第10話 聖女時代
イリスに伴われて向かった先は、一般の冒険者が立ち入ることの出来ないギルド上層階に存在する応接室の一つ。公にできない報酬の受け渡しや、特別な依頼人からの特別なクエストの依頼と、その受諾条件の交渉の場として主に使用されている。
特別な依頼人には地位の高い者が多いことから、置かれている調度品は高級品ばかりだ。毛足の長い絨毯や座り心地抜群のソファ、高級石材のテーブルや稀少動物の剥製。ある意味では仲介料や経費を搾取された冒険者の血と汗と涙の結晶だね。
だけど今の私はソファの座り心地なんて気にする余裕はない。現役時代の私も何度か通され、面倒事を押し付けられた経験のある部屋だ。どうせ今回の呼び出しでも十中八九同様の展開が待っているに違いない、と考えれば心穏やかでは居られないよ。
そして何より対面のソファに座る狂信者=シオン・ローレシアと二人きりなのだから。
クスリでも極めているかのようにうっとりとした様子の彼女は、喜びオーラ全開にしながら、常に浮かべられた微笑みで私をロックオンしている。
見る者に安らぎや安堵感を与えるその微笑みが、磨き抜かれた人心掌握術の一つである事実を知る身としてはめっちゃ怖い。
「はぁ……」
思わず溜息が出る。
イリスに同席を求めたが申し訳なさそうに断れた。ギルド長からの指示らしい。
私が救い出した過去を持つ元高ランク冒険者も、今やギルドの狗。語尾にワンとか付けないだけ、どこぞの駄エルフよりマシか。
悔しい、でも抗えない。お給金には勝てなかったよ。
まあ彼女にも生活がある事は理解しているので、恨むのは筋違いだと納得するしかない。
そもそも人払いをした上で高度な盗聴防止の結界まで張られている現状、彼女を巻き込むのは避けた方が賢明だろう。
「それで、わざわざあんな手紙で呼び出した用件は何かな?」
私は脳裏を過ぎった手紙の内容に顔を顰めながら本題を切り出した。
だって拝啓愛しの聖女様から始まり、延々と私に対する美辞麗句と厨二的な異名による賛美が羅列されていたんだよ。全体の割合からすれば八割以上。そして最後には過去の功績(黒歴史)と、それを為した私の存在を正式な教義として、魔導具の映像記録付きで広める事になるかも知れないという脅し付き。顔を顰めたくもなるというものだ。
「……もう少しその御尊顔を眺めていたかったのですが」
何やら残念そうに呟いた後、ローレシアは居住まいを正して言葉を続ける。
「余りに簡素な文面で私の信仰心の一端すら感じて下さるか不安に思い、夜も眠れませんでしたが、こうしてお越しいただけたことにまず感謝いたします」
言い終わると同時に深く頭を下げるローレシア。その言葉が事実なのか、化粧で隠してはいるが彼女の目の下にはうっすらと隈が浮かんでいた。
って、いやいや、あれが簡素? 私の精神が汚染されるぐらい濃厚だったんだけど?
しかも立場ある枢機卿が所属する教会の崇める女神以外に信仰心とか、誰かに聞かれたらどうする気なんだ。いや、彼女なら嬉々として私への信仰を公言するんだろうけどさ。
彼女が私を聖女様と呼び、信仰の対象として崇めているのは、いつものように私が彼女に対して何かをしたからではない。今回ばかりは断じてない。
問題は彼女の家系にあった。
代々聖教会の要職に就いてきたローレシア家との繋がりは、その昔せっかくチート性能があるんだから人助けでもしてみようと、万能感や優越感から柄にもなくボランティア精神を発揮したのが事の発端だった。魔物の襲撃から村を救い、怪我をした者に癒しを与え、子供達に簡単な教育を施し、上下水道などのインフラ整備や衛生環境の改善に口出しを行ったりしてみた。その時関わった人の中に当時のローレシア家当主が居たわけだ。
一部で聖女だとか女神の再臨だとか呼ばれていた私の力を利用しようと考えたのか、本気で私の行いに賛同して援助しようと考えたのかは不明だけどね。結果として私はローレシア家と手を組む形でアレクシエラ聖教会──大陸の全土に信者を抱え、その影響力は大国をも揺るがすとされている世界最古にして最大の宗教組織。歴史を紐解けば魔王の脅威に対して勇者召喚の儀を行ったこともあるらしい──へと干渉する事になるのだった。
まあ、当時の私はその規模を正確に理解しておらず、前世でしつこく勧誘を受けた経験から宗教にあまりイメージはなかったけど、利害関係は一致しているのだから、こちらとしても利用しない手はない程度に考えていた。
その甲斐あってこの世界の衛生環境はある程度引き上げられたと自負している。
