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危機  作者: 勝目博
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危機を乗り越え

危機を乗り越え 

          一


 都心部から時たま聞こえる爆発音のほか、輝の耳に入る音は皆無だった。輝はなぜか子供の頃を思い出していた。幼い頃に出ていった父の思い出と言えば、怒られたときに押入れに入れられた事だった。まさに今の状況が似ていた為であろう。真っ暗闇の中、孤独だった自分、ただ一つの違いは、涙を流していない事だった。母は苦労した挙句、輝の成人を待っていた様にこの世を去った。人一倍他人を気遣う母が今の状況を見たら、さぞ悲しんだ事だろう。こんな日本を見なくて良かった、と思うと、輝の気持ちは幾分安らいだ。その時、輝の耳にヘリの音が聞こえてきた。しかも、猛スピードで近づきつつあった。傘に大粒の雨を叩きつけるような音が、どんどんこちらに向かってくるのに輝は身震いした。急いで表に飛び出し、空を見上げると、一機のヘリがサーチライトを輝かせ蛇行していた。まるで何かを追いかけている様子だった。物陰に身を伏せる輝の耳に、激しい銃声の嵐が轟いてきた。何かを追っているのは明確だった。地上に向けて発射される弾は、通り脇の建物を破壊していた。と同時に、輝の目にトラックが飛び込んできた。輝は咄嗟に、リチャードのことを思い出した。案の定、トラックは、輝と杉本を下ろした場所で急停車した。そして輝の目には、トラックから転げ落ちる人影を捕らえていた。その人物が向かいの建物に飛び込んだ時、一発のロケット砲がトラックを木っ端微塵に吹き飛ばした。暫くヘリは辺りを旋回し、サーチライトを照らし続けたが、やがて飛び去っていった。ヘリが去ると、輝はダッシュで通りを渡り、人影が飛びこんだ建物に近づいた。建物に沿う様に近づく輝は、いきなり誰かに肩をつかまれ、路地へと引き込まれた。

「無事でしたね」なに事も無い様に、リチャードは笑っていた。

「どうしたんですか」輝の問いに答えもせず、リチャードは輝の手を掴み走り始めた。暫く走って民家に飛び込んでから、やっとリチャードは口を開いた。

「検問で、停止命令を聞かなかったら追ってきました。折角、燃料も入れたのに、もったいない」リチャードは殺されそうになった事など、なんとも感じていない様子だった。

「今ごろ、陸上部隊が到着しているでしょう。杉本さんは無事ですか。何処にいますか」

「杉本は無事です。安全な場所に避難しています」輝が答えると、

「良かった、あの近くは危険です。探し回るでしょうから」そういって、リチャードは大きく息をはいた。

「リサと、エリザベスは大丈夫ですか」輝の問いに、リチャードは片目をつむり、親指を立てた。

「無事、基地に送り届けました。ワシントンと連絡が取れたら、私にも連絡があります」

そう言って、リチャードは小型のレシーバーを輝に見せた。

「ワシントンには、なんと言うつもりですか」

「自信が無いのでまだ内緒です。上手く行けば話します。杉本のところへ行きましょう」自分の言葉に反応しない輝を見て、リチャードは首を傾げた。

「どうしました。早く杉本のところへ行きましょう」輝は、躊躇いながらも今までの経過を話し始めた。

「まだそんな軍隊がいるのですか」リチャードは、はっきりと驚いていた。

「そんな簡単に、一つの国を買収できるとは思っていませんでしたよ」

「双方とも甚大な被害は、免れないでしょう。その為にも平和的解決が出来る事を願っています。でもどうしたらいいのか」考えこむ輝に、リチャードが話し始めた。

「私を連れ行って下さい。ワシントンと連絡が取れれば、お互い好都合だと思います。アメリカだって争いは避けたいはずです。ましてロシアまで介入しているとなれば、尚更でしょう。今までアメリカは多くの血を流しすぎました」リチャードの言葉に、輝は驚いた。

「知っているんですか、ロシアの事を」

「アメリカの情報網は、世界一です。大分前から分かっていて、事務レベルでは何度も話し合いがあったそうです」リチャードは、話を続けた。

「軍の中では、ロシアの参戦発表の前に核を撃ちこめ、との意見出ています。今のところ上院では否決されていますが、大統領の気持ち一つと言っても、過言ではありません。それに、ミサイル防衛システムの導入により、ヨーロッパ諸国の反応も微妙な段階で、アメリカは今、最も慎重に対処する場面を迎えています。仮に一発の核を発射すれば、その後アメリカは各国から標的にされるでしょう。平和的解決を望む声も多く出ています」リチャードの話しが終わると突然、輝のレシーバーが声を発した。

「黒部です、応答してください」

「はい、聞こえます」教えられたとおり操作すると、容易に話す事が出来た。

「大丈夫ですか、こちらは無事付きました。どうぞ」

「こちらは、無事です。ありがとう」そして、輝はリチャードの事、案内しても構わないかと、黒部に尋ねた。

「私の判断では答えられません。そのまま待機して下さい」黒部がそう言うと、レシーバーから雑音が消えた。はやる気持ちを押さえて待っていると、再びレシーバーが声を発した。黒部とは違う声に一瞬戸惑ったが、聞き覚えのある声に人物が頭に浮かんできた。

「山中です、聞こえますか」

「はい、聞こえます」

「貴方を信じ、許可します。迎えを出しますか」山中の好意は嬉しかったが、輝は丁寧に断った。

「場所を移動しました。何とか行けると思います。ありがとう」

「それでは、くれぐれも気を付けて、激しい戦闘が続いていますので」山中の声を最後に、レシーバーは沈黙した。輝とリチャードは慎重に歩き始めた。都心に近づくにつれ、激しい銃声が響き始めてきたが、二人は上手く闇に紛れ、日が昇る前には地下鉄にたどり着いた。普段地下鉄など利用しないリチャードは、改めて感心して話し始めた。

「なるほどそう言えば、東京には地下鉄が縦横無尽に走っていましたね」ホームに向かう階段で、その声に反応する様に人影が飛び出し、ライトが二人を包んだ。

「大丈夫、見方です」人影の一人が発した言葉で、ライトは音も無く消え去った。

「杉本」輝の声で、相手がわかったらしく、

「おー、杉本さん」と、リチャードも喜んでいた。

「無事でなによりです。間違われると大変だと思い、待っていました」杉本と輝は、しっかりと抱き合った。それから杉本はリチャードとも固い握手を交わした。

「ありがとう、君には迷惑をかけてばかりだ」

「いやですよ、先生、私だって、あの時先生と会わなければ、あの後どうなっていたか、先生には感謝しています、本当に。でも無事会えて安心しました」暗闇の中、杉本の目に光るものを、輝は見た気がした。

「洋子さんは」輝の問いに、杉本は鼻をすすりながら答えた。

「ぐっすり寝ています。余程疲れていたんですね」と。

「彼女の無事は、君のお蔭だな」杉本は笑っていた。


          ニ


 山中は丁重にリチャードを迎え入れ、紳士的に握手を求めた。緊張気味のリチャードも、落ち着きを取り戻していった。

「まず、君にお礼を言いたい」山中は、輝にも握手を求めた。

「黒部小隊長は、通信機を持って出かけたが、じき戻ってくると思う」

「黒部さんの功績です」山中は、輝の言葉に頷いた。

「そうかの、わしゃ、あんたの瞳に惚れ込んだつもりだが」背もたれの高い椅子が回転すると、初老の男、中村が輝を見つめ笑っていた。

「驚くな、こいつとは同級じゃ」中村は、無造作に山中を指差した。

「夕べ、黒部さんが寄ってくれてな、来てみて驚いたよ、お互い老けたが、すぐ分かったよ。昔は一緒に馬鹿をやったもんじゃ。それと更に、五つほどまとまったぞ、まだまだ小規模だが、全国に広がる勢いじゃ」中村は大声で笑っていた。

「それで、リチャードさんでしたね、話しを聞かせて下さい」今までのやり取りをぼんやり聞いていたリチャードは、不意に話しかけられ戸惑った。が、やがて静かに話し始めた。

「アメリカは、最後の決断に迫られています。このまま戦いを続けるのか、手を引くのか、最終結論にも色々意見があります。軍部からは、核を使用しろ、との意見も出ています。しかしそうなれば、世界全土を巻き込むでしょう。アメリカ政府は諸外国の対応に翻弄しています。大半は日本から手を引け、との意見ですが、今のところ成り行きを見ている様です。しかし、長引かせる事は出来ません。ロシア同様、アメリカに対し、軍事行動を起こす国も出てくるでしょう」ロシアと聞いて、山中は頷いた。

「そのロシアですが、我々はコンタクトを取りました。十分な支援は出来ないが、このまま戦いが続けば新年早々にも、アメリカに戦線布告するつもりだといっています」リチャードは、山中の言葉を予期していたように、少しも驚かなかった。

「問題の一つは、日本です。ほとんどの政治家は逃げ出したと聞きましたが、まとめる事ができますか。政府の無い国は、ゲリラと思われても仕方ありません。それがアメリカの考え方です。だから、どの国も参戦してこないのです。臨時で構わない、とにかく政府を機能させて下さい。政府が無ければ、話し合いも出来ません」

「しかし、アメリカ側からは、武装解除しなければ、話し合いには応じられないと通達があった。どうしろと言うのですか」山中に尋ねられ、リチャードは即座に答えた。

「問題の二つ目は、一般のゲリラです。抵抗をやめさせてください」

「彼らに死ねと」山中は驚いた。

「いえ、保護して下さい。指揮下に入れるのです、鎮圧だけでもして下さい。彼らが好き勝手にアメリカ兵を殺していたら、話し合いなど到底出来なくなります。アメリカという国は、同胞が殺されたら黙っていられないのです。」

「それは既に試みましたが、失敗に終わりました。彼らは暴走しています。彼らまで敵に回す兵力は残っていません」山中の言葉に、中村が口を挟んだ。

「わし等に任せろ。軍隊相手じゃ心許ないが、ゲリラくらいなら鎮圧してやるぞ、わし等に命令を出せ」今度は、輝が口を挟んだ。

「殺すのですか、彼らも日本人です。それに全国に展開しています」

「わし等も、全国規模じゃ。それに殺しはしないよ。少々脅すだけじゃ、安心なさい。ついでにわしの経験から言わせてもらえば、一般市民は国家権力には反発するが、わし等の言う事は、結構聞いてくれるものなんだ」どんな経験かは聞かなくとも、輝にも山中にも容易に想像できた。

「とにかく急いでください」リチャードの言葉に山中は頷き、中村に向き直った。のんびり考えている時間は無く、素早く判断を下した。

「中村安治、命令を下す。ゲリラを鎮圧、保護せよ」中村は敬礼一つ残し、飛び出していった。それこそ、まるで水を得た魚、のように意気揚々として。山中は輝に向き直り話し始めた。

「実は他の幹部と話し合った時に、総司令官に任命された。大任だがまっとうしなくてはならない、これからも協力してくれ」

「私は、戦い方も知らない素人です。兵士の中や、市民の中にも優秀な人材が大勢いるはずです。これ以上お役には立てると思えませんが」輝の言葉に、山中は素早く答えた。

「しかし君には何かある。人に無い何かが。年寄りの戯言だと思って構わないが、今は一人でも人材が必要な時だ、手を貸して欲しい。君も見たと思うが、保護している市民のなかに、君ほど活き活きしている者はいない。銃を持って戦うことはさせない。気づいた事を助言して欲しい、それだけでいい」そこまで言われて輝は断れず、ゆっくりと、しかし確実に首を縦に振った。

