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13話 闇の一端

 部屋の奥の一番暗いところにシャノンは立っていた。うつろな瞳はなにも映していないようだったが、声をかけたヘンリーの存在に遅れて気づくと、ゆっくりとその双眸が動く。相変わらず不気味な奴だとヘンリーは心の中で毒づいた。


「もう一度言う。おまえ、イアンに何か言ったか」


 シャノンは何も答えない。

 口を閉じたままヘンリーを見あげるのみだ。


「昨日、街から帰ってしばらくイアンとふたりで話していたな。何を話していた」

「……」


 昨夜に事件からシャノンはずっとこの調子だ。何か聞いても一切しゃべろうとしない。メアリには少し話すようだが、そのほかの人間には拒絶しているように見えた。兄であるヘンリーも例外ではない。


「……イアンが倒れた。深酒で意識を失っている」


 シャノンの表情がぱっとおどろきに変わる。もしこれが演技だったとしたら恐ろしいとヘンリーは思う。


「知っていることがあればさっさと言え!」


 襟ぐりを両手でつかんで乱暴に引き寄せた。

 ぶちりと服の糸が切れる音が聞こえたが構わない。あと数時間もすればリパーキン家から関係者がくるだろう。その時に説明できることをひとつでも増やしておきたい。


 そのまま力の限り床へ投げ倒した。毛足の長い絨毯が敷いてあるからそう痛くはないだろう。


「ぐっ……」


 シャノンは頭を腹を守るように背を丸めた。やめてと言うわけでもなく、泣いて謝るわけでもなく、淡々としたその様子は慣れているのかと思うほど。バカにされた気がしてヘンリーは思わず足が出た。別にひどくはしていない。小突く程度だ。


「おまえ、本当に気持ち悪い」


 とどめていた言葉がついに口をついて出る。


「部屋にこもってるだけでいいんだから楽なご身分だよな。なんの決断もしなくていい、なんの責任もおわなくていい、ただ部屋で寝て起きて食べてればそれで優しくされる。……俺がどれだけの重圧のなか生きてるか知らないだろ。それなのにおまえは面倒ばかり起こして、都合が悪いときはだんまりで、イヤなことから逃げて逃げて逃げ続けて、次はどこに逃げるんだよ」


 小突く足に少しずつ力が加わり、シャノンはいっそう身を丸くする。


「男か女かもわからない。なにかを成そうとしているわけでもない。すべてが凡人以下。なのになんでおまえは生きてるんだ」


 どんどん増していく苛立ち。

 シャノンは何も反論しない。なにも言い返さない。止めてとも言わない。答えるに値しないとでも言うつもりか。


 力をいれてがつんと蹴ると反動とともにわずかに痛む足先。少々やりすぎたかと困惑が頭によぎったその瞬間、目の前に大きな影がさっと横切った。


「ヘンリー様。お言葉が過ぎます」


 いつも一緒にいる補佐官だった。きっと医者の手配諸々が終わってヘンリーを探していたのだろう。静かな動作でシャノンとヘンリーとの間へ入ると、床に片ひざをついてシャノンを抱き起す。


「……」


 相変わらずだんまりを貫くシャノンにまたヘンリーの腹の底がゆらりと燃えた。結局やつには多くの人が手を貸す。しかし湧き上がる怒りを無視して視線を床へ落とした。


 第三者の乱入により唐突に頭が冷えた。


 無抵抗の相手に自分はなにをしているんだろう。ヘンリーはひそかに喉をならし、ひたいに浮く汗をぬぐった。シャノンを目の前にすると自分の内なる暴力性や言葉が引きずりだされる。怒りが増幅されて身からあふれ出る。誘発されるのだ。


 補佐官に見られたのは失敗だった。当主代理となってから彼とは幾度となく意見が衝突した。それが続いて今、ヘンリーと補佐官の仲は良好とは言えない。今回の失態でまた株をさげたかもしれない。


 恐怖心と怒りがまた鎌首をもたげる。

 シャノンのせいだ。

 まさか……ここまで見越してシャノンは演技をしていた?


 補佐官に抱えられて立ち上がるシャノンにこっそり目を向ける。下を向いて表情はよくわからないが、口元が笑っているように見えた。


『悪魔』


 その単語が頭をかする。


「行きましょう。我々にはやることがたくさんあるはずです」


 補佐官は退室をうながした。ヘンリーを見る目にはうっすらと軽蔑の色が浮かんでいる気がした。耐えられなくて反射的に目をそらすと、部屋の入口から顔をのぞかせる使用人が見えた。見張りの番をしている者だろう。彼も補佐官と同じ眼差しをしている。これも気のせいかもしれない。屋敷中の使用人たちもそうだ。


 彼らの目が、表情が、態度が、無言で告げてくるのだ。



『 イアン様の方が優れている 』



 朝も夜も昼も。



『 当主にふさわしいのか 』



 父が次期当主をヘンリーに指名したその時から。



『 無 能 な の で は 』



(やめろ! そんな目で俺を見るな!)



 視界に入るあらゆるものを拒絶したくてぎゅっと目を閉じた。力を入れすぎて奥歯がぎりりと鳴る。なにもかも嫌だ。すべてを投げ出して自由になれたらどれだけ幸福だろう。


 こんな時に支えてくれたのがイアンの存在だった。


 彼はとても優秀な人間にも関わらず、気さくで社交的で、困ったときは手を差し伸べてくれる優しい人だった。父と折り合いが悪いがために屋敷にはあまりよりつかなかったが、それでもヘンリーが落ち込んでいたり困っていたりすると必ず声をかけてくれたのだ。それにどれだけ救われたことか。


 軽蔑もするし嫌悪もする。

 それでもイアンは頼りになる兄だった。


 今の彼は意識がなく、下手したら二度と帰ってこない。漠然とした不安が全身を包もうかとした、その時。


「ヘンリー様」


 固く握っていたこぶしにそっと添えられる柔らかい手。


「大丈夫ですか?」


 それはメアリの声だった。

 おそるおそる目をあけると、栗色の瞳が心配そうにヘンリーをのぞき込んでいる。そこには優しさや温かさがあって、ヘンリーを馬鹿にするような様子は一切ない。


「……メアリ」


 思わず名前を呼んでしまう。

 胸にこみ上げた温かさが凍てつきそうだった心と体をゆっくりとほぐしてくれる。


「どうして、ここへ」

「ヘンリー様が心配で、つい。もう少しでお医者さまが到着するようですから、お部屋に戻りましょう」

「……そうだな。ありがとう」


 メアリの何気ない言葉に癒される。満たされる。最初は警戒していたけれど、この気持ちの変化にヘンリー自身も気付いていた。彼女のあたたかな手をそっと握りしめる。すると恥ずかしそうに頬を染めながら笑ってくれた。



 そのふたりをじっと見つめるシャノンがあった。きっと誰も気づいていないだろう。彼らを見つめる眼差しは、底なし闇のように暗い。

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