【三・やっぱり大事だ作戦タイム】
【三・やっぱり大事だ作戦タイム】
室内にことりの悲鳴が響く。
「我慢しろ。しみるぐらいなんだ」
駅前にあるビジネスホテルの一室で、井頭はことりの手当をしていた。あちこち打ち身や擦り傷だらけだ。
あの後、レストランで待っていた台村夫妻達と合流した井頭たちは、このホテルに腰を落ち着けた。惨めな結果を報告し、ことりの怪我の手当をするために。
ことりの怪我を見た台村氏は、ホテルで一番大きな部屋を二人のために取ってくれた。
「まったく、この程度ですんでよかった」
薬を救急箱にしまった井頭は、様子を見ていた台村達に向き直る。
「こういうことです。申し訳ありませんが、妻は期待に応えられません。もっと実力のある霊能者に頼んでください。なんでしたら、私から妻の実家に連絡を入れてもっと優秀な霊能者を紹介してもらいます」
深々と頭を下げる。それを止めたのはことりである。
「だめぇ。あたしがやるの。だーりんの評価を上げるんだから。ボーナスをどーんと増やしてあげるの!」
まるで駄々っ子のようにじたばたする。
「恥ずかしいから止めろ!」
井頭が真っ赤になってことりを押さえつける。
「せめて年相応の方法で反対してくれ!」
だが、台村夫婦は特に気にしている様子はない。
「どうしましょう」
台村夫人が、夫に聞く。
「実力不足とおっしゃいますが、楓の存在に気がついたのはことり様だけというのも事実ですよ」
台村は目を閉じ、天を仰ぎ考えていたが
「わかりました。井頭さん、奥さんに変わる新しい人を捜しましょう」
とこれまで仕事上幾度もしたであろう表情で言う。
その言葉に、ことりの顔が半泣きに崩れかける。それをなだめるように台村は
「ですが、すぐにというわけにも行きません。何日かかるかわかりませんが、それまでの間、引き続き奥さんに浄霊をお任せしたいのですが、よろしいでしょうか」
「よろしいです!」
ことりが即座に飛び起き、
「あ、できるだけゆっくり探してくださいね」
の言葉をしっかりと付け加える。
「わかりました。今夜はもうお休みください。詳しいことは明日また」
「はい、お休みなさい」
台村夫妻達が出て行くのを見送ろうとするが、
「ちょっ、ちょっと待ってください」
と慌てて止める。
「すみません。その前に楓ちゃんについていろいろと聞かせてください」
「楓についてですか?」
「そうです。浄霊するには、相手のことを知るのが大事ですから」
笑顔だが、ことりの額にはうっすらと汗がにじんでいる。先ほど情報も集めずに突っ込んでいったことを反省しているようだ。
「楓については……」
台村は寂しげに悦代を見た。
「私どもより、彼女の方が知っているでしょう。私どもは、楓のためと言いながらあの別荘に閉じこめただけですから」
「閉じこめたって、別に監禁したわけじゃありません。あの別荘に残るのを希望したのは、娘さん本人なんでしょう」
改めて、井頭は台村達に椅子を勧める。
ルームサービスのコーヒーが空になっていたので、神楽が新たに注文した。
「そうです。……ですが、今となってはそれが本当に正しい判断だったのかわからないのです。やはり、もっと人との接触の多い場所にいさせるべきだったのでは。いえ、それよりも私どもがもっと頻繁に訪れていれば……」
「でも、仕事が忙しかったんでしょう。仕方がありませんよ」
サラリーマンとして、仕事を優先した台村の気持ちが井頭にはよくわかる。しかも、彼は多くの会社を束ねる会長であり、彼の仕事にはグループ会社で働く社員達の生活がかかっているのだ。家庭を優先するにはあまりにも重すぎる。
「……当時はそう思ってました。けれど、実際はそれを口実に逃げていたんです。楓を目の当たりにするのが怖かったんですね。だから、楓のことを知ろうともしなかった。知って、私たちを責めるような中身が出てくるのが怖かったんです。