「とんでもない、これからの作戦に彼はとても重要です」リチャードに言われて輝は面食らった。

「私に何をしろと、言うのですか」リチャードはレシーバーを取り出し、輝に見せた。

「ワシントンと連絡が取れたら、私にも連絡が来ると言いましたね」輝は黙って頷いた。

「計画が上手くいったら、私の父、リサの祖父に会ってもらいたい」リチャードの言葉に、輝は尚更驚いた。話しの見えない山中は、二人のやり取りを黙って見ていた。

「何故、私が」輝の言葉を、リチャードが遮った。

「日本にため、アメリカの為、リサのためです」暫く輝の様子を見てから、リチャードは理由を付け足した。

「リサは、貴方に夢中です。恋しています」輝の顔が、見る見る赤くなるのを見て、リチャードは微笑んだ。

「そろそろ話してくれないか」それまで、黙って聞いていた山中が口を開いた。

「簡単に言うと、アメリカ政府の重要人物、その人物の最愛なる孫娘が、彼に恋をしているのです。大統領とも親しい重要人物です」リチャードの説明に、山中は理解に苦しんだ。

「だから、どうだと言うのかね。分かりやすく説明して欲しい」

「その人物は、孫娘を溺愛しています。彼女の言う事なら、何でも聞きます。上手く事が進めば、アメリカ政府の高官と、話し合えるチャンスだと思いませんか」山中は、少々困惑した顔でリチャードに尋ねた。

「信じられん、政府の高官が、政策に私情を持ちこむかね」

「勿論、始めから手を引くように頼むのではありません。先程も言ったように一つのチャンスです。武器を放棄することなく、話し合えるチャンスです。後は、貴方がたの仕事です。日本をまとめ、政府を機能出来るかにかかっています」山中にも少しは理解出来たが、大きな疑問が残った。

「話し合いの場を作るのには、どうするつもりですか。彼と一緒にワシントンに乗り込むのですか。絶対に無理です」リチャードは、大きく頭を振った。

「違います。その人物を日本に呼ぶのです」

「でも、どうやって」山中の疑問は、更に膨らんだ。

「たとえば」リチャードは、輝に目線を移してから、話しを続けた。

「結婚するとか言えば…」

「え、」輝の、驚きは半端ではなかった。

「ちょ、ちょっと待って下さい。リサは、リサは知っているのですか」

「私のメモを見て、さぞ驚いているでしょうね」リチャードは、派手なアクションと共に、笑い出した。確かにリサと分かれる時、リチャードがメモを渡していたのを、輝は思い出した。

「しかし、リサの気持ちはどうなるのですか」輝の問いかけに、リチャードは自信を持って答えた。

「リサの気持ちは痛いほどわかっています。ずっと父親でしたから。それに、これは単なる計画です。貴方に迷惑はかけません」輝は、うつむいてしまった。

「娘さんですか。しかし、まだ解らないのですが」山中の疑問は、まだ残っていた。

「まさか日本人と結婚するとでも言うのですか。それと日本に来たとしても、何処で話し合うのか、教えて下さい」

「勿論、相手は言いません。リサも知りません。しかし、今リサは有明のアメリカ軍基地にいます。当然、アメリカの軍人だと思うでしょうね。ならば来ない理由はない。アメリカ人は、神聖なる結婚式を決して軽視しません。どんな場合でも」リチャードは、いったん話しを区切った。

「基地まで来たら、後は連れ出すだけですが、そこが問題です。何処に、どうやって連れ出すか、私にもまだ策がありません。山中さんも考えてください」会議室は、それから沈黙に包まれた。これと言う計画が浮かばなかったが、輝が小声でリチャードに尋ねた。

「最初から、考えていたのですか」

「途中まではね。ただ、これだけは本当です。リサは貴方を愛しています。だから、貴方を助けたかった。本当に会ってもらうつもりでした。貴方の気持ちも考えずに、何も言わなかったことは、とても反省しています。すいません」リチャードは静かに頭を下げた。

「リサを嫌いですか」突然のリチャードの質問は、輝を困らせるのに十分だった。

「嫌いではありませんが、彼女はまだ若い。私よりも若く、魅了的な男はいくらでもいます」確かにリサの事を思うと、輝の胸は熱くなった。しかし、それ以上のことを輝は考えた事もなかった。それが、こうしてリサの気持ちを知るにつれ、リサへの思いは高ぶる一方だった。そんな輝に、リチャードは優しく話しかけた。

「貴方だってまだまだ若い、私から見ても、十分魅力的な男性ですよ。何よりも二人は仲がいい、本当はリサに好意を持っているのではないですか」リチャードには、輝の気持ちが見抜かれているようだった。

「確かに、好きです。でも…」観念して吐き出した言葉を、リチャードが遮った。

「今は、その気持ちだけで十分です。リサも喜ぶでしょう」リチャードの真剣な眼差しに、希望の光と笑みが戻った。

「ただいま戻りました」静かな室内に、黒部の元気な声が響き渡った。

「ご苦労、休んでくれ」山中の言葉に、黒部はきっちりと敬礼を返した。そんな黒部に輝は近づき、握手を求めた。

「二人の事、ありがとうございました」輝の手を取ると、黒部の顔に笑みが浮かんだ。

「ご無事で何よりです」それから、黒部はリチャードに視線を移した。

「あの方ですか」輝は、黒部とリチャードを引き合せ、互いに紹介した。

「休養はなしだ。ここに一緒に座ってくれ」何を思ったのか、山中は黒部に新たな命令を伝えた。

「一緒に考えて欲しい計画がある」それから山中は、輝に言った。

「一人でも多い方が、いい知恵がでるものさ」山中の意図を知った輝は、急いで立ちあがった。

「私の参謀にも参加してもらいましょう」そう言うと、輝は会議室を走り出ていった。洋子は起きたばかりらしく、コーヒーを口に運んでいた。輝の姿を見ると洋子は立ち上がり、満面の笑みを浮かべてから頭を下げた。

「なんとお礼を言ったらいいのか」

「とんでもない、お礼なんて。大丈夫ですか」

「丈夫だけが、私の取り柄ですわ」洋子は小さなガッツポーズを作って見せた。

「頼もしい。ところで杉本は」輝の質問に、洋子は首を傾げた。

「私が起きた時には、いませんでした」

「何処行ったんだろう。トイレかな」輝が言うと、洋子が笑った。

「だったら、相当長いですわ、難産ね」洋子のユーモアに輝も笑っていると、突然杉本が戻ってきた。

「私の彼女を取らないで下さいよ」冗談の中にも、自信ありそうな杉本の態度に、輝は驚いた。洋子はただ顔を赤らめ、下を向いているだけだった。

「君達、もしかして…」輝の質問に、杉本は照れながら答えた。

「落ち着いたら、結婚します。本人にはまだ、プロポーズしていませんが」杉本はそう言うと、深呼吸をしてから洋子に近づいた。

「目が覚めたら、言うつもりでした。僕と一緒になって下さい」暫くうつむいていた洋子は、杉本を見上げ、小さく口を開いた。

「でも私は、汚れ…」杉本は人差し指で、洋子の口を塞いだ。

「何も言わないで、答えだけ下さい」杉本を見つめる洋子の目には、涙が溢れ、そして頬を伝い床に落ちた時、洋子は答えた。

「はい」か細い声でも、杉本にも輝にもはっきりと聞き取る事が出来た。

「やったー、先生聞きましたよね、ありがとう洋子さん」

「おめでとう杉本君、幸せにな」余りに喜びはしゃぐ杉本を見て、洋子の顔にも笑いがこぼれた。輝は暫くの間、幸せの時を楽しむ二人を、黙って見ていた。それから計画の話しを伝え、何か策がないかと尋ねた。そして洋子からすばらしいアイデアを聞き、輝は会議室へと戻っていった。本当は、杉本にも参加させるつもりだったが、今は二人だけにしてあげたかった。

「いいアイデアを聞いてきました」部屋に入るなり、輝は話した。

「おう、計画を聞いたぞ、わしの孫娘にと思ったんだが、残念じゃ」中村の大きな笑いが、会議室を包みこんだ。

「お疲れ様です。どうですか」中村の笑いに圧倒されながらも、輝は尋ねた。

「東京は二日ぐらいで、鎮圧出来るそうです」山中が代わりに答えた。

「随分と早かったですね」今度は、中村が答えた。

「わしの部下は優秀でな、素直に話しを聞いてくれたと連絡があった。奴らも大分やられたらしい。武器も人手もギリギリで壊滅状態だったらしい。直ぐに指揮下に入るとさ」中村は満足そうな顔をしていた。

「君のほうは」山中に尋ねられ、思い出した様に輝は話し始めた。

「教会です。基地からそんなに離れていない、教会に呼ぶのです。それならばあまり疑われないでしょう。ただ、近すぎると我々が危険です。適当なところを知りませんか」皆が考え始めた時、中村が口を開いた。

「教会なら知っているぞ、有明の近くだろ。おいおい、そんな目で見るな、わしゃこう見えてもキリスト教徒じゃ」中村の発言は、一同を目一杯驚かせた。それから検討の結果、中村の提案した教会が最善の場所と決定された。

「後は連絡を待つだけです。山中さんは急いで交渉人の人選に当たってください。二日の間に東京が静かになれば、私の父も日本に来易くなるでしょう。軍隊も行動制限されます。早ければ、三日後には行動開始です」リチャードの言葉で、それぞれ散らばり会議は一旦終了した。


          三


 山中は政府の再建と、人選に追われていた。黒部と中村は、共に協力しゲリラの保護に走り回っていた。リチャードは会議室で、レシーバーを抱え連絡を待っていた。輝にはする事がなかった。杉本たちの邪魔をする気もなく、司令部内を当てもなく歩いていた。行き違う兵士が輝に敬礼しても、何故自分が敬礼されるのか見当もつかなかった。自分は単なる小説家で、普通の人間と変わりない。それが日本の未来を左右する事柄に、首を突っ込んでいいものか、輝の気持ちは不安で一杯だった。急に普通の会話がしたくなった輝は、市民が非難している部屋に向かった。最初に訪れた時同様、人々の目に活気はなかった。皆、虚ろな目をして黙っていた。輝は奥に向かい歩き始めた。人の群れは遥か先まで続き、とてもこれ以上進む気になれなかった。ここに足を踏み入れた事を、後悔しながら戻り始めると、輝の足を掴む老婆がいた。

「煙草持ってないかね」輝も、暫く自分が煙草を吸っていない事に気が付いた。ポケットに手を入れると、形の崩れた箱が確認できたが、出さずに老婆に伝えた。

「ありますが、ここでは駄目です。表に行きませんか」輝に言われて、老婆は目を輝かせたが、静かに首を振った。

「ここから出てはいけないと言われています」

「大丈夫、いきましょう」輝は老婆を立たせ、部屋から出ていった。そんな二人に注意を向ける者は、一人もいなかった。部屋を出ると、老婆は大きな伸びをしたが、なにぶん腰が曲がっているせいで、伸びたのか、縮んだのか輝には分からなかった。しかし、老婆の目には生気が呼び戻されたように、輝きが溢れていた。

「早く何とかしてもらいたいね」輝と老婆は、壁にもたれ腰を下ろした。輝の差し出した煙草を、老婆は美味そうにふかした。

「歳をとっても、これだけは止められなくてね」輝は、自分の煙草に火を点けなかった。と言うよりは、吸う気になれなかった。二人の前を兵士が敬礼をしてから、通り過ぎていった。

