第9話 ギルドでのお約束
突き飛ばされ、私はバランスを崩す。もちろん床に倒れるなんて無様な姿は見せない。というか倒れる前にイリスが抱き止めてくれたが。
しかし自動反撃のスキルを切っといてよかったよ。もし発動すれば、その瞬間に相手は肉塊と化していたかも知れないからね。
「貴方たち危ないんじゃないかな」
イリスの声は明らかに怒気を含み、私怒ってますと言うかのようだ。
私との再会に緩んでいた彼女の顔は険しいものへと変わっていた。そう、それはまるで明確な敵を前にした冒険者の如く。きっと知る者が見れば現役時代を彷彿とさせたに違いない。
「おいおい、そう怒んなよ、ギルドのねぇちゃん。俺達はただクエストの報告に来ただけなんだからよぉ」
新たにロビーへ入って来たパーティのリーダーであり、私を突き飛ばしたと思われる男が告げる。もちろん悪びれた様子は微塵もない。
当事者の私は静かに男達を観察する。
あれだね。モヒカンで棘付き肩パットを身につけ、火炎放射器を担いでヒャッハーしてはいないが、その身から小物感溢れ出るザ・モブって感じだ。新人相手に先輩風を吹かし、異世界転生主人公の俺Tueeeからのきゃー格好いい抱いてコンボの餌食になること間違いなしの噛ませ百パーセント。
まあ、体付きや足運び、装備の品質や傷の状態から、自負できるそこそこの実力がある事は見て取れる。けれどイリスを知らない井の中の蛙で、その実力にも気付けない点から考えて、ランクは頭打ちで高ランクへの昇格は絶望的だろう。それを本能的に自覚し、無意識に焦り、立場に危機感を覚えているが故に格下──と思われる相手──の躍進を警戒して傲慢な態度を取ってしまうのだろう。やっぱり陰で新人潰しとかしているのかな?
「すまねぇな、お嬢ちゃん。小さすぎて見えなかったぜ」
そう言ってリーダー格の男はニヤニヤしながら乱暴に私の頭を撫で付ける。その光景に男の仲間達が声を出して笑う。
おい、よせ、髪が乱れるじゃないか。
一方、成行きを見守っていた周囲が再びざわめいた。
「死んだな、あいつ等」
「あの人達、黒の森の支配者を知らないの?」
「確か最近帝都に来た田舎もんだろ? 噂も知らないって可能性が無いこともないか」
「誰か教えてやれよ」
「こりゃ逃げた方が良いかもな」
ある者は驚愕し、ある者は呆れ、ある者は戦慄し、ある者は足早にギルドを後にする。
そんな周囲のざわつきの意味に気付くことなく男は続ける。
本当に無知って怖いね。
「けど冒険者ごっこは余所でやりな。それにお嬢ちゃんみたいなのが護衛も無しとか、変態貴族に売られても文句は言えねぇぞ」
私の身を案じてくれるなんて実は良い人なんじゃないか、などとは決して思わない。脅して怖がらせるつもりなのか、頭の上に置かれた手に力が込まれる。私としては痛くも痒くも感じないが、普通の子供だったなら痛みと恐怖を感じているだろう力加減だ。
しかし私に護衛が必要とか笑ってしまう。たぶん身に付けている装備品から、ある程度裕福な家の娘だと推測したのだろうが。
身に纏うバトルドレスや外套に関しては──さすがにアーティファクトや伝説級の代物ではないが──それなりに上質な物を選んだつもりだ。さらに言えば家でゴロゴロするには不要な物なので使用機会は少なく、手に入れた当時のまま新品同然の状態である。
それら事実が男の考えを肯定し、我が儘娘が親に強請って買わせたなどと勘違いを加速させたに違いない。命を懸ける冒険者からすれば、例え子供のお遊びでも不快に思う者は居る。目の前の男もその一人というわけだ。
けれど一時の感情のままに行動を起こすのは冒険者として失格だ。まあだからこそ高ランクにはなれないのだろうけど。
もし本当に私が貴族令嬢だったなら男は今頃拘束されているか、すでに頭と胴体が泣き別れている可能性すらある。
この世界は奴隷を始めとする身分制度が存在する格差社会だ。当然のように貴族至上主義の国家も存在し、その国で貴族は自身よりも身分の低い者を見下す事が当然のことだと認識して生活している。爵位を持たない者は人とすら扱われず、その命は気付かれることなく踏み潰される蟻にも等しい。
そう、この世界の命の価値は──現代日本に住んでいた前世の記憶を持つ私にとって信じられない程に──低い。低すぎると言わざるを得ない。
文明レベルで根付いた魔族との戦争、無くなることのない魔物の脅威が人々の感覚を麻痺させているのだろうか?