全てを悦代さんに押しつけてしまった」
悦代は何も言わず、困ったように唇を噛む。
「その結果がこれです。私たちは、娘について聞かれても満足に答えることが出来ない」
頭を抱える台村の肩を神楽が押さえる。手を通して、少しでも彼の負担を吸い上げようとしているように。
「まあまあ、そんなに深刻に考えないで。食べますか?」
ことりが煎餅の袋を開ける。夜食用にと近くのコンビニで買ってきた物だ。彼女は真っ先に煎餅をかじりながら
「悦代さん、亡くなる前の楓ちゃん……楓さんの様子を教えてください。彼女が幽霊になったなら、その原因を知りたいんです」
「幽霊になった原因ですか?」
台村夫妻の体がびくりと震えた。
「そうです。人が幽霊になる原因は大きく分けて二つあります。ひとつは本人が死を望まなかった場合。いわゆる未練があるってやつです。もうひとつは外部の力により無理矢理幽霊にされてしまった場合。でも楓さんの場合、後者の可能性はないように思われます」
さすが、へっぽこでもことりは霊能者である。霊の説明する態度は堂に入っている。
「つまり、楓さんが幽霊になったのは本人の意思によるものと思われます。そこで、彼女が生前はどんな状態だったかが大事になってくるわけです。どうですか? 何か心当たりがありませんか。彼女がやりたかったこととか」
悦代は困ったように目を閉じ、考え込む。
「口には出さなかったかも知れません。だから、ちょっとした態度や仕草でもかまいません。もしかしたらって、思うようなことはありませんか?」
皆の視線が悦代に集まる。
「何か、美味しいものが食べたいとか」
ことりが誘うように言葉を続ける。
「珍しいものが食べたいとか。高いものが食べたいとか」
「食い物から離れろ!」
たまらず、井頭がことりの頭を押さえつける。
「食べ物といえば……」
悦代の言葉に、皆が集中する。
「楓様が亡くなる一月ほど前でした。部屋から泣き声が聞こえたのです。部屋に入ると、楓様が泣きながら手足を振り回しておりました。癇癪を起こした子供のように。何事かとなだめ、訳を聞きますと、リンゴだと」
「リンゴ……食べたかったのかな?」
身を乗り出すことり。
「いえ、リンゴはその日のデザートに出しました。楓様は、こうおっしゃいました。『リンゴの色が思い出せない』」
「リンゴって赤でしょう。あ、でも、最近は緑っぽいやつも出ているし」
「そうではありません。私が赤と答えますと『赤ってどんな色なの、教えて』と」
「そりゃ、赤って言ったら……赤だよね」
答えになっていないと思ったが、井頭はことりの答えを笑えなかった。自分もどう説明したらいいのか分からなかったからだ。
「今までは全く気にしていなかったのですが、その日、思い浮かべようとしたらどんな色か思い出せなかった。途端、怖くなったというのです。赤だけではありません。青も、緑も、黄も、どんな色だったのか分からないと。
楓様の目は、生まれながらにして見えなかったわけではありません。事故が起こるまでは普通に見えていたのです。赤も、青も、緑も、黄も、普通に見えていたのです。それが見えない。思い出せない。それに気がついたとき、楓様は」
「怖くなったというわけですね」
頷く悦代。
「それに対して、私は何も出来ませんでした。赤がどんな色なのか、青がどんな色なのか、説明できませんでした。いえ、それだけではありません。私は、色を教えてとすがる楓様から逃げ出したのです!」
震える悦代の手を、台村婦人がそっと握った。その目に、悦代を責める様子はない。
「それ以来、楓様は一日中、塞ぎ込むようになりました。
以前はご自分から部屋を出て、テラスで風に当たったり、花の香りを楽しんだり、鳥のさえずりに合わせて笛を吹いたりしていました」
「テラスにって、目が見えないんじゃ?」
