声だった。
こいつ、本気で俺のことを心配していて、虫を食べろと言っている……。
「…………」
俺はゆっくりと手を伸ばし、中でも一番小さな――それでも俺の小指よりは大きい幼虫を摘まんでみた。
……クネッ!
「ひえええええええええ! 刺される! 刺されるううう!」
「おおお、落ち着いてください!」
摘まんだ虫が体をくねらせ、指に巻き付いたことで俺はパニックを起こした。
「おっきい! すっごくおっきいから! めちゃくちゃおっきいからああ!」
「だだだ大丈夫です! こ、怖くないですよ! な、中田さんの方が百倍大きいです!」
ナユタが必死に俺を宥めながら何を言おうとするかは理解できた。
そりゃそうだ。人間の方がこんな幼虫よりは百倍以上に大きい。でも、そうじゃない。俺が言いたいのは、そうじゃないんだ。
「わ、悪い……。せっかくだけど、こいつは、駄目だ……。無理無理、絶対無理……」
「え、えっと……でも……」
「すまん……本当に無理……。俺は晩飯抜きでいいから……」
指に絡みついた虫をナユタが取ってくれたことで少しは平静を取り戻せた俺は、ナユタの好意を断りながら身を引いた。
「じゃ、じゃあ……えっと、こっちの……木の実と草の方を、食べてください……」
するとナユタは、それらを俺の方に勧めてきて、残った虫と木の根っこを自分の方に寄せる。
「これは、僕が……貰います、から……」
「え、ちょ……い、いいの? いや、俺としてはありがたいんだけど……」
三匹のでっかい虫を手の平に転がしながら何故か嬉しそうなナユタにそう聞くと、
「は、はい……。えっと、ここまで大きい虫は、僕の居た公園ではあまり見れないから、少し……幸せです。むしろ、その……本当に僕が食べちゃっても……いいんですか? 中田さん、疲れているのに……」
……と、疲れている俺の方が食べるべきではないかと、真剣に心配してくる。
こいつ今までどんな生活してきたんだよ……。
「で、では、いただきます……!」
俺が何度も虫を断ると、ナユタは仕方ないと言いながら、それでも凄く嬉しそうに、中でも一番ビックサイズな奴を摘まんで口に放り込んだ。
「……ポリポリ」
「…………」
何かが潰れる音から逃げるように耳を塞ぎ、無垢に顎を動かすナユタの顔から視線を逸らした。
そうやって視線を落としていると、何となくナユタの足が目に入る。
そして、奴が素足でいるということを、今になって認識できた。
とても、栄養が足りてなくて骨張っている細い脚だった。
ずっと素足だったため、擦り傷だらけで泥塗れになっている、とても汚い足だった。
「……なあ、ナユタ。……お前はこの布団……使わないのか」
「え、えっと……僕は、これ……ありますから……」
ナユタはなんだか自慢げに、本来の色を失った汚いコートとマフラーを見せびらかす。
その顔は、にかっと笑っていて、汚いはずなのに、なんだかとても眩しく見えた。
「そうか……」
二匹目の虫を、麵を啜るように口に入れるナユタから再び目を逸らす。
そして、喉が詰まりそうになった。
俺は、ホームレスであるこいつからパートナになって欲しいとせがまれたとき、本気で嫌だった。
こんな奴なんかとパートナになったら、大事な試験で足を引っ張られると思ったのだ。
こいつとパートナになったのは、単に時間がなかったから仕方なくそうしただけだった。
だから、こいつを威圧して主導権を握り、俺のために俺がチームを引っ張ろうと思った。
してその傲慢の結果がこの様だ。
蛇や獣対策にとこいつを先に歩かせながら、俺はその後ろを付いて行くだけで精一杯だった。
こいつが食料を探して動いているときにも、俺は何もしなかった。
夜の寒さに備えようとすることも知らずに、布団を探すと聞いて馬鹿なのかと思った。
それなのに、俺が身の危険を感じたとき、俺を助けてくれたのは、俺が馬鹿だと思い込んだこいつだった。
普段から食べ物に恵まれていないはずなのに、こいつは俺の身体を心配して食べ物を分けてくれた。
……だというのに、俺がこいつにやってあげたのは、何もない。
自分一人スマートでいるつもりで、苛立ちをぶちまけたり利用しようとしたり、そもそもパートナとしての信頼を与えるつもりもなくて。
とても、最低な野郎だと、自分を非難してしまう。
「……ど、どうしました? どこか、痛いですか……?」
三匹目の虫を勿体ないとばかりに、何度も噛み締めながら味わうナユタと目が合い、俺は「なんでもない」とだけ答えた。
本当に、俺なんかは、なんでもない奴だなと思った。
身体を揺さぶられて目を開けると、辺りが少しだけ明るくなっていた。
混濁した頭で周囲を眺めると、自分が今魔法学園の受験中であることを思い出す。
先に起きたナユタは焚き火を土に埋めて確実に火種を消しているところだった。
「きょ、今日こそ、魔物を……見つけ出しましょう……!」
昨夜は酷く疲れていて、そして落ち込んでいた俺のことをなんとなく気にしているのだろう。
ナユタは俺を励ますつもりでそんなことを言ってくる。
「……ちょっと待て」
そんな奴を呼び止めた俺は靴を脱いで、更に両足の靴下も脱いだ。
「あの……?」
「ほら、無いよりはましだろ」
敢えて顔は見ず、俺は自分の靴下をナユタに渡す。
「……え、く……くれるのですか……?」
「……靴は俺が使うからやれねえけどな。……昨日の例だ。あとこれ。壊すなよ」
淡々とした口調で言いながら、羅針盤も手渡す。
「……その、なんだ。……よろしく頼む」
チームの主導権を握るためと、大事に取っておいた護符と羅針盤。
その片方を渡したことの意味を、こいつは理解したんだろうか。
「……はい!」
ナユタは、俺が奴とパートナを組んだときよりもずっと、
輝いた笑顔を見せた。