一部を除いて冒険者は使い捨ての消耗品扱いだし、法治国家の大都市の片隅でもパン一欠片で命が消える。いや、後者は前世でも私が知らないだけで起こっていた可能性のある話か。
“ありがとう、お姉ちゃん”
自然と身体が強張り、奥歯を噛み締める。
ああ、嫌だ嫌だ。思い出さなくても良いことまで思い出して少し鬱になる。
私は気分を切り替えるために大きく息を吐き出す。
ある程度の効果はあり、陰鬱さは鳴りを潜めるが、現在進行形で続く苛つきまでは収まらない。
「いい加減その汚い手を退けてくれないか」
おっと、自分でも驚くほど低い声が出たよ。驚いた男が思わず後退るほどに威圧を込めて。
でも仕方がないね。ただでさえ慣れない人混みに嫌気が差し、羞恥に身悶えし、そこに来て横柄な態度をとる見ず知らずの男だ。前世最後の一件以降、さらに男性に対する苦手を加速させた私にとってストレスが限界だったんだろうね。
冒険者に荒くれ者が多いのは事実として知っている。それにクエストからの帰還後、命のやり取りから解放された事に安堵し、そこに達成感も加わり気が大きくなってしまった結果、普段ならしない過ちを犯してしまうことも理解している。理解はしていても、それはそれ、これはこれだ。
「あと冗談でも私を奴隷に落とすとか、貴族に売るなんて考えは捨てた方が良い。これは心優しい私からの忠告だ」
実際にそんな事態に陥っても──まあこのチートボディだと物理的にも精神的にも陥る方が難しいけど──私個人としては穏便に対処できる自身がある。
けれどそんな事がとある駄エルフ達に知られれば、どこからとも無く戦略級殲滅魔法が降ってきて街が焦土と化したり、某アイドルのソロコンサートが開かれて全住民強制参加のバトルロワイヤルが始まるとか、何れにしろ面倒な事になるだろう。あいつら私に耐性があるからって、私ごと敵を殺しに掛かることがあるんだよ。確かに効率的だと思う。死なないし、囚われの姫を演じるつもりはないから良いんだけどさ、気分的に何かこうねぇ?
「っ、ガキが!? 馬鹿にしやがって、二度とそんな口を利けなくしてやろうか!」
まるで自分を奮い立たせるように男は声を荒げる。耳まで紅潮しているのは幼女相手に一時でも怖じ気づいた自分を恥じているからかな?
