【一・だーりんの不都合なパーティ】
安楽椅子探偵というものがあります。現場に行かず、関係者に話を聞くこともせず、ただ記事を読んだり、話を又聞きにするだけで事件の真相を当てる探偵です。
だったら、幽霊が見えない、幽霊の声が聞こえない人が本物の幽霊退治をしたっておかしくないだろう。ということで生まれたのが井頭勇太郎です。
【一・だーりんの不都合なパーティ】
居心地の悪いパーティというのがある。自分がここにいるのが場違いだと思えてしようがない。出来ることならさっさと帰りたい。家でゆっくり風呂に入って、冷たいビールをきゅーっと一杯。
井頭勇太郎は正にそんな心境だった。
(……なんで俺はこんな所にいるんだ……)
ここは長野県の高級別荘地。日本でも有数の大企業として知られた優美商事の会長・台村雄三の別荘で行われているガーデンパーティである。夏が終わったとはいえ、まだ暖かい日も多く、外でも苦にならない。むしろ秋の到来を思わせる気持ちの良い風が、これまた具合の良い強さで吹いてくる。
三階建ての別荘は、ホテルと言われても通用しそうなほど白樺林にとけ込んだシックな作り。パーティで出される酒も料理も超一流。招待客はTVで見た顔も多い有名人ばかりだ。
そして、井頭は自分が勤める神楽不動産の社長・神楽大作のお供として、このパーティに参加していた。彼の仕事は営業。普通なら有名人たちに担当物件を売るチャンスとばかりに張り切るものである。契約が取れなくても、顔をつなぐだけでも意味がある。それでも、井頭は自分がこの場にいて良いのかどうか悩んでいた。
その最大の原因は、彼が優美商事の担当ではないことだ。しかも、パーティへの参加を神楽社長から直々に言い渡されたのはわずか三日前。最初は間違いだと思った。おかげで本来の担当者達から「どんな手を使った」と白い目で見られ、イヤミの嵐。
ただでさえ、彼が社長の後押しで入社したためにやっかみの目で見られているのに、これではたまらない。たまらず招待を辞退、本来の担当者に代わってもらおうとしたが、「これは社長命令だ。夫婦同伴とあるから、奥さんも連れてきたまえ。わかったな」である。
だったら、せめて自分を指名した理由を聞こうとしたが、神楽はその度に答えをはぐらかした。自分で調べようともしたが、本来の自分の仕事をやりながらではたいしたことはわからない。ただでさえ入社一年目の井頭は覚えなければいけないことが山のようにある。やっかみからか、先輩達は手伝ってくれない。とうとう、ろくな情報を得られないままパーティ当日になった。
井頭は、ここに来れば自分が指名された理由がわかると思って車のハンドルを握った。
ところが、別荘に着いた途端に神楽は「ご苦労さん。後は自由にしたまえ」と言って、さっさと台村会長の所に行ってしまった。紹介もなし。これではただの運転手と変わりない。
結局、彼はやることもわからないままパーティ会場に突っ立っている。
(まったく、社長はどういうつもりで俺を……)
運転手という立場上、酒を飲むわけにもいかずジュースを口にする。
(それにしても、このパーティは何なんだ?)
名目上は、台村氏の快気祝いということになっている。が、台村氏が病気だったなんて聞いていない。最近、体調不良から仕事を減らしていたのは確かのようだが。
その他に、別荘をペンションに改築するのでそこで出す料理をお披露目し、今後のご贔屓をお願いする。というのがついているが、どうもこじつけっぽい。
招待客も変だ。台村氏の地位を考えれば、政治家や有名会社の社長とかが多いだろうと思っていたのだが、そういう人は誰もいない。いるのは宗教家や小説家、毒舌で有名な占い師のような「なんか違うぞ」と思ってしまいそうな人たち。中に大学教授がいたので専攻を聞くと「死後の世界について」だという。どうも人選の基準がわからない。
井頭は試しに何人かと話してみたが、台村氏とは今日が初対面という人も少なくなかった。そういう人たちは
「何でもいいですよ。台村氏とお近づきになれれば損はないでしょう。何しろ一代で優美商事を日本有数の企業に育てた人ですからねぇ」
と、揉み手で台村氏の所に駆けていく。
営業マンである以上、井頭もそうするのが正しいのかも知れない。パーティの中身はともあれ、人脈を作る良い機会なのは確かだ。しかし、井頭はどうしてもこのパーティを素直に受け入れることが出来なかった。
(俺って営業に向いていないのかな……)
「だーりん、このお肉、すっごくおいしいよ!」
彼の思考は脳天気な妻の声にかき消された。肉を山盛りにした大皿を見せ、
「やっぱりすごいよ。うちで食べてる百グラム七十八円のセール品とは全然違う。だーりんも、ほら、あーんして」
大声で解説しながらフォークに突き刺した肉を井頭に差しだす。井頭は真っ赤になって、妻を隅に引っ張っていく。周囲から聞こえる押し殺した笑い声が恥ずかしい。
「どうしたの。お魚の方が良かった?」
事態がわかっていないのか、きょとんとした顔を井頭に向ける妻。
妻の名前はことり。井頭と同じ二十二才である。小柄な体とちょっと幼い印象を受ける顔立ちはなかなか可愛らしく、大学時代はみんなの人気者だった。長い黒髪を一本に束ね、初めてのボーナスで買った、正確には買わされた淡いピンクのドレスを着ている。だが、その袖口には肉のソースらしき染みが付いていた。
(高かったのに!)