中世ヨーロッパみたく道に排泄物を捨てるとか有り得ないよね。そこそこ発展した都市でも道端に汚物の塊が転がり、しかもそれが犬の糞ではなく人の便だという事実にカルチャーショックを受けた。その衝撃は凄まじく、思わずヤックデカルチャーと叫んでしまうほどだったよ。
伝染病とか怖すぎる。ハイヒールを生み出す前に、まず根本原因を改善しようと何故思い至らなかったのだろうね。不思議だ。こういう時こそご都合主義の代名詞たる魔法の出番じゃないのかな。
あと私が教会内でやったことと言えば、聖騎士や異端審問官の訓練に参加して鍛えたぐらいだ。大規模な魔物の発生や魔女の出現に対抗する為に組織された、謂わば国境なき軍隊。大陸各地へと派遣される精鋭のはずなんだけど、当時の聖騎士達はお世辞にも強いとは言えず名前負けしていたんだよ、これが。
だからそれなりに戦えるまでには水準を上げておいた。最初は幼女な私を馬鹿にしていた彼等も、最後には何を言っても真顔でイエス・マムと返してくるまでに成長した。多分命令すれば聖戦にだって文句一つ言わずに参戦する事だろう。うん、私は悪くない。怖いね、宗教って。
権力闘争や組織改革などの面倒事には基本的にノータッチだったんだけど、気付けばローレシア家を筆頭とする派閥が台頭し、何故か私の名を旗印とする聖女派を名乗っていた。正直止めて欲しい。
もっとも聖教会と関わっていたのは、転生後の私の人生の中でもほんの短い期間であり、今では私が聖女と呼ばれていた事実を知る者は極僅かとなっている。
決して聖女派のマスコットになるのが嫌だったから逃げたわけじゃないよ。
ただでさえバグった戦闘能力を誇っているのに、さらにいつまでも成長しない幼女なんて魔女認定されてもおかしくないよね。むしろ聖女フィルターがあったとしても魔女認定されなかったのは奇跡だ。まあ、見方次第で聖女と魔女は一枚のカードの裏表なんだけど。
さすがに折角鍛えた聖騎士や異端審問官を自分の手で返り討ちにするのは、例え手加減するにしてもちょっとね。彼等も敵わないと理解していて挑むのは酷だろう。
え、彼等に畏れられていたから敢えて追求されなかった? Haha、何を仰るやら。
でだ、私と協力関係にあったローレシア家では、何を血迷ったのか、聖女を敬い崇める事を家訓と定め、代々子供達へと受け継がせている。
教会内で発言力の低かったローレシア家が、一大派閥の長へと上り詰めた背景に私の存在と功績があったことは覆しようのない事実。その貢献に対する感謝の気持ちを忘れないための処置だろうか。感謝の気持ちを忘れず、謙虚に生きることは悪い事じゃない。悪くはないがローレシア家の場合、明らかに度を超している。
物心付く前から美化された私の物語を読み聞かせ、また魔導具の映像記録を繰り返し見せてインプリンティング。さらに思想教育のごとき洗脳によってローレシア家の家系は聖女派信者と化すという。その積み重ねの結果が目の前に座る狂信者になるんだけど、一体どうしてそうなった?
取り敢えず、今の私を知る者が見れば「誰これ?」って言うに違いない聖女時代の黒歴史が収められた魔導具は、是が非でも破壊したいところだよ。
「いや、一々大げさだから。それで一体何があったって言うのかな?」
「大変心苦しいのですが、今一度私達にそのお力を貸していただきたいのです」
「まあそうだろうね。でも内容によるよ」
私の力を知るローレシアが、その力が必要だと判断し、脅迫までして早急に呼び出さなければならなかった事情だ。
ただ会いたかったなんてくだらない理由ではなく、確定的明らかに面倒事なのは理解しているが、ここまで来て聞かずに返るわけにもいかないだろう。
「はい、それは……」
よほど言い出しづらい事なのか、彼女はテーブルの上に置かれたティーカップに手を伸ばし、解毒魔法を唱えた後、唇を湿らせる。
何を口にする時、解毒魔法を使用することがこの世界の貴人の常識だ。解毒魔法のおかげで毒味役は必要なく、熱い料理も普通に食べることが出来る。魔法様々だね。
私? 用意してくれた人を完全に信用しているというわけではないが、一々魔法を使うのが面倒なので普通に口にしているよ。私の胃は丈夫だから致死量の毒ぐらいではビクともしない。チートボディ様々だね。
「端的に申し上げます」
「うん」
私もまた用意されていた紅茶に口を付ける。あ、美味しい。茶葉の良し悪しは分からないけど、多分お客様用の高級品だと思う。後で仕入れ先を聞いておこうかな。
「ヴァレンティア帝国第三皇女殿下の行方が分からなくなりました」
お、おう。危うく口に含んだ紅茶を盛大に吹き出すところだった。
どうやら私は予想以上の面倒事に巻き込まれるらしい。




