19話 逃げた先
部屋に侵入した時と同じように特製のピッキング道具を使ってシャノンに付いている手枷の鍵を外した。そして部屋に細工をしたあとでシャノンの体を抱き上げる。音を立てないよう慎重に廊下へ出ると、人の気配がないか周囲をうかがう。相変わらず耳が痛くなるような無音。誰もいないようだ。今は使用人の数が少ないことに感謝だった。
棒切れのような体を抱えて階段を上がり、アーネストは自分に当てられた客室へひっそりと戻った。
「フィン。お湯を沸かしてほしい」
「アーネスト様……どなたを抱いてらっしゃるので」
「後で説明する。早くお湯を」
すぐさまベッドへ寝かせ、道具箱から切れ味のよい大きめのハサミを取り出した。覚悟を決めてシャノンの服へ刃を当てる。
「いったい何を」
「おまえは見るな。俺はあとで謝る」
言い終わらないうちに、シャノンの服をジョキジョキと切っていった。服の内側に隠された傷やあざを確認する為であり、ひどく汚れた衣服を取り替える為だ。
上から下まで布を断ち切るとそれらを慎重に脱がせていく。やはり暴力を受けた痛々しい痕跡があちこちに見られた。栄養状態もかなり悪い。手枷がついていた部分は赤く爛れており、ここも治療が必要だろう。
気の利く従者はアーネストの動きを察して、ガスランプでお湯をわかす間に、水の入った桶やタオル、救急箱などを用意した。
温かいお湯で濡らしたタオルで全身をすばやく拭うと、男もののシャツと下履きを着せた。間に合わせで申し訳ないが、あの格好のままだと治るものも治らない。
体が冷えないように毛布を肩まで引き上げてやるとシャノンの表情が心持ち緩んだ気がした。アーネストは桶のお湯を新しくしてもらい、改めて髪や顔、首もとの汚れを拭いてやる。
いったいどうしたらこんなひどい事ができるのか。
「アーネスト様、その方はいったい……」
「おそらくシャノン・ライランスだ。ひどく衰弱したまま部屋に捕らえられていたから連れてきた」
「つ、連れてきたって」
「もしかしたら姉さんたちの重要な情報を握っているかもしれない」
実は何も知らず、とんでもない爆弾を抱えてしまった可能性もある。でもそんなことはどうでもいい。アーネストはこの命を守ると決めたのだ。
フィンに指示をして飲ませるものを持ってきてもらった。妙に甲斐甲斐しく世話をしている自分に苦笑しながら、アーネストはベッドに腰掛けてシャノンの下に大きめのクッションを挟む。その拍子に、金糸のようなシャノンの髪が眠った顔にかかった。
手を伸ばし、髪を優しくよけながら、アーネストはつぶやく。
「早く元気になって、きみの名前を聞かせてくれ」
◆◆◆
シャノンはずっと夢を見ていた。
悲しかったり、寒かったり、痛かったり、いろんなイヤなことが次々と襲いかかっていたのだが、ある時それがぴたりと止んだ。
久しぶりに体がすっきりした気がする。それに心地よい寝具に包まれる時に似たこの上ない安心感。まだ体は鉛のように重いけれど。
時々、耳触りのいい声がシャノンへ語りかけてくる。シャノンは返事をしたい。でも夢の中だからかうまく声が出ない。
大きな手がシャノンに触れる。嫌ではなかった。兄だろうか。メアリだろうか。だったら離れてほしくなくて、シャノンはその体温にすがる。
もうひとりぼっちは嫌だ。
どこにも行かないでほしい。
どれくらい時間が経ったかわからない。
そんなに長い時間ではない気がする。
すぐそばで声が聞こえる。
『姉さんがここへ来る時に大きな衣装箱を持ってきたはずだ。荷物を引き取るふりをして彼女をそこへ隠し、この屋敷から運び出す』
そういえば姉を探していたあの人はまた部屋に来たんだろうか。まだ覚醒しきらないシャノンの頭ではうまく考えることができない。
『……そうは言うが、この子の負担を考えるとこれが最善だ。夜中に背負って屋敷を抜け出すよりはずっといい』
それと離れたくなくて、触れているところをぎゅっと握りしめた。すると頭にぽんと乗せられる手の感触。
やっぱり兄さんだろうか。
メアリかもしれない。
ここは安心。それだけは確かだ。
◆◆◆
「……ん?」
ふと、目が覚めた。
辺りは明るい。窓からの明るい日差しがレース越しに部屋を明るくしている。
シャノンが身を沈めているのは白いふかふかのベッド。見覚えのない服を着ていて、体のあちこちに手当てがしてあった。手枷があった手首には薬が塗ってあるようで、鼻を近づけるとツンとした匂いがする。前日までの死体を動かしていたような辛さはまだ残っていたが、気分はよかった。
「……これは」
「しっ」
ベッドが静かに揺れたかと思うと、毛布を頭からかぶせられた。さらに誰かに引き寄せられ、向かい合わせでぎゅっと腕の中に閉じ込められる。そのせいであちこち痛めた体が悲鳴をあげるが口からは漏らさずにすんだ。
リアルな他人の体温に怖気が走る。お互いの息づかいが聞こえる距離感。なぜ。なにが起こっている。緊張しはじめた心臓がドクドクと音を早めていく。まだ夢を見ていると言われた方が信じられそうだった。
どうしてこんなことをするのかわからない。
まるで誰かから隠れているようだ。
「アーネスト様はもう起きてらっしゃるかしら」
その声を聞いた瞬間、身が震えた。
メアリだ。この声は絶対に間違えない。距離があって、さらに毛布越しで聞きづらいけれど、メアリが話していることだけは分かった。
「それが昨夜は深酒をされたようでまだ寝ておられます。なにかありましたか」
「いえ。屋敷の人間の手が足りなくて不便をかけているでしょう? せっかく来てくださっているのにおもてなしが出来なくてごめんなさい。それを謝ろうと思って……」
「ケイト様の捜索にご尽力いただいてるからと理解しております。私どもは大丈夫ですので、引き続きよろしくお願いいたします」
だんだんとシャノンの頭が回り始めてくる。
状況から察するに、ここはもう自分が閉じ込められていた部屋ではない。部屋の主はアーネスト。メアリと対応しているのはおそらくその従者だろう。
従者側の言葉に若干のトゲを感じた、互いにどんな顔をして話をしているのだろうか。
一瞬の間があったあと、あどけないメアリの質問にシャノンは何が起こったのかを察した。
「ねえあなた。昨夜、なにか見たり聞いたりしていない? ……馬がね、一頭脱走したみたいなの」
シャノンの頭を抱く力がぐっと強まる。
「いなくなったのに気付いたか」
頭の上から聞こえる少し掠れたささやく声。きっとシャノンにしか届いていないだろう。
声の主はアーネスト。
きっとケイトの弟で、シャノンの部屋に侵入してきたあの男の人だ。