残念だけど、さらなる恥の上塗りをしてもらうとしよう。
「出来るものならすればいい。まあ、キミ程度が私に傷一つ付けられるとは思わないけれどね、ふふっ」
私は舞台役者のように腕を左右に大きく広げ、盛大に男を煽る。
例え魔王でも私を傷付けられないような気もするが何も嘘は言っていない。ただ事実を述べただけだよ。
「良いよね?」
「もう仕方がないかな」
私の問い掛けにイリスは呆れ混じりに答えた。
本来ならギルド職員である彼女に任せるべきなのかも知れないが、喧嘩を売られたのは私だ。それを私が買っただけ、意地があるんだよ女の子にも。
そもそもギルドは冒険者の私闘や決闘を禁止してはいない。冒険者同士の問題も全ては自己責任、まったく便利な言葉だよね。汚したり壊したりすれば、当然修繕費や迷惑料の支払いを求められるけれど。
「糞がッ、絶対に後悔させてやる!」
最初は軽い冗談や悪戯のつもりであったとしても、さすがに幼女からここまで言われて今さら引き下がれはしないだろう。
男が身構える。最後に残ったプライドなのか得物は抜かないようだ。
「別に良いんだよ、素手じゃなくても。私は全然構わないからね」
「くそがあああああぁぁぁぁぁッ!!」
遂にキレた男が床を蹴り、接近と同時に拳を放つ。
その動きは中々に速く、敵に対して──相手が幼女の姿でも──迷いがない点などは評価できる。己の身体能力に自信を持てるほど、実は日々努力を積み重ねてきたのかも知れない。
だけど残念ながらその全ては一般人の枠を逸脱するものではなく、彼の努力を私のチートボディは嘲笑う。
半歩横に移動すると、先程まで私の頭部があった空間を拳が通過する。それに合わせてただ拳を振り上げただけでカウンターが決まった。
私の拳が男の肘に触れ瞬間、骨が砕ける嫌な音がロビーに響いた。固唾を呑んで見守っていた冒険者の中には目を背けた者も居るだろう。
うん、上手くいった。腕を千切らないように力加減するのは難しいからね。
何が起こったのか、男はすぐに理解できなかったに違いない。それでも咄嗟に次の攻撃に移れたのは、熟練冒険者としての経験の成せる業か。
眼前に迫る男の膝を、私は容易く片手で受け止め、そのまま握力に任せて粉砕し、ゴミのように投げ捨てた。
男の身体は机や椅子を巻き込みながら床の上を転がっていく。
そして止まった先で、気を失うことのなかった男は叫び声を上げた。痛みからか、恐怖からか、絶望からなのかは分からない。
だが完膚無きまでの敗北の事実だけは、その場に居た全員が理解したはずだ。
心が折れていてもおかしくないだろう。
幼女が大の大人を一蹴する光景のインパクト、計り知れない実力差、そして私の異常性を直視し、誰もが言葉を失うと同時に動きを止めていた。例え黒き森の支配者の噂を耳にしていても、実際に目の前で起こった光景を上手く処理できなかったに違いない。まさに百聞は一見にしかずだね。
男が率いるパーティのメンバーですら助けに動く気配はなく、むしろそれどころか逃げ出す算段をしていると容易に想像がつく。それが事実だとしても薄情だとは思わない。冒険者を長く続ける上でリスク回避能力こそが極めて重要なのだから。
静まり返ったロビーに男の苦悶の叫びだけが響く。
その声を聞きながら、興奮が収まり、冷静さを取り戻した私は思う。
またやってしまった、と。
このチートボディの唯一の弱点は煽り耐性の低さだろう。さすがのチートボディもそこまではカバーしてくれない。いつも後で悔やむことになるのだけど、こればかりは私が私である以上仕方がないことだ。
あまりの大人げなさに罪悪感がふつふつと沸き上がる。きっと周囲の人たちも──イリスを除いて──ドン引きしているに違いない。
この状態であの男を放置すれば、彼は職を失うどころか、この先の人生までも失ってしまう可能性がある。
一時の戯れの代償が大きすぎるというか、このままでは寝覚めが悪くなるというか……。
ああ、もう、仕方がない。
「抜剣」
手を翳して私が呟くとほぼ同時、待ってましたと言わんばかりの速度で眼前に一振りの剣が出現する。
禍々しい光を放つ黒き刃。
その柄を握りしめた瞬間、剣は喜んでいるかのように燐光を周囲へと放出した。
いや、そんな演出必要ないから……。
私が剣を抜いたことで沈黙していたギャラリーから小さな悲鳴が上がり、非難の声が聞こえてくる。
「おいおい、まさか止めを刺す気かよ」
「しっ! バカ、お前まで消されるぞ」