悲鳴を上げたくなるのを必死でこらえる。
「どうしたの、だーりん。さっきから変だよ」
ことりは井頭のことを「ダーリン」と呼ぶ。子供の頃に見た海外のTV番組で主人公の女性が夫をそう呼ぶのを格好良いと思ったからだそうだが、日本ではただ浮いているだけだ。しかも、発音が間抜けなせいで「ダーリン」ではなく「だーりん」と聞こえる。
「お前が脳天気すぎるんだ」
気の抜けた返事にことりはふくれて答えを返す。
「ひどーいっ! あたしだって、いろいろと考えているんだよ」
「ほぉ、例えば?」
「全料理の制覇は無理っぽいから、どれを優先的に食べようかとか、ここに来てる有名人たちからどうやってサインをもらおうかとか。残った料理を持って帰るのに、タッパーが足りるかとか」
「……聞いた俺が馬鹿だった」
とにかく、ただ突っ立っていたのでは何にもならない。何でもいいから話の輪に入れば、何らかの情報が聞き出せるかもしれない。そう思った井頭は、気を取り直すと手近な集団を物色し始めた。
出来るだけまともそうな集団を探していると
「井頭君、楽しんでいるかね」
ロマンスグレーという言葉がピッタリくる紳士に呼び止められた。彼が神楽社長である。今年六十になるはずだが、整った体つきといい、肌や髪の艶といい、四十代前半にしか見えない。身長も、決して低くない井頭より頭一つ分高い。
「あ、それはもう。ただ、こんな有名人の中に入るのは初めてなので、緊張しています」
営業用の笑顔と言葉で返事する。まだ慣れていないため、ぎこちないところがある。
「そんなにかしこまらなくて良い。それより、奥さんはどうした?」
「どうしたって、ついそこに。……あれ?」
いつの間にか、ことりの姿が見えなくなっていた。
ことりは手洗い所から出ると大きく息をついた。
「危なかったぁ。調子にのって食べ過ぎたかな」
井頭はあまり気乗りしないようだが、彼女はこのパーティを大いに楽しんでいた。時折アルバイトはするものの、専業主婦である彼女には大きな刺激だった。
ただ、井頭同様、招待されている人に妙な偏りがあるのが少し気になったが。
「それよりも、やはりここは営業マンの妻として愛想のひとつも振りまくべきだよね。内助の功こそ、良い妻の条件だもんね。
あ、その前に厨房に行って、残ったお料理を包んでもらうようにお願いしないと……」
会場に行こうか厨房に行こうか思案する彼女の動きが止まった。
彼女の顔つきは、先ほどまでとは別人である。そこにいるのは脳天気な専業主婦ではなく、使命を背負う女闘士だ。
(この感じ……間違いない……)
緊張感をみなぎらせる彼女は、その感じをたぐるように玄関ロビーに行き、隅にある階段を上がりはじめる。二階は、招待客が宿泊するための部屋がずらりと並んでいる。それらの部屋を無視し、三階に続く階段を見上げる。
階段の途中には「関係者以外立入禁止」の札がついたロープが遮っている。
ロープをくぐって三階に上がる。広さは二階よりも少し狭く、綺麗に掃除されている。東側には付近を一望できるベランダがある。彼女は廊下を進み、南側にある一室の前に立った。
「間違いない……ここからだ……」
ドアノブを回そうと手を伸ばすと、後ろから階段を上る音が聞こえた。
慌てて振り返ると、白髪と和服姿が良く似合う初老の女性が立っていた。
井頭から写真を見せられていたおかげで、彼女が誰かわかった。台村夫人だ。大企業の会長夫人の割には覇気が見えない。歳は六十前後と聞いていたが、七十過ぎに見える。
「あ、あの。実はちょっとトイレに行った帰りにこちらから、じゃなくて。ええと……」
イタズラを見つけられた子供のように、慌ててうまくできない弁解をしようとする。だが、夫人の視線はことりを非難するものではなく、むしろ満足しているようだ。
「いいんですよ。でも、念のため聞かせてくださらない。あなたはどうしてここに来たの」