「あんた、偉いのかい」老婆に言われ、輝は首を振った。

「私は、小説家です。偉くなんかありません」暫く輝を見ていた老婆は、小さく頷いた。

「軍服も着とらんし、政治家でもなさそうじゃ」老婆の言葉を無視するように、輝は尋ねた。

「ご家族は」輝は普通の会話を楽しみたかった。

「大阪におる、連絡はつかないし心配なんじゃが、息子はどうでもええ、孫が心配じゃ、かわいい孫でね。そうそう、写真を見るかい」老婆は、帯の間から一枚の写真を取り出し、輝に見せた。ブランコに乗った、小さな女の子が写っていた。

「可愛い子ですね」輝の言葉に、老婆はにっこりと笑った。

「もう三年も前の写真でね、もう小学校に入っているはずだけど、全然会えなくてね」

「そうですか、今ではもっと可愛くなっているでしょうね」

「優しい子で、息子が転勤するまでは、良く家にも遊びに来てね。でも嫁というのがとんでもない嫁で…」そこで老婆の言葉は途切れた。

「あんたに言っても仕方ない」それから老婆は、遠くを見つめた。

「誰かが日本を救ってくれれば、孫に会えるかもしれない。死ぬ前にもう一度会いたいね」

老婆の涙が、皺の刻まれた頬を静かに流れた。この時、輝の気持ちはしっかりと固まった。何が出来るか分からないが自分の出来ることはやってやろうと、心に深く刻みこんだ。そして輝は煙草に火を点けた。まもなくして、兵士が輝を迎えにきたとき、輝は老婆と硬い約束を結んだ。

「必ずお孫さんに会えますよ。それまでお婆さんも頑張っていてください」老婆は何度も頷き、輝を見送った。会議室に戻ると、リチャードが駆け寄ってきた。

「連絡が来ました。リサから連絡がありました」興奮するリチャードを椅子に座らせ、輝は、静かに尋ねた。

「それでなんと、言っていました」

「上手く行きました。日時は追って連絡がありますが、日本に来ます。自分が行くまで式を挙げるなと、言われたそうです」

「第一段階は成功ですね」輝の言葉に頷いてから、リチャードは話しを続けた。

「リサにだいぶ怒られました。しかし相手が貴方と知ってリサは黙ってしまいました。照れているのが、私には良く分かります。もう貴方の無事ばかり気にしていました」輝も、リサの無事が分かりホッとした。

「ともかく次の連絡まで、待ちましょう」輝は頷いた。


  接触の危機 

          一


 二日後、リサから連絡があり、輝も暫くぶりにリサとの会話を楽しんだ。しかも、祖父は明後日にはやってくる、と言うことだった。今では東京も静かになり、時折、アメリカ兵が偵察する程度だと、黒部の報告が届いたところだった。

「山中さん、政府の再建と、人選はどうなりました」リチャードの質問に、山中は頭を抱えた。

「政府のほうはどうにかなる。残っている若手議員もいるのだが。人選は難航して進まない。身の危険があるから仕方ないが」

「もう時間がありません。急いでください」リチャードに言われ、さらに頭を抱えてしまった。

「リチャード、山中さんを責めてはいけないよ。まだ二日ある。みんなで知恵を絞るしかない。協力してくれ」輝の言葉に、リチャードが反発した。

「あと、二日しかない。それに私には協力出来ません。どうやって協力するのか分かりません」

「リチャード、あなたに人選を頼んではいない、ただ、お父さんの趣味とか、気に入りそうな人物像を聞かせて欲しいだけです」輝の話しで、リチャードは納得した。

「それなら簡単です。趣味はゴルフに釣り、ジョギングに読書です。まじめで勇敢な男を好みます。そう、輝、貴方のような」リチャードの言葉に、山中は敏感に反応した。

「それだ」皆が山中に注目した。

「何故、気が付かなかったのか、君こそうってつけだ」山中の目は、じっと輝に向けられていた。リチャードも気づいたらしく、輝を見つめた。

「まっ、待って下さい。私は、リサの相手として会わなければなりません。それだけでも大変なのに、それ以上無理です」慌てて反論した輝に、リチャードは言った。

「丁度いいではないですか。日本の高官が、リサの相手なら尚更話しやすい。それに私が気に入るくらいです。父もきっと気に入るでしょう」観念した様に、輝は話し始めた。

「私に出来る事なら、何でもすると心に誓いました。しかし本当に私で大丈夫でしょうか、政治の事など分かりません」山中が答えた。

「リチャードのお墨付きです。あなたなら出来るでしょう。補佐役もちゃんとつけます。それに内容はこちらで考えますから、きっと上手く行きます、それに貴方の役目は、公式の場にアメリカ政府を引っ張り出す事です。細かい政策など話す必要はありません」

「少し考えさせてください」輝は一言残し、会議室を出ていった。何故か杉本と話しがしたかった。あれ以来二人とは顔を合わせていなせいかもしれないが、なんでもいい助言が欲しかった。杉本と洋子は仲良くやっている様子で、輝は安心した。

「何処にいたんですか」杉本に言われ、輝は頭を掻いた。

「気を使っていた、なんて言わないで下さいよ」杉本も輝の気持ちを、しっかりと見抜いていた。

「別にそうではないが」輝は口篭もってしまった。

「いいんです。悩みですか」

「分かるか」輝が言うと、杉本は笑った。

「長い付き合いです。ネタが出ない時と同じ顔ですよ」そこに洋子がコーヒーを持ってきてくれた。輝は例を言い、一口飲んでから話し始めた。

「悩んでいる」そう言ってから、会議室での話を杉本に伝えた。

「大丈夫、先生やって下さい。お願いします。でも一つ条件があります」話しを聞き終えた杉本は輝に言った。

「条件とはなんだい」輝は尋ねた。

「私を連れて行く事です。秘書でもなんでもいいですから、連れていってください」話しを聞いていた洋子が、立ちあがった。杉本は洋子を止める様に手を出し、話し始めた。

「洋子、それに先生、良く聞いて下さい。危険なのは良く分かります。しかし日本の将来が懸かった場面に立ち会いたいのです。好奇心とかではありません。命を粗末にするつもりもありません。落ち着いたら、本当に結婚するつもりです。だからこそ成功させたいのです。洋子を幸せにする為にも、日本を滅亡させるわけには行きません。手伝わせてください。洋子、分かってくれるね、二人の為だ」洋子は涙を流し頷いた。しかしその顔には、悲しみの色はなく、誇り高き未来の夫を尊敬する顔だった。

「分かった、条件を飲もう。と言うか、私からもお願いする。一緒に来てくれ」輝の気持ちは、晴々としていた。会議室には、下見から戻った黒部がいて、地図を見ながら配置や、段取りを決めていた。杉本を連れて戻った輝は、山中にはっきりと頷いた。そして秘書として杉本を連れて行くことを伝えた。山中は二つ返事で了解した。この時点で、輝の外務省事務局長としての、活動が始まった。まずは最低限度覚える事と、相手の長所、短所を頭にたたきこんだ。挨拶の仕方から、会話の進め方まで、考えうる全てを覚えさせられた。

瞬く間に時間が過ぎ、彼が来ると言う前日、リサから連絡が入った。リチャードは粗方の説明をした。そして、いつ何処に連れ出すのかリサに告げた。しかしリサの答えは悲観的だった。とてもじゃないが連れ出せない、と言う内容だった。暫く考えリチャードは、ある結論に達した。

「山中さん、私は基地に戻ります。やはり娘と家内には、荷が重いようです。私が上手く話をつけて連れ出しますので、予定どおり行動して下さい。通信機は置いていきます」山中は、リチャードを途中まで送る様、部下に命令を下した。作戦遂行の時は、刻一刻と近づきつつあった。


          ニ


 基地に着いたリチャードは、案の定、衛兵に捕まったが、エリザベスの夫と分かり、丁重に迎えられた。

「リチャード」

「パパ」二人の歓迎は、今までの疲れを吹き飛ばす勢いだった。

「怪我はない」エリザベスは、リチャードの身体をくまなく調べた。

「輝は、ねえ、輝は」リサの質問は、輝のことばかりだった。

「大丈夫、元気だよ。もうすぐ会える」三人には、特別に部屋が与えられていた。夕食を囲むテーブルで、リチャードははっきりとリサに聞きたかった。

「リサ、これからの質問に、答えてくれるね」リサはフォークを見つめ頷いた。

「輝のことは諦められるか。計画は上手く行くとは思えない」

「リチャード」エリザベスは困惑した顔で叫んだ。

「君は黙っていなさい。どうなんだ、リサ」リチャードに問い詰められ、リサは口を開いた。

「いやよ、諦めるなんて、助けるって言ったじゃない」フォークを持つ手が震えていた。

「リサ、お前はまだ若い、男なんていくらでも知り合える。私から言うのもおかしいが、とてもチャーミングで魅力的だよ。これからじゃないか。彼も若いとはいえ、だいぶ年上だ、リサには似合わない」リチャードの語尾は、次第に強くなっていった。

「いやよ、私は彼を愛しているの、もう子供じゃないわ、本当の愛も区別できるわ」リサの想いは、予想以上に強かった。

「本当に結婚でもするつもりか」リチャードは、更に口調を強めた。

「パパが反対しても、結婚するわ。日本が無くなれば、同じアメリカ人よ。それからでも結婚するわ」リサはフォークをテーブルに叩きつけた。そんなリサを見ていたリチャードは、急に大声で笑い始めた。エリザベスもリサも、訳が分からずリチャードを見つめた。

「明日は、本当に牧師を用意しよう」

「えっ、どう言う事」笑い続けるリチャードに、リサは首を傾けた。

「本当に結婚してしまえ」それから優しくリサに伝えた。

「彼も、お前を愛している。いい青年だ。私は賛成するよ」リサは、はっと気が付いた。

「パパ、私を試したのね、ひどいわ」にらみつけるリサの顔に、笑顔が戻った。

「でもありがとう、愛しているわ、パパ」リサはリチャードに飛びついた。エリザベスは、ナプキンで目頭を押さえ、抱き合う二人を見ていた。

「明日は大変な一日になるぞ、二人とも私の言う事を良く聞いて、間違わない様に行動して欲しい。リサは未来の夫のために、私達は未来の息子のために、乾杯」グラスは、きれいな音色を響かせた。

 翌朝、三人の元への伝令が訪れ、リサの祖父が乗った飛行機の到着時間を伝えた。リチャードはレシーバーで状況を伝え、細かな打ち合わせをした後、輝とリサに話しをさせた。リサの楽しそうな顔を見つめ、リチャードは自分が間違っていない事に満足した。それから各自段取りのため、行動を開始した。ぶっつけ本番は一七00時。失敗は許されなかった。リサの祖父は定時に到着した。