刺さないよ? いや、刺すんだけど止めは刺さないよ。ちょっとチクッてするぐらいだからね。ここ戦場じゃないし、そんなに鬼畜じゃないから、ホントに。そもそも殺る気があったなら最初のカウンターの時点で、いや触れられた時点で殺していたよ。殺すKAKUGOイベントなんて、とっくの昔にクリア済みだからね。
歩み寄った私は手にした剣を逆手に持ち替え、その先端に男を捉えると、迷いを捨てて振り下ろす。
再び悲鳴が上がるが無視だ。
「奪え」
私の命令に応え、男へと突き刺さる剣の刃が、まるで生きているかのように脈動した。
その瞬間、男の顔から苦悶の表情が消え、自分の身に何が起こったのか理解できずに呆然とする。
端的に言い表すならば痛みが消えた、その一言に尽きるだろう。
いや、痛みどころか、男の身体からは私の攻撃で負った怪我が消えていた。例え前世の記憶にある高度な医療技術を用いたとしても、後遺症が残ったであろうレベルの怪我が跡形もなく。
ファンタジーなこの世界には当然のように治癒魔法が存在している。けれど万能からは程遠く、あくまで生物が持つ自然治癒力を一時的に強化しているに過ぎない。例えどんなに高位な治癒魔法でも、残念なことに蘇生魔法なんて夢物語。欠損部位を再構築しようとすれば、それこそ失われた古代秘術である復元魔法クラスを必要とする。
しかし私が手にする──如何にも厨二病発症患者が好んで使いそうな黒に金の装飾が施された──装飾剣、その名も魔剣ペインキラーなら、どんな致命傷や欠損でさえ立ち所に回復させてしまう。まるで怪我を負ったという事象そのものが消えてしまったかのように。
どんな痛みも消し去る。そう、ペインキラーならね。
うん、まずは自身の名前が持つ痛々しさから消せよと、かつての厨二病を患ったことのある私は精神を抉られながら思う。
まあ、この便利なアーティファクトでさえ万能ではなく、その発動条件は痛みを感じている対象者に追い打ちを掛けるという、なんともSッ気たっぷりな仕様となっている。その為、意識のない者や過去に負った怪我、そして心の傷までは癒せない。
「これでチャラにしよ────」
「ごめんなさい、もう逆らいません。ごめんなさい、殺さないで下さい。ごめんなさい、もう触れません。ごめんなさい、殺さないで下さい。ごめんなさい、もう許して下さい」
用済みとなったペインキラーを片付け、和解を提案しようとしたら物凄い勢いで謝られた。
「いや、あの……」
「ひいっ」
目があった瞬間、男は悲鳴を上げる。
まるで化物を見るような怯えた瞳。まるでなどではなく、この世界の住人にとって私はまさしく化物なのだろうね。怯えられるぐらい別に珍しい事じゃないよ。
そんな私に好意的に接する者の方が異端だと思う。
床を這って逃げるように私から距離を取る男の股間の辺りが湿っているが、気付かない振りをしてあげるのがせめてもの優しさだろう。
さて、この後どうしよう?
ロビーは何とも言えない空気に支配されてしまっている。
面倒事を片付けようとしたら、騒ぎを起こして新たな面倒事を生み出してしまう。本末転倒だね。私が悪いのかな? 悪いんだろうね。
助けを求め、イリスへと視線を送るが、彼女も困惑している様子。
駄目だ、役に立ちそうもない。
ギルドで喧嘩なんて日常茶飯事だろ?
職務怠慢じゃないか、ギルド職員。
その何ともし難い静寂を破るかのように、パチパチと拍手の音が聞こえ、釣られて視線が音の発せられる方向へと動く。
視線の先、ロビーの奥へと繋がる通路から姿を見せたのは一人の女性。壮麗にして荘厳な白き神官服を身に纏い、傾国の美女を思わせる美貌に──見る者に安堵を与える──聖母のような優しい微笑みを浮かべている。
彼女の登場と、その微笑みに場の空気が緩んだ。
「さすがは聖女様、その神の御業の如きお力は健在のご様子。素晴らしいですわ、ええ本当に素晴らしい」
まるで陶酔しているかのような熱い視線に射抜かれ、私は思わず半歩身を退いてしまう。
彼女こそ今回の元凶、私を呼び出した手紙の差出人として見当をつけていた相手。
何ら確証はないが、多分私が喧嘩を売られたのは彼女の思惑によるものだと直感する。直接的にしろ間接的にしろ他者を自分の望むままに動かすのは彼女の専売特許だ。
アレクシエラ聖教会聖女派筆頭枢機卿=シオン・ローレシア。
その正体は狂信者、聖母のような悪魔の微笑みに騙される者は数知れない。