ことりは迷った末、開けようとした部屋を指さし、言葉を選んで答える。
「この部屋に、誰かいるんですか?」
「あなたがいると感じたなら、きっといるのね」
夫人は微笑んだ。優しく、寂しげな笑みだった。
夜。社長命令によりこのまま泊まることになった井頭夫婦は、二階の一部屋でくつろいでいた。二人と神楽社長をのぞく客達はみんな帰ってしまった。結局、客達からはたいした情報は得られず、井頭がパーティに感じた違和感は残ったままだ。
そんな中、彼は妻から三階の部屋のことを聞かされた。
「それって、もしかしたら」
ベッドの上であぐらをかいたまま井頭が言う。上着を脱ぎ、ネクタイも外したくつろぎモードだ。靴下も脱いで裸足になっている。
「うん、奥さんもわかっているみたい。けど、何だか自信がないって言うか、誰かに確認して欲しかったっていうか。そんな感じ」
井頭は斜め上、ちょうどことりが言った部屋の方を見ながら
「確認するが、その部屋には間違いなくいるのか。霊が」
こっくり頷くことり。今の彼女はドレス姿ではない。ちょっと丈の短い、少し色あせた紺のワンピースを着ている。
「そういえば、招待されていた人たち。社長さん達以外はほとんど霊能者だった。小説家もホラーで有名な人だし」
「そうなのか?」
「だーりん、気がつかなかったの。夏になると心霊スポットの番組とかでよく見るよ。ま、ほとんど演出がうまいだけのエセ霊能者だけどね」
優越感に浸りながら胸を張る。
ことりから言われると妙に腹が立つが、気がつかなかったのは事実なのだから仕方がない。もっとも、彼の場合気のつきようがないのだが。
彼女が時折アルバイトをすることは先ほど記したが、そのアルバイトというのはいわゆる「除霊」「お払い」の類である。
彼女の実家である櫻川家は、奈良時代から続く退魔師の家系である。だが、魔を払うことよりも彷徨える霊の浄化、要は幽霊退治専門という狭い分野なのが災いし、昭和に入ってからは右肩下がり、継ぐのを止めてサラリーマンの道を選ぶものが後を絶たず、今では本家の人間ぐらいしかその業を継ぐことはない。
とはいえ血縁者にその力が受け継がれているのは事実で、ことりも例外ではない。彼女はそれを使って簡単な仕事をしているのだ。
ちなみに、櫻川家では幽霊の浄化のことを「浄霊」と呼んでいる。
「だとしたら……」
彼の言葉を遮るようにドアがノックされる。ドアを開けると神楽が立っていた。
「君たち、夜分すまんがロビーに来てくれ。台村さんが話があるそうだ」
着替えて下りると、すでに台村夫妻がソファに座って待っていた。もう一人、隣には和服姿の女性が座っていた。歳は四十ぐらい。市村悦代という、長年ここで働いていた家政婦と紹介された。
台村雄三。バブル崩壊やここ数年の不況をものともせず、一代で優美商事を日本有数の大会社に成長させた男。それだけに、さぞや重厚で厳つい男かと思いきや、本人は至って穏和で、見た目も笑顔の優しい好々爺といった感じである。身長もことりより低い。井頭もパーティで初めて会ったとき、そのイメージの違いに戸惑ったほどだ。ただ、どこかつかれた感じを全体から受け、神楽社長とは同い年にもかかわらずにずっと老けて見える。
「よろしければ、お願いしたいことがあるのですが」
腰の低い態度で台村が言った。取引先の平社員に対する態度とは思えない。
「それは、私達が……いえ、ことりが呼ばれたことに関係することですか?」
その言葉に台村は頷く。
「だーりん、どういうこと?」
「つまり、ここに呼ばれたのは、私ではなくてお前だと言うことだ。そうでしょう、社長」
返事の代わりに笑う神楽。井頭は大きなため息をついた。
「黙っていたのは悪かった。とにかく、しばらく黙って台村さんの話を聞いてくれ」
神楽に促され、台村夫婦が話し始めた。