「楓様が迷わないよう、別荘では家具などの配置は決めて決して動かしたりしませんでした。ですから、別荘内ならば楓様は特に不自由なく歩けたのです。それに、目が見えない分、他の感覚が優れるのでしょう。季節の変わり目を風や空気の匂いで感じ取っておりました。それに、テラスに出ればお日様を浴びられますし。
それが、色の一件以来……。
私も、この負い目から滅多に部屋の様子を見に行かなくなり、私を呼ぶ声を聞こえないふりをしたことも……私がもっと部屋を訪れるようにすれば、楓様の体の異変にも早く気がつけたはず。なのに!」
むせび泣き始め、後は言葉にならなかった。
「これが、楓さんが幽霊になった原因なのか?」
井頭がことりを見る。彼女は首を傾げ
「……なんか違うような気がする」
一同の視線が彼女に集まる。
「別荘で、あたしが出会った楓ちゃ、楓さんの幽霊と、悦代さんの話の楓さんとはなんか一致しない。別人みたい」
「どう違うんだ?」
「悦代さんの話の楓さんって、なんて言うかな……物静かなお嬢様って感じを受けた。でも、別荘であたしに攻撃してきた楓さんは、男勝りの勝ち気なお嬢様って感じがした」
「楓の小さな頃はそうでした」
台村夫人が言った。
「元気すぎて、男の子かと思うぐらいでした」
「いえ、今の楓さんです。幽霊の性格って言うのは、基本的に死んだ時点の物ですから」
ことりが首を振ると、台村夫人はがっかりしたように頭を垂れる。
「じゃあ、別荘にいる幽霊は楓さんじゃないのか?」
「でも、あの時に聞こえた声は楓様のものでした」
「幽霊になって、性格が変わったんじゃないか」
「それはないよ。幽霊になると感情に振り回される分、喜怒哀楽が生前よりハッキリ出てくるけれど、別人に思えるほど変わったりはしない。だーりん、今までの幽霊騒ぎで知っているでしょう」
「俺には幽霊の声は聞こえない」
井頭がムッとする。反霊能体質の彼は、幽霊を見ることも、声を聞くことも出来ない。別荘での騒ぎも、彼にとっては物が勝手に動き回る現象以上の物ではない。楓の幽霊が、どんな口調でどんな言葉を発したのか彼には分からない。
「あ、ごめん……」
ことりは視線を悦代に戻し
「他に、何か心当たりはありませんか?」
「いえ……気がつかなかっただけかも知れません」
「あの……」
台村が、静かに割り込んだ。
「別荘に出ている幽霊は、楓ではないという可能性は本当にないのでしょうか?」
台村の目は何かを期待していた。
返答につまることり。その表情を見ると、台村は恥ずかしげに俯いた。
「失礼しました。情けない話です……。私は今でも、楓の幽霊など出ていない。幽霊が出ても、それは楓ではないことを期待している。それを願っている。
正直に申しますと、別荘を売却しようとしたのも実は楓のことを忘れたかったのです。あの別荘には、楓の人生のほとんどが詰まっています。だから、あの別荘がなくなれば忘れられると、罪の意識も消えるだろうと……。
ですから、楓が幽霊になって現れたと耳にしたときは怖かった。それほどまでに私たちが憎かったのか、寂しかったのか。それに対して、何も出来ずにいた自分たちが……。
私は思いました。これは間違いではないか。幽霊なんか気のせいではないか。楓はそこまで……」
ことりが台村の手を取った。それ以上は言わなくても良いと。
「大丈夫ですよ。楓さんは、お二人を憎んでなんかいませんから」
「気休めはやめてください」
不安な台村に、笑顔を返すことり。
「気休めじゃないですよ。楓さんの霊力からは、憎しみとか、妬みとかが感じられませんでしたから」
自信たっぷりに言うその姿に、台村も少し安心したようだ。
「あたしが感じたところ、楓さんが成仏しないのは、他人への恨みが原因じゃないです。さっき別荘に乗り込んだときも、あたしを馬鹿呼ばわりしましたけど、お二人への恨み言なんか一言も言いませんでしたよ」
