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事務所の二階のぼろぼろのソファで寝ていたケイは静かに身体を起こした。
くうう。
小さく腹が鳴った。立ち上がり財布をポケットにねじこみ階段を下りる。途中あの破砕機が視界に入る、まだ少し血の匂いが漂っているように感じられた。
街中に向かい歩いて行く。何を食べようか、ピッコロのトラットリアにするかそれとも。
腹と相談しながら歩いていると通り沿いにパトカーが停まっていて、警官がもたれ掛かって立っていた。小腹が減ったのか露天で売られている何かドルチェでも食べているようだ。
「よう、掃除屋」
目が合うと話しかけられた。この警官は顔見知りで名前は確かマリオと言ったと記憶している、この街の警官は皆少なからずファミリーと通じており、その中でもこのマリオはファミリーとずぶずぶに繋がっている。何かあった時警察署に通報が行く前にこの男に連絡が入る程だ。
「やあ」
そして、話し出すと長いと言う事も思い出した。
どうしよう。早く何か腹に入れたいけど。
「昨日仕事が有ったんだってな」
「耳が早いね」
知っていて当然だとは解っていたが、話を早めに切り上げたいので適当に相手をした。
「ロミオだったか・・・相棒はどうした?」
「さあ。呑みに行ったみたいだから今頃寝てるか、頭痛を堪えてるんじゃないかな」
あの仕事の後は大体呑みに行くのは知っていたので、そう答えた。
ドルチェを齧り咀嚼しながらマリオは続ける。
「はは、だらしねえな。今日は休みか?」
「まあ、今のところはね」
いつ、また仕事が舞い込むかはわからない。
「気が休まりやしねえな、おちおち昼寝も出来ねえ」
仕事中にドルチェを頬張る警官が昼寝ときた。良い身分だなと思う。
「そうだね。また、何かあったら頼むよ」
「ああ」
今までも何度と無くマリオが手を回し色んな出来事を握り潰してきている。多分昨日の男もどこかで拉致されてきてそれは誰かに見られていたかも知れないが、騒がれている様子が無いのはきっと何かしら手を回したからだろう。
マリオに手を振り歩き出す。お世辞にもスマートとは言えない中年の男がドルチェを食っている様を見て食欲など湧くはずも無いが、それでもそれが旨そうに見えるほど腹が減ってきている。
通りすがりざまマリオがぼそりと言う。
「お前も大変だな、掃除だけじゃなく呼ばれりゃ別の仕事が待ってる・・・」
聞こえないフリをしてそのまま立ち去る。意識して視界から消した、多分下卑た顔をしているだろう。見たくも無かった。
朝食とも昼食ともつかない時間に店に入って適当に注文し、腹は膨れたが別れ際のマリオの科白に多少気分を害したケイは途中酒屋に寄りビールを買って事務所に戻って行った。
港の護岸を歩いていると事務所の前に所在無さげに黄昏ている見知った顔を見つけた。
護岸の際に腰掛けぼんやりと煙草を咥えていた。
「ロミオ」
近づき横に立ち買ったばかりの少しぬるくなったビールを差し出した。
「どうした?」
「・・・ケイ」
ビールを受け取りプルタブを起こす。
あふれ出る泡を見つめごちる。
「リタに振られた」
余りにも寂しそうな顔で言うので可笑しかった。
「・・・はは」
「笑うなよ」
声に出してしまっていたようだ。
「悪い」
「いや、いいや。確かに笑われても仕方ねーし」
ぐび。一口すする。
ケイも缶を取り出し一口流し込んだ。
海の向こうで白い雲がゆったりと流れ、ちゃぷちゃぷと波の打ちつける音が耳を撫でた。
ふう。ため息をつき、ロミオが口を開いた。
「どうしてこうなっちまうんだろうな」
いつもの様にケイは傍でロミオの独白に耳を傾ける。
子供の頃から要領が悪くてバカで何をやっても人並みに出来なくて、いつの間にか踏み外してた事に気付かないでチンピラみたいな生活してて、働こうとしてもまともに仕事も出来なくてちょっとやっては辞めてを繰り返して、それで気が付いたらファミリーの下っ端としてまともじゃ無い事で金貰って、でももうそんな事でしか生きていけないんだ・・・さっきもリタがメシ作ってくれたんだよ、でもそこに魚があってさ、それを見たらダメだった、だって絶対アレを食ってると思ったらどうしても気持ち悪くなってさ。そしたらリタが怒って・・・追い出された。二度と来るなってさ。ホントどうしてこうなったんだろう。
ロミオが泣き言を言うのは珍しくないが、今回は相当参ってると感じられた。
ビールを一気にあおるとロミオは続ける。
俺だってこんな事ホントはしたくなんか無い、しちゃいけない事なんだってわかってる。でももうこれ以外無いしどうしたら良いか、わからねえ。
なにか慰めの言葉を掛けようと思うが、大したことは思いつかない。だからこんな事しか言えなかった。
「なあロミオ、俺だってそうさ。お前と同じだよ」
こういう時ケイが何か言ってくれる事なんて余り無く、少しロミオは驚いた。珍しくケイはまだ言葉を続ける。
「例えば俺たちがこんなことしてなかったとしても、誰かが代わりをやってたよ。この街じゃボルケーゼが絶対だ、それは変わらない。なら誰かが殺され誰かがそれを処理することになる。たまたま俺たちがその役をこなしているだけさ」
ちらりとケイを見るとどこか諦観したような顔で、どこか遠くを見つめ自分にも言い聞かせているようだった。
そして、ロミオと目を合わせこう言った。
「知ってるか?人は死んだら花になるんだってさ」
「・・・なんだよそれ?」
聞いたこともない事だったし、考えもしなかった事だ。
「昔お婆ちゃんが言ってたんだ。そう、だからきっとあの人達も今頃何処かで花を咲かせているさ」
だから、気にするな。そう微笑みながらケイは言う。
ロミオにとっては全く理解出来ない事だったが、ケイが自分を慰めてくれているという事だけはバカな頭でも理解できた。
「花・・・ねえ」
ごろりと寝転がって空を見て反芻する。
「俺はそんなのゴメンだな。またこの世界に生きなきゃならないなんて」
一度で充分。そう思った。
「そうか?俺は好きだよ」
ケイにしては饒舌だと感じていた。なにか何時もと違う気がする。
「俺はさ、ロミオ。花になるならタンポポが良い。そう思ってるんだ」
慈悲めいた表情で言うとビールを飲み干した。
タンポポってあの小さなヤツか。どこにでもあるありふれた花だろ、どうせなるならもっと特別で価値のあるのを選べばいいのにと、ぼんやりと思った。
するとケイは真剣な面持ちでロミオに告げた。
「ロミオ、頼みがある・・・」
「うん?」
ケイの願いはとても首を縦に振れるものでは無かった。