台村夫婦には楓という娘がいた。四十近くなって授かった娘だけに、二人は喜びに包まれ、その親馬鹿ぶりは周囲の人たちを苦笑いさせた。楓も、二人の喜びを吸収するかのように明るい活発な少女に育った。体育会のリレーで選手に選ばれ、音楽会の縦笛のパートではソロで出番を与えられる。台村夫婦にとって自慢の娘だった。
だが、その喜びは長く続かなかった。
楓が十五才の時、事故で視力を失ってしまったのだ。台村夫婦は何とか治そうとあらゆる手を尽くしたが全ては無駄に終わった。その後、夫婦は楓に盲人教育を施そうしたが、今度は楓がそれを拒否した。彼女の心は、視力と共に閉ざされてしまったのだ。楓は高校へも行かず、ずっと家で過ごすようになった。
二人は待つことにした。今は視力を失ったショックで絶望感に覆われているだけだ。時が過ぎれば彼女の絶望は薄れ、新たな人生に前向きになるだろうと。
定期的に家庭教師や障害者支援の人に来てもらい。楓に新たな人生に向かい合う勇気を持たせようとした。点字を習わせたり、盲導犬を手に入れたりした。だが、彼女は何年経っても心を開こうとしなかった。
ある日、環境を変えてみようと夫婦は彼女と共にこの別荘に来た。その試みはある意味で成功した。楓はここが気に入り、住みたいと言い出したのだ。都会よりも、ここの土や木の匂い、鳥の声や風の音が気に入ったらしい。
だが、それは両親と別れて住むことになる。台村氏はもちろん、婦人の方も様々な役職と人付き合いがあり、一緒に別荘に住むわけにはいかなかった。
話し合った末、楓はここに住むことになった。何年ぶりかで彼女の方から自分の希望を口にしたのだ。それを叶えてやりたいと思ったのは当然のことだろう。彼女の身の回りの世話をする者として悦代を雇った。
だが、この判断は失敗だった。
夫婦が楓と会う回数がめっきり減った。もちろん、休日は出来るだけ訪れるようにしていたが、仕事が忙しくなるに連れ、そうもいかなくなり、やがては訪ねること自体、億劫に感じるようになった。
たまに訪ねてみようかと思っても、
(いままで放っておいたのに、何を今更……)
そんな気持ちになり、何かと理由を見つけては訪問を避けるようになった。
悦代も接し方に悩んだ。心を閉ざした目の見えない娘。外の木々のざわめきや鳥の声に耳を傾け、時折それに合わせるように愛用の縦笛を吹く。別荘の内部を覚え、大抵の用は一人で出来るようになると悦代を呼ぶことも少なくなった。悦代も密かにそれを喜んだ。彼女が世話をしている間、楓は何の反応も示さないか、逆にヒステリックに暴れるかのどちらかだったから。悦代にしてみれば、実にやりにくい娘なのだ。
悦代の仕事は、炊事洗濯掃除がほとんどになった。
そして昨年、楓は死んだ。ほとんど人と接触することがなかったため、体の不良に気がつくのが遅れたのだ。悦代が異常に気がついたときには、すでに手遅れだった。
葬儀は身内だけでひっそりと行われた。楓の部屋は、彼女の遺品と共にそのまま残された。
それから半年後。この別荘の売却と改築が決定した。だが、準備はほとんど進まなかった。
楓の遺品を移すことが出来なかったからだ。部屋に入ろうとしても、なぜか扉には鍵がかかっている。何度開けても、勝手に扉が閉まり鍵がかかる。ストッパーをかけてもすぐに外れる。小物だけでもと無理に運びだしても、いつの間にかそれらは部屋の中に戻っている。仕事をする人たちは気味悪がった。
さらに、別荘で女の幽霊を目撃する人が続出した。話を聞けば、その姿は間違いなく楓だった。
楓の部屋のない部分だけでもと、無理に解体作業を始めた。すると、重機のハンドルやレバーが勝手に動いて作業員達の車を粉砕した。やっと収まったかと思えば、差し込まれたはずの重機の鍵が消えていた。屋内で作業をしようとしても、道具がいつの間にか消えている。階段を下りる途中、誰もいないのにいきなり突き飛ばされるといったトラブルが続出した。
とうとう、作業員たちは仕事を止めてしまった。
話を聞いた台村夫婦は考えた。
(楓が幽霊になって邪魔をしている?)