「ならば、楓はどうして?」
「それについては、楓さんから直接聞き出します。大丈夫、プロを信じてください」
へっぽこのプロだけどな。という言葉を井頭は飲み込んだ。
これ以上、話をしても台村達にも良くないと判断した井頭は、続きを明日にして彼らを自分たちの部屋に帰した。
ことりと二人だけになって、やっと井頭は息をついて冷めたコーヒーに手を伸ばした。
「えらく確信していたけど、本当なんだろうな?」
「何が?」
「楓さんが成仏しないのは、台村さん達の責任じゃないって事だ」
「うん。憎しみとかで幽霊になったのって、霊力がなんていうのかな。……そう、ピーマンの細切りを生のまま口いっぱいに無理矢理詰め込まれたような感じがするの。でも、楓ちゃんの霊力は違ってたの。何ていうか、ケーキ屋で美味しそうな新作が出たのに、財布には百円しかないって、そんな感じだった」
「どういう例えだよ。わからんぞ」
「とにかく、魂体を押さえて話し合いに持ち込めば何とかなるんじゃないかって気がする。大丈夫、何とかなる」
気楽な妻の姿に、井頭は不安を感じる。
ことりが口にした「魂体」というのは、幽霊がその存在を依存している物のことだ。例えば、自縛霊ならばその土地が魂体である。櫻川家曰く、幽霊には必ず魂体が存在しており、それを押さえることにより幽霊との交渉が圧倒的に有利になる。何しろ、魂体こそが幽霊が存在できるキー・アイテムなのだから。魂体が破壊されたとき、幽霊は現世から消える。
何を魂体にしているかはケース・バイ・ケースで、自縛霊のような「土地」もあれば、小さな人形の場合もある。長い間大事にしていた物もあれば、死んだ時に、強く精神が依存した物の場合もある。この魂体が他の人間だった場合を、一般的に「取り憑かれる」と言う。
「本当に大丈夫か。幽霊って、感情の起伏が生前に比べて激しくなるんだろう。お前がやられた時みたいにヒステリー状態だとしたら、話なんか聞かないだろう」
「大丈夫。自分の妻を信じなさい」
その脳天気ぶりが不安の元なんだよと言いたいのをこらえる井頭だった。
「それよりも、台村さん達の方が気になる」
「何がだ?」
「このまま、あたしが楓ちゃんを成仏させても、台村さん達の心は晴れないよ。幽霊になったのは自分たちに原因があるって思ってるんだから」
「思っているから、成仏してもらおうと霊能者達を集めたんじゃないか。他人の心配よりも、自分の心配をしろ。楓さんを成仏できなければ何にもならないんだぞ」
「そうなんだけど……」
目を閉じて、「考える人」のポーズを取る。
「身内の幽霊ってのはやっかいだよな」
浮かない妻の様子に井頭がこぼす。周囲が幽霊の消滅を願い、力ずくでどうこうして良い相手なら対応しやすい。井頭の体質下に魂体を置き、ハンマーで砕けばいい。事実、これまで何度かその方法で解決したことがある。
ただし、魂体破壊は霊にとって成仏ではなく、消滅であるため、櫻川家にとっては本当に、これしか方法がないという最後の手段である。
「力ずくの解決じゃ、台村さん達の気持ちは晴れないだろうしな」
ことりの手が動き、テーブルの上の煎餅に手を伸ばす。が、手以外は考える人のままなので場所がわからず、むなしく空を切るだけだ。
井頭が煎餅を取って彼女の手に持たせてやると、彼女は顔をほころばせてそれを口へと運んだ。
途端、井頭が「あ」と叫ぶ。その声に、ことりの目が開いて座り直す。
「どうしたの、だーりん?」
「ちょっと聞くが、目の見えない人間が死んで幽霊になった場合、目が見えないままなのか?」
「どういうこと?」
「目が見えないっていうのは、目っていう肉体の異常によるものだろう。だけど、死んでしまえば、目という肉体自体無くなるわけだ。無い肉体の影響を受けて目が見えないなんてあるのかと思って」
納得したようにことりがうなずく。
