第一話
前世の人格ままにファンタジー異世界へ転生したが、立ち位置が生前にちらっと見た悪役令嬢アニメ「ロマ何とか」(タイトルうろ覚え)の怠惰ヒロインだった。と私が確信するのは、人生の転機となる事の発端が昔の記憶と完全に合致したからである。
とある侯爵閣下が自領地のド田舎くんだりまで視察に訪れた時のことだ。侯爵が乗っていた馬車の馬が何らかの理由で暴走し、平民でにぎわう市場に突っ込んだ。人々は間一髪のところで難を逃れたが、一人の少女が大怪我を負ってしまった。慈悲深く誠実なことで有名な侯爵は馬の躾を誤った責任を感じ、平均平俗平凡と三拍子そろった少女を引き取って成人まで世話をすると言った。
何だその強すぎる責任感は。などと思ったので、この辺りの展開はよく覚えている。完全に侯爵側の落ち度なのだから、被害者に対して何らかの補償を行うのは当然だ。しかし、この場合は少女が適切な医療を受けられるよう腕のいい医者を紹介する程度が妥当と言える。そのほか、将来を案じて後見人などを立てればアフターケアとしても十分である。だのに、貴族邸宅にて衣食住を施すとは何事か。
最後の不満は横に置くとして、疑問符が頭に飛び交うこの展開こそが「転生した己の立ち位置が生前にちらっと見た悪役令嬢作品の怠惰ヒロインだった」と推測した根拠だった。クソヒロイン=怪我をした少女=私なのだ。
なお、この怠惰ヒロインが私と同じく左足を失うに至ったかは不明である。悪役令嬢もので義足のヒロインは珍しい。そんな設定があれば覚えていたと思うので、おそらく切断を伴うほどの怪我ではなかっただろう。
さて、この「ロマ何とか」という作品は悪役令嬢に転生した品行方正な主人公が破滅を避けるために奮闘する物語だ。配役に胡座をかいた転生ヒロインにざまぁをブチかまし、婚約者を切り捨るか更生させて幸福を勝ち取るストーリーだった。はずだ、たぶん。
また、主人公は自身を乙女ゲームの悪役令嬢と自覚していて、令嬢の未来には破滅しかないことを知っていた。
そこでふと疑問に思った。私が転生したのは「ロマ何とか」の世界か、ロマ何とかの「元ネタの乙女ゲーム世界」か。胸の内で議論してみたが、どちらにせよ私は私の人生を生きるしかないので、この問答には意味がなかった。
ただ、ここが仮に「元ネタ」の世界だとすると、悪役とされた令嬢の性質は原典を再現することになる。
以下は「元ネタ」に対する私の憶測である。とにもかくにも、侯爵閣下は輪禍の少女を屋敷に住まわせた。怪我をさせた負い目もあって、彼は少女をよく気にかけた。それは愛情の偏りとして表れ、実の娘であるご令嬢は父親との距離が離れていくことに焦りを感じた。
そこで、娘は父の関心を取り戻そうと策を打つ。だが、それはひどく拙いものだった。少女を腐し己をご立派に誇張する方法は誰からも不興を買った。彼女は手段を諭されることも正されることもなく、最後は父から見放されてしまった。やがて、令嬢は「役」どころか心根からして邪悪となってしまう。
それは嫌だなぁ、と私は思った。そもそも「何だその展開は」と反感にも似た疑問を抱いたにもかかわらず、当該作品をちらっと見たのには理由がある。
主人公が転生した悪役令嬢のツラが好みだったからだ。
金髪碧眼。私は男女関係なくこの特徴だけで米を無限に食える。しかもこの美少女、「ロマ何とか」では転生主人公のおかげで男装する機会がある。男装の麗人にエスコートされたい欲がある私としては、そんな姿を目にした日には心臓を押さえて病院送り確定だ。
しかし悲しいかな、前述の通り物語のイントロダクションでつまずき、私はアニメ第一話をちらっと見るだけで終わってしまった。作品の内容を知らずにキャラだけエアプは不誠実、というのが私の信条である。
閑話休題。
まず見た目で胸を射抜かれ、転生者のおかげで直球ドストライクとなった悪役令嬢が、元ネタと同様に醜態をさらして破滅するなど、私には耐えられない。
そうでなくても、私は彼女の幸せを願った。というのも、私の年齢が今年で三十路を超えたからだ。転生してから十五年と経っていないが、精神的には前世の人生も加算して立派なオバサンだった。そのせいか、私には悪役令嬢が妹あるいは娘のように見えてしまうのである。
そして話は冒頭へ戻る。
私は片足を失ったことに驚き、悲しみ、痛みに苦しんだ。幼い頃に両親を亡くし、唯一の肉親である祖母も他界した直後の出来事だったから、なおさら混乱は大きかった。それでさしもの私も怒濤の展開に翻弄されるがまま、侯爵閣下のもとへ迎えられてしまったのだった。
侯爵が私の前に現れたのは事故から二ヶ月ほどがたち、治療を次の段階に進めようと思い始めた頃だった。私がリハビリを話題に出すと、医者が言った。
「それなら早速、侯爵様にご連絡しなくては」
「もう心配ないとお伝えください。本人はこれからのことを前向きに考えておりますのでご安心を、と」
「ハッハッハ、それは自分で言うといい。その方がお喜びになるだろうからね」
「いえ、使いの誰かに言付けていただければ――」
「うん。だから使いを走らせるよ」
「えっとぉ……?」
