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16話 裏側の痛み

 シャノンが覚えているかぎり、メアリの様子が変わりだしたのはケイトが屋敷へくる三日前。つまりケイトの来訪を告げられた日からだった。


 その日のメアリは最初からピリピリしていて言葉もそっけなかった。本を読むのが好きだと言ったシャノンへ「ふぅん」と返すあの冷たい表情。心臓が凍りついた。なにかまずい事を言ってしまったと汗が止まらなくなった。メアリのそんな表情は今まで見たことがなかったのだ。


 笑顔を浮かべているけれど不満が喉まで迫り上がっている様子はいつの日かの母親を思い出す。嫌なことがあって、でもそれを言えないまま内に溜め込んでる時のそれ。


 話していくうちに原因はイアンの恋人であるケイトが滞在することだと理解した。


『ねえ聞いた? イアン様の恋人がこちらへ滞在されるんだって』


 なにか不安なことがあったんだと思う。


 メアリが好きなことは自分より小さくてか弱い生き物を飼うことだと言っていた。メアリがくれる大きくて温かな愛は、飼育生物に向けるそれと同じなのかもしれない。


 愛玩動物。

 対等ではない関係。


 でも、それのなにがいけない? 愛を与えたい人と愛が欲しい人のどこに悪がある? メアリに愛想をつかされたらシャノンは終わる。まぶしく輝く光が消えてしまったら、シャノンの心には再び闇で真っ暗になる。……かつて母とそうであったように、今はメアリの存在に縋り付いて、かろうじて息をしているのだ。


 もしかしたら、メアリはそういう格下の存在から安心を得ているのかもしれない。そう考えると妙に納得した覚えがある。


 逆にケイトのようなには気後れするのかもしれない。わからない。シャノンの知識はいろいろと偏っていて、それが普通でないこともわかっていた。




 ケイトが来た日のメアリは目に見えて不安定だった。


『……ケイトが嫌い?』


 聞き方がまずかった。

 油に火を灯すと一気に燃え上がるように、メアリは一瞬で怒りに染まり、次の瞬間には手を振り上げて力いっぱいシャノンの頬をぶった。


 悪いことに、倒れた時に打ち所が悪くて頭から血が出てしまった。その時にはもうメアリは部屋を飛び出していて思わず安心した。


 よかった。ケガした所を見られてなくて。


 変に心配をかけるのはよくない。あきれられてしまうかもしれない。怒られるかもしれない。おぼつかない足取りで薬箱の所までいくと、ガーゼを当てて血が止まるのを待つ。しかし意外としつこくて、手も痺れてきて、仕方がないのでシャノンは包帯を巻くことにした。なにかの栄養が足りないと凝血作用が弱まると読んだことがある。頭には血管がたくさんあって、意外と血がたくさん出ることもどこかで読んだ。


 だから大丈夫。

 メアリはなにも悪くない。




 ◆ ◆ ◆




 目を覚ますと夜のようだった。カーテンの奥からうっすらと月明かりが見えているが、そんなに遅い時間ではないだろう。床の上で数時間気絶していたようだ。体温が外気に奪われてとても寒い。


 シャノンはなんとか気力を振り絞り、這うようにして移動した。


 ベッドには届かない。くさりの長さが足りないのだ。かろうじて利用できるのは本の詰まった大きな書棚と、書きもの机と、引き出しが三つついたチェスト。それとクッションがひとつだけ。


 チェストのいちばん下の引き出しは容量が大きく、薬箱も入っている。そしてバンクシー医師が持ってこさせた水差しも。


 イアンが亡くなり、施錠された部屋に閉じ込められてから外との接触はメアリだけだった。メアリはシャノンに怒っていて、食事は持ってきても与えてくれなかった。


 だからあの時の水でなんとか命をつないでいる。


 なにも食べることが出来なくとも、水分だけはとらなくてはいけない。震える手で水差しを持つ。中身はわずかに残っていて、こぼさないように最新の注意を払って口をつけた。


 死にたくない。

 死んではいけない。

 メアリをあのままにしてはいけない。

 メアリを止めなくては。


 その思いだけが体を動かしている。手首についた金属製の重い枷が当たる部分が痛い。どうにか拘束から逃れよう必死に動かした結果、傷ができて炎症を起こしてしまったようだ。


 ケイトたちが殺されてもう四日が経っている。シャノンは犯人として閉じ込められているけれど、リパーキン家がここへ来る気配もない。いったいどうなっているのだろうとぼんやりした頭で考えた。


 メアリが言うには、リパーキン家へ出した使いが帰ってこない。これはその人の身になにか起こったと断言していいだろう。問題はリパーキン家へケイトたちの事が伝わったか否かだ。


 伝わったとしたら悠長に構えることはしないと思う。詳細は語らずとも娘の滞在先から不穏な連絡をもらえば事実確認をしにくるはずだ。


 つまりリパーキン家はケイトの死を知らない?


 遺体は着実に腐敗が進む。医学書によると人間の体は腐敗が進むとお腹から肌が緑に変色していくらしい。死を誤魔化したとしても、彼女たちの体を見れば一目瞭然だ。いつ頃死んだのかも、どうやって殺されたのかも、嘘をつくことなんて無意味なのに。連絡が遅くなればなるほどリパーキン家との信頼関係はひどいものになるだろう。


 ヘンリーはこの事態をどうしたいのだろう。使いが帰ってこなければすぐに次の使者を出していいはずだ。それともイアンの死で後回しにしているのか。わざとでないにしても、それはかなりの悪手に思える。


 そこまで考えて、シャノンは自嘲した。

 メアリをかばって閉じ込められている自分が、悪手も何もないだろう。



 ふと、部屋の外が騒がしいことに気づいた。


「……まちください……こちらは、その」

「姉の行方がわからないのです。せめてこの屋敷で手がかりを探したいのに、それもダメだと?」


 今、なんと言った?

 シャノンは自分の耳が信じられずに必死に先ほど言葉を反芻する。やはり「姉の行方がわからない」と言っている。使用人の態度からして上流階級の人間だ。だとすれば声の主はケイトかダフナの弟ということになる。


 ヘンリーは、ケイトたちの死を隠すつもりなのか。


 驚愕で身動きがとれないまま、がちゃりとドアノブが回された。しかし扉が開くことはない。


「なぜ鍵がかかっているのです」

「こちらは当主代理とその婚約者様が管理されておりまして……私の口からはこれ以上申せないのです。お許しください」


 その後も何か話しているようだったが、内容までは聞き取れなかった。きっと説得されて戻ったのだろう。あの様子では鍵を開けろとヘンリーたちへ訴えそうだ。


 シャノンは体を丸めて目をつぶった。

 考えごとをするのも疲れてしまった。

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