「うん、あるよ。幽霊っていうのは、精神状態もそうだけど、死んだときの肉体の呪縛を強く受けるの。ほら、幽霊って、たいてい死んだときの姿で出てくるでしょう。七十過ぎで死んだのに、十代の姿で幽霊になるなんてことはないし、別人の姿で出てくることもない。火事で死んだら全身やけどで出てくるし、溺れ死んだ人はずぶぬれになって出てくるの」
「すると、死んだ時点で肉体に何らかの障害を持っていた場合、幽霊になってもそれを引きずるわけか。今回の場合、楓は幽霊になっても目が見えないままなんだな」
「そりゃあ、世の中に絶対ってものはないけど、そう考えて間違いないんじゃないかな。むしろ、肉体の呪縛が強いほど霊的パワーは増すと思うよ。でも、どうしてそんなこと聞くの?」
「いや、目が見えないんだったら、物を動かしてぶつけるとき、どうしてお前の正確な位置がわかったのかと思ってな」
「あ」
ことりにもようやく井頭の言いたいことがわかった。確かに、楓の攻撃は正確に彼女を狙っていた。
「部屋の配置や家具の位置はわかっていただろう。だけど、そこで動き回るお前の位置はどうやってわかった?」
「そっか。楓ちゃんは目じゃなくて、別のことで周りのことを知っているんだ」
「そうでなければ、やっぱりあの幽霊は楓さんじゃなく、別人の幽霊」
「じゃないと思う」
ことりの言葉に、井頭も頷く。彼も、別荘に楓とは無関係の幽霊が住み着き、楓のふりをしているとは思えなかった。
「だとすると、一番可能性のあるのは音か……、お前、ぺちゃくちゃしゃべっていたし。匂いもあるかもな」
ことりがうなずいて腰の小さな袋を手にする。櫻川家に伝わる魔よけの匂い袋だ。
「魔よけのはずが、自分のことを知らせることになっちゃったのか」
「そういうことだな。それに、彼女は幽霊としての姿を俺たちに全く見せていないだろう。これは、相手に自分が目が見えないことを知られるのを恐れているせいかもな。こちらが見えないのに、相手が見えるなんていうのはどう考えても不利だもんな。
あるいはもっと単純に、自分が見えないから相手にも自分を見せるという発想がないのか」
「それだ。だーりん、頭いい! そうとわかれば攻略は簡単。楓ちゃんがあたし達の居場所をわからなくして、さっさと魂体を見つけちゃえばいいんだ」
「簡単に言うな。その魂体探しが一番やっかいなんだから」
「大丈夫、幽霊は魂体から遠くへは離れられないから、あの別荘の中にあることは確かだよ」
「別荘自体が魂体って可能性はないか。ずっとあそこに住んでいたって言うし」
ことりが青ざめ
「それって、ありうる」
「だとするとやっかいだぞ。確か魂体の近くであるほど、幽霊はそのパワーを増すんだろう」
「……うん……」
「つまり、別荘に入るってことは、楓さんの力が一番強い状況で相手をするってことだろう」
「だ、大丈夫。まだ別荘自体が魂体とは限らないし。今度はちゃんと対策を立てるから。へっぽこ式神も総動員で行く。昼間ならタカの丸も動けるし」
総動員といっても、ことりの使役できる式神はぴょんの助、タカの丸、たぬ金太の三体だけである。しかも、それぞれの能力といったら……。
「とにかく、今夜は休んで明日の昼過ぎにリベンジよ! 魂体を押さえて、成仏するよう言い聞かせなきゃ」
残ったコーヒーを一気に飲むと、げへげへと思いっきりむせた。
「ったく、本当に大丈夫かよ」
彼女の背中を叩く井頭。威勢の良い彼女に対し、彼の顔はどこか浮かない。
着替えてベッドに入っても、井頭はなかなか寝付けなかった。時間も遅いし、体も疲れている。なのに、頭が興奮しているかのように眠りを拒絶している。
その原因はわかっている。楓だ。悦代と台村夫妻の話を聞く限り、彼女が幽霊になるとはとても思えないのだ。
人が幽霊になるとき、内容の是非はともかく、必ず、その人の叫びがある。簡単に言えば未練だ。何かをしたいという叫び。それも、魂を現世にとどめてしまうほど強烈な叫び。