だが、楓の姿が目撃されたのは初めの数日だけ。以後、目撃者はいなかった。そもそも、目の見えない楓がこんな器用に邪魔を出来るのか? もしかしたら、楓を見たというのは錯覚で、後の事故は単なるミスでは?
迷った末、夫妻は賭けにでた。
霊能者達を集めて、事情を隠したままここでパーティを開くのだ。
「誰も、何の異変も感じなければ、やはり気のせいだと。逆に、楓の霊の存在に気がつく人がいれば、その人のお力で楓を成仏させてもらいたい。そう思ったのでございます」
夫人がことりを見つめながら言う。
「その候補の一人として、妻が選ばれたわけですか。社長の推薦ですね」
「もちろんだ。問題の解体作業をしたのは神楽建設だし、ことりさんの霊感知能力が本物なのはこれまでのつきあいでわかっているからな」
どうだとばかりに胸を張る。
神楽不動産のみならず、日本の大手不動産会社はどこも櫻川家のような霊能者とつながりを持っている。自殺、殺人、事故などで悪質な地縛霊などがいる物件を安く買い、除霊した上で売るためである。一軒家はもちろん、アパートやマンションなどの集合住宅となると、一部屋でもそういうのがあるだけで建物全体の価値が下がるので業者にとっては死活問題なのだ。
「だったらことりだけ呼んでください。この招待のおかげで、俺……私がどれだけ社内で嫌な思いをしているかわかっているんですか」
「人間関係というのは良いものばかりではない。嫌な思いにもまれるのも経験だぞ」
わかったかとばかりに肩を叩く神楽に、井頭は殴りたくなるのをぐっと堪えた。以前ならともかく、いまは自分の勤めている会社の社長なのだ。
「それに、さっきも台村さんが説明した通り、このパーティでは参加者に娘さんの事情を一切知らせないでおくというのがポイントだ。ことりさんだけ呼んだら狙いがばれてしまうじゃないか」
「それで俺……私を通してことりを呼んだんですね」
三日前に知らせたのもわざとだろう。早すぎると事情を調べられてしまうかも知れないし、前日では変更は難しい用事が入っているかも知れない。
「このパーティを企画したのも私だ。どうだ、いいアイデアだろう」
どうだとばかりに神楽が反り返る。井頭はそれには目もくれず
「霊能者だの霊感タレントだの、関係のない人たちを事情を隠したまま招待したんですね」
「関係はあるだろう。もしかして彼らは本当の霊能者かも知れないんだ」
「訝しく思った方も多かったんじゃないですか」
「はい、参加を辞退された方も何人かおりました」
悲しげにうなだれる台村夫人。妻の代わりとばかりに台村が
「皆様が集まってからは、出来る限り妻が部屋を見張り、私は霊能者の方々のそばにいるようにしました、楓の霊に気がつけばきっと楓の住んでいた部屋に来る。そうでないにしろ、何らかの形で私どもに忠告してくれるだろうと考えたのです」
「そのような方は何人いるだろうかと期待と不安で待っていたのですが……。楓に気がついたのは、ことり様だけでございました」
台村夫人が頭を下げる。
「わざわざ立ち入り禁止の札のあるロープをくぐってまで三階にいらしたのは、楓の霊の気配を感じられたからでしょう」
照れくさそうに頭をかくことり。
「え、ええ。まあそうなんですけど……。さすがに『この部屋に幽霊がいるみたいなんですけど』とは言えなくて」
わかりますというように、夫人は何度も頷いた。
「もしかしたら、みなさんは気づかれていながら黙っているのかとも思い、先ほどまで待っておりました。ですが、誰も、何も言わないままお帰りになりました。もちろん、その後に、電話などで忠告する方もおりませんでした」
「そりゃそうですよ。あいつらみんなニセ……」
言いかけることりを井頭が小突いて止めさせる。
台村が椅子に座り直し、深々と頭を下げた。
「こうなった以上、お任せできるのはことり様だけです。お願いします。どうか、楓を成仏させてやってください。もちろん、そのために私どもに出来ることなら何でもします」
「はい。まかせてください!」
即答して、胸を叩くことりを、
「ちょっと待て!」
と、慌てて井頭が隅へと引っ張っていく。
「お前な、そんな簡単に引き受けていいのか」
「大丈夫、まーかせて。台村さんってだーりんの会社のお得意様なんでしょ。ここで社長さん達に良いところを見せれば、次のボーナスがどーんと増えるかもよ。そうしたら美味しいもの食べに行こう」
「失敗したらどうする。家で素うどんでも食うのか」
「そんなにあたしの力が信用できない?」
「できない」
即答し、
「お前が自慢できる霊能力といったら感知能力ぐらいじゃないか。お前が今まで一人で満足に仕事が出来たことがどれだけあった。ほとんど実家の人達の助けがあってじゃないか」
「大丈夫。もっとあたしを信じなさい」
まだ何か言いたそうな井頭を押しのけると、台村夫妻の下に駆け寄り
「ご安心ください。あたしが引き受けた以上、娘さんの成仏は時間の問題です」
途端、井頭を除く全員は、別荘が震えたような感覚に襲われた。
(勝手なこと言わないで!)
