15話 悪魔の笑顔
イアンが死んだと聞かされたのは夜のことだった。
一度は目をさまし、快方に向かったと皆が喜んだ。しかし看病の甲斐むなしくその後すぐに身をはかなくした。屋敷全体が悲しみに包まれあちこちからすすり泣く声が聞こえてくる。
シャノンも亡骸と面会が許された。
ベッドの上に生気のない体が横たわっている。沈痛な表情のヘンリーとそれに寄り添うメアリの姿もあった。その他にもたくさんの使用人たちが集い、泣いている。
「……兄さんの容体悪化に気づいたのは?」
その厳かな雰囲気を打ち破るシャノンの声。その目はじっと横たわるイアンを見つめている。細い指先がゆっくりとのび、イアンの口もとや寝具にふれる。
「私でございます。それまでは静かに呼吸されていたのですが苦しそうに咳きこみ、それで……」
手を上げて答えてくれたのはメイドのひとりだった。年かさの女性で、長らく勤めている人だ。
「部屋にはあなたひとりだったの」
「いえ。……その、ちょうどメアリ様が様子を見にいらっしゃっていて。なのでイアン様をお任せして私は人を呼びにいきました」
その言葉を聞いた瞬間、すぅっとシャノンがまとう雰囲気が変わる。そして青く暗い双眸をメアリへ向けると、一歩、ゆらりと足を踏み出した。
「だめだよメアリ」
長いブロンドの髪が顔へかかり、周囲からは表情が読めないまま、シャノンの言葉は続く。
「もう終わりにしよう。わ、わたしが一緒にいるから」
また一歩、メアリへ向かって歩みを進める。
「ぜんぶ分かってる。でもメアリを責めることなんてしないよ。僕……わた、わたしは、メアリに救われたの。メアリのこと、大好き。だいじょうぶだよ。だから」
何を言っているのか周囲は理解ができない。しかし誰もが目を向けずにはいられない。異様さと不気味さが際立つものの、シャノンへ向けられる視線は様々なものだった。
「兄さんとは結婚しないで。メアリ、戻ってきて。その為だったらなんだってする。悪いことだって、なんだって」
恐ろしさに誰かがひっと声を漏らす。
そしてそれを聞いてヘンリーが黙っているはずがない。隣にいるメアリを強く抱きしめると、シャノンへ並々ならぬ敵意を向けた。
「こいつを今すぐ部屋へ戻せ! 見張りはもう必要ない、鍵をかけて閉じ込めろ!」
「ちがうの、ねえ、聞いて、兄さん」
戸惑う使用人へ再び喝が入り、シャノンはその細い体を担ぎ上げられ無理やり退室させられた。
「兄さん、聞いて、聞いてよ、おねがい」
必死に声をあげてもどんどん距離が開いていくいく。シャノンの声はもうヘンリーには届かない。
「兄、さん……」
ぽたり。
絨毯に一滴、しずくが染み込んでいく。
◆ ◆ ◆
それから三日が過ぎ去った。
今日はイアンの葬儀が行われる日だ。別荘で静養していた父も体調を悪くしているため参加ができず、教会でごく小規模に行うそうだ。
リパーキン家からは音沙汰はなく、もっと言えば使いに出した人間も帰ってこない。さらに使用人の数もいつのまにか極端に減ってしまい、掃除まで手がまわらないのか屋敷の雰囲気は少しずつ変わっていった。
これはメアリから聞いたもので実際に屋敷がどのようになっているかシャノンは確かめようがなかった。部屋から出られないのだ。例えイアンの葬儀でも。ヘンリーがそう言ったらしい。
外から鍵をかけられたシャノンの部屋は屋敷の奥にあり、めったに人は近づかない。たったひとつの鍵をもつのはメアリ。それ以外は何人たりとも部屋に入ることはできない。
「どうしたの、シャノン。苦しいの?」
「う……っ」
「人を呼んでくるから待っててね」
このところまともに食事をもらえなくて、体に力が入らない。
「待……って……」
乾燥した唇の端がぱりっと裂ける感覚がした。痛みが遅れてやってくる。全身に力が入らない。手に、足に、力が入らない。立ち上がれない。
「あらいやだわ、今日は人がいないんだった! 残念ね」
残酷な瞳はシャノンを見下ろすと、一拍おいて愉快そうに細められた。
「シャノン、あなたが悪いのよ」
「ごめ……なさい……」
「いい気味」
「……ごめ……なさ……」
メアリは怒っている。
それか、楽しんでいる。
前にメアリが言っていたのをシャノンはよく覚えている。か弱いペットを飼うのが好きだと。自分より可哀そうなものを見るのが好きだと言っていた。
彼女の言葉はいつだって優しくて、温かくて、残酷だ。
「この間あなたがみんなの前で変なこと言ったから使用人の子たちに変な目で見られてるのよ。ヘンリー様は大丈夫だけど、そういうのむかつくの。まあそうは言ってもケイトさんを殺して頭がおかしくなったシャノンにはだーれも近づきたくないわけ。それをわたしが率先してやってあげてるから、みんなわたしに感謝してるわ」
横たわったシャノンの体にメアリの硬い靴のつま先がぐりぐりとねじ込まれる。動けないのに痛みだけは一丁前に感じる体が憎い。
「うっ……うぅ」
「だいたい気持ち悪いのよあなた。男みたいに振る舞ってさ。しかも『僕』って。前も言ったけど女は女らしくちゃんと『わたし』って言わなきゃね。まあ可愛くないけど」
お母さま。
この屋敷には悪魔がいます。
とても恐ろしい悪魔が。
「さて。今日の食事も要らないらしいって伝えないと。あーあ。せっかくコックが作ってくれたのに料理がかわいそう」
そう言ってメアリは食事の載ったカートを押し、部屋から出て行ってしまった。美味しそうな匂いだけを残して、ひと皿も残さず。パンのクズも水すらも与えてくれない。
あの日の夜、いやな予感がした。
月夜が照らす廊下の先。
散歩のつもりで歩いていたら、ケイトが絶命する瞬間を見てしまった。
血に濡れた彼女は信じられないと言いたげで、その視線を真正面から受け止めていたのは。
愉悦に歪んだ表情でケイトを見つめ返していたのは。
『なんでケイトを殺したの、メアリ』
今でもその言葉はシャノンの口の中に貼り付いている。他にもたくさん。たくさん。
『どうしてヘンリーを裏切ったの』
『どうしてイアンにあんな事したの』
『どうして先生はあんなに怯えていたの』
部屋の柱には重くじゃらりとした鎖が巻いてあり、その先はシャノンの左手首の枷に繋がっている。誰の指示かはわからない。鍵が開いていたとしても、これの鎖があるかぎりシャノンは部屋外へ出ることができない。
シャノンはメアリが大好きだった。
お姉さんができたみたいで、本当に嬉しかった。彼女の体温に、言葉ひとつひとつに救われていった。
例え今のメアリが心に鋭い爪で傷をつけようとも、シャノンの狭い世界にはメアリという存在はあまりにも大きく、嫌いになんてなれなかった。幼い子どもが親を唯一で絶対の存在だと盲信するように、これだけの仕打ちを受けても心の深いところでメアリを慕っている。
前にみたいに笑ってほしい。
優しくしてほしい。
ぎゅっと抱きしめてほしい。
「メ……アリ……」
からからに乾いた喉から大好きな人の名をつぶやく。
本当に大好きだよ。
でも。
そこでシャノンの意識は途切れている。




