14話 バンクシー医師
バンクシー医師はながらくライランス家の主治医をしていた。急遽呼び出され、屋敷に到着するなりすぐにイアンを診察する。体温と血圧が著しく低下しており、かなり危険な状態だった。発見時の状況を聞くかぎりは飲酒を原因とするのが妥当と思われる。ひとつ引っかかるのは推察できる飲酒量からすると酩酊にいたるには若干飲んだ量が少ないのではないかということだ。
しかしこれは体調や精神的な状況によって異なるので一概にこの状況がおかしいとは言えない。だから抱くのはほんの違和感程度。
注射を二本打ち、看病するときの注意事項や容体が悪化したときの対処法をこと細かに指導した。
その後、バンクシー医師はケイトと侍女が静かに眠る部屋へと通された。あらかじめ話は聞いていたが物騒なものだと思う。
ケイトに関しては鋭利な刃物による複数の刺し傷、それからの失血多量死だろうとの見解を伝えた。死亡推定時刻も伝えると発見した時間からそう離れていないようだった。大きなカバンから一枚の紙を取り出し、項目にひとつずつ記入をして死亡診断書を埋めていく。最後にアドウェール・バンクシーと署名をして、ケイトの死は確定となった。
バンクシー医師が首をかしげたのは侍女ダフナ・ハーディの遺体をみていた時だ。階段から落下した際に打ち所を悪くした、という説明をきいて折れた腕や足、そして首や頭をさわっていたのだが。
「……どうかしただろうか」
ヘンリーの問いかけにバンクシー医師はしばらくの間沈黙し、そしてゆっくりとした手付きでダフナの服に手をかけた。首もとまでぴっちり詰められた白い襟シャツのボタンを上からひとつずつ外していき、血の気のない肌を部屋のあかりの下にさらす。
「これは……」
ダフナの首は1センチ幅で一文字状の紫に変色した跡があった。それはぐるりと首を一周していて、自然にできたとはとても考えられない。
「ダフナ嬢の死は……落下が原因ではない。致命傷となるような傷は見当たらなかった。階段から落ちたときには亡くなっていた可能性がある。おそらく、ひも状のもので首を絞めての絞殺だ」
バンクシー医師は努めて冷静に事実と推測を語り、その場にいたヘンリーと補佐官、そしてメアリが驚きに目を見開いた。死亡時刻はケイトよりも二、三時間ほど遅い。誰かが、ダフナを殺しているのだ。それもこのライランス家の屋敷内で。
背筋に冷たい汗がつたう。
半端に首を突っ込むのは危険だと勘が告げていた。いくつかの上流家庭と接してきた経験からくる勘で、きっとそれは正しい。
「私の仕事は……患者の体を診察して、治療を試みることだ。よって私がこの二人にできるのは死亡の状況を明るみにして診断書を書くのみです」
決して深入りするつもりはないと宣言する。この殺人事件の犯人を知ってはいけない。追及するつもりもない。幸いなことにバンクシー医師は誰がふたりを殺したのかなどの事件の詳細はまだ聞いていなかった。知られたくないのだろう。もし犯人を捜すつもりであれば、遺体の状況からヒントを得ようといろいろ聞いてくるものだ。
ダフナが他殺だったとわかってもヘンリーたちは何も言わない。もちろん驚きはしていたようだが、きっと彼らの問題はもうここにはないのだ。
あとは絶対に口にしないと誓いさえすれば問題は起こらない。おそらくライランス側から提案があるはずだ。例えば、謝礼と引き換えにこの件は口外しないとか。
「バンクシー医師。少しお話が」
案の定、神妙な顔をしたヘンリーが申し出を入れてきた。
◇◇◇
最後にバンクシー医師はシャノンの部屋を訪れた。
もともと定期的に訪れていたので今回も軽く診察をするつもりだった。しかし前回とは違う様子に少々面食らってしまう。
部屋は相変わらず暗い。でも室内はわりと整頓されていて、これなら快適に過ごせそうだと思いはした。しかし部屋の前に見張りがいるのはどういうことだろう。ケイトやダフナのことがあって過保護になっているのかとも考えたが、しっくりはしない。それにさっぱりしすぎな気がする。前の部屋もそれなりに悲惨だったが、それとはまた違った緊張感がここにはあるというか。
そんなことを考えながら、バンクシー医師は極力笑顔をうかべてシャノンへ声をかけた。
「やあ、調子はどうかな」
無言しか返ってこないのはいつものことだ。
「ヘンリー様の婚約者はメアリ嬢だったかな。きみには話し相手が必要だと思ってヘンリー様へそう助言したんだ。きっと彼女がそうなんだろう?」
近づいてからシャノンの異変に気付いた。
いつものようにベッドで横になっていると思ったのに、毛布からのぞく顔は呼吸が浅く、熱があるようだ。バンクシー医師は近くにいる使用人へ慌てて「この水差しいっぱいに水をいれて持ってきてくれ」と声をかけた。
シャノンは軽い脱水症状を起こしていた。体力もかなり落ちているようだ。前から栄養状態はあまりよくないようだったが、きちんと食事をとっているのか心配になる。
「水分だけはしっかりとらなきゃだめだよ。人間は三日なにも飲まないと体に深刻なダメージを受けて死ぬ場合があるんだ。食欲がなくても水分はとるようにね」
ついでに栄養剤をのんでもらった。本当はしっかり食事と睡眠をとったほうがよいけれど、こればかりはすぐに改善するものではない。シャノンの引きこもりは母の死をきっかけに一年にもなる。主治医としてやれることはないかといつも考えていた。
「睡眠薬がひとつ少ないね。書き忘れたのかな」
「……」
シャノンの部屋にはもしもの時のために薬箱が置いてある。傷薬や軟膏、ガーゼや包帯といったものが基本なのだが、眠れないというシャノンのために個包装の睡眠薬をいくらか入れていた。薬箱には使用記録を残すように教えており、使ったものと日付を記入するようになっている。
シャノンはまめに記入していたのでこれまで一度も数が合わなかったことはなかった。睡眠薬は非常にデリケートな薬だ。飲むときの注意をしっかりと教え、シャノンもそれを守ってきただけに今回の不注意には首を傾げてしまう。
「……先生」
ふいに、かぼそい声が不安げに尋ねる。
「イアン兄さんは助かりますか」
「助かるよ、と断言できたらいいんだけどね。あまり楽観的なことを言って期待させるのは罪だと思うから正直に言うけれど……五分五分だ。体がとても衰弱している」
もしあの状態で吐いてしまったら内容物が器官をふさいで呼吸困難を起こしてしまうだろう。容体が快方に向かうまでは常に誰かが見張っていないといけない。
そしてイアンが回復するかどうか、もう知ることはないだろうとバンクシー医師は目を細めた。その瞳は怯えを含んでおり、うかつなことを言わないよう口もとをキュッと引き締めている。
「シャノン、よく聞いてくれ。私はもう……このお屋敷に来ることはできないかもしれない。この封筒のなかに具合がわるくなったときの対処法なんかを書いて入れておくから、何かあったときは中を見てくれ。そうだな、この引き出しの中へ入れておくよ」
「……はい」
その後、バンクシー医師は屋敷をあとにした。
彼が乗った馬車は暴走してのちに大破。馬、御者、バンクシー医師。それぞれが命を散らした。
ライランス家を出て二十分後のことだった。