いきなり、若い娘の声が井頭を除く人たちの頭に響く。
(あたしは嫌よ。絶対に成仏なんかしないから!)
テーブルの湯飲みが飛び、中の熱いお茶がことりの顔面を直撃する。彼女はたまらず悲鳴を上げ、顔を押さえた。
「楓?!」
驚きと喜びの混じった顔で台村夫婦は周囲を見回す。
「楓なのか。いるのなら姿を見せてくれ」
だが、彼女の姿はどこにも見えない。
井頭は拳を固め、何かに備えるように身構え、息を整えた。
周囲の小物が一斉に宙に浮かび、ことりに向かって飛んでいく。
「やめろっ!」
気合いを発するかのように井頭が叫ぶ。途端、飛んでいた小物が一斉にその場に落ちた。まるで何かのスイッチが切れたかのように。
(え?)
皆の頭に響く声はとまどいの声。
井頭はことりを抱えると
「早く外に出てください。一旦、ここから離れます。他の人たちは?」
「全員、帰してあります。除霊の邪魔になるといけないと思って」
「そいつは正解ですよ」
そのまま外に飛び出す井頭。それに引かれるように台村達も外に出る。
来る時に乗ってきた車に一同を押し込むように乗せ、井頭が車を走らせる。定員オーバーだが、そんなことは言っていられない。
「今のは、楓ちゃんの仕業なのか?」
助手席の神楽が後部座席のことりを見る。後ろは四人いるためにかなり窮屈そうだ。
「あの声は楓ちゃんのものでしたか?」
顔をさすりながら言うことり。台村夫妻に顔を向けられた悦代が頷く。
「だったら、娘さんと思って間違いないです。けど、あれだけの力があるなんて」
「だから気軽に引き受けるなって言ったんだ。お前の浄霊レベルはへっぽこなんだから」
「へっぽこじゃないもん! 今のはいきなりだったから、油断しただけ」
むくれたことりは座席の隙間から顔を突き出し、ハンドルを握る井頭に
「だーりん、戻って! 楓ちゃんの魂体を見つけて、そのまま成仏させてみせるから」
「無理だ!」
「無理じゃない!」
ことりは頬を膨らませ、井頭を睨みつける。
「井頭君、奥さんもこう言っているんだから、やらせてみれば良いだろう」
神楽が言った。ことりを推薦した彼にとって、彼女がやられっぱなしでいると困るのだ。
「……わかりました。でも、危険ですので私とことりの二人だけで戻ります」
近くにある二十四時間営業のレストランに四人を残し、井頭たちは再び別荘に向かう。もちろん、彼は、戻る時に神楽を睨みつけるのを忘れなかった。
【次回更新予告】
「ことりでーす。これからって時に続くなんだから。読者のストレス溜める展開だよね。でも、その分、次回更新分ではあたしの大活躍決定!」
「そうか? 下っ端相手ならともかく、話のボスに序盤で突撃するのは負けフラグだぞ」
「ひどい。だーりんはあたしの活躍が読みたくないの?」
「活躍があればだろう」
「あるもん! ということで、次回更新【二・突撃へっぽこ式神!】お楽しみに!」
「……さて、俺も出番の準備をしておくか」