「おじいちゃん」声のするほうに視線を向け、目を細めると、リサの笑顔が飛び込んで来た。すると突然、いかつい顔がくしゃくしゃに崩れた。

「おー、リサ、久しぶりだね、元気そうだ。おっと、それよりおめでとうと、言うのが先かな」決して背は高くないが、体格のいい老人は、リサと抱き合った。

「義父さん、ご無沙汰しています」

「元気そうだな。リチャード、でも何故、帰ってこなかった」

「色々ありまして」リチャードは話しを濁した。

「お父さん、元気そうね」エリザベスの助け舟は、丁度いいタイミングだった。

「お前こそ元気そうだな。心配していたぞ」

「あら、私はお父さんを心配していたわ。過労で倒れてないかしらってね」

「ははは、まだまだ元気だよ」四人は車から離れ、歩き出した。

「ところで、リズ、リサはまだ十六だったろう。ちと早過ぎると思うが」リサには聞かれないように、小声で話した。

「あら、私だって、十七で結婚したのよ、忘れたの」

「いや、だが、時代が違う」

「時代が違っても、乙女心に違いはないわ」

「親はお前達だ。わしの出る幕じゃないか。ところで、相手はどんな人間だ」

「とてもいい人よ、お父さんも気に入るわ」

「式の前に会いたいんだが」

「彼は今、任務で出ております」リチャードの助け舟も、絶妙なタイミングだった。

指令所の前で、基地の司令官が待っていた。

「パッカー上院議員、お待ちしておりました。司令官のウェスナーです」

「家族が世話になっている、ありがとう」

「本日は、視察か何かですか」明らかに緊張しているのが、目に見えた。

「いや、私事だ、気を使わないでほしい」パッカーの答えは、ウェスナーの顔から緊張の色をなくさせた。

「では、何かありましたら、ご遠慮なくどうぞ」ウェスナーはそう言って、建物に入っていった。

「どうもわしは軍人は苦手だ」つい発した言葉に、パッカーはリサを見た。リサはリチャードと話しをしていて、気にも留めていなかった。やはりリサの相手は、軍人だと思いこんでいると、隣にいたエリザベスは確信した。リサとエリザベスは、衣装合わせに忙しかった。

パッカーは、娘と孫娘の幸せそうな顔を見て、無理をしても来た甲斐があったと、心から思った。たった一人の娘を嫁に出した時、パッカーの妻はまだ元気だった。しかしたった一人の孫娘の式には、彼は一人で参列する事となった。二人の姿を見ていると、自然と涙が溢れてきた。リサの結婚式を見ることなく、三年前に彼の妻は帰らぬ人となった。

「今日は、お前の分まで祝ってやるよ」パッカーは胸の中で、亡き妻に語りかけていた。

二人は、髪の手入れに夢中だった。おもむろに立ち上がったパッカーは、リチャードのいない事に気が付いた。

「リチャードはどうした」

「準備に忙しいのよ」リサの髪をとかしながら、エリザベスは答えた。

「世話役はいないのか。花嫁の父だぞ」

「お父さん、ここは軍事基地よ。皆、任務があるわ。それに質素にしたいの。身内だけで」

「しかし、式の直前まで父親が動き回っていては、都合が悪いだろう。わしが頼んでくる」

パッカーが部屋を出ようとした時、リチャードが戻ってきた。

「父親が何している。最後の時間も作れんではないか」

「すいません、段取りの打ち合わせをしていました」リチャードの答えに、

「そんなもの誰かに頼め、わしからウェスナーに頼んでこようか」と、パッカーが言った。

「おじいちゃん、私達に任せて、座ってなさい」リサに言われて、パッカーは渋々腰を下ろした。

「素敵な式になるわよ、でも来てくれて本当に嬉しいわ。ありがとう、おじいちゃん」リサに言われると、パッカーの顔は、またもくしゃくしゃに崩れた。

「ところでリチャード、基地に教会はあるよな」

「ありますが、基地の教会は使いません。すぐ近くの教会です。基地から五分程度ですが」リチャードの言葉に、パッカーは驚いた。

「基地の外で行うのか。こんな時に危険だぞ。基地の教会で行いなさい」

「もう、おじちゃんたら、大丈夫よ。既に東京は静かよ、反乱軍もいないわ。新年と共にアメリカになるのに」しかし、これだけはパッカーも譲れなかった。

「それだけは、許さんぞ。何か起きたらどうする」

「私の夢よ、素敵な教会で結婚するのが。前から気に入っていた教会なんだから。基地の仮設の教会だったら結婚しないわ」リサも一歩も譲らなかった。暫く考え込んでから

「本当に安全か、聞いて来る」パッカーは、そう言って部屋を出ていった。

「パパ、どうする」リサは不安げに尋ねた。

「大丈夫、抵抗する組織は、もう居ない筈だ。この日の為に今まで頑張ってきたんだ、輝たちを信じよう」暫くして、パッカーは戻ってきた。

「確かに、抵抗は収まったらしい。しかし、本当に大丈夫だろうね」パッカーは念には念を入れる性質だった。

「大丈夫よね、パパ。それに牧師さんも手配済みよ」パッカーは、リサの言葉に頷いた。

「よし、分かった。リサの夢を壊す事など、わしには出来ん。ちゃんと参列するよ」リサの喜び様を見て、パッカーは満足だった。しかし、その後の言葉は三人を地獄の底まで突き落とした。なんと、パッカーは、ウェスナーに護衛を頼んできたと、三人に伝えたのだった。リチャードは急いで山中に連絡を入れた。しかし、山中は予想をしていたように、少しも驚かなかった。予定通りの行動から、ほんの少しの変更で乗りきれると伝えてきた。

リチャードの説明を聞いて、リサも安心した様子だった。


          三


 リチャードは、一足先に基地を出た。もうパッカーもリチャードのことなど気にも留めずに、リサと楽しいひとときを過ごしていた。どんな相手だろうが、人の妻になれば、こうして過ごす時間も無くなるだろうと、パッカーは心から今を楽しんでいた。

「そろそろ時間よ」エリザベスの声に、二人の笑いが途切れた。

「おじいちゃん、本当にありがとう。結婚しても、私はおじいちゃんの孫よ。いつでも遊べるわ」リサの言葉にパッカーは涙流し、リサを抱きしめた。

「そうとも、お前が誰と結婚しても、わしの可愛い孫には変わらん。いつまでも」リサの目にも涙が溢れ、パッカーのタキシードを濡らした。

 護衛の兵士は宿舎の前で待っていた。真新しい制服を着込み、ジープを飾り付け、花嫁の現れるのを待っていた。リサを連れて、パッカーが現れると、一同最敬礼を執り行なった。ウェスナーも、勲章を飾りつけた制服に着替え、最前列で敬礼していた。リサをジープに乗せると、ウェスナーがパッカーに近づいた。

「私は任務があるので御一緒できませんが、護衛の兵士は優秀な者ばかりです。ご安心下さい。それと、素晴らしい式になることをお祈りしています」

「ウェスナー君、ありがとう、君の好意には感謝している。わがまま言って許してくれ」ウェスナーは気分を良くしたように、笑みを浮かべた。

「ところで、幸運なお相手は、誰ですか」

「わしは知らんのだ。きみも知らんのか。基地の人間だと思っていたが」パッカーは不思議に思い、首を傾けた。

「他の基地の者かも知れません」

「それならいいが」パッカーはなんとなく引っかかったが、納得しようと心がけた。

「では、行って来る」

「お気をつけて、それからお嬢さん、お幸せに」ウェスナーはそう言って、出発の合図を出した。ジープはゆっくりと走り始めた。先導のジープに兵士が四人、後続には、二台のジープにそれぞれ四人の兵士が乗っていた。勿論、完全武装の兵士だった。しかし、街はシーンと静まり返り、ジープのエンジン音だけが、ビルに反響していた。ジープは速度を上げずにゆっくりと街を進んでいった。やがて、パッカーの不安も取り去られていった。そして、アメリカの勝利を確信していた。


          四


 輝は祭壇の前で、落ち着かない時間を過ごしていた。

「落ち着いて」一足先にやってきたリチャードが、輝を励ました。

「大丈夫、緊張していません、といっても無理ですね」輝の笑いは何処かぎこちなかった。

「普通の結婚式でも緊張するのに、重要な使命もこなさなくてはいけない。頑張ってください」

「リチャード、励ましているのですか、からかっているのですか」輝は、強い口調で話し始めた。

「ごめんなさい、でも、可愛い娘を奪う男に、少しくらいは皮肉を言わせて下さい」輝には、リチャードの気持ちも痛いほど分かった。

「でも、本当に結婚式を挙げるのですか」輝は、リチャードに尋ねた。

「リサの望んだ事です。そして、貴方も、先のことなど分かりません。だから、今挙げるのが最善だと思います。私は輝を信じます。必ずや良い結果を出してくれることを、そして、リサを幸せにしてくれることを」輝とリチャードには、誰にも崩すことの出来ない信頼関係更に強く結ばれていた。そこに黒部が走って来た。

「基地を出発したそうです。ゆっくりと向かってきます」三人はしっかりと頷いた。それから黒部は振り向いて、大声で叫んだ。

「作戦開始」その声で教会内は静まり返り、各自決められた場所へと、配置についた。なるべく目鼻立ちのはっきりとした者が集められ、一目では日本人と区別出来ない様にと、金髪のかつらまで被っていた。ピアノの奏者は、髪をGIカットして顔に靴墨まで塗っていた。

「さあ、本番です」リチャードはそう言って入り口に向かった。輝は黙って祭壇に向き直り正面を見つめた。キリスト教徒ではないが、輝は大きな十字架に祈りを捧げずにはいられなかった。

「まもなく到着します」何処かで誰かが小声で伝えた。リサとパッカーとエリザベスを乗せたジープは、ゆっくりと教会の敷地に滑りこんだ。

「いい教会だ。日本にもこんな教会があるとは」人目見てパッカーは、気に入ったらしかった。リサも初めて見たが、やはり、気に入ったようだった。扉の前ではリチャードが待っていた。

「やあリサ、とても綺麗だ」そして手を取り、静かにジープから下ろした。ウェディングドレスが静かに揺れた。

「さて、わしは先に中に入るぞ」パッカーが扉を開けようとするのを、リチャードは止めた。

「義父さん、リサのエスコートをお願いします」

「ばか、それは父親の役目だろ」

「いえ、是非ともお願いします。リサの希望でもあります」

「リサ、本当にわしで良いのか」パッカーはリサに尋ねた。

「うん、おじいちゃんにエスコートして欲しいの、お願い」リサの願いを、パッカーは断ることなど出来なかった。

「さあ、エリザベス」そう言うと、リチャードとエリザベスは教会へ入っていった。護衛の兵士は、車から降りたが、直立不動のままジープの脇に立っていた。

「音楽を」教会に入り、リチャードは演奏者に告げた。扉の外では、リサとパッカーが音楽に胸躍らせていた。

「いよいよだ、リサ、お前の幸せが待っている」リサはパッカーの腕を、強く握り締めた。結婚への緊張と、作戦遂行の重圧に今にも押しつぶされそうな思いにリサは必死に耐えていた。

「そんなに緊張するな」パッカーは、震えるリサの頭に優しくキスをした。音楽が第五小節に入った時、教会扉は大きく開け放たれた。パッカーはゆっくりとリサをエスコートし、一歩一歩歩き始めた。大事な孫娘の式に、参列者の数はまばらだった。ワシントンで挙げれば、盛大な式になっただろうと思うと、パッカーの気持ちは微妙に揺らいだ。正面には、祭壇に向かう一人の男と、二人を見つめる牧師が立っていた。最前列にはエリザベスとリチャードが、バージンロードを進む二人に笑顔を向けていた。しかし、パッカーは不思議に思った。参列者のほとんどは、バージンロードより遠くに離れ、二人に目を向ける者はいなかった。そして、教会の扉が杉本によって閉ざされたが、パッカーの知る由もなかった。祭壇の手前でリサの腕を放し、パッカーはリチャードの隣に腰を下ろした。リサはそのまま、真直ぐ前を向く男の隣まで進んだ。いつのまにかパッカーの後ろには、黒部が座っていた。しかし今のパッカーは、リサの姿にくぎ付けで、気付きもしなかった。音楽が鳴り止み、牧師の説教が始まり、式は滞り無く進んでいった。しかし指輪の交換まで進み、正面を向きつづけていた男がリサに向き直った時、パッカーは驚きのあまり立ち上がってしまった。しかし、黒部に銃を突き付けられ、パッカーは思わず座りこんだ。何がなんだかわからずにいたパッカーに、リチャードが囁いた。