だが、話を聞く限り、楓にそれがあるとは思えない。目が見えなくなって落ち込み、世を嘆いていたのはわかる。だが、幽霊になるほどのことなのか? なったとしても、ことりとの戦いで、それを叫びにして出さなかったのはなぜだ。叫んだのなら、ことりはそれを言うはずだ。
さきほど、井頭は楓が目が見えるのではと考えた。あっさり否定されてしまったが。
(我ながら、間抜けなことを思いついたな。そのことが未練なら、死んで目が見えるようになった時点で、幽霊でなくなっているはずだ)
目を閉じる。真っ暗とよく言われるが、実際はまぶたの裏に光の残像のようなものが見える。実際、目の見えない人たちの話だと、真っ暗ではなく真っ白だという。
(これが死ぬまで、いや、死んだ後も続くのか……)
自分なら耐えられないだろうと思う。生まれながらして見えない人なら、真っ白な視界が当たり前だから平気かも知れない。だが、目が見えていたのに、突然、見えなくなったら。ずっと真っ白な世界が続くのだったら。しかも、楓は記憶の中にあったはずの色がぼやけてしまっている。それを自覚してしまった。自分の世界がどんどん狭まっていく、失われていく恐怖を前に、彼女はどんな思いで生きていたのだろうか。
慌てて目を開ける。薄暗いが、真っ暗ではない室内が見える。
自分はこうして逃げることが出来る。だが、楓はできなかった。
(悦代さんはふさぎ込んでいると言ったけど、本当は、悟ってしまったんじゃないかな)
だとしたら、ますます彼女が幽霊になった原因がわからない。
何となく生きて、何となく死んだ人間は決して幽霊にはならない。
悟りを開き、全てをあるがままに受け入れる人は幽霊にならない。
でも、楓は幽霊になった。しかも、あれだけのポルターガイストを起こせるほど強大なパワーを持った幽霊に。原因があるはずだ。生半可な未練ではない何かが。
目を閉じ、別荘に来てからのことを、台村夫妻と悦代の話を頭の中で繰り返す。
(だめだ。わからない)
ベッドから抜けてトイレに入る。薄暗い部屋から、明るいトイレの中へ。
途端、ある考えが浮かんだ。
用を足し、手を洗いながらその考えを整理する。つじつまは合うように思えた。
「ことり、ちょっと話があるんだが」
ベッドに戻り、横になっている妻に声をかける。彼女は昼間の疲れからかぐっすり眠っている。美味しい物に囲まれた夢でも見ているのだろう。顔は幸せにほころび、口の端から涎が流れている。
「やれやれ」
しばらく彼は妻の幸せそうな寝顔を見ていたが
「しっかりやれよ。へっぽこ奥さん」
と軽くキスをした。途端
「うん、頑張る」
いきなりことりが笑って目を開けた。
「お前、起きてたのか!」
「へへへ。だーりん。もう一回」
楽しげに自分の唇を指さした。
「馬鹿、寝るぞ!」
真っ赤になって勇太郎は妻に背を向けた。
「ずるい。もう一回おやすみのちゅー。最近してないんだから」
「良いから寝ろ!」
「駄目。ちゅーしてくれたら寝る。……もしかして、寝るってそっちの意味? もう、だーりんエッチなんだから」
ことりは頬を染めてパジャマを脱ぎ始める。
「違う! ああっ、もう」
井頭は真っ赤になってことりを押し倒すと、思いっきりちゅーをした。
【次回更新予告】
「さーて。準備万端、いっぱい食べたし、だーりんの愛も確認したし、いざ再戦! へっぽこ式神総動員で行くよ!」
「……何か前章のコピペになる予感がする」
「んもぅ、相変わらず妻を信じられないなんて、それでも夫?」
「……でも、……やっぱり…だとしたら………」
「どうしたのだーりん。さっきから変だよ」
「いや、何でも無い。ということで次回更新【四・見えるが見えずに見えずに見えた】【五・見えない笑顔】」
「え、二章分?」
「最後のはエピローグで短いからまとめるそうだ」