いまひとつ話を掴めずにいると、翌日には侯爵閣下が目の前にいた。異様なほどの対応速度で私はあれよあれよと立派な馬車に乗せられ、呆けている間に領主邸宅の敷地内に運び込まれた。
侯爵は一本足で歩けない私を腕に抱えて馬車から降り、颯爽とポーチを抜けてエントランスへ向かう。その時になってようやく私は正気に戻り、戸惑いの声を上げた。
「閣下、お待ちください! 斯様に高貴な御方の邸宅へ私のような身分の者を招くなどあってはなりません」
彼はすぐに返事をしなかった。玄関扉を開けた使用人に労いの声をかけ、屋敷に足を踏み入れる。背後で扉がバタンと閉まり、そこで閣下は言葉を返した。
「そなたはこちらの過失で片足を失ったのだぞ」
「右側は残っております。大丈夫です」
「大丈夫ではない。己の非を知りながらか弱き者を捨て置くなど貴族の風上にも置けぬ」
「ですが本当に全然、大丈夫で――」
「私が大丈夫ではないのだ」
慈悲を固辞する私の気持ちを慮り、貴族の体面を守るための利己的な行為だと主張する。
領主が普通にいい人でド田舎者の小娘でなくともめちゃくちゃありがたい――が、今はその善性が厄介だった。
侯爵閣下は娘と同じく金髪碧眼で、見るからにハンサムである。ご尊顔を遠目に拝むだけで米三合は余裕だ。娘の悪役令嬢と同様に好みど真ん中な上、真摯な紳士とくれば、彼の親切を無下にするなど私にできるはずがない。
私は侯爵を見上げる。
視線は一見すると鋭いが、奥には柔らかな光も見られる。その眼光は言葉以上の説得力をもって人々を従順にさせる。確かな芯が一本通って決して崩れることのない姿勢は、彼の生き様を表したかのようだ。私を抱き上げる無骨な手もまた、見た目の割に柔らかで温かく、人の血が通っているのだと実感する。
これで娘にメロメロだったらいいのに。そんな未来が見たい。是非。
「ほら見なさい、鼻血が出ている。足もまだ痛むのだろう? 体が回復しきっていない証拠だ。せめて、歩行に支障なく一人で生活ができる見込みが立つまでは我が家で面倒を見る。これは決定事項だ」
この鼻血は閣下とご息女が健全な親子関係を築く妄想から染み出た何か気持ち悪い汁である。健気な少女が体調を押して反抗した哀れな結果などと思わないでほしい。
侯爵は使用人からちり紙を受け取り、私の鼻にそっと添えた。この場に居合わせる皆は事前に事情を聞いていたのか、誰もが私をいたわしげに見つめる。
これはいけない。貴方がたは勘違いしている。私は決して殊勝な子供ではない。
盛大に抗議しようと口を開いたまさにその時、鈴を転がす可愛らしい声がホールに響いた。
「お帰りなさいませ、お父様!」
やってきたのは侯爵閣下の娘、悪役を羽織らされる例のご令嬢だった。
彼女は木漏れ日のように温かな黄金の髪をクラウンブレイドでまとめていた。瞳のエメラルドブルーは白い砂浜に波を立てる清涼な海を思わせる。顔立ちも実に可憐で柔らか。ゆくゆくは佳人と呼ばれるにふさわしいレディとなろう。上品でしっとりとした紺碧のドレスがその気品を最大限に引き立てている。
素晴らしい! 完璧! 存在そのものが光り輝いている!
私はゼロ距離でなめるように眺めたい気持ちを撲殺した。鼻孔から再び液体が流れ出るのを感じ取り、鼻をちり紙に押し当てる。
「お父様、その方が例の……?」
お嬢様も私のことを知っているらしい。瞳の奥に困惑と若干の嫉妬を混ぜ合わせ、こちらを見ている。
私は焦った。これでは第一印象が最悪だ。
「あの、閣下。ひとまず私を下ろしてください。どなたか手を貸していただければ立てます」
平民なのをいいことに、私は侯爵の腕の中でバタバタとはしたなく暴れた。転がり落ちるように彼から離れ、使用人の手を借りて右足だけで立つ。
お嬢様は一本足の私を見るや、息をのんで体を凍らせた。通常、二本あるはずの片方しかないのだから、その反応も仕方がなかった。
私はお嬢様に向かって頭を下げたのち、侯爵を見上げた。
「ありがとうございます、閣下。それはそれとして、ご自宅に帰り着いてまずその腕に抱きしめるべきは貴方様のご息女でございます」
「なっ!?」
お嬢様がピャッと飛び上がり、顔を赤くする。私はそれに気づかないふりで続けた。
「父親が小汚い小娘を抱えて帰宅したら、私は少し嫌な気持ちになってしまいます」
「わ、わたくしはそんな気持ちになったりしません!」
「はい。ですが、私は自分がされて嫌なことは他人にもするなと言われて育ちましたため、そういたしました。私は嫌なのです」
「……そう」
お嬢様に恥をかかせぬよう、あくまで自分本位な態度で通す。
侯爵は私の言葉に何か思うところがあったのか、娘の前まで行って視線を合わせ、「ただいま」。優しく声をかけて手を差し出した。
「彼女をここへ連れてくるとは伝えていたが、詳しい経緯はまだだったね。これから少し時間をもらってもいいかい?」
「は、はい! もちろんでございます!」
言うよりも早く、お嬢様は父の手に自分のそれを重ねた。侯爵は表情を明るくした娘に何か手応えを感じて、その小さな手を恭しく握る。娘にメロメロな侯爵が誕生する可能性を見た瞬間である。