「義父さん、驚かずにちゃんと見守ってください。リサの晴舞台です」

「お願いお父さん」リチャード越しに、エリザベスが話しかけた。

「お前達、知っていたのか」パッカーは怒りに震えたが、銃を突き付けられ、どうする事も出来なかった。いつのまにか日本人に囲まれていたパッカーは、観念した様に黙りこんだ。式は滞り無く進み、誓いの口付けが交わされた時、パッカーの目に涙が浮かんだ。騙されたという思いも有ったが、輝く孫娘の姿に涙を止める事は出来なかった。そして、永遠の愛を誓った二人が、パッカーの前に歩み寄った。

「どうか、許してください。騙した訳ではありません。私達は愛し合っています。必ずリサを幸せにします」輝は、深く頭を下げた。黙りこむパッカーにリサが語り掛けた。

「おじいちゃん、本当よ、彼を心から愛しているの。信じてちょうだい」パッカーはやっとの思いで、口を開いた。

「なぜ、こんな手の込んだ事をする」

「国家保安局の山中です。」不意に隣から声をかけられ、パッカーは面食らった。

「貴方に危害を加えるつもりはありません。こんな手段をとって申し訳ありませんが、話がしたいのです。分かってください」

「私に何を話すというのだ」

「アメリカ政府は、我々の話し会いに応じません。話し合いがしたいのです」山中の言葉を、パッカーは笑い飛ばした。

「話し合うもなにも、日本には政府がなではないか。誰と話すのだ」

「今は彼と話して下さい。外務省事務局長の彼と」山中は輝を指差した。

「君が事務局長か、笑わせるな」パッカーの怒りは、頂点に達した。

「確かに若いと思われるかも知れません。実際、現日本政府は若手ばかりです。過去の主だった要人は所在不明です。しかし我々は立ちあがりました。ゲリラを鎮圧したのも我々です。日本を再建するためにも力を貸してください」輝の言葉にパッカーは答えた。

「日本は、再建できるのか。国の借金はどうする」

「そう言う話し合いをして欲しいのです。新たに始動した日本政府と」

「ならば、直接アメリカ政府に言ったらどうだ。新政府が発足したと、わしに言ってもどうにもならん」パッカーの言葉は、冷たく輝を突き放した。

「先ほども言ったように、我々との会話を拒んでいます。武装解除しなければ話し合いに応じないと言っています」輝は必死に話し続けた。

「ならば武装解除すれば良かろう」相変わらず、パッカーの答えは冷たかった。

「そんな事をすれば、敗北を認めた事になります。その場で日本は消滅します。お願いします。現状で話し合う機会を作ってください」パッカーは鼻で笑って答えた。

「わしにそんな力はないよ」

「お父さん、まじめに聞いて」それまで、黙って聞いていたエリザベスが口を開いた。

「祖国を裏切りおって、お前など、知らん」パッカーは、エリザベスを鋭くにらんだ。

「リサの命を救ったのは彼なのよ。協力して」とうとうエリザベスは、泣き叫んだ。

「命だと」突然の単語に、パッカーは驚いた。

「本当です」泣き崩れるエリザベスを抱え、リチャードが話し始めた。パッカーはリチャードの話しを、黙って聞いていた。一部始終を聞き終えてから、パッカーは口を開いた。

「そんな事があったとは、信じられん」

「事実よ、今、私がおじいちゃんに会えるのも、彼のお蔭なの、命の恩人なのよ」リサの目には、大粒の涙が光っていた。

「リサ…」リサがそんな辛い目に会っていたと思うと、パッカーの目頭も熱くなってきた。

「日本人狩りと称して、無差別にだいぶ殺されました。私達は、その中でも平和的に解決する事を望み、活動してきました。争いはもう十分です」パッカーはそう話す輝をみつめ、ゆっくり頷いた。

「わしは、軍人とは違う、戦いは好まん。わしが大統領とも親しい間柄なのは聞いていると思う。しかし話し会いをしても、上手く行くかは保証できん。それでも良ければ話し合いの場所を作ろう」

「十分です。ありがとうございます」輝は深々と頭を下げた。

「しかし軍部がそんな事をしているとは、わしは、知らされていなかった。その事は、アメリカの上院議員として謝る」パッカーも頭を下げた。

「だから軍人は好かん。で、これからどうするつもりだ」パッカーに、山中が答えた。

「まず、表の護衛を返して下さい。ジープを一台残して」

「ジープをどうする」

「貴方がた三人の車です。私達が去ってから、基地に戻ってください」

「リサは」パッカーは訊ねた。

「彼女は、我々と一緒です。花嫁が一人で戻ったら、基地の人間はそれこそ不信に思うでしょう」

「分かった、しかしその後の連絡はどうする」

「リチャードに話してください。我々とは連絡がつきます」

一連の段取り話してから、パッカーは輝に話しかけた。

「失礼な態度をとって、済まなかった。リサを、リサを頼む、幸せにしてやってくれ」

「こんな状態でなければ、誰も辛い思いをしなくて済むのですが、すいません。しかしこの先何があってもリサを守り、幸せにします」パッカーは輝を抱きしめ、耳元に囁いた。

「エリザベスが気に入るのも分かったよ。君の熱意と勇気はしっかりと伝わった。わしも気に入った。リサを頼むぞ」そう言って、パッカーは扉に向かった。


  大戦の危機 

          一


 司令部内は興奮に包まれていた。第二段階の成功と、輝の結婚を皆が祝った。

「結局、僕の出番は無かったですね。扉を閉めただけなんて」杉本の言葉に、輝は笑いながら答えた。

「君が活躍するような事態にならなくて、作戦は成功なんだよ」

「そうですね。でもジャーナリストとしては、すばらしい場面に立ち会えました」杉本の顔にも笑みがこぼれていた。そしてリサに向き直り、抱きしめた。

「リサ、おめでとう」

「杉本さん、ありがとう、貴方にはとても感謝しています」リサの笑顔は、最高に輝いて見えた。続いて杉本は、一人の女性を引っ張り出した。

「リサ、彼女は洋子だ、私達も結婚するよ」驚くリサの前に、洋子が歩み出てきた。

「初めまして、洋子です。彼から話しは聞いていました。素敵な花嫁に、お祝いのキスをしてもいいかしら」洋子から祝福のキスを受けると、リサの顔に驚きの色が浮かんできた。

「間違ったらごめんなさい、もしかして……」リサの言葉を、輝が遮った。

「今は、単なる杉本の婚約者、洋子さんだよ」

「ごめんなさい、でも、綺麗な人ね」リサは、杉本に笑って見せた。

「リサ、君もとっても綺麗だ」杉本に言われ、リサは真っ赤になった。

「綺麗なんて、言われた事無かったわ」

「結婚すれば、もう大人よ、可愛いは卒業しなきゃ」洋子の言葉に、リサは小さく頷いた。と同時に、洋子に親近感を覚えていった。

「落ち着いたら、早く式を挙げろよ。新婚旅行は一緒に行こう。リサ、それまで旅行はお預けだよ」リサは、輝の言葉に、にっこりと頷いた。

「責任重大だ、急いで式を挙げなくちゃ」杉本の大笑いは、皆の気持ちを和らげた。そして、中村や黒部も集まり、楽しいひとときが過ぎていった。そんな笑顔の輪を、早足で近づく、山中が吹き飛ばした。それほどまでに山中の表情は、緊迫していた。

「会議室に来てくれ」それだけを言い残し、山中は去っていった。

「心配無い、洋子さんとここにいなさい」輝はそう言うと、杉本、黒部、中村と共に、会議室へ向かった。リサと、洋子の心配そうな顔をよそに、まわりではお祭り騒ぎが続いていた。会議室には、不安顔の山中と、三人の将校が既に集まっていた。

「どうしたんですか」輝の質問に、山中は力無く答えた。

「とにかく座ってくれ」全員が席につくと、山中は話し始めた。

「ロシアが、正式に参戦を表明した」その言葉は、全員に重くのしかかった。

「年明けの参戦予定だったはずです」輝の言葉に、山中は一言返すだけだった。

「そうだ」

「では、なぜ今発表したのですか」輝の質問に、山中はむなしく首を振るだけだった。

「おそらく、我々の抵抗が弱まったのを見て、参戦を早めたのではないかと、思われる」山中の、隣に座る将校が答えた。

「どうにか止められませんか」黒部の問いかけには、山中が答えた。

「一つの国が公式に参戦発表したんだ、簡単に撤回など出来まい」

「どうするつもりですか」輝が言うと、先ほどの将校が答えた。

「我々も必死にロシアと連絡をとっているが、今のところどうしようもない」その時、リチャードとの連絡用レシーバーが声を発した。

「聞こえますか、応答して下さい。リチャードです」

「山中です」急いでレシーバーを掴み答えた。

「山中さん、ロシアが参戦しました」

「我々も聞きました。今、会議中です」

「既に北海道のアメリカ軍基地が、攻撃を受けました」

「本当ですか」

「間違いありません。あっ、ちょっと待って下さい」一旦途切れたレシーバーの音が、すぐに戻ってきた。

「パッカーです」

「山中です。上院議員」

「制空権を取られた。私も本土に戻れない」パッカーの声にも、緊迫した様子が漂っていた。

「とにかく、ワシントンと連絡をとってください。ロシアと話し合います」

「分かった、出きる限りのことはする。君らも頑張ってくれ。それから、輝はそこに」山中からレシーバーを受け取り、輝は答えた。

「はい、ここにいます」

「何があっても、リサを守ってくれ。それと、決して、君も無理をしてはいけない」パッカーの声には力がこもっていた。

「分かりました、必ず守ります」輝も、力強く答えた。

「うむ、頼んだぞ、また連絡する」そう言うと、レシーバーは静かになった。

「黒部、中村君と偵察に出てくれ。ただし、戦闘はしてはならない。偵察のみだ」山中の命令に、中村が反発した。

「身を守る為でも、戦ってはイカンのか」

「これ以上、アメリカと問題を起こせない。見つからぬように行動してほしい」

「了解」黒部は、敬礼して会議室をあとにしたが、中村は渋々ついて行った。

「司令官、ロシアと連絡が取れました」通信兵の声に、全員が一斉に振り向いた。

「チェルネンスキー極東司令官です。同志諸君、いかがお過ごしかな」屈託のない言葉に、一同ア然としてしまった。

「国家保安局、総司令官の山中です」

「これは、同志、初めまして」チェルネンスキーの言葉には、笑いが含まれていた。

「何故、参戦したのですか」山中の質問に、チェルネンスキーの声は驚いた様子だった。

「何故だって、我々は、日本の味方ですよ。既に北海道では戦闘が始まっています。共にアメリカを駆逐しようではありませんか」山中は、ゆっくりと、しかしはっきりと答えた。

「好意はありがたいが、日本政府は、ロシアの参戦を承認しません。すぐに日本から撤退して下さい。わが領土内での戦闘を認める訳にはいきません」

「感謝されても、非難される覚えはない。それに政府などあるのかね」チェルネンスキーの言葉には、怒りが感じられた。

「新政府が発足されました。これからアメリカとの話し合いに入るところです。停戦協定を結んで、撤退して下さい」とうとうチェルネンスキーは、怒りを爆発させた。

「そんな事をしたら、全世界の笑い者だ。参戦してすぐに撤退とは、誇り高きロシア人のプライドが許さない。いい気になっているアメリカを潰すチャンスだ。奴らの鼻柱を叩き折ってやる。今ここに、あらためて共に戦う事を要求する」

「我々は、断固拒否します。平和的解決に全力を尽くします」山中は、冷静に答えた。

「君らは知らないだろうが、EU諸国は、我々政府の要請で参戦準備を始めている。アメリカに勝ち目はない。君らも共に戦うのだ」スピーカーまで張り裂けそうな声が、会議室に激しく轟いた。

「人類を滅亡させるつもりですか」山中の声も激しくなってきた。興奮する山中に変わり、輝がマイクに手をかけた。

「外務省の長田です」

「なんだ、政治屋か」チェルネンスキーは素っ気無く答えた。

「チェルネンスキー司令官、ロシア政府と話しをさせて下さい。それまで日本から撤退して頂きたい。でなければ公式にロシアに対し、日本は宣戦布告します」山中は慌てて輝からマイクを奪おうとした。しかし杉本に押さえられ、マイクを取り戻す事が出来なかった。

「何か考えがあるはずです。任せましょう」杉本に言われ、仕方なく山中は頷いた。

「なんだと、裏切るのか」怒鳴り声は、頂点に達していた。

「裏切るも何も、日本政府が参戦要求をしましたか?ロシアに助けを求めましたか?助けに向かった国から、宣戦布告されたら、諸外国はどう思うでしょう。実は侵略だったと思うでしょうね」輝は、至って冷静に答えた。沈黙が流れる中、全員固唾を飲んでスピーカーに注目した。チェルネンスキーの声が戻ったのは、更に時間が経過してからだった。

「わかった、承知しよう。すぐに撤退するので、公式発表は待ってくれ」チェルネンスキーの声は、落ち着きを取り戻し、怒りのパワーは消えうせていた。

「待ちましょう。ロシア政府と話しをさせてくれますね」

「連絡する」チェルネンスキーの声を最後に通信は途絶えた。輝は額の汗を手で拭った。

「無茶をする」山中の独り言に、杉本が答えた。

「しかし、上手く行きましたよ」山中は、杉本を見つめ頷いた。

「先生、お手柄です、でも正直ヒヤヒヤものでした」輝に歩み寄り、杉本は話した。

「分かっていたけど、正直なところ、私もだよ。全身汗びっしょりさ」

「分かっていたって?」杉本は、理解していなかった。

「EU諸国には、日本に助けを求められたとでも言ったのだろう、味方につける為の方便という事さ」

「そうか、でも実際日本は、助けを求めていない。日本が宣戦布告したら、ロシアの嘘が露見しますね。EU諸国は怒るはずだ」杉本は感心していたが、まだ疑問が残ってしまった。

「でも、何故ロシアはそこまでするのでしょうか」

「その答えは、私がしよう」山中が立ちあがり、二人に近づいた。

「何故、アメリカが世界のリーダー的存在だと思う」山中の質問に、杉本は首を傾けた。

「先の大戦で唯一戦場にならなかった国は、アメリカとごく僅かな国だけだ。産業にも、商業にも痛手は残っていない。まさに伸び続ける先進国だ。亡命者も多く、あらゆる人種が移り住んでいる。広大な農地を持ち、自給自足だけでも生き延びられるのは、たぶんアメリカくらいだろう。軍事力も世界一、脅威に思わない国はないだろう。しかし対抗できるのは、ロシアをおいて他にない。逆にいえば、ロシアとって一番目障りな存在になっている。東西冷戦後、両国は和解したが、お互いチャンスを狙っているのは事実だ。相変わらずスパイも暗躍している。今度の事は、ロシアにとって他国と協力して攻撃できる、正当な理由があった。日本を侵略していると言う、正当な理由が」一気に話してから、山中は一言付け加えた。

「日本をダシに使った」

「なんて人類は、浅はかなのでしょう。二十一世紀も戦いに明け暮れるつもりでしょうか」

「そうならない様に、我々だけでも努力しなくては」杉本の言葉に、輝が答えた。

「穏便に手を引かせるにはどうするか」山中は、腕組みをしたまま考えこんだ。結局いい案は浮かばず、ロシアの出方を見る事となった。会議室の外は、あいも変わらずお祭り気分に浸っていた。リサと洋子は壁にもたれ、不安そうな眼差しで語り合っていた。輝たちの姿に気がつくと、二人は小走り寄ってきた。

「なにがあったの」リサは、なるべく小声で尋ねた。そんなリサを、輝はなにも言わずに抱きしめた。それから二人はリサと洋子の手を取り、人ごみから静かに離れて行った。

「ここならばいいだろう」人ごみから遠く離れたところで、輝は口を開いた。隠しても仕方ない事だと、輝はありのままを二人に告げた。輝の話しに、二人は打ちのめされた。

「私達、どうなるの」やっとの思いで吐き出した言葉は、小さくそして震えていた。

「二人に変わりはないよ、いつまでも一緒さ。その為にも周囲に変わってもらうしかない」輝の優しい語り掛けに、リサは微笑み僅かに頷いた。

「先生、ロシアの出方一つですが、もし我々の宣戦布告に受けて立ったらどうします」

「杉本君、それはないよ、大丈夫だ。日本とアメリカ、両方を敵にするとは思えない。戦闘が長引き、仮に日本がアメリカに吸収されても、日本の軍事力はアメリカに移行するだけだ。EU諸国も参戦を見合わせるだろう。どっちにしてもロシアは手を引くしかない」

「そうですね、馬鹿な選択をしないように祈りましょう」杉本は言った。

「だが、問題が残る」

「問題とは何ですか」杉本は、尋ねた。

「手を引かせるにも、ロシアの面子を潰す事は出来ない。嘘でした、撤退しますじゃ、ロシアの信用は丸つぶれだ。そうなれば、破れかぶれに戦争を始めるかも知れない。その為にも、綿密な作戦を立てる必要がある」輝の説明は、十分杉本に伝わった。

「まったく、余計な仕事を増やしやがって」杉本は、一言吐き出した。

「ところで、リサの御両親は大丈夫なの」それまで黙って聞いていた洋子が、杉本に尋ねた。

「今のところ心配はないらしい。攻撃を受けたのは、北海道の基地だけだ」杉本の答えを聞いて、リサも少しは安心した様だった。本当はリサが一番聞きたかったことだったが、リサはじっと我慢していた。落ち着かないリサの気持ちが通じたのか、洋子が何気なく尋ねてくれた。リサはそんな洋子に、一層の好意を抱き始めた。そこに一人の兵士が走り寄ってきた。

「リチャード氏から連絡です」輝は一つ頷くと歩き出したが、振りかえりリサに手を差し伸べた。

「おいで」その一言は、リサの顔に微笑をもたらせた。会議室では、山中がリチャードと既に話しを始めていた。

「分かりました、気をつけて」そう言ってレシーバーを切ろうとしたが、山中はリサの姿に気づき、話しを続けた。

「リチャード、ちょっと待って下さい」そしてリサに、レシーバーを手渡した。

「パパ」リサの話し掛けに、リチャードの声は大きく弾んだ。

「おー、リサ、そっちはどうだい」

「いい人ばかりで、優しくしてくれるわ」リサは出きる限り、陽気に答えた。

「そうだろう、パパも随分お世話になったよ。迷惑をかけちゃいけないよ」

「分かっているわ、でも、パパ大丈夫なの」

「なにが」リチャードは、あきらかにとぼけているようだった。

「聞いたわ、攻撃されたって」リチャードの返事は、少々時間がかかった。

「知っているのか…、でもここは大丈夫、安心して。みんな元気だよ」リサの心配をよそに、リチャードは明るく答えた。

「お願い、気をつけてね」

「分かった、じゃあ、切るよ。また連絡する。輝に宜しく」通信が途絶えると、山中が口を開いた。

「ロシアの攻撃は、どんどん南下しているらしい」

「撤退していないのですか」杉本は、驚いた。

「我々の指令支部の報告でも、次第に激化してきたと伝えている。アメリカの反攻作戦も準備段階に入ったと、リチャードから聞いたばかりだ。このままでは、全面戦争は免れない。今、ロシアと通信準備中だ。作戦を考えて欲しい」山中の緊迫した表情に、会議室には重苦しい空気が流れた。

「連絡が取れました」通信兵の言葉に、山中はゆっくりマイクに近づいた。

「山中です」

「ヤコブ司令官です、初めまして」聞きなれない名前に、山中は困惑した。

「チェルネンスキー司令官は、いかがされました」

「我が同志、チェルネンスキーは臆病風にふかれましてね。私が新任の司令官です」ヤコブの説明は、チェルネンスキーの更迭を知らせるものだった。ロシア政府は、我々の提案を拒否したらしい。山中がことの重大さに無言でいると、ヤコブが話し始めた。

「これから、日本はいかがされますか。我がロシアに宣戦布告しますか」冷静だが、挑戦的な言葉がスピーカーから流れてきた。

「EU諸国はどうします」山中の質問に、ヤコブは平然と答えた。

「我々を信じています。参戦しないとしても、ロシアだけでも戦いますよ。一日だけ待ちましょう。二十四時間後には、貴方がたの司令部を攻撃します。勿論、既に発見済みですよ。アメリカに吸収されるか、共に戦い生き延びるか、良く考えてください。仮に日本が滅びても、ロシアは痛くも痒くも無いですがね」通信は、ヤコブの大笑いによって終了した。ロシアの狙いは、やはりアメリカだと確信できた。

「山中司令官、EU諸国と連絡できますか」輝の質問に、山中は首を振りそして答えた。

「日本の通信衛星は機能していない。地球の裏側まで電波は送れない」

「ロシアはそれに気がついたのか」山中の答えに、杉本は納得した。

「他国の衛星は使えませんか」輝の質問には、むなしく首を振るだけだった。

「せめて、イギリスかフランスに、連絡が取れればいいのですが」黒部の言葉も、むなしく空回りするだけだった。時間は歩みを止めず、規則正しく過ぎて行った。

「私を有明に連れて行って」その時、リサの口から、思いもよらぬ言葉が出てきた。

「なにを言っているのだ」山中は驚いて、つい大きな声を出した。そんな山中を制止して、輝が優しく尋ねた。

「リサ、理由を言ってごらん。みんなに説明してほしい」輝が優しく微笑むと、リサはゆっくりと答え始めた。

「基地からなら連絡ができるわ、ワシントンに連絡したのは私よ。幸いおじい様もまだいるし、力になってくれると思うの」リサの言葉は、みんなの目に希望の光を灯した。

「それしか方法は無いようだ。しかし、君を行かせる訳には行かないよ、僕一人で行く」リサは慌てて首を振った。

「駄目よ、輝は捕まるわ、私は大丈夫。お願い私に行かせて」リサは、一生懸命悲願した。

「リサ良くお聞き、既にアメリカ軍基地は、攻撃を受けている。そんなところへ一人で行かせられない。それに、僕は君の正式な夫だよ、たとえ捕まっても、釈放されるよ。リチャードもいることだしね」

「分かったわ、でもその前に、パパと相談して」リサはどうにか納得した様子だった。

リチャードと連絡をとり、話しの粗筋を伝えたが、答えは悲観的だった。再編成の為、一時撤退を余儀なくされていて、リチャード達にも移動命令が出たところだった。どうにかするとの言葉を残し、リチャードは通信を終わらせた。指令本部には、続々と情報が寄せられてきた。ロシア軍は青森、仙台を抜け、破竹の勢いで東京に向かっていた。山中は中国政府に連絡をとっていた。しかし中国政府からは、非協力的な返答しか送ってこなかった。衛星の使用も、日本の意向を世界に伝える代役も、遠まわしに断ってきた。ロシアに睨まれたく無いのだろうと、山中は伝えた。二時間後リチャードから連絡が入った。

「通信衛星の末端装置を手に入れました。あと一時間もすれば全員が引き上げ、無人になります。装置を持ってそちらに向かいます」

「我々のアンテナは作動していない。末端装置があっても送信不可能だ」山中の答えに、しばらく沈黙が続いたが、やがてリチャードの声が聞こえてきた。

「では、基地に来てください。操作盤は破壊されましたが、アンテナは無事です。直接つなげば送信できると思います。私はこちらで、待機しています」山中は通信兵に尋ねた。

「末端装置を直接つなぎ、送信できるか」

「多分出来ます。アンテナが無事ならば問題無いと思います」通信兵は自信たっぷりに答えた。それから山中は、レシーバーに向かい話した。

「リチャード、我々はこれからそちらに向かう、待っていてくれ」

「気をつけてください、ロシア兵は近くまで来ています」通信を終えると、山中は会議室を見渡した。

「誰が行くか」山中の独り言に、輝と黒部が歩み出た。その時リサは輝の腕を掴み、止めようとしたが、優しく振り払われた。

「私は外務省の人間として、世界に発表する義務があります」

「護衛は、任せてください」力強い黒部の言葉に、輝も山中も頷いた。

「やってくれるか」山中は二人をしっかりと、抱きしめた。そして通信兵にも、同行するよう命令した。

「杉本君、リサを頼む」振り向く輝に、杉本は頷いた。

「黒部さん、時間が無い,行きましょう」扉に向かう二人を、リサは涙をこらえ、じっと見送った。黒部が扉に手をかけた時、輝は振りかえり山中に言った。

「なにがあっても、司令部を守り通してください」そして二人の姿は、扉の奥に吸い込まれて行った。二人を見送ったあと、山中は思い出したように命令を下した。

「すぐに防衛ラインを引け。二人が戻るまで、司令部を必ず死守しろ」山中の声に、将校達は一斉に動き出した。通信兵も機材を集め、二人のあとを追って行った。


          二


 地上では静かだった街も、すっかり戦火に覆われていた。至るところで銃声と、爆発音が響いていた。

「潜伏していたロシア兵でしょう」黒部の説明に、輝は黙って頷いた。黒部と輝、通信兵と五人の兵士は、闇に紛れて有明へと走り出した。ゆっくり慎重に進む時間は、もはや残されてはいなかった。全力疾走の連続は、輝の胸を熱く苦しめ、心臓の鼓動を早めた。やっとのおもいで有明に到着した時、基地には既に人影は無かった。そして座りこみ咳き込む輝を、黒部は優しく抱きかかえた。

「煙草は止めなくちゃだめですよ」

「こんなに走ったのは、初めてですよ」咳き込みつつも、輝は答えた。

「待っていました。さあ、早く」物陰から現れたリチャードは、しっかり迷彩服を身につけ、輝たちの到着を、じっと待ち続けていたようだった。リチャードが先導するように歩き始めた時、すぐ近くで激しい爆音が轟いた。

「だいぶ近い、急いで」黒部の言葉に、リチャードと一行は走り出した。その間も爆音は絶え間無く響いてきた。幾つかの建物を回りこみ、中庭らしき場所に出ると、アンテナは無傷のまま立っていた。

「急げ」黒部の言葉に通信兵はアンテナに駆け寄り、手早く作業をはじめた。どこかの工場でも基地にしたのか、アンテナを囲む建物には窓がなかった。それから黒部は、残りの兵士を散開させ、見張りに立たせた。作業を続ける通信兵の脇で、輝はリチャードに尋ねた。

「お父上は」

「厚木に移動しました。それから本国に戻るはずです」リチャードの目も、周囲に向けられていた。輝は、これから世界に向けて発表する内容を、頭の中で整理し始めた。爆音は更に近づき、激しさを増していった。五分ほどして、通信兵が接続の完了を告げた時、黒部のレシーバーに通信が入った。

「こちら基地入り口です。ロシア兵を確認、近づきつつあります」

「見つからぬよう、後退せよ、全隊員アンテナまで戻れ」そして黒部は輝に向け、頷いた。輝はマイクを受け取ると、大きく深呼吸をした。

「世界のみなさん、これは日本からの発信です。一人でも多くの人に届くよう、祈りながら伝えています。私は日本政府を代表し、公式に発表しています。日本はロシアの参戦を認めません。軍事侵略と見なし抗議をしました。撤退するよう求めましたが、ロシア政府はこれを拒否し、日本に対しても宣戦布告するつもりだと、伝えてきました。日本が滅ぶのは仕方ありませんが、世界を巻き込む戦いだけは避けていただきたい。ロシアの参戦に異議を唱えてください。繰り返します。日本はロシアの参戦を承認しません。参戦要求もしていません。人類の為にも……」その時、輝の腕を銃弾がかすめた。建物の屋上には、数人のロシア兵が陣取っていた。

「通信兵、二人を連れて脱出しろ、隊員、各個に攻撃」黒部の合図で、一斉に攻撃が始まった。通信兵は、輝とリチャードを連れ、中庭から飛び出した。振りかえる輝の目に、激しく応戦する兵士と、輝に敬礼を送る黒部の姿が焼きついた。三人は、暗闇の中走りつづけた。ロシア兵はまだ集結しておらず、基地の外に兵士の姿は無かった。砲撃の合間をぬっては走り、人影を見ては隠れ、三人は恐怖しながらも移動し続けた。やっとのことで、地下鉄まで戻った時には、日も昇り始めていた。地下通路にはバリケードが築かれ、兵士が警戒にあたっていた。基地内部も強固に武装され、重装備の兵士が動き回っていた。会議室まで戻ると、不安顔のリサに、洋子と杉本が寄り添っていた。

「先生」いち早く輝に気が付いた杉本の言葉に、全員が扉の方に目を向けた。

「輝」リサは、勢い良く輝に飛びついた。その顔には涙が光っていたが、満面の笑みを浮かべていた。輝はリサを抱きしめると。優しく頷いた。リサが続いてリチャードに抱きつくと、輝は山中に向かい足を進めた。

「ご苦労、上手く行ったかね」山中の目には、期待と不安が入り混じっていた。

「通信は、成功です。きっと誰かが聞いてくれていると思います。しかし黒部さんは…」輝の言葉は、そこで途切れてしまった。山中は黒部がいないのに気づき、輝の肩をやさしくたたいた。

「話してくれ」山中は、穏やかに尋ねた。

「通信の最後に、ロシア兵と遭遇しました。攻撃された私達を黒部さんは逃がし、その場で応戦を始めました。それからは分かりません」

「彼ならば心配無い。優秀な士官だ。必ず戻ってくる。心配ない」山中の言葉に、輝は幾分気が落ち着いた。

「とにかくありがとう、心から礼を言う」それから山中は、通信兵にも労いの言葉をかけた。ロシアへの返答まで、残り八時間と迫っていた。リサは、リチャードとの再会を喜んだあとは、一時も輝から離れなかった。輝とリサとリチャードの三人が食事をとっていると、杉本が現れ空いた椅子に越しを下ろした。

「洋子さんは」

「休んでいます」杉本は、輝の問いに答えた。

「君も少し休んだらどうだ」

「はい、でも気になることがありまして」杉本は、一旦話しを中断し、身を乗り出し小声で話し始めた。

「ロシアは撤退するでしょうか。あと、残り五時間です」

「出来る限りのことはした。あとは諸外国の対応に任せるしかない。彼らを、人間を信じよう。いかに愚かな戦いか、必ず理解してくれると信じよう」輝は、己に言い聞かせるように、杉本にも話した。杉本は頷くと更に尋ねた。

「ロシアが撤退したあとは、どうなりますか、アメリカとの話し合いは、どうするのですか。パッカー議員は本国に戻りましたが、リチャードはここにいます。どう連絡をとるつもりですか」

「私が答えましょう」リチャードも身を乗り出し、話し始めた。

「エリザベスもワシントンに戻りました。連絡は家内から来ます。これでね」リチャードはポケットから小さな機械を取り出し、テーブルの上に置いた。

「それは」杉本は初めて見たらしく、手にとってながめた。

「最新型の衛星電話ですよ。順調に進みロシアが撤退すれば、アメリカ軍はまた、日本に来るでしょう。その時、エリザベスも来るつもりです。そして話し合いが行われるようなら、これに連絡がきます。部隊が撤退するときに、どさくさ紛れに失敬しました。それから、堂々と出て行き、話し合いに臨めば、万事オーケーです」

「エリザベスは、来る事が出来るでしょうか」リチャードの答えに感心しながらも、杉本は尋ねた。

「大丈夫、父、パッカー上院議員が味方です。何とか手を打ってくれるでしょう。それまで、武装解除することなく待てます。それよりも、問題はロシアです。輝の言うように撤退すればいいですが、もし…」リチャードはその先を、語らなかった。その時、四人の席にも、歓声が響いてきた。歓声の方に目を向けると、黒部と共に基地に向かった兵士が、大勢の仲間に囲まれていた。輝は咄嗟に走り出し、人垣を掻き分け黒部の前に飛び出した。目を合わせた二人は、固い握手の後、しっかりと抱きしめあった。

「心配しました。黒部さん」

「無事でなによりです」輝の言葉に、にっこりと笑い黒部は答え、そして輝に尋ねた。

「地上はロシア兵で、溢れかえっています。途中部下が一人やられました。ロシア政府からは、なにも言ってきませんか」

「残念ですが、まだなにも言ってきません。時間は迫る一方ですが、進展はありません」

輝は、力無く答えたが、黒部は、力強く語った。

「大丈夫です。きっと分かってくれます。ロシアは非難の的になるはずです」黒部の言葉には、確固たる信念が伺えた。そして、その言葉に輝も勇気付けられた。


          三


 時間は無常に過ぎて行った。ロシアからは何の声明も発表されず、司令部内にも緊張の色が充満していた。会議室では沈黙が続き、皆、時計の針を目で追っていた。三十分前、二十分前、十分前、とうとう山中が、沈黙を破った。

「総員戦闘準備、配置につけ」号令とともに、将校は部屋を走り出て行った。

「残念だが、タイムリミットだ。しかし良くやってくれた。心から感謝する」山中はそう言うと、輝達に深く頭を下げた。

「力及ばずに、すいません。残念です」輝も深く頭を下げた。

「ちくしょー、ロシアめ」杉本の目には、怒りがみなぎっていた。

「いや、君達は本当によくやってくれた。短い間だったが、知り合えて光栄だった。ありがとう」山中の目には、光るものが浮かんできた。

「我々は最後まで戦うが、君達を脱出通路に案内する。逃げ延びてくれ」山中の言葉に、輝は尋ねた。

「保護した市民はどうなるのですか」

「残念だが、あんなに大勢は無理だ。通路は狭く、混乱は免れない。彼らに脱出通路は教えられない、君らだけでも逃げてくれ」輝は大きく首を振り、山中に答えた。

「私達も残ります。ここから出ても、逃げきれないでしょう。ロシア兵は、至るところにいます。ならば共にここで戦います」輝の言葉に、山中はぐっと目をつむった。

「本当にすまない」山中の涙は頬をつたい、テーブルに音も無く落下した。その時一人の兵士が飛び込んできて、大声で叫んだ。

「第一通路で戦闘が始まりました」

「とうとう来たか」山中はベルトの銃を取り出し、銃創を確かめてから兵士に伝えた。

「改札まで後退、ホームに敵を入れるな、必ず死守しろ、私もすぐに行く」歩き出した山中は、輝たちに敬礼を残し会議室を出て行った。リサは輝に抱きつき、声を出して泣き始めた。輝はリサをしっかりと抱きしめたあと、静かに身体を離し優しく語り始めた。

「リサ、リチャードと逃げなさい」リサは、輝の言葉が信じられなかった。

「輝、何を言うの」リチャードも、慌てて言い返した。

「ここまで来て、今更逃げ出すなんて、出来ません」

「貴方まで死ぬ事は無い、無意味です。お願いです、リサと逃げてください」輝はなおも食い下がった。

「私は、輝と離れないわ。一緒なら死んでもかまわない」リサは輝に、必死のおもいですがりついた。しかし輝は、リサを冷たく突き放し、リチャードに悲願した。

「リサを死なせたくない。彼女はまだこれからです。幸せになるチャンスはいくらでもあります。リサの為にも逃げてください。まだリサは、純潔のままです」

「しかし…」リチャードは、泣き崩れるリサを見て、なにも言えなかった。

「いや、絶対にいや、輝と離れない。パパお願い、一人で逃げて。私をほっといて」

リサは尚も、輝にすがりついた。リチャードは、リサの姿を正視できなかった。やがて決心したように、リチャードは輝に話し始めた。

「リサは、貴方の正式な妻です。神の前で永遠の愛を誓ったはずです。どんな事になろうとも、私には、二人を引き裂く事など出来ません。神の御心に委ねましょう」それからリサを立たせ、ゆっくりと尋ねた。

「後悔しないね」リサは、頷いた。

「ならば、パパはなにもしない、しっかり輝についていきなさい」リサは涙をふいて、再び頷いた。それからリチャードは、輝に向き直り話した。

「輝、ご覧のとおりです。決してリサを離さないで下さい。それから、二度とそんな事を言って、可愛い娘を傷つけないで下さい」リチャードの言葉には、怒りが感じられたが、輝に向けられたものではなかった。怒りは、アメリカ、ロシア、そして、旧日本政府に向けられたものだった。突然リチャードは武器を持ち、会議室を飛び出して行った。輝と杉本は、リチャードに遅れまいと会議室を飛び出した。リサと洋子は飛び出す二人を、黙って見送る事しか出来なかった。爆発音と共に、司令部は激しく揺れた。輝と杉本は、崩れ落ちるコンクリート片から、頭を保護しつつ出入り口へと走り続けた。線路に飛び出し一気にホームまで突っ走った。ホームでは黒部たちが、バリケードに身を隠し、敵の攻撃を待ち構えていた。

「どうですか」不意に声をかけられ、黒部は驚き振り返った。

「危険です。戻って下さい」黒部の言葉に、杉本が答えた。

「何処にいても、同じです。闘うしかないでしょう」輝も黙って頷いた。そんな二人を黒部は見つめ、微かに笑顔を浮かべた。そして戦況を説明し始めた。

「今は、改札口で敵を迎え撃っていますが、ホームに雪崩れ込むのも時間の問題でしょう。しかし、我々が必ずや撃退して見せます。そこでお二人には、弾薬の補充と伝達を頼みたいのですが」輝は頷くと、リチャードの事を尋ねた。

「いえ、ここには来ていません」黒部は、はっきりと答えた。その時銃声と共に、リチャードの声がホームに響いた。

「敵襲、線路から来るぞ」素早く反応した三人は、リチャードの声のするほうに走り出した。三田方面から銃声が聞こえてきたが、リチャードの姿は、闇に埋もれ見えなかった。

「リチャード」輝は声を殺し、ささやいた。

「静かに」闇の中から声が聞こえたと同時に、銃声が鳴り響いた。一瞬の閃光に、コンクリート柱に身を隠す、リチャードの姿が浮かび上がった。

「もう、大丈夫、片付けた。多分斥候だろう」その声に、黒部が懐中電灯に明りを灯した。

「戻りましょう」黒部の言葉に、四人はホームに向かい走り始めた。ホームに戻ると黒部は部下に、線路にも兵を待機させるよう命令した。輝は、リチャードが不思議でたまらず尋ねた。

「リチャード、貴方は…」

「驚いたでしょう、暗視スコープです。これなればばっちりです」輝にスコープを渡し、リチャードは答えた。

「いえ、そうじゃなくて…」

「アメリカは銃社会ですよ。私も撃った事があります。ただ他の人より回数は多いでしょうね。湾岸戦争に従事しました、勿論兵士としてね。若い頃の話ですよ」リチャードは屈託なく笑った。

「とにかく無茶はやめて下さい」輝に言われて、リチャードはおどけて頷いた。

「とにかく、ありったけの弾薬を持ってきましょう」三人が線路に降り立った時、ホームで手榴弾が炸裂した。

「来たぞ、攻撃」黒部の声が、ホームの隅々まで届いた。そしてホームは、地獄へと変わっていった。急いで基地まで戻り、弾薬を手にしてホームに向かおうとした時、黒部たちが、走って戻ってきた。

「もう無理です。突破されました。司令部で迎撃するしかありません」僅かに残った兵士と共に、基地まで戻り扉を硬く閉ざした。

「最後の砦です」扉を見つめる兵士の顔に、緊張と汗が浮き上がってきた。そして、銃声と共に、扉に食いこむ銃痕が盛り上がった。

「いよいよです」全員が扉に銃を向け、固唾を飲みこんだ。一分、二分、三分、しかし五分経っても、変化は起きなかった。黒部は緊張した足取りで、扉に近づいて行った。開閉スイッチに手をかけゆっくりと開く扉から覗いたが、そこにはロシア兵の姿は無く静まり返った闇が遠くまで続いていた。黒部は銃を構え、そのまま外に歩み出た。輝たちも、黒部の十メートルほど後をゆっくりと進んだ。しかし、線路にも、ホームにもロシア兵の姿は見当たらなかった。輝たちが顔を見合わせ途方に暮れていると、リサと洋子が息を切らし走って来た。

「やったのよ、上手くいったわ」洋子の説明に、杉本は首をひねった。

「なにが、上手くいったんだい」今度は、リサが答えた。

「ロシアが、ロシアが撤退を表明したの。今、連絡があったわ」その言葉の持つ意味は、そこにいる全員に至高の喜びを与えた。抱き合い、涙を流して喜びを噛み締めていた。


          五

 

 損害は桁外れに多かった。山中の遺体も、改札口で無残な姿になって発見された。残った兵士によって、遺体は線路に集められた。若く優秀な兵士も、さっきまで言葉を交わしていた山中も、ただ人形のように横たわり、虚ろな瞳を闇に向けていた。

「ひどすぎる」杉本の言葉に、全員が涙を流し戦争の愚かさを呪った。そして一人の兵士が短い祈りを捧げた。

「泣いてはいられません、まだ、アメリカが残っています。犠牲になった彼らのためにも、日本を守り通してください」リチャードの力強い言葉に、輝は頷いた。会議室に戻ると、通信兵が待っていた。

「永田町の基地から、連絡が入っています」

「私に、ですか」輝は驚いて、聞き返した。

「はい」輝は、理由もわからず、マイクを掴んだ。

「長田です」

「私は、吉田と言います。新政府を代表して貴方にお礼を言いたくて、連絡しました」

スピーカーからは、若そうな声が聞こえてきた。

「礼などとんでもありません。そちらの状況はどうですか」

「だいぶやられました。僅かに兵士が残っただけです。そこで貴方にお願いがあります」

「私に出来る事であれば」輝は答えた。

「貴方に、全軍の指揮をお願いしたいのですが」輝は男に慌てて返答した。

「私がですか?、無理です。軍の指揮官など勤まりません」

「しかしここには、士官すらいないのです。ほかの基地も同様の有様です。お願いします」男の不安そうな声が、スピーカーから流れた。

「ならば、うってつけの人物がいます。こちらもほとんどやられましたが、優秀な士官が残っています。彼ならばしっかりと指揮を取るでしょう」輝の自信たっぷりの答えに、男の声が弾んだ。

「そうしていただければ助かります。誰ですか」

「黒部一等陸佐です」黒部は急な名指しに、仰天した。

「では、我々の基地でも再編成が完了し次第、また連絡します」通信が終わると、黒部は輝に詰め寄った。

「私にも無理です。指揮官の器ではありません。誰か他の人を指名して下さい」

「黒部さん、彼ら若手も頑張っているのです。私も肩書き上、外務省事務局長です。誰かがやらなくてはいけないのです。貴方は優秀です。必ずや任務を全うすると信じています。お願いします。亡くなった山中さんのためにも、後任を引きうけてください」輝の言葉を慎重に受け止め、黒部は事の重大さを心に刻んだ。そして静かに頷いた。その後も、各基地から続々と通信が送られてきた。どの基地も予想以上の損害を受け、市民を入れての再編成に追われていた。しかし、唯一海上に展開していた部隊とは、連絡がつかなかった。

「司令官、緊急の通信です」

「EU連合のニールセンです。責任者と話したい」今まで傍聴席に座っただけの、EU連合からの突然の通信に、会議室の面々は驚き、淡い期待に胸を膨らませた。

「司令官の、黒部です」しかし、相手の意図がわからぬ間は、慎重に対処する必要があった。黒部はそんな気持ちを見せず、冷静に返答を返した。

「まずは、EU諸国の代表として、日本に感謝します。大きな間違いを犯すところでした」

「と言いますと、EU諸国はロシアを支持したのですか」黒部は信じられないと言う様子で、ニールセンに問いただした。

「分かってください。我々はアメリカに強い不信感を持ち続けていました。そこに今回の問題が持ちあがりました。アメリカにも再三に渡り、非難の声明を送りました。しかし、アメリカは耳を貸さず、軍事行動はエスカレートする一方でした。そんな時、ロシアから参戦要請をうけました。勿論日本から、ロシアに救助要請があったと聞きました。我々は、その言葉を信じ、参戦要求に応えました。しかし、日本からの声明を聞き、ロシアは各国から非難の的となりました。そして、我々は手を引くよう要求しました」一通りの説明を聞いた後、黒部はニールセンに尋ねた。

「その事には、感謝します。ロシアは撤退しましたが、EU諸国はこの先どうするつもりですか」黒部に対する返答は、悲観的なものだった。

「引き続きアメリカに声明を送りますが、それ以上は見守るしかありません」

「我々を見捨てると」黒部の言葉には、怒りと落胆が入り混じっていた。

「EU諸国の一般市民も、今回の抗争でかなりの数の犠牲が出ています。日本人に拉致された者、殺された者、銃撃戦に巻き込まれた者、はっきりとした数字は出ませんが、相当数に昇ります。その為、日本に対する援助を見送ると言う意見が大多数です。各国首脳も頭を痛めていますが、どうしようも無いのです。ただこの先、他国の介入は我々が阻止します。世界の為にも、平和的解決に全力を注いでください」ニールセンの言葉に、黒部はうなだれる様に答えた。

「分かりました。全力で解決に望みます。心遣いを感謝します。それと、犠牲者に対し、心からお詫び致します」そして、通信は静かに終了した。通信に耳を傾けていた輝が、黒部に向かい話し始めた。

「仕方ありません。日本人の殺戮は事実です。我々だけで何とかするしかありません。その為にも、黒部さん、あなたの力が必要です。最後まで諦めずに頑張りましょう」マイクを見つめたまま黒部は頷き、輝に向き直った。その顔には、断固たる決意が浮かんでいた。

「これからが、本当の戦いです。出来る限りの事はします。これからも協力して下さい」

黒部のしっかりした態度に、一同共感し、共に戦う意志を固めた。新年を迎える十日前の出来事だった。


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